閑話:神使の買い物
「お前が噂の勇者なの。かの水神殿をお迎えしたという」
「はあ」
私は今、自分のアパートから徒歩で十五分ほどの綾織神社にいる。この神社の祭神である綾織姫は、この土地で古くから祀られている海運の守神だ。
相変わらず“ご機嫌伺い”に蛇の神使が来るのだが、そのたびに蛇神斬りは気に入らないと大騒ぎだし雛倉さんは落ち込んで酒浸りになるしでうざったいことこの上ない。なら、かねてから考えていたとおり、その蛇の主人であるこの神社へと様子見に来てみたのだ。
「わたくしもいちどお会いしたいと思っていたのよ。だって、由緒正しき竜神殿であらせられるのでしょう? 神がお社を移すなんて、あまり例のないことだもの、何か不自由などなさってないかしらって気になってたの。けれど、神たるわたくしがこのお社を離れるのは良いことではないと皆が申すものだから」
「はあ」
にこにこと邪気のない笑顔で……ああ、神なんだから、邪気なんてないのか、なんてどうでもいいことを考えながら、私は頷く。
「だからわたくし、せめてお使いを送って、竜神殿はいかがお過ごしかとご様子を伺わせていたの。まさか、竜神殿の代理として噂の勇者がこちらに見えるなんて、わたくしとても嬉しいわ」
綾織姫は、もとは、港を作る際の人柱になった武家の姫君だったらしい。港湾工事がうまくいくことを祈願してその身を捧げたあと、港と海運の守神として祀られるようになったのだ……と、この神社の由来を書いた看板で読んだ。
だから、その見た目はまだとても若くて、ほんの十五歳程度だろうか。
長い艶やかな黒髪を結い、時代劇に出て来る武家の娘さんのような振袖っぽい着物姿でころころと笑っている。
なんだか親しみやすい娘さんだ。
「わたくしね、とても退屈だったの。近頃はあまり変わったこともなくて、皆、決まった時にしかお社を訪ねてこないんだもの。
来ても、わたくしとお喋りをしようというものはいないし、港も変なことはないし。あ、けれど、少し前に“ないの神”がご機嫌を損ねた時は、大波が来て騒がしかったわね」
「“ないの神”、ですか?」
「ええ、地震を司るお方よ。ちょっとご機嫌が悪くなると、地面を揺らして発散するんだって聞いたわ」
「え……」
「その時ばかりは、わたくしのお社に来てお祈りする人間も多かったのよ。だから、わたくし頑張って大波を抑えてくれるよう、海神殿にお願い申し上げたのだけど、なかなか聞き入れていただけなくて。いちど荒ぶるとなかなか落ち着いてくださらないお方だから、わたくしも本当に困ったわ」
「あの、そうでしたか」
「あ、そうそう! 勇者はお菓子は好きかしら?」
「え? あ、まあ」
「あのね、ついこの前、駅前のでぱあとで蝦夷の名物ばかりを集めた催しものをしていたの。わたくし、だから、お使いの銀波にいろいろ買いに行かせたのよ。今はいろんなお菓子があってとても楽しいわ。勇者の好きなお菓子はどれかしら。わたくしはね、この、薄いお芋にちょこれいとをかけたものが大好き」
「ああ、ポテチのチョコがけ……」
「揚げてほんのりと塩っぽくしたお芋と甘いちょこれいとって、本当においしいのよ。ええと、新聞の、ちらし? あれで見つけた時は何だろうって思ったものだけど、買いに行かせてみてよかった。
実はわたくし、あれから毎日、ちゃんと新聞のちらしを確認するようになったのよ。銀波は止めろって言うのだけど、これくらい良いじゃない」
「広告チェック、ですか……」
「そうなの。今日も銀波に、南国のお菓子を買いに行かせてるの。ええと、ちんすこう、だったかしら? さくさくして、お茶にも合うのよ」
目をキラキラと輝かせる綾織姫が、まるで、今日はどこそこで安売りがと語るうちの母のような表情を浮かべている。
なるほど、神みずから広告をチェックして神使を買い物に行かせる時代に……って、考えてみたら、雛倉さんだって渓さんと一緒にインターネットの通販サイトを見ては、今度はどの酒を、などと嬉々として選んでいるんだった。ここの本殿にはどう見てもネットは通ってなさそうだし、さすがに通販サイトというわけにいかないのだろう。
――そうか、うちに来てなんだかんだ小姑いびりみたいなことしていく蛇は、こんなお使いごとに使われてたのかと、少しだけ哀れな気持ちになる。
「ええと、それじゃ、今度は何か珍しいお菓子を手土産に持って来ます」
「まあ、本当に!? うれしいわ。皆、お供えしてくれるのはいいのだけど、お酒とかお塩にお米ばかりで、あってもお饅頭なの。あまり変わりばえしないのよ。だから、楽しみにしてるわ。これからも遊びに来てね」
うふふ、と笑う綾織姫とは、それからも、最近の着物がどうとか、洋装がどうとかと、ほぼ一方的にお喋りを聞いた。
神様といっても妹世代の女の子と話しているようで……雑誌に載ってる着崩しかたを試そうとしたら神使達に必死で止められたとか、よく見たら帯飾りや半襟にレースを入れてたり、どこの神もこんな感じなんだろうか。
雛倉さんのことを考えて、意外にどこもそうなのかなと考える。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、勇者殿。お疲れのようですけど、いかがでした?」
「あー、ええとね」
玄関を開けるなり、迎えに出て来た漣さんに、ううむと考える。
嫌味に嫌味で返すのは簡単だけど、しばらく引越の予定はないし、雛倉さんの落ち着き場所も決まってない。なにより近所の神同士、ギスギスしても絶対いいことはない。問題起こして白妙さんを怒らせても困る。
「綾織姫さんはお菓子が大好きなんだって。
だから、次に蛇が来たら、いつも大変ですねって、何か限定物のお菓子でも持たせてあげたらいいんじゃないかな」
「限定物のお菓子ですか?」
「そ。コンビニでも通販でもいいから、なんか買い置きしておいて、それ渡してあげて。そこは生活費で出して構わないし」
『勇者! どうして蛇に優しくするんですか! あれ、絶対魔王の手先なのに、どうして!』
「蛇神斬りが雛倉さん贔屓なのはわかったから落ち着いて。
蛇神使の主人は魔王じゃなくてかわいい年頃の娘さんだったし、蛇神使もあれで苦労してるんだよ」
『でも、勇者!』
「いいから。それでもなんかウザいこと言うようなら、“デパートの物産展めぐり、大変そうですね”って言ってやればおさまるよ」
「ぶっさんてん、ですか?」
首を傾げる漣さんに、私は頷いた。
「そう、物産展。今度、連れていってあげようか? 渓さんと雛倉さんじゃ酒しか買わないし、たまには漣さんも買い物しよう。息抜きは大切だよ。
いいでしょ雛倉さん。なんか酒のつまみになるものも買ってくるから」
「うむ、構わぬぞ。漣は常日頃頑張っておるしの」
「あ、主人様、勇者殿、ありがとうございます!」
「蛇神斬りもいい加減諦めて。それなりの付き合いになるんだから、仲良くしたほうがいいんだからね」
『でも、勇者』
「案外仲良くできるかもよ。苦労してる同士でさ」
『勇者がそういうなら、仕方ないですけど……』
不満そうに、まだぶつぶつと文句を呟いている蛇神斬りを宥めるように柄を叩いて、私はやれやれと肩を竦めた。