閑話:勇者の休日
ロマンスもラッキーすけべもないのに長くなった。
「それで、なんでこいつもいるの」
「身の危険を回避しようかと」
「白妙さんて、もしかして私のこと猛獣とか思ってる?」
「いえ、猛獣のほうがおとなしくてかわいいですし」
「……私はどこへ拉致られるんですか」
憮然とした顔で話に割り込む魔法使いに、白妙さんの車の後部座席でだらだらとお菓子を食べながら、私は「極楽」と答えた。
先日の案件で負った怪我は、すぐにいっちゃんの治癒魔法で治してもらったものの、完治までは少しかかるからと釘を刺されてしまった。
だったらと、たまった有給休暇を使って1週間ほどだらだら過ごすことに決めたのだが……ほんの2日で飽きてしまったのだ。
おかしい。
ニートやってた頃は、いくらでも余裕でだらけられたのに。
まったくもっておかしい。
「ねえ漣さん、温泉とかいかない?」
「ええと……すみません、主人さまのおそばを離れるわけには……」
「あー、やっぱそうか。うん、気にしないで」
申し訳なさそうな顔をする漣さんに、私は手を振る。
温泉でも行ってのんびりしたいけど、ひとりで行くのもなあと、なんとなく考えただけなのだ。
ひとりで旅館なんて、なんか自殺志願みたいに思われても嫌だしな、と。
だが。
「勇者よ。おぬし、人間の友人はどうした」
雛倉さんの言葉に、私の顔がひくりと引き攣る。
「もしやおぬし、“ぼっち”というやつか」
「……雛倉さん。世の中には指摘して許されることと許されないことがあるんだと、今ここで思い知りたいですか」
「ゆ、勇者殿! お気を鎮めてくださりませ!」
「まこと、おぬしは荒御魂も裸足で逃げ出す気性よの」
ゆらりと立ち上がる私に慌てて縋り付く漣さんと、御神体を護るようにとぐろを巻く雛倉さんに溜息を吐く。
「御神体に手を出すわけないでしょう。私をなんだと思ってるんですか」
「勇者殿は勇者殿ですよ。でも、その、たいへんお強い方ですし、お部屋が壊れてはいけませんから」
こんないたいけな漣さんにまで怖がられるって、私、何なんだろう。
そこに玄関チャイムが鳴った。たたたと小走りに漣さんが迎え出る。
「こんにちは、白妙です。書類を持ってきました」
先日の案件の報告書と、労災保険の手続きに必要な書類らしい。いちおう、これも業務で負った負傷ということになるのか。
「……おぬし、温泉ならこやつと行けばよいではないか」
卓袱台の上で白妙さんの説明どおり書類を書いていると、雛倉さんがそんなことを言い出した。
「はい?」
「……あ、なるほど」
ぽかんと顔を上げる白妙さんに、私は頷く。その手があったか。足も確保できるし、バッチリじゃないか。
「よし、白妙さん、温泉に行こう。私が休暇中なんだから、暇だよね」
「待ってください。何の話ですか」
「だから温泉行き決定したところ」
「なんで決定事項になってるんですか。亜樹さんは私をいったい何だと」
「狐」
「ぐっ」
白妙さんが黙る。勝った。よし。
雛倉さんのいいではないかと、私の熱意に折れる形で、白妙さんが温泉へ同行することになった。よし。
そして当日、冒頭に戻る。
迎えに来た白妙さんの車に乗ると、なぜか助手席に魔法使いがいた。
「で、長ちゃんをほとんど拉致る形で連れてきたんだ」
「長ちゃんとは誰のことですか」
「お前だ。こないだタマちゃんと会った時に、そう決定したから。“長き腕”とか中二臭い名前、いちいち呼んでられないし。
それともなっちゃんのほうがいい?」
魔法使いは絶句する。王宮付魔術師長まで登った私が、とかぶつぶつ言いはじめるので、「前職は知らないけど、今は研修中の新入社員なのわきまえてね」と追い討ちを掛けておく。
白妙さんは、少しかわいそうなもののように彼を見ていた。
「着きましたよ」
「ここがサポセンの保養所なの?」
“紅葉亭”という看板と、ちょっと趣のある四脚門と板塀に、へえ、と感心する。まさかサポセンに保養所なんてあるとは思わなかった。
「こんな山の中に何があるんです? この宿にどういう意味が?」
車を停めて降りるなり、長ちゃんが胡乱な目付きで門を眺め、そんなことを言い出した。
「白妙さん、何も説明してないの?」
「すみません、忘れてました。亜樹さんとのふたり旅を避けることに必死だったもので」
「え、そこまで?」
振り向くと、白妙さんはたいへん重々しく頷いていた。なぜだ。
「その気持ちは、わからないでもないですね」
「え、お前も!?」
長ちゃんまでもが頷く。
「だいたい、勇者アキ殿はあちらでもトラブルメーカーだったではないですか。なにかと首を突っ込んでは皆にいらん世話を掛けていたのを忘れたんですか?」
「うっ。あれは全部、勇者としての聖なる義務だから!」
「そこら中の男に粉をかけたあげくに決闘騒ぎになった女を庇って、全員の決闘を受けることがですか?」
「うっ」
「町を襲う盗賊団を壊滅させるのはしかたありません。
けれど、訳ありだからと酌量し、逃がした盗賊上がりの連中に、姐さんと担ぎ上げられたことはどう説明しますか?」
「ううっ」
「そういえば、隣領の領主との婚約を嫌がった領主家の姫に、自分を攫ってくれと迫られていましたね。あれはどうしたんでしたっけ?」
「そっ、それは、ほら! あんな若くて綺麗な子が、政略とはいえ色ボケヒヒ爺に嫁がされるとか可哀想じゃん!」
「では、あの後も可哀想な娘を残らず攫って歩くつもりだったと?」
「うううっ」
にやにやと、ここぞとばかりに長ちゃんが追い込んでくる。なんでだ。私は相当頑張ってたのになぜこうなる。
「……どこにいても亜樹さんは亜樹さんということですか」
「しっ、白妙さんまで!?」
白妙さんにも背中から撃たれた。もしかして、この状況は四面楚歌の味方なしってことなのか。蛇神斬り持って来ればよかった。
慌てる私をふっと笑って、白妙さんが荷物を降ろす。
「とりあえずそれは置いておいて、チェックインしましょうか」
歩き出す白妙さんの後を、私と長ちゃんが追った。
「……狐なんですか?」
出てきた仲居さんを見るなり、長ちゃんが呟いた。
「あー、お前相変わらず“看破”の魔法かけっ放しなんだ?」
「当然です」
長ちゃんはあっちにいた頃も常にいろいろな魔法を自分に掛けていたのだが、その習慣は健在のようだ。
そんなことを言い合う私たちに、仲居さんがにっこりと笑う。
「紅葉亭へようこそいらっしゃいました。こちらの宿は、樋沢地区の狐が代々経営しているお宿なんです。
もちろん妖だけでなく、普通の人間もいらっしゃいますけどね」
「へえ。じゃ、ここってずいぶん歴史がある宿なのかな?」
「樋沢様が温泉を掘り当ててからですので……ようやく300年を超えたくらいでしょうか」
「わあ。すごいなあ」
「建物は何度か建て直してますけど、樋沢温泉では、この紅葉亭がいちばん古くて源泉に近い宿なんですよ」
にこにこと微笑む仲居さんの案内で廊下を歩きながら、きょろきょろと周りを見回す。長ちゃんも、物珍しそうにあちらこちらを見回していた。
「風呂に入ってのんびりと寛ぐだけ、ですか……」
ここで何をして過ごすか、の説明に、長ちゃんは呆然としていた。
「そうだよ。それ以外には美味しいものを食べて酒飲むくらいかな」
「なんと贅沢な……貴族ですか」
「ふっふっふ。日本の豊かさを知れ」
「くっ」
私と長ちゃんのやりとりを、白妙さんが呆れたように見ている。だが、いそいそと準備しているのは。
「……白妙さん、もしかして部屋風呂で酒盛でもやろうと思ってるの?」
「はい、もちろん。そのために用意してきましたし。あ、亜樹さんは大浴場に行ってくださいね。さすがに風呂まで共にするのはちょっと……」
「わかってるよ!」
ものすごく嫌がってたように見えて、意外に楽しみにしてたのか。
長ちゃんまで興味津々に覗き込んでいて、この分だとふたりで飲み始めそうだ。なんだか悔しい。水着でも持って来ればよかったか。
とはいえ、白妙さんの言うことももっともなので、私は着替えを持って大浴場へ向かった。
大浴場の露天風呂に浸かりながら、はあ、と息を吐く。今日はまだ平日ということもあって、風呂は貸切状態だ。
就職してからこっち、こんな風にのんびりすることなんて全然なかったんじゃないだろうか、などとしみじみ考えてしまう。
「……もしかして、私は仕事中毒だったんだろうか」
そんなことを呟いて、ぼうっと空を眺めた。
露天風呂から眺められる庭園や山の様子を見ていると、秋の紅葉の時期は見事に染まった木々が見られそうだ。
“紅葉亭”とはよく付けたものだ。
──くっそう、彼氏くらいほしい。こういう旅行に一緒に出かけていちゃいちゃキャッキャできる彼氏がほしい。
秋になったら「紅葉狩りに山のホテルもいいよね」なんてお泊まりデートできる彼氏がほしい。
同居人……というか、同居神のいるあの状況で、部屋に彼氏を呼んだりなんて難しいことくらいはわかっている。
だが、年頃の女として彼氏のひとりくらいほしいのだ。
やはり合コンか。いっちゃんあたり、合コンやりそうな友達に心当たりはないだろうか。それともいっそタマちゃんに頼むか。
よし、休暇の間に女子力増強アイテムを手に入れて、合コンに備えよう。ついでに、合コンしそうな人にも声を掛けて頼んでおこう。
私は空を睨んでぐっと拳を握る。
あ、あとで縁結びに定評のある神様を調べて拝みにも行こうっと。
「何やってるの」
「おもしろいので襲っておりました」
部屋に戻ると、女に化けた白妙さんがしどけない格好で長ちゃんを押し倒していた。固まって冷や汗をだらだら垂れ流す長ちゃんの姿は、なかなか見られない珍しいものである。
「……どうでもいいから、勇者アキ殿助けてください」
「白妙さん、酔っ払ってるね。風呂でどんだけ飲んだのよ」
にこにこと笑いながら長ちゃんを押し倒す白妙さんというのも、なかなかの眺めかもしれない。
「昔はだいたい、雄狐でも女に化けて男を騙すことが多かったという話をしていたら、そんなものに騙されるわけがないとか言うもので、つい」
白妙さん女版は、妖艶かつ豊満な美女といったところだろうか。
いつもの淡々とした事務的な雰囲気が抜けて、手馴れてる感に溢れている。むしろこっちのほうが本性なんじゃないだろうか。
確かにこんな美女がエロい雰囲気で寄ってきたら、たいていの男は釣られるんじゃないだろうか。
「白妙さん、昔はそれでずいぶん化かしてたでしょう。めちゃくちゃ堂に入ってるよね。慣れてるっていうか」
「これでも若いころはいろいろとやりましたし」
ころころ笑う白妙さんは、仕草まで完璧に女という徹底っぷりだ。
「白妙さんて、女に化けてるほうがしっくりくるんじゃない?」
「当たり前ですよ。私は雌狐なんですから」
「えっ?」
「何!?」
「あ、信じましたか? 冗談です」
目を剥く私と長ちゃんに、白妙さんはくっくっと笑ってあっという間にいつもの男に戻ってしまった。
焦った。一瞬本気にしたじゃないか。
「それより白妙さん、女に化けられるんならあとで一緒に風呂行こうよ」
「……亜樹さんのその屈託の無さが信じられません」
「いやだってさすがに狐相手に襲うつもりはないよ。
それに、昔飼ってた犬とも風呂入ったし犬は雄だったけど、もちろん別にどうともなかったからね」
なぜか白妙さんが絶句する。長ちゃんも呆れた顔で溜息を吐く。
「そういえば、勇者アキ殿は、あちらでも雑魚寝とか平気でしたね」
「え、だってそれで襲ってくれたら斬る口実ができるってものじゃん」
「騎士殿が困って泣きそうでしたよ。女性だからと気遣って個室を勧めたのに、却下された挙句あれはなんなんだと。司祭殿に、あれは人間の形をした猛獣だと思うしかないと慰められておりましたが」
「亜樹さん、いったい何をしたんですか」
「何それ。そんなことあったっけ?」
長ちゃんは顔を顰めて首を振る。白妙さんも、何かを察したかのような表情を浮かべている。
「とにかく、私も、さすがに化かす対象でも伴侶でもない異性と裸の付き合いをするのは遠慮したいです。
亜樹さんは、もう少し、人に化ける妖との付き合い方を覚えたほうがよいですよ。勇者ゆえの自信なのかもしれませんが」
えー、と納得のいかない私の横で、長ちゃんまでが頷いていた。曰く、慎みが足りないとかなんとか。
「慎みとか言われたって、そんなもん尊重できる状況でもなかったし」
「それにしたって限度があります。旅に出る前は、それでもまだ女性として見られたのに終わった時といったら。
騎士殿が女性に対する夢を壊されたと、夜、うなされてましたよ」
「だったら魔王城お大尽ツアー用意しろっての。そこまでしてくれたら、もっと淑女らしくしてやったわ」
はあ、と長ちゃんがまた溜息を吐いた。そういう問題じゃないというが、ならどういう問題だというのだ。
「まあ、聞いている話と普段の言動から察するに、亜樹さんはどこまでいっても亜樹さんですし、そもそもお大尽ツアーだったとしてもねえ」
まったりと微笑みながら、白妙さんが酒を呑み始める。
「それどういう意味」
「普通の感覚の方でしたら、雛倉さんがいかに口添えしようと、仕事上の付き合いしかない男を旅行に誘うことなどありえませんし」
「うっ……だってさあ、3年行方くらましてたら、友達みんな縁が切れちゃってたんだから仕方ないじゃん?」
むうっとむくれる私に白妙さんがお猪口を渡して酒を注いでくれた。ぽんぽんと肩を慰めるように叩いて。
なんなのこの屈辱感。
「どうせ私ぼっちだし。もともと友達少なかったし……って、つまり少ない友達と切れちゃったの、長ちゃんのせいじゃん!」
「責任転嫁はやめてください。勇者アキ殿が呼ばれたのは、あくまでも女神の思し召しなんですから」
「くっ、暁の聖なる女神は反省しろ。まずは私に彼氏を寄越せ。そしたら反省を認めて許してやる」
お猪口を空けた私に、また白妙さんが黙って酒を注いでくれた。
かわいそうなものを見る目で私を眺める長ちゃんは、そこの風呂にでも沈めてやろうか。
後で仲居さんに聞いたら、麓の樋沢神社には結婚と豊穣の女神の霊験あらたかな神具が納められてるとのことだった。
拝んで帰ろうと思う。
結婚を司るなら、きっと良縁のご利益もあるはずだ。間違いない。