事件1.元勇者と妖サポセン/前篇
「亜樹さん、そっち行きましたよ」
「はいはい、任せてー」
ええとこいつは確か木だから、火に弱かったはず。
「“混沌の海にたゆたいし大いなる力よ。我の言葉によりその形を焔へと変えよ。我が剣に顕現せよ”──とりゃ!」
わしゃわしゃとこちらへはい寄ってきた化生を、私は焔を纏わせた木刀で叩っ斬った。いや、もとのモノが木だから叩き折るといったほうがいいのかな。
「はい、終わり」
スーツを着た、見た目だけは若い男である白妙さんがすかさずするすると近寄って、たった今倒したばかりの化生を念入りに調べ……すぐにそれも終えて、よし、と頷いた。
「はい、確認しました。本日もお疲れ様です」
ぱんぱんと手を払って立ち上がり、ぺこりとお辞儀をすると、白妙さんは手元のカバンからさっそく封筒を取り出す。
「こちらが今回の出張手当と討伐手当になります」
「はい」
「中を確認したら、受領印はこちらにお願いします」
封筒を受け取り、ひいふうみいと中の紙幣の数を認して、私は彼の差し出す帳面にサインと捺印をする。
彼は確認すると「確かに」ともう一度頷いて、カバンに帳面を入れる。
「交通費ですが、領収書を添えて書類でご請求ください。郵送で構いませんので」
「はーい。ところで白妙さん、車ですよね。近くまで乗せてってください」
「はい、もちろん」
こんな夜中なのに、山の中に置いていかれてもと白妙さんにお願いすると、快く引き受けてくれた。タクシー呼ぼうにも、場所の説明をどうしたらいいかわからないから困るところだった。
道路に出て、停めてあった白妙さんのオフロード車に乗り込む。
見た目だけはインドアな雰囲気の白妙さんが、こんなごつい車に乗ってるなんて、いつもながら不思議だよなあと考える。
* * *
私はつい1年前まで“勇者”などと呼ばれてた。
「勇者様、どうか世界を、私たちをお救いください」
いきなり見知らぬ場所に呼び出され、お願いされて、魔王を倒したら家に戻れると言われたから、“勇者”という仕事を頑張ったのだ。
最初はなんでと思ったし、たとえ魔物相手でも殺生ごとなんてするのは初めてで、とても怖かった。
それでも帰りたい一心で魔物を殺し、身体を鍛え、魔法とやらも覚え……数年かけて魔王も倒してようやく帰ってきたら、待っていたのは世知辛い現実だったのだ。
当然だ。3年も行方不明だった人間のことなんて、学校も会社も待っていてくれない。世の中はとてもとても世知辛いものなのだ。
家族すら、最初はよく戻ってきてくれたと喜んだものの、今では完全ニートでバイトすら続かない私に困り、腫れ物を触るような扱いをする。
行方不明の3年のせいでせっかく入った大学も中退済み。
なら、どうにか就職をと面接しても、この不景気だ。学歴が学歴だし職歴もないしで書類でふるい落とされてしまう。
ついでに言うなら、私も自分自身を持て余しているような状態で、どうしたらいいかわからない。
そこに現れたのが白妙さんだった。
「あの、もし、すみませんが少しお時間よろしいですか」
まるでキャッチセールスのように呼び止められ、つい立ち止まった私に、白妙さんは名刺を差し出した。
「私、こういうものでございます」
「……は?」
名刺には、“妖サポートセンター渉外担当 白狐/白妙”と書いてあった。
何の冗談かと思わず見返すと、「あなたにはお判りでしょうに」と笑うだけ。
「え……?」
いったい何が“お判り”なのか。
睨むように見つめる私に、彼は胡散臭い笑みを貼り付けて見返した。
「最近、あなたのような異世界帰りの方を探して、私のようなものがスカウトに上がっているのです」
彼の言葉に、私は表情を強張らせる。
家族にだって信じてもらえず、結局誰にも詳しいことなんてしゃべらなかったのに、なぜ彼がそのことを知っているのか。
わけがわからずじっと見つめる私に、白妙さんはにっこりと微笑む。
「このまま外でというのもなんですから、こちらでお話をさせてください」
彼に連れられ、すぐそばの喫茶店に入る。
頼んだコーヒーが来ると、改めて彼は「白妙と申します」と名乗った。
ぺこりと頭を下げながら。
「それでは、さっそくですが本題に入らせていただきます」
「それよりも、どうして私が、その、“異世界帰り”って……」
「ああ、それですか。見ればわかりますし、こちらでもまめにチェックしておりますから」
訝しむように低く尋ねる私に、白妙さんはにっこり笑うだけだ。見ればわかるって、いったいどういうことなのか。
私はコーヒーをひと口すすった。
白妙さんはコホンと小さく咳払いをすると、改めて口を開く。
「昨今、少子高齢化が進み、地方によっては地域の神事や祭事などもどんどん廃れていることはご想像に難くないと思います」
「ええと、そうなんですね」
だが、いったい何の話が始まるのか。いきなりのスタートに私は首を捻る。
「おまけに、文明と科学の進化で非科学的な事象が否定されることも多く、人間たちがそういったものに関心を持たなくなった弊害で……ああ、そうですね。例えるなら……どこか辺鄙な神社などに幽霊の噂があったとして、あなたは信じますか?」
「え? いや、ちょっと……あんまり……?」
少子高齢化と文明の進化と神社の幽霊?
だから一体何の話なのか。
「あなたのその答えのように、最近では、少し怪しい出来事などもすべて気のせい、単なる偶発の科学的な現象で済まされるようになってしまいました。
ですが、それで困ってしまったのが、我々妖なのです」
「はあ……?」
話が見えない。
しかも、妖? つまり妖怪?
妖というが、つまりあの名刺の“白狐”というのは肩書きではない?
そもそも、この世界に妖怪みたいなものが存在する?
思わず胡乱な目で見つめる私に、彼はやはりにっこりと微笑む。
「以前なら、そういったトラブルが発生した場合には、きちんと力のある神職などを招いて封をするなどの対処が行われておりました。また、その後も欠かさず神事や祭事を行うことで、厄介な封印などもつつがなく維持されて来ました。
ですが、現代においては、先ほど申しました少子高齢化及び地方の過疎化に伴い、そういったものを引き継ぐどころか無くしてしまう方向に働いておりまして……」
「え、あ、まあ……そうなんですか?」
淀みなく続く話に、私は少し混乱する。
「はい。そうやって祭事を無くされますと、必然的に封などが緩みます。だんだんと封が緩んでいけば、封じたものが再び自由を得てしまうのではないかと、地元に留まっている妖たちが怯えて暮すことになるのです。
ご想像ください。数百年前に祀られ、神に昇格して落ち着いたはずの怨霊が、祭事と礼拝が行われなくなったために再び怨霊に戻ってしまったりなどしたら、何が起こるかを」
「うわあ……」
「近年では、我が妖サポートセンターに寄せられる相談にも、そういったものが増えてきているのです。
ですが、封などされるほどのものに対抗できる妖はそう多くありませんし、対抗できるような大きな通力を備えた神職なども、現在ではやはり少ない」
顔を曇らせ、眉間に皺を寄せて彼は小さく首を振る。はあ、と溜息を吐く様子からも事情はだいたいわかったし、これから彼が何を言おうとしているかも想像がついた。
「そこで我々が考えたのが、異世界帰りの人間をスカウトすることです。
特に、あなたのように異世界で身につけたスキルを持ったまま戻って来た方は得難い人材でして……どうでしょう、桜木亜樹さん。我々のところで、あなたの技能を生かしてみませんか?」
彼は真摯に私を見て、ずい、と顔を寄せた。
「我々はあなたのような技量を備えたお方の力を必要としています」
「え、でも……」
「もちろん正社員としてお迎えしますし、基本給、各種手当、賞与の規定についてもこのようにきちんと定められております。勤務地も、住まいを考慮した地域となりますし、それに、風通しのよい職場ですよ」
ちらりと目を落とした紙面に書かれた金額は、これまで就職活動で目にした条件と比べても悪くなかった。悪くないどころか、職歴なし学歴なしの私には、十分以上に良いものだった。
この収入があればニートだ何だと肩身の狭い思いをしなくて済むし、なんなら、家を出て自活することだってできるんじゃないか。
私はごくりと喉を鳴らし、じっと紙面を見つめた。
「……社員寮はありますか?」
「寮はありませんが、住宅手当として毎月家賃の3割を支給いたします」
なら、実家を出ても十分以上にやっていける。
「就職します」
「ありがとうございます」
安堵の吐息を漏らしながら、彼……白妙さんはまたにっこりと笑った。
「それではさっそくこちらの契約書にサインをお願いします」
差し出されたペンを取り、テーブルに置かれた契約書にざっと目を通し、私はサインしたのだった。
これでもうニートと呼ばれずに済む、と思って。
* * *
「うん、あの時はいいなと思ったし、確かに風通しとかいいと思うけどさ。なんせ、上司は白妙さんだし」
真っ暗な道の先に目をやりながら、助手席でぽそりと呟くと、白妙さんが「どうしましたか?」とにっこり笑いながらこちらをちらりと見やった。
この笑顔だよ。この、人好きのする笑顔に騙された。
考えてみたら、名刺にはちゃんと“白狐”って書いてあったじゃないか。古来、狐というのは人を騙したり化かしたりするものじゃないか。
「とんだブラック会社だったなと思って」
「そうですか?」
白妙さんは不思議そうに小さく首を傾げる。こんなホワイトな会社ないぞ、という雰囲気を醸し出して。
「呼び出しとか唐突だし、確かに勤務地は住まいを考慮されてるかもしれないけど、毎度毎度行先はとんでもないど田舎か山の中だし」
「しかたありませんよ。ああいった化生が暴れるのはだいたい過疎地域か人里離れた山奥となってしまうものです」
「いやそうだけどさ。時間だって真夜中ばっかりだし」
「化生だの怨霊だのが活動する時間帯は、たいてい真夜中の丑三つ時と決まっているものですよ」
「ああ、まあ確かにそうだけどさあ。でも1週間休みなしで深夜勤務ってどうなのかなって思うんだよね」
「亜樹さんがかなりの使い手だったおかげで、大変助かっております。物理と魔法でどうにかできる実力を持つ方はなかなか少ないんですよね。
あの地域に住む狐たちもずいぶん困っておりましたし、先日再封印となった怨霊の社近辺の妖たちからは感謝状も届いておりますよ」
「ああ、うん……」
物腰柔らかく、穏やかに諭されるような声で言われると実は弱い。いつもこれで白妙さんに丸め込まれてしまうのだ。
「実際、亜樹さんのように物理も魔法もいける方というのは貴重なんですよ」
「そうなの?」
「そもそも、異世界から戻ってきた後も技能を残しているという方が少ないんです」
「え、そう?」
「はい。身体能力だけで言いますと、身体で覚えたものはそうそう失われるものではありません。
例えば剣の技量などはこちらへ戻ってきても残ることは多いのです。
けれど、相手にするものがものですし、物理だけではどうしても限界があるんですよ。そもそも、怨霊のように効かないものもおりますから。
なのに、魔法に関しては行先次第なんです。
その世界でなければ使えないような魔法も多いようでして、戻ってきた途端に使えなくなったという方も少なくありません」
「へえ、そういうものなんだ」
「その点、亜樹さんは物理も魔法もいけますから、少々厄介なところでも安心してお任せできるんです。たいへん助かってます」
「ふうん」
ハンドルを握りながら穏やかににこやかに説明されて、私はやっぱり丸め込まれてしまったのだった。