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ヌイグルミウムの破片

 研究所での生活に慣れてきた頃、アリスは数日ぶりの外気の冷たさに身を震わせた。何ものにも気には留めず気ままに吹く風は、無関心と言う冷たさを本質的に持っている。それを引き立てるのは足元に広がる飾り気のないコンクリートか、はたまた無闇やたらと広がる木々のざわめきか。研究員が照らすほんのわずかな明りを頼りに歩きながら見上げた月は少し欠けていた。


 歩いた先にあったのは夜空に溶け込むような色のヘリコプター。ドアの前に来るとひとりでに開き、中からサエジマ博士が彼女に手を差し伸べた。

「やあ。寒かっただろう。ほら、あたたかい紅茶をどうぞ」

 渡されたマグカップを両手で持ち、一口飲む間にヘリが轟音を立てて浮かび上がる。離れていくコンクリートの地面を、目を見開いて眺める彼女の姿は歳相応と言えよう。

「空を飛ぶ乗り物は始めてかい?」

「うん!」

「そうか。降りるまでは時間がある。それまでゆっくりしてなさい」


 今日のアリスはコンクリートの部屋で話したときよりも感情に溢れていた。ここ数日軟禁状態であったにもかかわらず抵抗もなく、ホームシックにさえなっていない。初めこそ遠目には借りてきた猫のように大人しく、子どもなりに研究員に遠慮をしているようだったが、今マジックミラー越しに見た人形の姿はその面影さえもない。純朴で天真爛漫と言う言葉が似合う女の子だ。環境に慣れたのか何が影響したのかわからないが、そんな彼女の変化はサエジマにとって好都合だった。

「先生、どこへ行くの?」

「新しい世界さ。不思議の国よりもっと広くて素敵なところだよ」


 タブレット端末にはアリスの体調や生活等、様々なデータが収集されている。助手は紅茶に仕込んだある成分の吸収率に関するデータを見ながら、数時間前の博士との会話を思い返した。

「キョウヘイ、ハヘンのことだが」

 サエジマの言葉にキョウヘイは耳を疑った。ハヘンというのは彼の研究において欠かせないもので、その存在を人前ではおろかキョウヘイの前でも滅多に口にすることはない。「大丈夫だ。誰にも聞かれないさ」

 研究室は防音対策が成されているが、それでも心配だ。すりガラスの向こうを小動物の影が横切ると、博士はソファーに腰を落とし少し早口でしゃべりだした。

「君も知ってのとおり。ワシが作り上げた鉱物ヌイグルミウムはハヘンの力によるものだ。ぬいぐるみに意志を宿すなんて馬鹿げていると思ったものだが、ハヘンのおかげで実験は成功だ。言うことを聞かない不良品だったが、成功は成功だ」

 博士には悪いが、ヌイグルミウムという名にはいつも噴き出しそうになる。人工鉱物ヌイグルミウムは完成時、薄紫色に透き通る四センチ四方の立方体だった。その完成に立ち会ったものはだれもおらず作り方もまったくの不明で、博士自身も製造方法を口外しなかった。しかし、ただ一人、私にだけはハヘンの存在を打ち明けてくれたのだ。

「もう一度やらないんですか?」

「同じことをまたやっても意味がない。新しく探究してこそだ。だが今から新たにと言うにはワシはもう歳を取りすぎた」

 打ち明けられた時、ハヘンの存在は博士の冗談だと思っていた。しかしヌイグルミウムが竜のぬいぐるみに溶け込むように消えていき、やがてそれが動きしゃべるようになるのを見て理解した。これは魔法だ。人間の身では実現不可能な力だと。

「シェアードの実験の後、君は言ったな。ヌイグルミウムを更に細分化し、衣服に溶け込ませることで運動の補助具足り得ないかと。流石だ。本当に興味深いよ」

 ぬいぐるみが自発的に動く姿は始めこそ気味が悪かったが、衣服で同じことができれば可能性は広がる。着ている服が体を動かせば、リハビリの補助や、運動不足解消にも一役買うだろう。

「君の研究が本格的に始まる前に準備しようと思ってな」

「博士、それでは」

「ああ。今夜取りに行く。ワシの研究も進めなければならんしな」

 博士の言葉に心が躍った。入院中の祖母のためにも、この研究はなんとしても形にしなければ。

「ワシの研究はあの子で最後だ。そしてあの子を使った実験が君の研究の第一歩になる」


 想定される問題は、シェアードのように衣服に自我が宿ってしまった場合だ。もし自我を持つ衣服なんて出来てしまえば、装着者はただの操り人形になってしまう。あくまで装着者の意思によって動かされなければならない。そのためにはどうすればよいか・・・・・・


 そんな助手の思索を遮るようにサエジマのスマートフォンが鳴った。発信者はシェアードと表示されている。サエジマは眉を歪めて奥歯をかみ締めると、電話に応答した。

『共有者、逃げ場はないぞ。大人しく投降するんだ』

 電話の向こうから聞こえてきたのは聞き馴染みのある声だ。旧友のNだ。

「やあ西野君。人命救助ご苦労。君の働きにはいつも感服させられる。うちの若いのも世話になったそうじゃないか」

『やはりお前かサエジマ』

「こうして話すのも数年ぶりだな。これで最後になることを願うよ。それで一体何の用だ」

『サエジマ。もうこんなことはやめて罪を償え』

「こんなこと? ワシが何をしようか知っているとでも?」

 そう言うと西野は言葉に詰まったようだった。

『どうせろくでもないことだろ』

「ははは、知らないようだな。ま、古くからの付き合いだ。ヒントをくれてやる」

『ヒントだと? ゲームのつもりか』

「そうだな。お前たちからモルモットを一匹捕獲している。話は聞いているんじゃないか? 共有者が占い師と呼んでいた娘だ」

 当の素直なモルモットは窓に顔を付けて外を眺め、電話はまったく気にとめていない。


『その子に何する気だ』

「おちつけ。そうだ、取引に応じる気は無いか?」

『取引だと』

「そう。あの狼男についてだが、まずは礼を言わなくてはな。厄介者を始末してくれてありがとう。手間が省けたよ。君たちで管理しているのだろう?」

 狼男とは、先日モニターで確認した、廃物流工場で巨大化したシェアードを破った男だ。狼のマスクを付け、時にぬいぐるみに姿を変えながら立ち回る姿は、生前シェアードが語っていた「スタッフトムーン計画」に適しており、奴が執着して狙ったのも頷ける。こちらとしては出来れば回収してじっくりと体を調べたい。

「あの力だが、本当に興味深いよ。そちらが狼を差し出すと言うなら、こっちもモルモットを手放そう。どうだ?」

『飲めるか』

 即答だった。サエジマは溜息をつくと、少し笑って言った。

「だと思ったよ。私だってこの貴重なモルモットを手放すつもりはない。近いうちにどちらのモルモットが強いか勝負しようじゃないか。ハハハ・・・・・・」



 豪奢な室内にサエジマの高笑いが響き、乱暴に電話が切れた。調度品の引き立て役としてはお世辞にも相応しくない無機質なディスプレイには、電話の着信地点が線で表示されている。どうやらサエジマは通話の間どこかへ移動していたようだ。西野はタイミングの悪さと憎き旧友の態度に頭をかきむしると、息をついて背後の人物に向き直った。

「場所はおおよそだが、行ってくれるか?」

「ええ。もちろん。彼を出すわけにはいきません。・・・・・・知り合いですか」

「まあな。とっくにくたばったと思っていたが」

 スマートフォンを向かいの人物に投げ渡し、続いてモルモットを投げるとたちまち光が貫く。ぬいぐるみに変えられたモルモットは床に転げ落ちると、程なくして元の姿に戻った。

「この銃に関しては素直に評価出来るんじゃないですか?」

「まあな……相変わらずいい腕だ。その調子で頼む」




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