短い尻尾を持つ者
「くそっ、駄目かっ!」
被検体の制御ユニットが壊された。根元から十数センチ程は繋がったままだが、サエジマのコントロールを受け付ける部分は引きちぎられた先端にある。サエジマはアリスのコントロールを失ったことを確認すると、下階への階段を駆け下りた。地下室を目指しながら、襟元の無線機のスイッチを押す。
「キョウヘイ、聞こえるか?」
「はい。どうされました? 息が上がっているようですが」
何も知らないキョウヘイの声は、無神経なほどに落ち着いている。サエジマは始めてこの男を叱り付けたくなったが、今はそれどころではない。
「いいか、実験は終了だ。今すぐ脱出用のポッドを用意させろ。この基地を放棄する」
「なんですって!? それはつまり……」
「コードEだ」
ヨツグは狼のマスクを取ると、泣き崩れるアリスの正面に回る。何をしてやるべきか考えたわけではないが、無意識の内に彼女の頭を撫でていた。やがて彼女が体に縋り、声を上げて泣き始めたが、それを受け止めるように何も言わずに彼女の背中へと手を回した。
そんな光景を眺める二つのぬいぐるみ。ネコの方はニヤニヤと鳴くように笑っているが、兎の方は何も言わず、まじまじと二人を見つめていた。
「それにしても、サカリのついたネコみたいによくなくね。でも人形よりはマシか! あはははは!」
「……この泥棒猫」
しばらく泣いて少し落ち着いたのか、アリスは涙をぬぐうと、今、自分が何をしているか気付き、そっと立ち上がってヨツグから顔を背けた。まだ幼いとはいえ女の子。知らない人に泣きかかるのは恥ずかしかったようだ。
「もういいの? もう少し尺あるから、もうちょっとやっててよかったのに」
「……もー! もーもーうるさい! あなたは牛じゃないでしょ!」
浮き寄ってきたヤシチェに対してポカポカと叩きながら顔を赤くする様は年相応で愛らしい。先ほどまでの無表情が本物の仮面だったかのような変わりようだ。
「マリィ……」
「なぁに?」
ヨツグも浮き寄ってきたマリィに声を掛ける。だが猫たちのそれに比べて騒がしい物ではない。お互いに分かり合っているが故の少ない口数。だがお互いが相手の言葉を期待していた
「あのさ……お尻痛い」
思いがけない言葉に拍子抜けしたマリィが溜息をついたその時、建物の敷地に声が響いた。テレパシーではなく、放送だ。
――コードEが発令されました。職員は速やかに避難を行ってください。コードEのメインタスク実行まで、あと一分です。職員は速やかに避難を行ってください……
「コードE?」
「何か知らないけど、ここにいたらまずそうだ。早く行こう!」
言いながらぬいぐるみに姿を変え、適当な木片を引き寄せると、ヤシチェ、アリス、ヨツグは次々と夜空に飛び上がっていった。これで、全員キネシスで脱出できる、そう思っていた。
「ほら。マリィ、おいで」
「……」
しかしマリィは木片に乗ったまま動かない。どうしたのかと思っていると急に彼女は下階へ続く扉へと突っ込んでいった。
「えっ!? マリィ!?」
相棒の予想外な行動に一瞬頭が真っ白になったヨツグだが、判断するよりもはやく体が彼女を追っていた。今や彼が兎を追うアリスだ。
この研究所に来る途中、ヤシチェは私だけに聞こえるようにテレパシーを送ってきた。前を飛ぶヨツグを眺めるのに満足した私が戯れに聞いてやろうと思ったその話が、今こうして私を走らせている。
「そうだ。ハヘンってご存知?」
「ハヘン?」
「そう。結構な力を持ってるらしいんだよね。何でも出来るくらいのエネルギーを持っているらしいんだけど、もしかしてだけど君を人間にすることも出来るんじゃないかなー、なんてね」
まるで禁断の果実を前にしたイブをそそのかす蛇のような声。蛇と猫はヒトの邪魔をするのが好きらしいというのを本で読んだが、その二つが一つになったのがこのヤシチェだ。できることならその大きな紫色の塊を馬に蹴り飛ばしてもらいたかった 。だがそのハヘンなるものの力には興味がある。もし人間の姿になれるなら、やりたいことはいくらでもある。
「そのハヘンとやらが、飼い主が捕らえられてる研究所にあるのよね。まぁ多分君には関係ないだろうけど」
あくまで世間話、という体で話すこいつを改めていやらしいと思ったが、それと同時にそのハヘンとやらを持って帰りたいとも思った。もしも人間になれたら――
「僕たちのようなぬいぐるみには、それぞれとりえがある。あの竜は巨大化。僕は人の考えに入り込む。とすると君のとりえは、その“一途な思い”かもしれないなふぅー!」
――コードE、メインタスク実行まで、あと十秒……五、四、三
「博士! こっちです!」
マリィが一階に降りると、大きな筒を持った白衣の老人が、光がこぼれる部屋へ走っていくのが見えた。緊急事態だというのに、所の中でも偉い立場にいそうな風貌の老人の避難が最後というのはどうも不自然だ。もしかするとあの後生大事に抱えている筒を取りにいって遅くなったのかもしれない。だとしたらその中に入っているのは――マリィは全速力で博士の背中を追う。
が、その時、地面の奥底から無数の爆発音が響き、四方八方すべてが揺れた。突然の出来事にマリィはほんの一瞬だけ逡巡してしまったが、運命はそんな彼女を見逃しはしなかった。彼女の頭上から、崩れた天井のがれきが迫る。
「あっ……」
私は、視界を閉じるしかできなかった。いつもの私のように、もっと冷静に考えていれば、もう少し長くいられたかもしれない。でももう終わり。ぬいぐるみの体といえども、粉々にされてしまえば意識も失って戻らない。この最後の瞬間を苦しみながら、それもひとりぼっちで過ごすなんて……こんなことなら、――って言っておけば良かった。
思ったより長く意識が続く。そして思ったより苦しくない。もしかして既にあの世に来てしまっているのだろうか。恐る恐る視界を開く。
目の前に、彼の笑顔があった。私がいる場所は、あの世ではなかった。私に覆いかぶさるようなその姿勢は、降り注ぐ瓦礫をはじくシェルターのようで、私の体には綻び一つない。
「はは、最後に、かっこいいとこ、見せられた……かな」
今にも消え入りそうな声で彼が言う。私に涙腺があったら泣いていたかもしれない。あるいは、こんな状況でなければ。
「言いにくいんだけど、台無しにしちゃったかも」
えっ?―― ヨツグは戦いの疲れこそあったものの、体には傷一つなかった。背中にはあるべき重みも痛みもない。
そろりと上を見ると、瓦礫が彼にぶつかるギリギリのところで浮いていた。マリィのキネシスだ。
「あ、はは、なーんだ。びっくりした」
「ふふ、でもありがとう。カッコいいじゃん」
ヤシチェのテレパシーとアリスの生体センサーが二人を見つけ、崩れた研究所の瓦礫をキネシスで取り除くのに数分かかった。その間の会話を聞いていたヤシチェは無事に戻ってきた二人を、いつにも増したにやけ顔で見ていた。アリスも猫のような顔で二人を見ている。
「ヤシチェ、アリス、ありがとう」
「いやぁ、どうってこと無いさぁ。本当ならお助け料を貰うところだが、今回はいらねぇ。代わりにいいもん聞かせてもらったしにゃああぁぁぁぁぁ――!!」
夜空に紫のネコが舞うが、アリスは気にせずにこりと笑った。
「これからどうするの? もう帰る場所もないんでしょ?」
マリィの問いに彼女は少し考えると、何かを決心したように二人を見て言った。
「あのね、なんとでもなると思うの。ネコは九生ある。一度や二度死んだって大したことないわ」
「そうそう! 心配ばかりしてたらどこにも行けないさ。とりあえず進み出してみようじゃん?」
復帰の早いヤシチェはアリスの横に浮いて軽く語った。口調さえ良くすればもっともっともらしかっただろうと思い浮かべるが、その姿で礼儀正しく何か言われても滑稽なだけだった。
「だろ? だからこーいう喋りがしっくり来るわけ。OK?」
静寂が戻った夜の森。月は西へと傾きつつある。ヤシチェとマリィはゆっくり浮き上がると、見送る二人に手を振って飛び去っていった。
「さ、私たちも帰りましょ」
「……そうだね、マリィ。でもその前に聞きたいんだけど、あの時何て言っとけば良かったって思ったの?」
ギョッとするマリィを無垢に見つめるヨツグ。まさか伝わっていたとは。しかも肝心な部分だけ伝わっていないとは、運命の女神はどれだけ悪戯好きなのだろう。
「そうね……因幡の白兎って知ってる?」
「知ってるけど、それがどうしたの?」
「ううん、なんでもない。それよりさっき言っておけばよかったって思ったやつ、ここで言うね」
いつもの彼女ならはぐらかしそうなものだが、その声はとても嘘をつくときの声ではなかった。ヨツグの胸が少し高鳴る。
「……“おいで”なんて無理にカッコつけなくていいよ」
そこか。想定外の言葉に赤くなって頷くヨツグは、姿を変えて夜空に飛び出した。
狼少年の嘘は数日でバレるが、因幡の白兎の嘘は最後の最後までバレない。ならば私の真意は、まだ言うべきじゃない。マリィは今日の出来事が小話として振り返れるようになるくらいになるまでは、彼と一緒にいようと思うのであった。
「それにしてもどこ行こうかね。エリー?」
「エリー?」
「“ちんちくりん”の他にもあだ名があったほうがいいかなって思ってさ」
「それより“ちんちくりん”って呼ばれるほうが嫌よ」
「じゃあこれからは“ちんちくりん”とは呼ばない。代わりにShortyって呼ぶよ。尻尾も短いしね。それに英語の方がカッコいいっしょ?」
「ショーティー……どういう意味?」
「まあ意味はいいじゃない。よろしくね、Shorty Ellie」
第一章完結となります! ここまで読んでいただいてありがとうございました。
数日のうちにあとがきを追加する予定なので、それを持って完結設定を行います。
本当にありがとうございました!




