なろう界隈のお客様は神様
あくまでも私の意見であって、これが正しいということではないのを認識したうえでお読みください。
人間は他者を尊重することで円滑な人間関係を築いていると思う。
お客様は神様、というのはこの尊重することの大切さを説いているのではないかと思う。
彼等はお金を落としてお店に来てくれる。
お店を繁盛させてくれる。
お客様のお金で店は繁盛し、更なる発展を遂げる。
お客様を満足させる、店側はその努力を怠ってはならない。
本来は演劇関係者が言った言葉だ。
昨今では意味が曲解されてはいるが概ねこの通りの意味だと私は思う。
決して、クレーマーを擁護する為の言葉ではない。
ましてや、お客様自身が提唱するものではない。
いつの間にか他者を尊重する意味から、傲慢を主張する意味に切り替わったのだ。
それはなろうでも同じなのではないだろうか?
なろうでのお客様は誰だろう。
答えはユーザーだ。
ユーザーは作品を投稿する所謂『作者』と投稿はせずに他者の作品を読むだけの通称『読み専』がいる。
ここで勘違いしないでほしいのは、どちらもユーザーであること。
立場は同じだ。どちらが上でも、下でもない。
小説家になろうというサイトのお客様は私たち全員だ。
だが、作者と読者という立場に分かれると不思議な事に自分達の立場を勘違いする者達がいる。
まるで自分がお客様だと言い張り、自分を神の様な天上の存在だと勘違いしているのだろうか?
何度も言うがユーザー間の立場の違いなどない。
神様は私たちだ。ユーザー間での繋がりは所詮、友達、知り合い、仲間。
同じ趣味を共にする者たちだ。
勿論その中に派閥などがあるのかもしれない。
しかし、それで他者を罵り、追い詰めていいことにはならない。
人に覚悟を問う以前に、人としての質を問われているのを理解していない。
作者が作者『様』と呼ばれるのは尊重の想いがあるからだと私は思う。
作品を投稿してくれてありがとう。楽しませてくれてありがとう。
そうして、読んでくれてありがとう、感想ありがとう。
私はお客様ではない。一ユーザーだ。
趣味で書いているのだ。
作品の展開がわるいこともあるだろう。キャラクターが気持ち悪かったりするだろう。
しかし、苦言と罵詈雑言は別物だ。作者の人格を否定する行為は果たしてどうなのだろうか?
作者は作品に対しての苦言なら覚悟はしているだろう。
しかし、作者自身へのはどうだろうか?
作品がつまらなければ何を言ってもいいという風潮。
自分が神になったとでも思いあがる『毒者』の思考だ。
顔が見えないからこそ、人を尊重する気持ちを忘れてはいけない。
ユーザーは神様じゃない。
所詮、ユーザーはユーザーだ。
これは作者にも言える。
所詮、ユーザーだ。
相手は神様じゃない。
なろうにとって神様と言う存在は運営から見たユーザーである。
しかし、これも忘れてはいけない。
ユーザーが神様だからといって何をしてもいいわけではない。
伝説には神殺しの伝説もあるのだ。
行き過ぎた邪神には神殺しあることも忘れてはいけない。