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8.痕跡をたどる


 本当に、頑張るべきなのだろうか。


 一時は納得してしまったが、本当に頑張るべきなのだろうか。両親は宇宙に行ってしまったのだろうか。

 根拠はないが、奇妙だ。もう一度考えてみる必要がありそうだ。

 


「なあ、愛華さん」

「なんでしょう、蓮さん」

「うちの親は、本当に宇宙に行ったのかな」

「私の知るところではございませんが……書き置きにはそう書かれていましたよね」

「うーむ……」


 その通り。知りようがない。ただの違和感だ。

 デジタルでハイテクなこのご時世に、どうして書き置きなんてアナログな手法をとったのか。そこが奇妙だ。


「どうしてなんだろう」

「はい?」


 つぶやきがこぼれる。愛華の声が疑問を浮かべる。ふと、視線が合う。なんとか、コップに視線を移せた。だいぶぎこちない。このぎこちなさはコップのせいだ。

 さっきの間接キスは冗談なのは分かっているが、なんとなく意識してしまう。

 ただ意識しても仕方がない。疑問の内容を伝えなければ、始まらない。


「電話とかメールとか、ほかにも伝える手段はあるのになんでだろうって思って」

「ああ、確かにそうですね。……あ、携帯電話の使い方を知らなかったのでは?」

「それも考えられる。電話は出来てもメールは出来ないということは十分ありえる。実際、メールは来たことがないし」

「では、なんらかの事情で電話が出来ず、書き置きを残したということでしょうか」

「そうとも考えられるが、なんていうか……違和感を感じるんだ」

「ええと……すいません、なんのことだかさっぱり……」


 申し訳なさそうな顔をしながら、愛華は言う。こっちの話の歯切れが悪いだけに、彼女を責める道理はない。謝っておくべきか。


「ごめん」

 一呼吸ほどの間をおいて、言葉を続ける。

「メールくらいできたんじゃないかなって思って」

「いまご自分で、メールは来たことがないって言ってませんでした?」

「そうなんだけど……」


 ……ダメだ。どうしようもなく歯切れが悪い。このうやむやな気持ちをどう表現したらいいのだ。

 右手を口元に当てて、いつものようにうつむく。こんな書き置き一枚で悩むなんて、我ながら滑稽な様相を呈している。


「あの、蓮さん? そんなに悩むことなんですか?」


 愛華の顔がこちらを覗き込む。愛華の顔がずいと迫る。黒目の大きな目をしている。澄んだ瞳がこちらを見つめている。まつげが、長いなぁ……って「近いよ、バカ」

 視線を外し、身体をそっぽに向ける。


「やだ、かわいい」と、愛華は小さな声でポロリという。ばっちり聞こえているんだからな。


 そもそも、男に向かってかわいいなどと……あ、そうか。わかったぞ、違和感の正体が。


「違和感は間違いなくある。それがいまはっきりした」

「と、言いますと」

「顔文字だ。書き置きの顔文字。メールをしない人が、こんなにかわいい、凝った顔文字なんて作れないだろう」

「そんなに凝った顔文字してますかね」愛華は書き置きを見る。「……凝ってるなぁ」とこぼしながら、書き置きをこちらに寄越す。


「言われてみれば、たしかに違和感ですね」

「そうだろう」

「なんだか、きな臭くなってきましたね……!」

「そうだな」

「ミステリーじみてきましたね!」

「そ、そうだな」

「この調子で、痕跡をたどりましょう!」

「たどって、どうする」

「なにかわかるはずです!」

「なにかって、なにが……?」

「それは私にはわかりません! でも、面白そうです!」


 そんな鶴の一声で、家中を探した。


 結論、両親はいなかった。旅行用のトランクもないし、二人の部屋にある金目のものは全部なくなっていた。母は金目のものを集めるような人ではないし、父もお金を使い込む人ではない。

 お金を稼ぐ必要はなさそうだし、愛華と暮らすくらいならなんとかなりそうだった。

 でも、問題はもっと深いものだった。


「このお金は、使えませんね」と、愛華は神妙な面持ちで言う。

「いや、使うべきだ。非常事態なんだから」

「ダメです。このお金からは、私はお給料をもらえません」


 いま、意見が割れている。

 元凶はお金だ。それも、ただのお金ではない。両親が老後に向けて積み立てていた貯金だ。


 それは両親の部屋で通帳を探している時のことだった。

「お金といえば。私と蓮さんの契約についてなんですけれど」という一言から始まった。


「ああ、契約ね。確認しておいた方がいいな」

 言いながら、クローゼットの中を漁る。愛華は化粧台の引き出しを漁る。最初は消極的だったが、今では夢中になって探している。


「ええと、契約はどういった形態にしましょう。状況が状況なので、少し安くしておきますけど」

「よく分からないけど、こういう場合は住み込みってことになるのかな」

「たぶん。住み込みですと八時間くらい働いてあとは自由に過ごす、って感じだと思いますよ。それでも、会社員の平均給与並みに貰いますけどね」


 化粧台を漁りながら、しれっと答える愛華。一瞬納得してしまったけど、よく考えてみればかなり高額だ。作業の手が止まる。


「メイドって、そんなに高いの?」

「そうですよ。人を一人雇うってことは、そういうことなんです。私だって、サラリーマンなんですからね」

「そんなに高いならちょっと考え直させてくれ……」

 愛華は化粧台を漁り終え、こちらに向きなおる。スススッと近寄ってきて、両親の使っていたベッドに腰掛ける。スプリングの軋む音がやたらと耳につく。


「なにをそんなに考えているんですか? 蓮さんが年収一千万以上の高額納税者になればいいだけのことですが」


「いや、簡単に言うけどさ、そんなに稼げるのって、医者とか社長とかそういうのだろう。今から目指してなれるもんじゃないだろ」


「ご安心を。私はメイドであると同時に、あなたの人生設計プランナーであり、家庭教師であり、良き理解者になれます。蓮さんなら、医師にだって弁護士にだって工場長にだって、何にだってなれますよ。……私がいれば、でございますが」


 ……何を言っているんだ。こいつ。


「でも、出世払いって言ってもさ、目先の生活が成り立たないことにはなんともいえないよ。必要なのはお金だし……って、なんだこの箱」

「なにか見つかりました?」

 愛華は首を長くしてこちらを見ている。


「プラスチックの箱みたいだな」

 クローゼットの一番下の引き出しに入っていた箱を取り出す。小物入れらしい。大した重さではないが、振ってみるとなにか入っている音がする。


「お宝ですか!」愛華が駆け寄る。勢いそのままに、俺の肩に体当たりしてくる。一応手をついてクッションがわりにしてくれたらしいが、心臓への負担はむしろ大きくなった。


「早く開けてくださいよ」

「その前に離れろよ」

「いいからいいから! まず開けよう! 開けましょう!」

「ったく……」


 こいつは男を勘違いさせる素質がある。学校に通っていたら、女からは嫌われていただろうな……。


 二人で顔を見合わせてから、プラスチックの箱を開ける。

 中身を見て、言葉が出なくなった。直径三センチほどの透明な輪っかが、薄いピンク色をした半透明の袋の中に入っている。袋の断片は特徴的なギザギザをしており、どこからでも切ることができ、中身を素早く取り出すことができるように工夫されている。そしてそれは一つではなく、袋の左右の断端部で他の袋と結合しており、蛇腹折りで畳まれている。


 二人で言葉を無くし、顔を見合わせてから、プラスチックの箱を閉じた。

 あった場所に戻して、クローゼットを閉めた。


「あのさ」「は、はいっ」

「はなれよ」「あ、はいっ」


 どうしようもなく気まずい空気を抱えながら、俺はふらりと立ち上がり、机の引き出しをとりあえず開けた。


 引き出しの中には鍵があった。なんの鍵だろう。

 ちらりと視線を外すと、ちょうど、鍵穴のある引き出しが目に付いた。鍵穴に差し込み、回すと、それはすんなりと開いた。


 引き出しを漁る。通帳があった。感動はない。感覚が麻痺してしまったらしい。


「あいか、つうちょうだぞ」

「あっ、はい」


 愛華に通帳を渡す。引き出しをさらに漁ると、印鑑が見つかった。通帳と対になる印鑑らしい。


「あの、れんさん」愛華の声は震えている。

「ん?」


「ご、五千万ありましゅ」


 ……結論、両親はいなかった。旅行用のトランクもないし、二人の部屋にある金目のものは全部なくなっていた。母は金目のものを集めるような人ではないし、父もお金を使い込む人ではない。


 お金を稼ぐ必要はなさそうだし、愛華と暮らすくらいならなんとかなりそうだった。

 でも、問題はもっと深いものだった。



「お腹、空きましたね。ご飯にしますか」

「あ、ああ、そうだな」


 限りなく深い爪痕を、うちの両親は残していった。こんな時でもお腹は空くようだ。

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