6.平凡な朝に埋もれていたもの
夕暮れの空はやさしさに満ちた色をしてアスファルトに影法師を映し出す。湿った空気を肌に感じながら言葉を交わすこともなく歩いていく。
心の準備はまだ出来ていないが、そろそろ家に着いてしまう。
左隣を歩くメイドを見る。きりりとした横顔。自然なカーブを描く薄い唇。端正に整った目鼻立ち。夕日をうけて淡くかがやく頬。
透き通るような肌を見て、「そういえば」と言葉が漏れる。他人がしゃべったかのような自分の声が耳に届いた。
話をしたい気分ではなかった。それなのに無意識に出た一言だった。二人で同じような表情をして驚いたように顔を見合わせる。
場を取り繕うように「愛華さんはハーフなの?」と言葉を足す。
愛華は考える素振りを見せてから「私、クォーターなんです」と答えた。
「そうなんだ」
「ええ。どこの国かは分かりませんけど、母方の祖母がそうでした。国についてたずねても『わしもジャポン人よ』としか答えてくれなくて」
「そっか。でもまぁ、おばあちゃんの出身くらい把握しておこうよ」
「ええと、すいません」
愛華はとりあえず謝ってから、「たしか、ロシアとかフランスあたりだったかなと……」と言葉を濁す。
「そういう蓮さんは、どこの部族の血を継いでいらっしゃるんですか?」と愛華の視線は俺の頭を見据える。
太陽の光を受けて、さぞ真っ赤に光っていることだろうな、この茶髪は。
「さすがに部族の血は継いでないよ。外国の血もね」
「じゃあ、染めているんですか?」と愛華は質問を重ねる。
「違うよ、地毛だよ。こんな色にしないよ、高校生なのに」
「そうですか。アミノ酸が不足していると髪の色素が薄くなるという話を聞いたことがあります。アミノ酸はたんぱく質のことなんですけどね。これはそんなレベルじゃないですよね」
なにかと思えば、そんなことか。
この髪のことで小さい頃に色々な手段で調べてもらったけれど、結局は何も分からなかった。
どうせならこんなに赤くて茶色い髪じゃなくて、もっと落ち着いていて綺麗な色が良かった。
「どうせなら、愛華みたいに綺麗な栗色がよかったな」
言ってから、すこしだけ恥ずかしくなってくる。
彼女もこちらの反応を見てそれを察したらしい。
「そうですか? まあ、私の髪は綺麗な髪だって、よく褒められますからね。えへへ」と、愛華はへらへら笑う。
少し呆れつつ彼女を見つめる。なんの変哲も無いメイドの姿だ。
見れば見るほど、メイド服が似合いすぎている。彼女の醸し出す雰囲気がメイド服と合っているというか、納得させられる何かがある。
とはいえ、相手はまだ未成年だ。メイドとして働いていた事自体が納得してはいけない事案だ。
「ところでさ、未成年って、住み込みで働いても大丈夫なのかな」
「どうなんでしょうね。でも、斡旋所を介さなければ知る由も無いですし、露見しなければ大丈夫かなと」と愛華は答える。
「そっか」
……それってつまり大丈夫じゃないってことだよな。
「愛華さんは、何歳から働いていたんですか」
「……そういう話は屋根と壁のあるところでって、さっき話しましたよね」
「あ、ごめんなさい」
「分かればよろしい。……最初は歳をごまかしていたんです。ここだけの話、中学二年生の時に働きはじめました。……私ったらこう見えて、すごい苦労人なんですよ?」
冗談っぽく笑っているが、想像もつかないような過酷な現実を生き抜いてきたのだろう。
「そうなんだ。中学生でも仕事に就けるんだな」
「直接雇う方がいらっしゃいますからね。守秘義務がありますので詳しいことはお教え出来ません」
守秘義務か。まあ、この手の話はあまり詳しく聞き出しても仕方がないな。
あと気になることは……今朝のことか。なんであんなところで泣いていたんだろう。なんであの場所だったんだろう。
メイドをやめた理由を考えていると、当の本人は両腕を大の字にして背伸びをしていた。
「はぁー、なんだか疲れたなぁ。ねえ、ご主人様。帰ったら先にシャワー浴びてもいいですか……?」
「は?」
あざとい。一瞥する。
思春期の男子はシャワーという言葉には、どうしても反応してしまうらしい。しかも今、さも当然のように『ご主人様』って呼んでいた。なんだこの小賢しい生き物は。俺はそんなに単純じゃないぞ。
「まあ、待ちなさい。そんなことは聞くまでもない。ひとつ、勘違いをしているらしい。愛華さんはメイド。私はその雇い主の家族。なら、何事においても私を優先させなければならない。つまりシャワーは私からだ。しかもまだ、雇うと決まったわけではない」
「はあ。そうですか」と、愛華はめんどくさそうな顔をしている。本当に、ただただめんどくさそうな顔をしている。
「まぁ、仮に雇ったとして、シャワーはどっちが先かななんて、そんなもん適当でいいと思う」
「そうですか、よかった。びっくりしました。めんどくさい人に声かけちゃったなって、一瞬だけ後悔しました」
「まあ、めんどくさいのはお互いいやだから」
「そうですね。……えっと、じゃあ、私が先にシャワー浴びますね。もう汗かいちゃって……」
うなじの髪を撫でる愛華。はらりはらりと髪がそよぐ。風に乗ってフローラルな香りが嗅覚を刺激する。
なんともいえない気持ちになりながら、目を瞑り、煩悩を殺す。意識していないといえば嘘になるけれど、意識しすぎるのも困りものだ。
こういうさりげない仕草に女性らしさを感じてしまうのだから、男という生き物は実に単純である。
よし、落ち着こう。そろそろ家に着く。
心の準備が出来ていない。一旦家に帰り、暖かい布団で寝てから出直したいものだが、帰る場所も決戦の地も自宅なのだ。安息の地はない。
視界にはいる景色は見覚えのある町並みに変化していく。
朝、彼女が泣いていた辺りも、いつの間にか通り過ぎてしまった。
自宅に着いた。着いてしまった。着いてしまった……。
とりあえず庭に侵入する。玄関前で足が重くなる。動けない。いや、動きたくない、次の一歩が出なせない。
親の身になって考えてみるとどうだろうか。自分の息子がいきなり前触れもなしに相談もなく唐突にメイド服に身を包んだ未成年の女性を連れてきて、住み込みで働かせたいと、そう言うのだ。
……なるほど。こいつは白黒でいうところの黒。間違いない。
まず事件性を感じる。我が子の人格を疑う。そして絶対に反対する。話も聞かずに殴って怒鳴るに違いない。
一通り殴ったあとは自分の息子の将来が心配になる。ただただ痛い。悲しい。痛々しい。どうしてこんな風に育ってしまったんだろうと嘆き。枕を濡らすと思う。
けれども親なら子供の趣味趣向を汲み取ってあげるある程度の理解力と懐の深さを持ち合わせているはずだ。それが親ってもんだ。
……いや、ごめん、もしも自分が親だったとしたら、これは許容範囲を超えている。悪の芽は早く摘むべきであって、出る杭は打たれるものであって、それが人間社会の摂理。間違いを正すのも親の責務ってもんだ。
つい、親の目線で考えていたけど、実際に鉄槌を受けるのは俺だ。これから俺はどうなるんだろうな。
親からしてみれば、メイドを連れてこられるなんて、ある意味では死の宣告を受けるよりも辛いことだ。
予想のつかない子供なんて、浸潤していくがん細胞のようなものだ。
死の宣告を受け、それを受け入れるまでには否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容の五段階のプロセスを経ると唱えた人がいる。
となると、これから俺は全否定され、怒られながらボコボコにされて、なんでも言うこと聞くからお願いだからメイドなんて諦めてくれと取引を持ちかけられ、親は憔悴し抑うつ状態になり、そして半ば諦めの境地で受け入れてもらえるのだ。
紆余曲折はあるが受け入れてもらえる。
そう、そうだよ。前向きに考えよう。メイドの良さをプレゼンしてみてはどうだろう。かわいい。やさしい。いい匂いしそう。頭良さそう。完璧そう。性格に難がありそう。闇を抱えてそう。経年劣化が激しそう。……プレゼンするにしても、メイドの良さなんて特に知らないや。プレゼンテーション内容も鼻息荒そうで気持ちが悪いしな。
……やっぱり、どんなに希望的観測を繰り広げても、結局はゴミムシを見る目を向けられそうだ。未来は暗いな。仕方のないことだ。受け止めよう。殴られよう。




