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58.前髪ぱっつん子は叫ぶ


「田中、俺、包丁使えない」


 丸坊主に向かって話しかける。一瞬の間を置いてから、田中くんは皿洗いを中断してこちらを見る。そして、息を吸って、ためて、ためて、「はー?」と言う。見事なまでにうざったい。


「おい、お前、『料理したことあるぜ』的な雰囲気醸し出してたじゃねーかよ? 包丁使えねーの?」

「ああ、指、切るんだ。かならず。絶対に」


 そう言って、左手を見せる。絆創膏だらけの左手を見た田中くんは「うぇ……っ」と息のむ。ここ最近、愛華の監督の元に料理を作る練習をしているのだが、これはその代償だ。中指の傷は二週間前につけたものだし、人差し指のと薬指の傷は数日前につけたものだ。


「料理は……、その、練習中っていうか、そんな感じなんだ」


 田中くんの視線はこちらの顔と左手を行き来し、その度に口元を歪ませる。

「嘘じゃなさそうだな……」と言葉を濁す。


「それで、だ。材料、切ってくれないか?」

「は? 俺だって料理したことねーよ。だいたい、料理なんざ男のすることじゃねーだろ。なあ?」


 「なあ」と同意を求めた先は、俺ではなく、丸いパイプ椅子に座ったまま動かない女子二人に対してだ。

 その二人に同意を求めても仕方がないことくらい、田中くんも分かっているだろうに……。


「なに? もしかして、私達に向かって言っているのかしら」

「ああ、そうだ。お金持ちだからって理由で料理をしないのはどうかと思うぞ」と田中くんは言う。

 でも、その発言はブーメランの如く自分にも刺さるんだぞ、田中よ。


「あら、男だからって言う理由で料理をしないのはどうかと思うのだけれど……?」と、案の定言い返されている。

 田中くんはなにも言い返せず、真っ赤な顔をして俺を睨む。舌戦で負けたからって俺を睨むのか。なんてやつだ。


 ……とはいえ、この女子二人には何かしらの役割を与えておきたい。ずっと座ったままの奴らに、苦労して作った料理を食わせる気にはなれない。

 なんでもいいから何か手伝ってもらいたい。なんでもいいんだ。

 材料を切ってくれれば最高なのだが、この際、皿洗いでも後片付けの手伝いでも、なんでもいい。


 玉砕覚悟で聞いてみようかな。でも、どう尋ねればいいのだろう。『料理できますか?』って聞いても、どうせ出来ないだろうし、『皿洗いしてもらえませんか?』だと田中くんの仕事を奪うことになる。

 料理が出来ない人でも手伝えそうなことで、なるべく安全そうなこと…………あ、豆腐を切るのは簡単だったような気がする。


「あの、豆腐、切ってみない?」


 少しの間を置き、田中の方を向いていた女子たちがこちらに振り返る。そのうちの一人が「……私に言ってるの?」と怪訝な顔でこちらをうかがう。


 この人は性格がきつそうな顔つきをしているが、左の目尻のすぐ下には泣きぼくろがあり、きつそうな顔つきをほどよく中和している。


 前髪は眉を隠すように水平にぱっつんと切りそろえられており、顔のパーツをより強く主張させる。

 女子にしては鋭い目つきをしているが、泣きぼくろのおかげか、大人の女性の余裕にも似た印象——どちらかといえば冷たい印象——を受ける。

 田中は冷たくされるのを承知で、こんなのに話しかけていたんだな。


「無理。私、指を切りたくありませんので」と、俺の左手を見ながらいう。

 こんなの、切りたくて切ったわけじゃない。


「豆腐を切るだけ。指なんて切らないと思う。手のひらに豆腐を乗せて、ゆっくり刃を進めれば大丈夫」

「……だったらあなたがやればいいじゃない。大丈夫なんでしょう?」

「それは、そうだけど……」


 言葉に詰まる。俺の言ったことは自分にも当てはまるものだし、俺がやれない理由はない。

 あれこれ理屈を考えても仕方がない。とにかく手伝って欲しいのだ。無理だとは思うけれど、言うだけいってみよう。


「それでも、手伝って欲しい」


 こちらがそう伝えると、彼女は前髪の隙間からちらりと覗く眉をひそめながら、「……あ、そう」とだけ返事をする。そのまま顔を背け、田中の方を見る。


 ……ダメみたいだな。

 なんでこんな奴ばかりなんだろうな。

 勉学に励み、健全なる精神のもと仲間たちと切磋琢磨する……そんな学校生活は送れないらしい。こっちが勇気を出して話しかけているのに、視線すらまともに合わせてくれない。


 田中くんは皿を洗い終え、今度は材料となる野菜を水で洗っていた。こちらの視線に気がつくと、彼はひとつため息をついた。


「言っても無駄だったろ」


 初めから諦めているような口ぶりに、なんだか無性に反論したくなる。腹がたつのだ。


「……いや、無駄かどうかは、終わるまでわからない」

「何言ってんだおまえ」

「うるさい」視線と言葉で田中くんを制する。田中くんは小さくなって静かになった。


 ……そうは言ったものの、なんでこんなことを言ってしまったのか、自分でもわからない。


 …………。まあ、いいや。考える前に手を動かそう。そろそろ鍋も温まってきた頃だろうから、昨日やった通りの手順でサクッと終わらせよう。


 油を敷いて、肉を炒め始めた頃、前髪ぱっつんの子が立ち上がった。


 俺は菜箸を片手に、腰に手を当てて鼻歌なんて歌っていたのだが、時が止まったように手も鼻歌もやめて、彼女の動向を探った。

 一体どうしたのだろう。


「あの、手伝っても…………」と、小さな声が震える。その声は肉汁の弾ける音よりも小さく、おもわず「何?」とぶっきらぼうに聞き返す。もう少し優しく聞けばよかったと瞬時に反省する。


「手伝ってもいいわよ!」と大きな声が耳を貫く。何を言われているのか一瞬だけ分からなかったが、すぐに理解しなおす。


 それでも、何を手伝ってもらえばいいのか思い浮かばない。皿も野菜も田中くんに洗ってもらったし、包丁とまな板を持ってきてもらうように別の人に頼んである。あとは麻婆豆腐を作って、片付けと皿洗いをしてもらうだけだ。

 立ち上がったところを見るに、彼女のやる気のピークは今だ。つまり、今何かをさせることが望ましい。とはいえ、今やれることといえば麻婆豆腐を作ることだけだしな……。


「べ、別に、あんたのためじゃなくて、田中に言われっぱなしなのが気にくわないだけなんだからね!」


 前髪ぱっつん子の叫びを聞いて、沈黙していたことを思い出す。会話が成り立っていなかった。


「そう。じゃあ、作ってみる?」

「一人じゃ無理……手伝ってくれたら、まあ、いいけど……」と、彼女は小さな声で言う。手伝うと言うのなら、それに越したことはない。


「そう。じゃあ、手伝うから一緒に作ろうか」

「……うん」


 一歩二歩と、ゆっくり近づいてくる前髪ぱっつん子。いつの間にか隣にいる。


 せっかくだし、名前くらい聞いておこうかな。


 ……いや、待て。

 二年生になってからはや一ヶ月。間も無く二ヶ月が経とうとしている。

 名前を知らないのはどうなんだろう。このタイミングで聞いてもいいのかな。

 ……聞いちゃいけない気がする。失礼だもんな。できることなら、名前を呼ばずに済ませたいな。


「作り方、わかるか?」

「ううん、わかんない。料理したこと、ないから」

「……じゃあ、まずは肉と香辛料を一緒に炒めて水分を飛ばす」「うん」

「豆腐を入れる」「うん」

「味を整える」「うん……うん?」

「おしまい」「うん……ねえ、包丁もないのに、どうやって豆腐を切るのよ」


「…………そういえば、包丁とまな板、きてないな」


 あの女、何やってんだ? とっくに配り終わってるはずだが……。

 周りを見渡す。包丁とまな板を配っていた先生はすでにその任を終え、手持ち無沙汰そうに生徒たちの様子を見守っている。


 あの女は…………居た。他の班の生徒と話し込んでいる。せめて、包丁だけでも持ってきてくれると助かるんだがな。


「ねえ、アミ。みのりから包丁とまな板もらってきて」と前髪ぱっつん子が言う。どことなく命令的な口調だ。

「わかりました。お怪我にはお気をつけください、ひかりお嬢様」

「はいはい」



 お嬢様、か。

 教科書を読んでいた女子は、アミとかいうらしい。で、隣のこいつはひかりって名前らしい。あの二人はただの友達ってわけじゃないよな。


 名前は把握できたから、あとは名前を呼ぶ機会がないことを祈ろう。


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