46.ある日の土曜日のこと
「んーっ……いい天気ぃー……」
「そうだな」
五月のある日。
太陽は夏に向けてウォーミングアップ中だ。それに合わせるように、穏やかに風は吹き、草木は優しく薫り、程よい暖かさを提供してくれている。
日差しに負けないくらい明るくて素敵な笑顔をこちらに向けて、美華は微笑む。
「こんなにいい天気の日にお花を植えることが出来るなんて、楽しみですねぇ」
「……よく言うぜ」
「んふふー。一体何を言いたいんでしょうねぇ」
美華は嘘つきだ。少し不自然な所がむしろ自然に見え、嘘なんてついてないように聞こえるが、とても嘘つきである。
昨日の夜だって、爪の間に土がはいるから嫌だとか、日焼けをしたくないから太陽無くなれだとか、業者が全てやればいいだとか、そんな感じの小言を言っていた。
今日は土曜日だし、何より自由参加なんだから行きたくないなら休めばいいのに、美華は花壇の手入れを手伝いに来たのだ。
爪は短くしているし、日焼け止めを二度も塗り重ねて、憎っくき太陽に満面の笑みを送っている。天邪鬼すぎる。
「何を企んでいやがる」
「何をもなにも、自分の通う学校をより良くするためですよ。こういうボランティアには一人でも多くの生徒が参加すべきであって、それは私にも当てはまることですからね」
「本音は?」
「私の存在を全校生徒に知らしめるの」
呆れて返す言葉が浮かばず、返答を見送る。
今日の美華は身体的、精神的、社会的に良好であり自分を目立たせる準備は万端だ。肌のツヤは過去最高だし、今までにないくらい面倒くさいし、何も知らない生徒が彼女を見たら虜になること間違いなしなのだ。
美華は周りが思っているよりもずっと打算的で小賢しい。だが、あと一歩の詰めが甘い。
「一応言っておくけど、全校生徒は集まらないから」
「……え?」
「花壇の入れ替えは全校生徒に呼びかけたらしいけど、実際に集まるのは園芸部の人たちと一部の生徒達だけだぞ」
「……ってことは、全然人が集まらないってことですか?」
「そういうこと」
「ええ〜! ……そんなぁ……」
やっぱり、一部の生徒だけでのボランティア活動だということを知らなかったのか。こういう所が詰めが甘い。
「なんだか嫌な予感しかしないんですけど、人が少ないから一人当たりの仕事量も多いってことですか? 忙しくて誰も私を見てくれないってことですか? みんな土ばかり見て、私という花を見てくれないんですか!」
「なんだお前、見られたいから来たのかよ」
「そうです。羨望の眼差しを向けられたいんです! 嫉妬の視線を送られたいんです! だからこうして早起きして爪を短く切って日焼け止めを塗って……全部無駄じゃない……もうなんなんね……ツイてない……」
落ち込んでしまった。でも、そんな意味のわからないことで落ち込まれても、こっちは困ってしまう。
「まあ、仕方ないから頑張ろうぜ」
「いいえ、頑張れません。美華ちゃんは人から見られていないと干からびるんです」
「じゃあ、俺が見ててやるから頑張れよ」
「ええ〜、蓮さんがぁ〜?」
「なんだよ」
「……んー。少し頑張ってみようかな」
「よし。まぁ、なんにせよ、来たからには手は動かさないと終わらないからな」
学校に着いた。集合場所の玄関前には人が集まっていた。五十人くらいいる。
その集団の中に、先生の姿が見える。園芸部の美人顧問と銘打つだけあって、ジャージ姿でも凛とした雰囲気がある。
一応、挨拶しておこう。
「おはようございます、先生」
「おお、立花。おはよう。今日はよろしくな」
「おはようございます、先生。はじめましてです」
「おお、おおー! なんだこの可愛い子はー、こんな子いたっけかー」
「先日、こちらの姉妹校から転校してきました、水無月美華といいます。早く学校に慣れたいので、今日はよろしくお願いします」
にこり。挨拶の後のさりげない笑顔。
しかし、それはあまりにも眩しい。それを分かっていて、美華はわざとやっているのだ。
天上の輝きが周囲の生徒達に刺さる。男子達は容赦なく心を焼き払われ、女子達は激しい空虚感を摑まされる。
ただの笑顔ひとつで、これからの人間関係を破綻させる威力を持っている。
「笑顔も素敵だなー。よろしくねー、水無月さん」
「そんなそんな。先生も素敵ですよ。大人の女性って感じで」
「はは、美華ちゃんは曲者だなー。あ、水無月さんは大人だなー。あははは」
一瞬、場の空気が凍る。
すぐに歯触りのいい言葉に訂正したものの、その前の一言があまりにも強烈で的確だった。
美華は唇を震わせながら、愛想笑いを作っている。
なんとも言えぬ空気。それが面白くて仕方がない。
「ところで。水無月さんは、なんで蓮と一緒にいるの? 知り合いなの? 真逆な感じなのに」
この先生は、ずばずばと物を言いすぎる。
でも、確かに真逆だ。目に見える部分。目に見えない部分。そこまで深く考えているとは思えないけど、確かに真逆と言っていい。
「なんていうか、下宿先が一緒でして」
「同棲してるんです」
「ん?」
「え?」
やや食い気味に美華は言葉を被せてくる。
美華の言葉に、思わず顔を見合わせる。
美華はこちらの言葉に納得していないらしい。
俺は嘘は言っていない。彼女もまた、嘘は言っていない。それがまた厄介なのだ。
先生がどう解釈するかに任せよう。
「ほうほう……ひとつ屋根の下、別の世帯で暮らしているというわけだな」
「そんな感じです」
「ぜんぜん違います」
「ん?」
「え?」
齟齬。意見が食い違う。
またも顔を見合わせる。当然のことを言ったまでだ、と言わんばかりの堂々たる眼差しを向けてくる。
周りから舌打ちがちらほらと聞こえてくる。明らかに美華の信者の学生だ。
今、衆目に晒されて話をしているのだ。俺だって、こんな無駄に目立つことはしたくない。
「……もしかして、同じ釜の飯を食う関係なのか……?」
先生の顔つきは鋭い。なにかに勘付いたらしい。
「まあ、成り行きで」
「蓮さんが毎日作ってくれるんです」
「なんだ、蓮、お前、給仕のバイトを始めたなら、ちゃんと届け出出さないとダメじゃないか。あとで職員室こいな」
そうじゃない。でも、それが一番平和的な解答な気がする。周りには美華に傾倒している生徒達がいるんだ。
同棲しているだとか、同じ屋根の下だとか、一緒に暮らしているだとか、そういう答えでは彼ら彼女らを無闇に刺激してしまう。
平和的に学校生活を送るためにも、多少の嘘はついてもいいはずだ。
「はい、わかりました」
「違います。付き合ってます」
「ん?」
「え?」
いや、待てよこのバカ女。なんでそんな嘘をつくんだよ。この間から付き合おう付き合おうって、そればっかりなのに、全部振ってきたのに、なんで付き合ってることになるんだよ。
「そう、なのか……?」
「先生、違います。俺みたいなクソ見た目の不良学生が、こんなにいいお嬢さんと付き合うなんて、誰も許してくれませんよ」
「まあ、私はそう思わないけど、お前がそう言うんならそうなんだろうな」
「待ってください。私は蓮さんの見た目はもとより誠実で頼りになる人柄が好きなんです。度重なる襲撃から私のことを何回も救ってくれましたし、それはこれからも変わらないと思います」
「まあ、蓮が実は真面目で頼りになるのは私も知っているけど、少し色眼鏡が入っているようにも思うぞ」
この先生凄い。ここまではっきり言えるなんて憧れちゃう。あの美華が言葉に詰まってたじろいでいる。この先生凄い。憧れちゃう。
「……とにかく、こう言う話は今すべきじゃない。作業に移ろう。これから三人一組で班を作って、この設計図通りに花を植えてくれ。何かあれば、私のところに」
気の無い返事を返す生徒達。各々が適当に三人一組に分かれていく。
有耶無耶な空気に包まれたまま、今日という日は始まった。
 




