42.恵まれているのは誰なのか
普段なら誰も寄り付かない、窓側一列目、前から二番目の席。
異例とも言える朝礼の後、教室に戻った。
俺を迎えたのは、目を爛々と輝かせる男子生徒の諸君達。
困った事に、椅子に座れないほどに密集している。
教室内は二極化しており、女子生徒達は男子の馬鹿馬鹿しさを遠巻きに見ながら、嫌味な笑顔を小さく浮かべている。
今、どういう状況なのだろう。
あと数分で授業が始まるのに、男子は俺の席の周りに密集しているし、女子は男子達に距離を置いてドン引きしている。
情報が欲しい。少し緊張するけど、話し掛けてみるか。
経験からすると、全体に向けて話しかけても誰も答えてくれない。
視線を合わせてくれるような人に、一人に絞って話し掛ければ、答えてくれる確率はぐっと高まる。
「これは一体……俺に何か用でもあるの?」
集団の一番先頭にいた細身の男子に向かって、穏やかに尋ねる。
男子達は静まり、緊張した面持ちで続く言葉を待っている。この様子だと、恐怖感を与えてしまったらしい。
ええと……、柔らかい感じで……角が立たないように……オブラートに包んで……。
「もうすぐ授業が始まる。なのに、俺の席の周りで何をしているんだ」
「あのですね。水無月美華様の話を聞けたらな、と」
……なるほど。美華の天使っぷりにやられたのか。さりげない様付けに寒気を感じる。
「話す事なんて、特に何もない」
「何もないなんて事はない。些細な事でいい。……そう、例えば……寝起きの様子だとか、夜何時頃寝ているのかとか、どんな物を食べているのかとか、どんな服を着て生活しているのかとか、そういった些細な事が聞きたい。いや、聞かせてください」
「そんな事、お前らに話して何になるんだよ。本人に聞いてくればいいだろ」
「な、なんなんだ、その態度は! 僕達は勇気を振り絞って、こうして君に話し掛けているというのに、なんなんだその態度はぁぁあ!」
「そうだそうだ! 質問にくらい答えろ! 何様だ! 何様のつもりだ!」
「やめたまえ! 今は僕が話をしているんだ! 黙っていろ!」
「す、すいませんでした! リーダー!」
「リ……リーダー……?」
どうやら、最初に話し掛けた彼がこの集団を束ねているらしい。
少し話をしてみてはっきりした。こいつらはオタク的な成分を配合されている。下手に逆上されても困るし、言葉尻には気をつけよう。
「失礼した、立花氏。彼等に悪気はないんだ。ただ、水無月美華様について少しでも知りたいと、そういう気持ちが先走ってしまったわけなんだ」
「そっか。とりあえず、俺とか美華とか他のクラスメイトとか、色んな人に迷惑をかけるのはやめよう。みっともないだけだから」
「水無月美華様を呼び捨てにするな! 様を付けろ! 呼び捨てにするなぁぁあ!」
「やめたまえ! 彼の言っている事は正論だ!」
「す、すいませんでした! リーダー!」
「うむ、よろしい!」
なんていうか、必死すぎて少し怖いけど、会話のテンポが良くて仲間内で話している分には楽しそうだな。
何が怖いって、急に大声上げたり、目を見開いてきたりするのが怖い。
リーダーも見た目はオタクそのものだけど、一番まともそうだ。
「リーダーは、なんでリーダーなんだ? 誰が決めたんだ?」
「私か? 私は……そう、神の声を聞いたから、リーダーなのだよ。ある日、私は夢の中で託宣を受け取ったのだ……」
一番まともじゃないな、うん。
「へ、へぇ〜……どんなお告げだったんですか」
「ンデュフフ……聞きたいかねぇ、聞きたいだろぉ。ならば話そう! ……神は言った。近いうちに、天使が舞い降りる。そして世界は光に包まれる……と」
リーダーは手を広げたり、羽のように手を広げたり、捻りを加えて手を広げたり、身振り手振りを駆使して、大いなる世界の理を説いている。とても気持ちが悪い。
「へえぇ〜……そ、それで?」
「神が私に言った事を、最初は誰も信じなかった……だが、現実に、天使は舞い降りたのだ……! 神の声を聞いたこの私が、神に選ばれたこの私が、リーダーなのだ……!」
「いよっ、世界一!」
「さすがだよな、俺らのリーダー!」
「ああ、水無月美華様という光をもたらしてくれた神様の、その神様の声を聞いたリーダーだもんな! さすがだぜ!」
「ああ、えっと、……すごいね」
すごいけど、それをはるかに上回るほどに驚異的に気持ちが悪い。女子達が距離を置きたくなるのも理解できる。
「すごいだろう、すごいだろう! 私のすごさが分かったなら、水無月美華様がどれだけ充実した日常生活を送っているのかを、我々に聞かせて欲しい……!」
「待て、それとこれとは話が……」
「いやいや、なにも違くないではないか。話を聞かせてくれたまえよぉ〜」
「いや、だからさ……」
くねくねしながら接近してくるリーダー。
その立ち振る舞いの全てが気持ち悪すぎて、全身に鳥肌が立ったその時、視界の端に藤原の姿が飛んできた。
「蓮くーん、どうしたのー?」
「藤原……こいつら、美華の話を聞きたいって言ってて……」
「そう! こいつらだとか水無月美華様を呼び捨てにしているだとか、そんな事は気にせん! 我々はただ! 神の寵愛を受けし我々に、水無月美華様の光に満ちた生活の全てを、聞かせて欲しいのだッ!」
「んー、それなら、神様に聞けば?」
藤原が、ぽつりと呟く。
「そう、神様に……へ? なんだと?」
リーダーは、ぽかんとしている。
「だから、蓮くんに聞かなくても、神様に聞けば良くない? 聞こえるんでしょう? 神様の声。神様の方が、蓮くんより詳しいと思うけどなぁ〜。ねえ、そこのところどうなんです?」
藤原は何食わぬ顔で男子達を焚き付ける。
リーダーの顔色が蒼くなっていく。
「おお……たしかに、神様の方が詳しいだろうな」
「僕は最初から、こんな男に頭を下げるのはどうかと思っていたんだよ。神様に聞こう」
「そうそう。なんて言ったって、僕らには神様の声を聞ける男がいるから……ね! ですよね、リーダー!」
「いや、その、私は……ええと……」
「あれれ? 神の声聞こえるって言ってたじゃん。あ、今日調子悪いとか? だとしたら仕方ないよね。また今度教えてねー」
「あ、ああ。今日はちょっと偏頭痛があって……また今度にしよう……今日は解散だ、解散」
「次に期待していますよ、リーダー!」
「次までに神の声を聞いてきてくださいね! リーダー!」
リーダーの一言により、男子達は席に戻っていった。ようやく自分の席に着くことができた。
「すまん、藤原。助かった。やっと椅子に座れるよ」
「ううん、気にしないで。あのリーダーって人、前々から地震が来るだとか、天使が舞い降りるだとか、そういうのばっかりでね。あー、清々した」
「そうなのか……。神だとかリーダーだとか、そんなことしなくても、美華に直接聞けばいいのにな」
「……蓮くん、一つ言っておくけど、それは恵まれた立場にいるから、そう言えるんだよ。僕だって、あの子と話すのはすっごく緊張するし、これから先もきっと、まともに会話できないよ」
「そうか? 少し緊張してたみたいだけど、そのうち慣れるよ」
「まあね。何回もチャンスがある人は、それでいいかもしれないよ。でも、そうじゃない人は、仲間内であれこれ言いあったりして、理想と現実を上手く擦り合わせて、別の形で欲求を満たすしかないんだよ」
「そうか。……気をつけるよ。なんにせよ、助かったよ、藤原」
「いいよ、蓮くん。授業始まるからまたね」
「ああ、またな」
藤原が席に着くと同時に鐘が鳴る。
先生が来て起立をして礼をして、いつも通りの日常がやってくる。
ふと、藤原の言葉が頭をよぎる。
他人から見れば、恵まれているのだろうか。
さっきの奴等と俺とでは、何が違うのだろうか。
美華がいて、愛華がいて、紅葉がいて、藤原がいる。両親は遠くに行ってしまっている。
彼らにも仲間がいて、大切な人がいて、家族がいる。
今、恵まれているという実感はない。
日常生活が充実しているという実感もない。
日常生活をより充実して送るために、何を頑張ればいいんだろうか。




