41.天使と、道端に転がる人々と
「蓮さん! 蓮さん! 起きてください! 大変なんです!」
「ん……なんだ……こんな朝っぱらから……お前また俺の布団に寝てただろ……」
「ええ、まあ、毎日千円払ってますから。それよりも、こっちに来て外を見てください!」
「んー……うんー……」
朝がきた。
正確に言うなら、朝がくるその前に、愛華が朝を連れてやってきた。
前者は自分の過ごす時間としての朝で、後者は他人の持ってきた朝だ。
つまり、いつもより起きる時間が早いということだ。
このまま二度寝に突入しようかなとも思ったが、いつもは穏やかな愛華が切羽詰まったような口調で話すのだ。二度寝なんてして無駄に怒らせるよりも、サッと起きて話を聞いてあげる方がこちらの評価が上がるだろう。
こういうさりげない日常に人の評価を左右する分岐点は散りばめられている。それを見逃すのは勿体無い。
「……何が大変なんだよ、愛華」
「何がって……外を見てみてください。人が居るんです」
「人? そんなの、居て当たり前じゃないか……」
出勤する人とか朝帰りする人とか、いろんな人がいる。そんなのに目くじらを立てているとも思えない。
眠い目をこすりながら、体内時計を合わせ直す。
窓の外を見る。いつもよりも太陽は下にいて、まだ夜が明けてから間もないらしい。
愛華が指差す方向に目を向けると、確かに、大変なことが起きていた。
「……え? 行列?」
家の外。色とりどりのカラフルな寝袋。
通学路として使っている道に、見知らぬ男たちが行列を成して、寝袋を使って仮眠を取っている。
「ね? 理解できないでしょう? 彼らは、なんでウチの前で夜を明かしてるんですか……?」
「そんなの知るかよ。……なあ、あれ……あそこの空き地に停まっている車の中」
「車がどうかしました?」
「あれ、あの人達、こっち見ているよな」
視線の先。家一軒程の大きさの空き地には、白いセダンタイプの車が二台止まっている。
運転席、助手席にそれぞれ一人ずつ。合わせて四人の男たちが、こちらを鋭く見ている。
「あー……そうですね。なんだか、警察二十四時とかいう番組で、似たようなのを見ましたよ。容疑者を捕まえるために、生活パターンを把握するとかなんとかで…………まさか蓮さん、犯罪を……!?」
「馬鹿言うな! 俺は見た目だけだ! 悪人面なだけで、犯罪なんか一つも犯してない!」
「そうですよねぇ……はて、いったいなにがなにやら……」
「愛華……お前、もしかして……連続殺人犯とか、連続窃盗犯とか、猟奇的殺人犯とか、そういう感じの……」
「そんなわけないじゃないですか! 馬鹿なこと言わないでください!」
「そうだよなぁ……本当、なんなんだろうな……」
「んもー……二人とも、朝からうるさすぎだよぉー……」
もぞもぞ。
背後から、寝起きで機嫌の悪そうな声と、布の擦れる音が聞こえる。
何かと思って見てみれば、俺の布団の片隅で美華が寝息を立てていた。
「お前まで寝てたのかよ」
「……んべ……あ……おはようございます」
「ああ、おはよう。なんで俺の布団で寝てたんだよ」
「んふふ、なんででしょう。蓮さんもまんざらじゃないくせに、とぼけちゃって……」
「は? 蓮さん、貴方、美華とどんな関係だっていうんですか? 返答によっては、今ここで貴方を始末しますよ!」
「冗談じゃない……。美華に手を出したら、愛華に殺されるだろうが。そんな危険なことするわけないだろ」
「そうでしょうか。……美華、蓮さんにお腹吸われたり、耳たぶ甘噛みされたり、おへそのゴマほじほじされたりしてない?」
「お姉ちゃんみたいな気持ち悪い趣味、みんながみんな、持ってる訳ないじゃない」
「ひえっ、気持ち悪いって言われた……」
……こいつは一人で楽しそうだな、なんて思いながら愛華を見る。呆れた視線を送る。
ふと、美華を見ると、俺と同じように呆れた視線を愛華に送っていた。
「……それで、お外がどうかしたんですか?」
「ああ、美華も見てみなよ。なんか、行列とか、車とか、とにかく人が沢山居るんだ。長い時間、そこで何かを待っているみたいなんだ」
「行列と車ですか。……どれどれ……あらー、本当ですね。……あの人たち、私のクラスの男の子たちですね。車の人達は知りませんけど、行列の人たちは間違いないです」
むむむ、と眉間に皺を寄せる美華。
怪訝な顔のその向こうには、なにやら厄介事の匂いがする。
「なあ、それってつまり、……ストーカー……ってこと?」
「かなぁ。あんなに居るなんて予想外だけどね」
「嘘だろ……。ストーカーって、物陰から覗いたり、ゴミ漁ったり、そういう程度だろ? 家の外で夜を明かすなんて、人間として必要な何かを捨てているとしか思えないんだけど……」
「んへへ、私が天使すぎるのがいけないんだね、いやー、まいったまいった」
「……本当にまいったな、これ」
「ええ、そうですね……本当、どうしましょう……」
「……ねえ、なんでそんな深刻そうにしてるの?」
「深刻だからだよ……」
そう、深刻な事態だ。ストーカーに家がバレてしまっているのだ。
家が知られているということは、美華だけでなく、この家全体が犯罪の矛先に晒されていることになる。
家が知られてしまえば、放火に遭ったり、強盗に遭ったり、そういった危険が格段に増える。
美華はまだその脅威を理解していないらしく、ベッドの上で呑気にゴロゴロしている。
「とりあえず、外の連中は俺が直接脅してくるとして、それでどれくらい減るかな……」
「おそらく、一時的な効果を出すだけです。もし、彼らが徒党を組んで対抗してきたなら、蓮さん自身も危ないですよ。……あー、やだやだ。庶民の暮らしはこんなにも物騒なのね……」
「一人一人確実に潰すべきか……」
「ちょっと、なんで物騒な話してるの、二人とも」
「物騒だからだよ。家が知られたってことは、放火に遭ったり、強盗に遭ったりする可能性が高いってことだよ。美華の行動で気に入らないことがあったら、この家を狙って憂さ晴らし出来るってことだからな」
「な、なるほど……私が美しいからこんなことに……」
「大体あってるけど、なんか腹が立つんだよな。なんでだろう」
「妹を心配する姉の気持ちが、少しは分かって頂けたみたいですね、蓮さん」
「そうだな、愛華。お姉ちゃんは大変だな。とりあえず、家の中で話しててもラチがあかないし、外に出て注意してこようかな」
「あ、そうだ。少々お待ちを、蓮さん」
「どうした?」
「何かあっては困るので、まずは警察に連絡しましょう。その方が手っ取り早いです」
「……んー、まあ、それもそうだな……」
この学校で一番大きな講堂。
そこに集められた、全校生徒たち。
急に決まった集会らしく、先生達は対応に追われている。
しばらくの間、周囲は喧騒に身を置いた後、講堂内に静寂が訪れる。学校長が挨拶をするらしい。
「えー……、今日、皆さんに集まっていただいたのは他でもありません。日々勉学に励む皆さんには関係のない事ですが……えー、先ほど、警察の方から、緊急に連絡をいただきました。数十名の生徒が、集団で問題を起こしたのです。というのも……とある生徒を、集団でストーキングし、家を突き止め、そして、あろうことかその家の、外で、一夜を明かしたというのです。……関係している生徒は、なんと、二十数名居るのです……」
校長の話を聞いていた藤原が、小さく耳打ちをしてくる。
「ねえ、立花くん。まさか、ストーカーされたのって……」
「ああ。そうだよ」
「ひえー……やっぱり、可愛すぎるのも困りものだね。あー、こわいこわい」
「ああ、まあ、そうだな」
思った以上に大事になってしまった。
家の外に停まっていた車は覆面パトカーで、近所の人から通報があって監視していたらしい。
この一件で学校中に美華の存在が認知された。ついでに、立花蓮と一緒に暮らしている事も明らかになった。
こうして、火曜日の朝は過ぎていった。




