40.知りすぎた男
正鵠を射る、達也の言葉。
箸が軽くなる。
素朴な光沢を放つ、茹でただけのウィンナーが、箸からポロリと落ちる。
視界の端では、フォークで胴体を貫かれたタコさんウインナーが、パキッと小気味の良い音を立てて消えていく。もぐもぐされている。
対する藤原は、テーブルに転がるウィンナーを目で追う。
静止したことを見届けると、今度は俺と美華の弁当に視線を移す。
「同じ人が作ってるってことは話の流れから察してるんだけど。……僕の推測が正しければ、そのお弁当を作ったのは水無月さんのお姉様で、立花くんの家族と、水無月美華さんと、お姉様は……同じ家で暮らしている……ってことで良いのかな…………?」
「いや、その、これは……」
頭の中では、頭の中の住人が大会議が繰り広げている。緊急事態を告げるサイレンが鳴っている。
目の前の彼に、俺と美華の関係を知られてしまうことは不利益になる。
では、なにが不利益なのか。
美華は目立つ。求心力もカリスマ性もある。さっきの黒い海を見ただろう。確信的に明らかだ。
明日には全校に、その名を、その可憐さを、男子生徒の諸君らに轟かせることだろう。
そんな彼女がこの学校で一番浮いているクソ男と同じ家に住んでいるのだ。
学校では見せてくれない普段の姿を、このクソ男だけは見ているのだ。
そんなの嫉妬されるに決まっている。
今以上に疎まれる。絶対にだ。
幸いな事に、俺と水無月姉妹がただの知り合いで、かつ、別の家で暮らしているとしても話の流れ的におかしくない。
近所同士で仲が良いという事にしておける。
なんとかごまかして乗り切るしかない……!
たとえ藤原を騙すとしても……!
「ええ、そうですよ。あ、でも、蓮さんの両親は旅行に出てますので、三人で暮らしているんぶぶぶ……」
耳に入る情報を理解してから、彼女の口を塞ぐ。
遅かった! 遅すぎた……!
ほぼ全て藤原に聞かれてしまった……!
この女……! 自分は困らないからって!
「やっぱり、そうなんだね」
藤原はポツリと呟く。
定食についている味噌汁を啜りつつ、目を閉じて、そのまま何かを考えている。
藤原から目を離し、美華を目で制する。
ひっ、と小さく息を飲むのが聞こえる。
「なんで教えちゃうんだよ」
「あの、顔恐い、ホント恐い……。お、遅かれ早かれ、私のストーカーに家を突き止められてバレますよ。それなら、今ここで達也さんに嘘をついてごまかしたって意味ないですよ」
「なんでもう少しブスに生まれなかったんだ……!」
「……んふふ、まあ、別に私は困りませんからなぁ。蓮さんという王子様がいてくれますからね」
「都合のいい用心棒の間違いだろ」
「王子様も用心棒も、私を守ってくれますからね。そういう意味では一緒です」
「お前……。まあ、知られてしまったならどうしようもないな……」
溜め息がこぼれる。
藤原には知られてしまった。
なら、正確な情報を与えて、誤った情報の流布を防ぐ方が建設的ではないだろうか。
噂が流れる時、話に尾ひれがつくことは避けられない。
どんなに正しく伝えたつもりでも伝達ミスは発生する。
発生させないために努力することも大切だが、発生した後の対応こそ一番大事なのだ。
つまり、こちらに有利な噂をあらかじめ流しておけば被害は少なくて済むかすのではないだろうか。
覚悟を決め、藤原を見つめる。こちらの視線に気付くと、味噌汁のお椀を置き、表情を引き締める。
「なあ、藤原」
「どうしたの、立花くん」
「ひとつ言っておくが、俺と美華の間には特に何もないぞ」
「特に何もない? こんなに可愛い天使みたいな子と仲良くしてるのに、本当に何もないの?」
視界の端で、美華がニヤついているのが見える。
お前のせいで面倒なことになっているのに、可愛いとか天使とか言われてニヤついているんじゃない。
「ないよ。だって、そんなことになったら、美華の姉に殺されるからな。割と本気で」
「なんで? お姉さんは大天使なんでしょ? そんなことするの?」
「うん。妹好きすぎるんだ。……だから俺は、何も出来ない。いや、やれない。やれることといえば、登下校の間、美華の身を守る事くらいだな」
「そっか……確かに、誘拐される顔ではあるよね」
そう言って、藤原は美華を見る。
ただ、直視出来ないらしく、二秒後には赤面して視線を逸らす。
視線を逸らしても、視界の端では美華を捉えてしまうらしく、最終的には閉眼してしまう。
「え、誘拐される顔……。私、誘拐されちゃうの?」
「あっ、えっと、その、ゆゆ、誘拐だけじゃなくて、ストーカーも現れるだろうし、ストーカーを捕まえるためのストーカーのストーカーも現れるだろうし、ストーカー同士のコミュニティも出来るだろうし、それを全部潰すために蓮くんが必要かなって思うよ! うん、蓮くんが頑張るよ!」
「取り乱しすぎだろ、お前……」
「仕方ないじゃないか! 女子に対する耐性がないんだから! なのに、こんな美少女とお話しするなんて想定してるわけないじゃん!」
「あの、藤原さん。さすがに照れるんで、しー、でお願いします」
「ひぃぃぃぃい! しー、ってされるぅぅぅ! そんなんされたら、余計黙れないぃぃい! 我慢した言葉の圧で身体が膨らんで破裂する! 破裂しますぅぅぅ!」
「……何言ってんだ、お前。黙れ」
つい、ポロッと本音がこぼれる。
あまりの温度差に藤原はショックを受けたらしく、顔を蒼くしながら静かにコロッケを食べる。
美華ですらも恐怖を覚えたらしい。表情を強張らせながらこちらを見る。
「蓮さん……ただでさえ、本当に恐いんですから、それ以上恐くならんでください……」
「すまん。うるさかったから、つい……。藤原、ごめんな」
「いや……僕がうるさかったのは事実だから……本当に申し訳ありませんでした」
「いや、あの。……とにかく、俺は美華の安全を確保するためだけに側にいるんだ。美華に一目惚れした人達が、美華に気持ちを伝えたいって言うんなら、俺は邪魔しない。むしろ応援する。ただ、危害を加えるなら容赦はしない。そんな感じで納得してもらえないか?」
「そういうことなら、納得できる。そんな感じの話を、友達に広めておくよ」
藤原は『なんでもお見通しだぜ』と言わんばかりに自慢げな表情を見せる。こちらの思惑と一致しているだけに、少し驚く。
「藤原が頭のいい奴で助かったよ」
「僕より頭がいい人が、何を言ってんだか」
二人で顔を見合わせて、小さく笑い合う。
藤原は、思いの外いい奴なのかもしれない。
「ごちそうさまでした。……二人とも、そろそろお昼終わっちゃいますよ? 食べきれないなら手伝いましょうか?」
美華の言葉に、ハッとなる。
壁に据え付けられた時計を見る。
あと五分で昼休みが終わる。
「蓮くん、早く食べなきゃ!」
「分かってる! って、お前も味噌汁しか飲んでないじゃないか! 早く食え!」
「……って事があってさ。彼は友達でカウントしていいよな、愛華」
「ええ。美華の身の安全を考えてくださる人に悪い人はいませんからね。その、藤原さんとやらを大切にしてやってください」
「ああ! やった……友達が、できた……!」
長きに渡る苦節と苦悩を乗り越え……。
一年とちょっとの空白を乗り越え……。
……ついに、友達が、できた……!
できた!
「……今日あった出来事を母親に報告するなんて、小学生みたいだよね」
「ダメよ、美華。蓮さんは今、浸っているの。邪魔しちゃダメよ」
「はーい。……あ、お姉ちゃん、今日の晩御飯は?」
「豚の生姜焼き」
「……! やった! にくじゃ〜! ぶたじゃ〜!」
「まだまだお子様ね。……蓮さん、ご飯作りますよ、ちょっと、蓮さん」
「……あ、ああ。ご飯ね、ご飯。作ろうか」
肉を焼く音と共に、夜の帳は降りていった。




