38.恫喝に満ちた月曜日
下駄箱を開けて靴を履き替える。ついでにチラッと足元を確認する。数日前の恐怖が頭をよぎる。
うん、今日は大丈夫。ちゃんと制服を履いてきている。制服といえば、借りていたズボンを返さなければ。
変わり映えのない廊下を進み、教室の扉を開ける。
数人の生徒が音に反応してこちらを見るが、すぐに視線をそらす。いつもどおりだ。
自分の席に腰を下ろし、鞄の中から荷物を取り出す。
綺麗にアイロンの掛けられた制服のズボンを取り出し、今すぐ返しに行くべきか少し迷った後、席を立つ。
職員室に行って、まずはこれを返そう。それが終わったら勉強でもしよう。
制服を返却し、渡り廊下を歩く。
外の景色を見ながら歩いていると、朝の日差しを遮り、光が一瞬点滅する。
すごい速さで背後から人影が近づいてくる。
それからすぐに視界が真っ暗になる。寸前に見えた手のシルエットから、背後から手を回されて目を隠されたんだろう。
「だーーれだーー!」
聞き覚えのない声。背筋がピンと硬くなる。
紅葉か美華のどちらかだと思ったが、声が違う。本当に、誰だこいつ……。
顔に回された手を掴み、腕力でもって引き剥がす。
この謎の人物がアサシン的な何かなら、場合によっては背部からナイフで刺される可能性もある。力加減はできない。
「誰だ貴様ァ! 馴れ馴れしくするんじゃあねえ! この指ヘシ折るぞ!」
「ひ、ひえぇぇぇ……こわすぎぃぃぃ……ごめんちゃい……」
ギラッと睨みつけながら、このクソ生意気で馴れ馴れしい奴を目で制する。
視線の先には、腰を抜かしてガタガタと震える人影があった。
よく見ると同じクラスの生徒だった。数日前にパンをくれた……名前は……。
「藤原……だっけ。ごめん、大丈夫か」
藤原は廊下を背にして床に倒れこむ。
こちらを見て呆然としつつも、視線だけは外そうとしない。あわあわと口元を動かして見せてから、言葉を振り絞る。
「そうです藤原です、いや、本当に、失礼致しました。どうぞ、もう、煮るなり焼くなり……」
「えっと、……少し驚いた。けど、おどかして悪かったな」
「いえそんな、滅相もない。僕の方こそ、馴れ馴れしくしすぎました。本当にこれで勘弁してください」
スススッと薄い紙切れが差し出される。なんだと思って見てみると、一万円札だった。思わず笑いがこみ上げてくる。
「いらないよ。頼むから、普通に接してくれ」
「普通にって、どんなのが普通なのか……立花くんの普通はきっととてつもなくバイオレンスなんだろうし……」
「そんなイメージ持たれていたんだな。……不良じゃないし、理由もなく暴力なんて振らないよ」
藤原は疑心暗鬼じみた絶妙な怯え顔を見せつつも、時折視線を外している。警戒心を解きつつあるらしい。
「……そうなの? 殴ったりしない?」
「恩人に向かって、そんなことするわけないだろ」
「……そっか……僕は君を誤解してたよ」
「お、おお。そうか。誤解が晴れてよかった、な」
ストンと肩の力を抜く藤原。
「うん。……そしてこれは大スクープでもあるね」
「そうこれは大スクープ……ん? どういうことだよ」
「……えっと……これは、立花くんには教えられないことだよ」
「そうか。答えられないなら、無理にとは言わん。とにかく、おどかして悪かった。立てるか?」
「うん、大丈夫。立てる。僕はやることがあるから、先に教室に戻ってて」
「あ、ああ。じゃあな」
藤原はゆっくりと立ち上がると、背中についた埃を静かに払い落とし、深呼吸をひとつ。こちらに見向きもせず、足早に廊下の先へ消えていった。
「……あー、ビックリした……」
呟き声が廊下に響く。
いつまでもこんなところに居ても仕方がない。教室に戻るとしよう。
教室には変わった様子はない。
いつものように、席に着いて勉強を始める。
ペンを走らせると、自然と周りの音が聞こえなくなっていく。
周囲に対しての選択的注意を払わないことにより、入ってくるはずの音は受け取った瞬時に捨てられる。
注意の全てを教科書とペンに向ける事で、この教室は自分だけの世界になる。
それはそうと、美華は上手くやっているだろうか。今頃、クラス中から質問攻めにあっているに違いない。
昼休みになったら、一緒に弁当食べながら、話を聞いてみよう。
時計に目を配る。ちょうど、八時半を指したところだった。タイミング良く予鈴が鳴る。
月曜日が始まる。長い一日になりそうだ。そして長い一週間になりそうだ。
色んなことがあるだろうけど、粛々と対応していこう。




