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34.ゆっくりできない日常生活


「なあ、愛華」ぽつねんと呟く。

「なんでしょう、蓮さん」

 メイドらしい穏やかな声が返ってくる。思わず聞き惚れそうになってしまった。

「皿洗うの早いな」

「そうでしょうか? 普通に洗っているだけなんですけどね」


 さも普通のことをしているような口振りだ。


「……普通ねぇ……」


 言いたいことを押し殺しつつ、愛華に無言で訴える。

 愛華はニコリと笑顔を返しつつ、物凄い早さで両手を動かしている。皿についた泡を水で落とすために、右手が上がれば左手が下がり、その逆もしかりで、床にコインを落とした時のような、たわんだ円を描いている。皿はたわまないし歪みもしない。動きが早く尚且つ滑らかであるからして、たわんで見えるのだ。


 しかもそれは無駄な早さではない。実用的な早さなのだ。

 こちらが大皿一枚洗うのに苦労している間に、皿を八枚も洗って、泡を流して、布で皿を拭いているのだ。このメイドは腕が機械化されているのだろうか。



 昼食の片付けを終え、居間に戻る。

 椅子に座り、部屋を見渡す。可愛い女の子が三人もいる。同じ空気を吸って生きている。俺もこれに加わって、同じ空気を吸って生きていく。すごい。肺胞レベルで仲良くなれる。すごいね。すごいよ。



「紅葉さん。せっかくですし、ゆっくりしていってくださいね」


 居間に戻るなり、愛華は紅葉に声をかける。愛華の表情はどこか遠慮がちだ。


 紅葉は二人掛けのソファーに寝そべりながらテレビを見ている。手には煎餅せんべい、頬には頬杖。

 それでいて、うたた寝をしていたらしく、よだれをすすってから何回か目をパチパチさせる。


 間違いなく、既にゆっくりしすぎている気がする。

 紅葉も何かを察したらしく、ソファーからのそりと起きるとフローリングの床に足を下ろす。そのまま数歩、夢遊病むゆうびょう患者のようにゆらゆら歩くと、俺の真向かいにある椅子に座り直した。

 紅葉はあくびを一つしてから、どこか神妙な面持ちで赤面する。


「すいません、くつろぎすぎてました。ゆっくりしすぎていました」と、紅葉の控えめな声が届く。

「くつろぎすぎだったな、たしかに」

「いやー……蓮ちゃん家は実家のような安心感だからねぇ」と、しみじみした口調で話す。


 実家のようだとはいえ、ここはお前の実家じゃない。実家にするつもりでいるとしたら、それはそれで別の問題が発生するわけだが。



 紅葉が椅子に座ったからか、愛華はソファーに腰をおろした。紅葉の座っている席は、いつも愛華が座っていた場所だ。


 愛華がソファーに座っているなんて、初日以来か……。

 俺の服が剥ぎ取られて、それで、ソファーに叩きつけたんだっけ。クッションを使って叩きつけたとはいえ、痛かっただろうな。



 何の気なしに愛華を見つめる。

 小さな顔と、肩先まで届くセミロングの髪。栗色の髪は柔らかくウェーブし、目鼻立ちの整った凛々しい横顔を縁取る。


 濃紺色のロングワンピースは重力を受け、滑らかな曲線を描く。

 綺麗な形のほっそりした脚。小さく沈んだソファーさえも、彼女の魅力を際立たせる。

 メイド服や俺の服や着物。足の形のはっきりしないふんわりとした服装ばかりで意識することはなかったが、今この時ばかりは、柔らかで華奢な体つきが目に焼き付いて離れない。なかなかお目にかかれないから余計にそうなるのだろう。

 あの時は恥ずかしくて見ている余裕なんてなかったけれど、今思えば、もっとしっかりと目に焼き付けていればよかったな。


 二人掛けソファーの近くの床には美華の姿がある。ちょこんと座って雑誌を読んでいたが、スッと立ち上がるとソファーに座り直した。

 ソファーは紅葉によって占領されていたので、座るのを我慢していたらしい。


 美華は子供っぽい柔軟な体つきをしているが、女性を感じさせる華やかさがある。愛華と比べても一目瞭然で、母性を感じさせる膨らみがまぶたの裏に焼きつく。

 愛華の私物である和服を着込んでいるが、和服を着ていてもあれだけの膨らみがあるのだから、これから先は想像もつかない。


 こちらの視線に気がついたのか、美華はこちらを振り返ると、『あ、どうも』とでも言うかのように小さくお辞儀をする。そしてテレビに視線を戻す。


 小さな顔と、胸元まで届く長い金髪。赤色を帯びた金髪は緩やかにウェーブし、幼さの残る横顔を背伸びして彩る。本当に綺麗な髪をしている。


 この姉妹は、本当に美しいし可愛い。奇跡的だ。どうなっているんだ。


 気を取り直そう。

 時刻は午後二時を回ったところ。時間は思いの外経過している。

 南側の窓からは明るい光が差し込み、東側の窓は少し開いていて、優しい風が流れてくる。邪念を取り払うにはうってつけの爽やかな風だ。


 紅葉の髪が優しくそよぐ。

 ほのかに香る石鹸の香りと汗の匂い。

 汗の匂いは、部活の帰りだから仕方がない。


 というかむしろ、俺はこの匂いを『いい匂い』だと思っている。汚いものだということももちろん自覚している。


 それなのに、『いいゾ〜コレ』と言わんばかりに、背筋がぞくりと震えるのだ。

 爽やかな風が吹くたびに、身体の芯が小さく震えるのだ。やれやれ、俺も大概だな……。



 テレビ番組を見て惰性に満ちた時間を過ごしたり、雑誌を読んで服の流行を調べたり、背筋をしゃんと伸ばして瞑想していたり、そんな彼女らを観察したりして、会話もなく過ごしていた。


 ふと、愛華がこちらを向く。彼女の視線の先には紅葉の姿がある。紅葉は椅子の上で瞑想をしている。愛華の視線には気がつかない。



「あの、紅葉さん。さっき、私はゆっくりして頂きたくて、お言葉を呈したわけなのですが……」機嫌を伺うかのような小さな声。丁寧な息遣い。

「え? シャキッとしなさいって事じゃないんですか?」

 紅葉は瞑想をやめ、ぱちりと目を開けて愛華を見る。

「立場的に言えませんよ。主人の友人ですし」

「なるほど。そういうもんですか」

「はい……腐ってもメイドですし……」


 控えめに紡がれる声からは、本音と建前が見え隠れする。

 ……本当はシャキッとしなさいって言いたいんだろうけど、立場的に言えないってことかな。


 会話が続かないことを察したらしく、愛華はテレビに向き直る。それからまた、空白の時間が訪れた。


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