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3.立花蓮の学校生活

 教室は騒がしい。


 家族の話だとか、歳上の彼との色恋沙汰だとか、そんな話はどうでもいい。結局のところ俺は彼らや彼女らの話に興味が無い。馬鹿にしているわけではないし、自分が上にいるとも思えない。ただ、つまらない話を飽きもせず延々と繰り返すことに耐えられないのだ。目立つし、無駄だし……。

 彼らを尻目に、人知れず席につく。


 鞄から教科書を出す。授業の予定を確認し、予習を始める。真っ白いノートに文字が書き込まれていく。文字を頭の中で反復させながら、テストに出そうなところを重点的に刷り込んでいく。集中するにつれて、周囲は無音状態になる。


 学校にいる間は無言に徹している。誰にも話し掛けないし、誰からも話し掛けられない。


 親や先生以外に話し掛けられたのは、多分、三日前のことだ。


 同じ高校に進学した幼馴染みから、『れんちゃん』なんて愛称で呼ばれたのが、最後だと思う。


 立花たちばな れん。だから、『蓮ちゃん』。幼馴染みとは小学校からの付き合いで、今では二人とも高校生だ。


 自宅から一番近い学校がここだったから、頑張って勉強して入学した。

 幼馴染みは並みの成績で落ち着いているが、親がお金持ちでこの学校の理事とも仲が良かったらしく、すんなりと入学できていた。ここはそういう学校らしい。


 幼馴染みは俺と違って人当たりが良くて、友達が多くて、部活動にもきちんと参加していて、充実した高校生活を送っている。

 成績は俺の方が格段に上だけれど、一人の時間が多すぎるから、そうなってしまっているだけだ。

 周りの人たちに話し掛けられるのも面倒だし、学校に着いたらすぐに勉強を始める。今も昔も、そんな感じだ。

 勉強は好きな訳じゃない。でも、盾にはなる。

 勉強を盾にして人間関係を断絶させることができる。人付き合いの時間の全てを、勉強の時間に転化することで自分を守っている。

 朝のちょっとした時間も、昼休みも、自習の時間も、ずっと勉強をしている。

 学校にいる八時間もの間、ずっと無言で、ずっと勉強をしている。


 真面目に机に向かうのは学校にいる間だけで、放課になればすぐに校舎を出て、あてもなくフラフラしてから家に帰る。この一年間はずっとそうしてきたから、これからもきっとそうなんだろう。

 つまらない高校生活だな、寂しい生き方をしているな、と自分でも思う。でも、人と話すことをしてもしなくても、一日の終わりに感じる寂しさは一緒なのだ。

 だったら、やる必要のないことはやらないほうが良いんじゃないか。そう考えるに至ったのだ。


 待ち望んでいた、授業開始のチャイムが鳴る。

 立ち歩いていた生徒達は自分の席に腰掛けると、授業の用意を慌てて始める。騒がしさは薄まるが、囁き声がかすかに聞こえる。

 その小さな声のやり取りも、ほどなくすると完全に消えてなくなった。


 ため息を我慢し、ふう、と口から空気を吐き出す。


 黒板に書かれた問題を解き終え、ペンを置いて一息つく。先生は難しい問題だと言っていたが、何日か前に予習していたところだったので、簡単に解けた。


 ふと、隣の机から消しゴムが落ちる。こちらに転がってくる。見て見ぬふりをする訳にもいかず、つい、拾いあげてしまう。

 持ち主は消しゴムが落ちたことに気付いていない様子だ。ペンをおでこに押し当てながら悩んでいる。そんな事をしても閃くわけが無かろうに。

 このまま消しゴムを持っていてもらちがあかない。打開するためには声を掛けるしかない。


 そうなると、小さな問題が発生する。

 どう声を掛けるか。どのくらいの声量で言葉を発するか。周りに気を遣って無言で消しゴムを差し出すか。面倒なので拾ったところにそっと戻すか。些細ささいな事が頭の中でぐるぐるしている。


 隣の席ではペンを走らせる手が止まり、顔を左右に行き来させている。消しゴムがないことに気付いたらしい。

 こちらと視線が合うと、瞬時に目を逸らされる。

 そのすぐ後、彼女は俺が手にしている消しゴムに視線を移動させる。消しゴムとこちらの顔を何度か行き来させ、戸惑った様子を見せた後、手を伸ばしてくる。


「ご、ごめんなさい、ありがとうございます」と、周りをはばかるような控えめな声が紡がれる。

「ああ、どういたしまして」と、同じように控えめに声を紡ぐ。こういう時は控えめな声が好ましいらしい。

 消しゴムを手渡す。消しゴムが手から離れ、無事に持ち主の元へと帰っていく。無事に手渡すことができた。わずかに指と手が触れたが、そんなことはどうでもいい。彼女は耳まで真っ赤にして俯いてしまったが、彼女の反応を考察しても仕方がない。

 俺の中にあるのは安心、安堵、安寧、安全……安らかな気持ちだけなのだから。


 極めて稀に、話しかけられることがある。今回のような、特定の状況下での場合だ。大抵は些細な用事だが、話しかけられると何をどう答えていいのか決まらず、言葉の渦が洪水を起こしてしまう。


 相手がこちらの話を最後まで聞いてくれる確証があるなら落ち着いて話せるが、大抵は不気味がられて途中で話を切り上げられてしまう。急いで何かを話さなければ、という焦りの結果、挙動不審な言動をして失敗してしまう。


 今回は消しゴムを渡すという目的があり、言葉のやり取りは最低限でよかった。ミッションとしての難易度はかなり低い。

 この程度のこと、難なくこなさなければいけないのに、いちいち深く考え込んでしまう。

 やはり、コミュニケーションが苦手だ。これから先、社会に出て生きていくためにも、会話に慣れる必要がある。それは分かっている。分かっていても、勉強を盾にして人と話さないようにしたり、視力が悪いわけでもないのに眼鏡を掛けて話しかけづらい雰囲気を醸し出したり、そういう小細工をしてしまう。

 小細工ばかり、いつまでこんなことを続けるんだろう。答えのある問題なんかより、こっちの方が悩ましいものだ。


 一時限目の授業を終え、休み時間になる。トイレへ向かう。

 トイレの入り口を遮るように、数人の生徒が話をしている。そして、すごく盛り上がっている。楽しそうなのは何よりだが、場所が場所だけに邪魔すぎる。扉だもの。彼らが扉の前を退ける気配はなさそうだ。


 トイレから少し離れたところに目をやると、いかにも気弱そうな生徒がポツンと立っている。トイレをみてもじもじしている。生徒達の間を行くことに抵抗がある様子だ。なんだか可哀想だ。

 彼のためにも、そして何より自分のためにも、ここは勇気を振り絞る時らしい。


「なあ、兄弟よ。トイレに入れないんだが」

 こちらの問いかけに、生徒達は沈黙する。

「……聞いてるか?」


「あ?」と、後ろを向いていた生徒が振り向く。

「なんか用か?」と、振り向きながらいきがってみせたが、俺の顔を見るなり、すぐに退いてくれた。少し震えていた。

 トイレの扉には隙間があるからな、すきま風にでも当たって冷えていたのだろう。

 トイレの扉を押して開けながら、横目を遣って斜め後ろに目をやる。気弱そうな彼は安堵の表情を浮かべていた。


 用を足し、手を洗う。蛇口を戻し、視線を持ち上げる。

 いつもの事ながら、鏡を見るたびに自分の顔をみて戸惑う。鏡には茶髪で鋭い目つきをした男が映っている。


「はあ……」


 俺は、見た目が完全に不良野郎なのだ。見た目がどう問題なのかといえば、髪の色と目つきが凶悪すぎるのだ。ため息が出てしまうほどの見た目なのだ。

 目の形は良いんだと思う。良すぎたんだと思う。まぶたは一重で目尻は切れ長で、睨んだつもりはないのに『睨まないで』とよく言われる。

 小学校の頃好きだった女子から『見た目ヤンキーだし、立花くんほんと冷たい目してるよねー』と言われたこともある。


 よくヤンキーだとか不良だとかチンピラだとか言われる。けれど喧嘩なんてしないし、むしろ品行方正に努めている。ただ、俺自身はそう思っていても周りはそうは思ってくれないのだ。

 この見た目なら無理もない。地毛が茶髪なのだ。本来ならば俺の髪の毛もまわりの人と同じように黒いはずなのに、俺の遺伝子は髪を茶色にし続けるのだ。


 鏡に映る自分の見た目に絶望しながら、トイレから出て、教室へ向かう。


「待って……ください」

 不意に、小さな声が聞こえた。振り返ると、気弱そうな男子が引きつった笑顔をこちらに向けていた。トイレの外で立ち往生していた彼だ。


「あの、ありがとう」と、彼は両手をヘソの前でもじもじさせながら言う。

 面と向かって言われると、恥ずかしい。それに、大したことはしていない。


「ああ、気にすんなよ」と、ぶっきらぼうにそう言って、廊下を歩く。真ん中を歩く。廊下に溢れる人の海が半分に割れるのは、いつもの事だ。

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