29.便利すぎる時代のとある休日
休日の昼下がり。
このなんとも言えず平和そうな言葉のニュアンス。
平和なんてないんだけどね。
一歩先を進む、白いワンピースを着た少女。
癖のある金髪を元気に跳ねさせながら、光の軌跡を残して歩く。その神々しさたるや、筆舌に尽くしがたい。すれ違う人々の誰もが足を止め、そして静かに息を飲む。
天使という言葉がぴったりな、神が生み出した奇跡。
そんな彼女の後ろを歩く、従者風の女性。
栗色の髪がふわりと優しく揺れる。紺色のロングワンピースに純白のエプロンドレスを締め、黒いカシミアのストールを外套のように羽織る。
オルガン色をした革のトートバッグを肩から下げ、涼しい顔をして瀟洒に歩く。その姿は混じり気のない純然たるメイドそのものだ。
そんな二人が前を歩いている。
目立つ。
それは仕方のないことなのかもしれない。むしろこれは光栄なことで、彼女らの影を踏むことが許されていることに感謝しなければいけないのかもしれない。
「ねえ、蓮さん。……蓮さん?」
「……ん? ああ、ごめん。なに?」
「雑貨屋に行くには次の角を曲がればいいんでしょうか。それとも、もう一本向こうの通りですかね……?」
愛華はスマホで地図を調べていた。目的地にはお目当の雑貨屋が記されている。
画面を向けられているが、地図の縮尺が大きすぎる。大雑把すぎて位置が掴めない。
「ちょっといいか……」
スマホに手を伸ばす。
愛華もこちらの意図を汲み取って、スマホを渡そうとしていた。
「こら! 調べちゃ、ダ〜メッ!」
割って入った白い人影に、スマホをヒョイと掠め取られる。美華はムッとした表情でこちらを見ている。
「こらはこっちの台詞よ。返しなさい」
「ダメだよ、お姉ちゃん。少しはこの町の風景を見てさ、肌で感じようよ」
「あら、お店の場所がそんな原始的な方法で見つかるのかしら」
「見つかるよ、絶対。せっかくお出掛けしてるんだからさ、顔上げていこうよ。画面ばっかり見てるんじゃなくてさ」
「あら、そう。タクシー呼んで店まで行こうとしてたのに、美華がどうしてもっていうからわざわざ歩いて向かっているのよ。場所くらい確認してもいいじゃない」
「お金があると、人はすぐに楽をしようとする……」
美華の言葉に、何かを考えるように黙り込む愛華。それを見て、美華はより一層ムズムズした様子を見せる。
愛華はお金を使いたがるし、美華は節約したがる。……いや、根幹にあるのはもっと別の何かだな。
二人の様子を見るに、美華は愛華のスマホいじりが気に入らない訳ではないらしい。
久しぶりに姉妹揃って出掛けているんだから、私のことも見てよと、そう言いたいらしい。
ただ、それは愛華に伝わっていない様子だ。
それに気付いたはいいけど、俺から愛華に口添えするのは道理が違う。助け舟を出す程度にしておこう。
「なあ、愛華。美華ちゃんの言うことも一理ある。道を調べるより、町並みを見てさ、肌で感じるのも悪くないんじゃないか? 見つからなかったら、調べるなりタクシー呼ぶなりすればいい」
「……まあ、蓮さんがそう言うなら……」
納得した様子だが、相変わらず渋い顔をしている。美華からスマホを返してもらうと、大人しく肩に掛けたバッグの中にしまった。
「それで、どの方向に歩けばいいんだ?」
美華に向かって問いかける。
美華はプイと愛華の方を見る。
え、なんでプイッてしたんだよ。
えー……えっと……何かしたかな。何もしてないよね。
あ、もしかして口臭? 風に乗って臭ったとか? ……いや、口の臭いはフローラルだ。
これは彼女の気まぐれだよな。そんな反応されると、地味に傷つくんだけどさ。
とにかく、落ち着こう。愛華に聞こう。こっちの彼女なら、いつも通りの反応を返してくれるはず。
「あ……愛華、どっちに進む?」
「え、私ですか? 言い出しっぺの美華が決めなさいよ」
「……私、方向音痴なんだもん。お姉ちゃんが決めてよ」
「言うと思ったわ。本当、マイペースなんだから……ま、昔からか……。一つ言っておくけど、私だってこの町のことなんて分からないからね。そもそも、場所が分からないから調べてたのよ?」
「そうなんだ。お姉ちゃんは全知全能だから、この町の隅々まで知ってると思ってた」
「確かに全知全能よ。世の中のすべての学問も、愛する妹のホクロの数と位置も、ちゃんと全部余すところなく知ってるわ。でも、お姉ちゃんを買い被らないで頂戴。知らないことだってあるのよ」
「うーん……そっかー……。まあ、お姉ちゃんは知らなくても、蓮さんは知ってるだろうから大丈夫だよね。でも、やっぱりちょっとショックだなぁ……ゼウス姉ちゃんでも、知らないことはあるんだね」
「ゼウス姉ちゃん……ちょっとカッコいいわね。……んー、まあ、蓮さんは生粋の地元民だから、地元の地理には明るいと思うわよ? でも、その他の分野のもろもろの事を総合的に見れば、お姉ちゃんの方が圧倒的に物知りよ」
「さすが! お姉ちゃんさすが!」
「ふふん……で、どうなんです、蓮さん。お店の場所わかります?」
「えっ、あー……うーん……」
結局知らないのかよ。全知全能が聞いて呆れる。
そうだな……美華の意思を尊重して、店を探し回るのはいい。でもそれは、店のある方向が分かっていることが最低条件だ。あてもなく探し回ったところで、疲れるにつれて険悪なムードになること間違いなしだ。
一番手っ取り早いのは、愛華と同じように道を調べてしまうことだ。でもそれは美華の提案を無下にするということ。
ここはひとつ、二人の意見を汲み取った提案をするか、それとも全く毛色の違う第三の柱を打ち立てるか……どちらにせよ、決断を迫られている。早く答えを出さねば……! でも僕は決断できない男だ……なんとか、なにかいい方法は……!
『お困りのようじゃな……少年よ!』
その時、頭の中の住人であり天才的な発想力を持つパンパース教授が話しかけてきた。
『道がわからないのかね。それとも、自分の立ち位置がわからないのかね』
立ち位置……。確かに、今の私は立ち位置が分からないのかもしれません。
『そうか。では、足元を見てごらんなさい』
足元を……。
『君のその足の下が、立ち位置である。そして、鏡に映る君こそ、本当の君である。自分探しというのはだね、人間としての自分の存在を自らが知るという意味がある。私からしてみれば、まあ、実に馬鹿らしいことであるがね』
確かに、本当の自分はどこに在るんだろうと思います。でも、それはいけないことなのでしょうか。人は悩む生き物です。なら、自分探しの旅に勤しむのも悪くはないのでは。
『悩むことは大いに結構だよ。だが、自分というものはどこまでいっても氷山の一角で、無意識の自分というものは、もはや他人様のようなものだ。自分を探したいのなら、姿見でも見てきなさい。私はよく、人生に迷った若者を鏡の前に立たせるよ』
……なるほど。
ところで、教授。私が今置かれているこの状況、教授ならどう切り抜けるのでしょうか。
『そうじゃなあ……答えを教えてやってもいいが、君のためにならん。一つ言えることは、人は、あてもなく歩くことのできない生き物だということじゃ。地図はなくても、コンパスがあれば旅はできる。明確な目標があれば、それに向かって努力もできる……人間とは、そういうもんじゃないのかね……』
なるほど! ありがとうございます、教授!
『さらばじゃ、少年。荒波に負けるでないぞ……!』
「蓮さん! 蓮さん!」
鋭い口調で名前を呼ばれながら、肩を叩かれている。
ハッとして目を開ける。少し怒った表情をした愛華の姿が映る。
無意識のうちに口元に手を当てつつ、考え事をしていたらしい。
「…………お、おおお、どうした!」
「どうしたもこうしたも、かれこれ一分近くも話しかけてるのに、瞬きもしないでボーッとしちゃって……心配させないでくださいよ!」
「ごめん……ちょっと考え込んじゃっててさ」
「それでも、瞬きくらいしてくださいよ。……それで、どこに向かって歩けばいいんですか?」
「ああ、それな。まず、方向と距離だけ調べよう。あとはどうにか探そう」
「私と美華の意見を足して割ったような考えですね。私はそれで構いませんよ」
「んー。まあ、お姉ちゃんがいいならそれでいいよ。……よし、じゃあ、私調べる! はい、検索結果出ました! 北北西で約一キロ先! あっち!」
「あら、一キロも先なのね。闇雲に探していたら、絶対に迷子になってたわね」
「そうだね。思ったよりもかなり遠いね」
「ええ、遠いわね。でも、美華と一緒だから楽しいお買い物になりそうよ。折角だからゆっくり歩きましょう」
「うん! えへへへ……」
……なんとか上手く纏ったな。愛華は楽しそうだし、美華は幸せそうだ。
それもこれも、地図を作ってくれた人や情報を更新してくれている人たちのおかげだな。
……でも、便利な反面、便利すぎるのも如何なものかと思う。
最近では道順を逐一説明してくれるサービスもある。
地図を見て歩くのは人間だけど、情報処理をしているのはコンピュータだ。情報を提示する媒体に過ぎない。情報の選択権は人間側にあるように見える。
でも、実際は何も考えずに、コンピュータに指示されて歩かされていることに他ならない。
だからこうして、アナログで原始的で前時代的な方法でもって、自分で考えて歩くということが必要なのかもしれない。
そうすることによって、彼女達の笑顔を見ることができたのだから。変わらない日常を変えるには、何気ないことに関心を向けて、考えてみることが大切なんだろうな。




