28.衣食住のすべてをかけて
むむむ、と眉間に皺を寄せ、愛華はこちらを睨みつける。
「確率は三分の一……残り少ないカードのうち、私が引きたいのは……これ! いや! こっち……やっぱりこれだ! っしゃーおらー!」
掛け声とともに、カードを一枚引き抜く。小気味のいい感触とともに、ジョーカーが消えていく。
「……んー、なるほどなるほど。蓮さんはこういうカード持ってるから、次はこうすればいいわけだ。なるほどなー」
愛華はそれっぽいことを言いながら手札を混ぜる。動揺しているのが筒抜けだ。
そんな姉の様子を察知したのか、美華に緊張が走る。
次は俺が美華のカード引く番だ。俺も美華も手持ちのカードは二枚であり、次に引いたカードが揃えば勝てる。揃った時点で一番が確定だ。
現時点では、美華の手札の中にジョーカーはない。残り二枚の手札のうち、どちらを引いてもさほど変わりはない状況だ。
愛華の手の中にジョーカーがある限り、圧倒的有利は変わらない。だが、流れがこちらに向いているうちに勝負を決めてしまいたい。
美華の鮮やかな紺色の瞳が、こちらをむむむと睨みつける。あらためて見ると、場違いなほどに可愛すぎる。
「そっちはハートの7ですよ。こっちはクローバーのキングです」
美華の手札を見た愛華が、とんでもないことを暴露する。
「ぎにゃぁーーー! だだだダメだよお姉ちゃん! 何言ってるの!」
「何って、美華の手札」
「ダメでしょ! 手札がバレたら蓮さんにアガられちゃうでしょ!」
「そうじゃないのよ。私と美華の手札が分かれば、必然的に蓮さんの手札が分かるのよ。蓮さんが持ってるのはスペードのキングとダイヤのエース。つまりここで蓮さんにアガられる確率は二分の一。手札がバレても確率は変わらないのよ」
「な、なるほど……ってことは、お姉ちゃんの手札はスペードのエースとクローバーの7と、ジョーカーだね」
「……アラヤダ。あなた天才ね」
「えへへ」
見事なまでにさらりと墓穴を掘る。美華は天使のような笑顔を見せてから、自信に満ちた顔をこちらに向ける。
「さあ、心理戦の幕開けじゃ!」
……じゃ? ……いや、気にしちゃダメだ。相手の言うように心理戦は始まっている。相手のペースに飲まれてはダメだ。
美華が手札を混ぜる素振りはない。手札はハートの7とクローバーのキング。
日本人は文字を読むときの習慣から、左側にあるものを先に読みやすい。つまり、左にあるのがハートの7ということになる。
しかし、相手は愛華だ。美華はただのカード置き場に過ぎない。本当の相手は愛華だ。相手が嫌がる事に関してはこの中で一番頭が働くやつだ。つまり、本能的にわざと逆から読んでいるに違いない。
いや、待てよ。こいつは俺の頭の良さを把握している。自分で言うのもなんだが、俺は頭が良い。頭良いんだよ。
つまり、俺が罠を見破ることを前提に、なんのひねりもなく左から順に読んだという可能性もある。
こちらが深読みすることで勝手に自滅することを期待して、な。
「……クククッ、愛華よ、お前は俺を見くびっていたのだ」
「お前って呼ぶな」
「この勝負、もらった!」
するりとカードを引き抜く。ハートの7。
……もはや何も言うまいよ……。
ホッとする表情をみせる美華と愛華。
それも束の間、美華の顔が険しくなる。
そう、彼女は気付いたのだ。本当の敵は愛華だということに。
彼女は次、確実にアガれない。それどころか、ジョーカーを引くリスクも抱えている。
ちらり、と美華はこちらを見る。
彼女の要求をいち早く察知した俺は、彼女のアイコンタクトを無視し、指先のささくれをいじる。見て見ぬフリ。
「さあ、どれを引いてもいいのよ? 真ん中がジョーカーよ?」
「ぐぬぬぬぬ……」
「あ、そうだ。ジョーカーを引いてくれれば、少なくとも最下位にはさせませんよ」
「美華、そんな言葉に乗るんじゃない。ジョーカーを引かなければ、愛華が最下位で美華は二位になれる。それどころか、一位になれる可能性もある」
「一位……一位になれば、襲われなくて済む……! 私、安心して寝られる!」
「美華、よく考えて。あなたが一位になれる確率は何十分の一しかないのよ!」
「それでも……それでも私は諦めない! ぐっすり安心して眠りたい! どちらの言うことも信じない! 私は! この手で! 安眠を取り戻すんじゃあああああ!!」
勝敗が決した。一位は美華だった。愛華が最下位で、俺は二番目だ。
部屋の外、二階の廊下で二人を待つ。
美華は荷物を持って、俺の隣の部屋……妹が使っていた部屋に入る。入り口扉に鍵がかかることを確認してから、美華は満足気な顔で出てきた。
その少し後、荷物をまとめた愛華が出てきた。
「いやーー、ありがとうございます。これで安心して暮らせます」
「そう……よかったわね……私は萎んじゃいそうよ……あなたの寝顔を見ることだけが、私の生きる価値なのに……それにリビングで寝るなんて、何か間違っています」
美華は無言で愛華を見る。無表情な中にも、蔑むような、無慈悲な色が見え隠れする。
姉の襲来に脅かされることなく、安心して暮らす。そもそもそれが、ババ抜きをやっていた理由だ。
ババ抜きの順位で部屋の割り振りを決め直していた。使える部屋は、俺の部屋、妹の部屋、そしてリビング。親の部屋は使わせたくないので除外している。和室には仏壇が置いてあるので、和室も除外している。
「なにはともあれ、部屋割りはこれでいいよな。料理とか掃除は俺と愛華で分担するし、美華は気が向いたら手伝ってくれればそれでいいよ」
「わかりました。私こう見えて、家事とか結構得意なんですよ。ほとんど一人で暮らしてきたようなもんだし」
「美華は偉いわね。本当私の妹でよかった……グスン」
「……あー、まぁ、とりあえず、いろいろ決まったし、俺は昼寝でもしようかな」
「どうぞどうぞ、寝床の用意は完璧です」
「お、気がきくな」
満面の笑みを浮かべる愛華。何かに勘付いた美華が、声を振り絞る。
「だ、ダメです。蓮さんが寝てる間、私、襲われる。絶対……!」
優しげな目尻をこわばらせながら、まっすぐにこちらを見て語りかけられる。
そんなわけないと思いつつ、愛華の方を振り返る。鬼のような形相で、恨めしそうな目をしながらこちらを見ている。小さな声で「寝ろ寝ろ寝ろ寝ろ」とブツブツ呟いている。くっそ怖い。
「あー……わかった。昼寝は諦めるよ」
「ああああありがとうございます!」
「……空気の読めない男は嫌われますよ」
「だまれ」
リビングへ戻り、ソファーに腰掛けて一息つく。時計に目をやる。十四時前。
昼寝をしないとなると、絶妙に暇な時間帯だ。
何かやることあったかな……。
「そういえば! 蓮さん!」
「どうした?」
「私、パジャマ欲しいです。蓮さんの服借りっぱなしですし」
それ、このタイミングで言うか普通……。




