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26.天使とは、舞い降りるもの 2

 

 美華ちゃんは良い子だなぁ、なんて思いながら、隔離先の風呂場へと向かう。風呂場には愛華がいる。


 風呂場では今頃、たいへん淫靡いんびなことになっているだろう。

 後ろ手にガムテープで縛られ、額に汗をにじませて横たわる和装の美女。口元にはガムテープを貼られ、声をあげることすら叶わない。

 額には汗だけでなく数本の髪が乱れ、背徳的な衝動を狩り立たせる。

 それだけではない。熱気と湿気で服は蒸れ、じっとりとした艶かしい光沢と蒸れた匂いを際立たせる。


 我ながら酷い妄想を繰り広げながら、にやけたツラをして脱衣所の扉を開けた。



 目の前に愛華の姿があった。


 悲鳴をあげようと息を吸おうとした瞬間、手の平を押し当てられ、口を塞がれてしまった。


「んーー! んむーーーー!!」


 鋭利な刃物で腹部を刺されるんじゃないかと身構えていたが、それらしい気配はない。愛華は空いている手の人差し指以外を全て閉じて、「しー」と声を出さないように諭してくる。

 愛華の手のひらを舌先でチロチロしたらどんな反応するのかな、なんてくだらないことを考えつつ、真面目に考える。

 頷く他に選択肢はない。黙って頷く。アイコンタクトの末、口元を解放された。



「小声でお話ししましょうね」

「よく分からんが分かった。……ガムテープはどうした」

「あんなガムテープ、私には無意味です。それよりあの子のこと、どう思いました?」


 無意味だったか。俺の妄想も無意味だったな。

 ……美華をどうと言われても、あのままの印象だ。質問の意図がよく分からない。


「どうって、すごく良い子だよ。可愛いし気も遣えるし、感謝の気持ちも忘れてないみたいだし」

「なるほど。蓮さんの目にもそう映るんですね」


 そう言うと、愛華の表情は曇る。それから黙りこんでしまう。

 見目麗しい少女の困り顔というものは、先の展開を気にさせる魔力がある。


「なんだよ、自慢話かよ」

「違います。話は最後まで聞いてください」

「なら、さっさと用件を言おうよ。気になるじゃん」


「これはあくまで私の所感なんですけれど……あの子、天使とは真逆の子なんです。騙されないでくださいね」


「は?」


 予想外すぎる一言に、驚きの声がだらしなく漏れる。


「いや、だってさ、おかしいよ。お前だって天使とか言ってたじゃん」

「あれはある意味、皮肉ですよ」

「なんじゃそりゃ。妹くるからってあんなに喜んでただろ」

「敵を欺くにはまず味方から、ですよ。段取りが大事なんです」

「あの執拗なまでの腹ペロも?」


 こちらの質問に、愛華は動揺を隠せずにいる。


「あ、……あれは、その、私の性癖です」

「あの腹ペロはやめろって」


「とにかく、あの子、ああ見えて根は真っ黒ですからね。自分の思い通りに駒を進めたがるんです。私はあの子の言いなりになっている姉を演じつつ、様子を見ている状況なんです」


 ふーん……こいつの話はどうにも胡散臭いというか、偏っているというか、実態が見えてこないというか。

 ……とはいえ、自分の考えに賛同してほしくて話をしているわけでもなさそうだ。


 そもそも、愛華も美華ちゃんもまだ知り合ってから日は浅いし、どちらの言うことも信じすぎるべきではないし、否定しすぎるべきでもない。


 今の俺にできることはできるだけ嘘をつかずに生きることだ。


 ほんの少しの沈黙の後、「なるほど」と相槌を打つ。でも、これだけは言わせてほしい。

「ひどいプロパガンダだな」


 偏見の宣伝。彼女にはうってつけの言葉だった。

 愛華は少しだけばつの悪そうな表情を浮かべたあと、わざとらしくため息を吐く。


「私の意見を偏見と決めつけている時点で、あなたはもうすでに美華の駒に成り果てているんですよ」


「いやいや、何を言ってくれてるのさ。俺は客観視の得意な男だよ。第三者であり傍観者だよ。どちらかに肩入れするような男じゃないから」


 愛華は「嘘くさ……」と怪訝に呟く。こちらがわざとらしく咳払いをすると、負けじとわざとらしくため息を吐いてくる。


「蓮さん、騙されかけてますし先に言っておきますけど、あの子は超ワガママで高飛車で、自分の思い通りにならないと気が済まないような子ですよ。それだけならまだしも、最近は自分の見た目がいいことを利用して、他人を振り回す素振りも見せてますから、気をつけて下さいね」


「わかったよ。見た目は天使だけど中身は真っ黒ってことね。で、お前は妹を貶めるような姉ってことだな」

「そんなんじゃないもん! 貶めてないもん! ていうか、お前っていうな! 年下のくせに!」

「はいはい。それで、騙されないように気をつけたとしても、根本的な解決にならないよな。どうするんだよ」


 今日の愛華はコロコロと表情が変わる。

 浮かない顔をして、愛華は人差し指をまわして髪をいじる。普段はなにを考えているか分からない奴だけれど、こういうことで悩んだりもするんだな。


「そうなんです。あの子、高校に入学してからさらにワガママになったみたいで……その……イジメられてないか、心配なんです……」


 さんざん悪態ついておいて、結局は妹の心配かよ。良い子かよ。


「……えっと……愛華って優しいよな……」

「な、なによ、優しくちゃダメっていうの?」

「いや、まあ……可愛いのに可愛くない奴だよな」

「冗談はよしてください。可愛いとか言われても嬉しくないですし、私には年上としての威厳を保つ必要がありますし、……ふひひ」

「……ふひひ?」

「…………」


 愛華は口元を握りこぶしで隠す。頬は赤い。

 本来なら頬を両手で隠したいのだろうに、威厳を保つとやらでそんな行動を取れない。苦肉の策で口元を握りこぶしで隠しているのだろう。可愛いとか言われて内心穏やかではないらしい。


 嗜虐心しぎゃくしんあおられるが、彼女の機嫌を損ねて家出をされたらこちらが危ない。本来の話に戻るとしよう。


「まあ、あの見た目なら周りが黙ってないだろうし、快く思わない奴もいるだろうし、イジメられる可能性は大いにある」


「ええ。外見だけはほんともう天使みたいな子でペロペロ舐め回したくなる綺麗な肌をしてて舐め心地もよくって……可愛いなあ、もう。あの優しげな目尻に涙が溜まっていくのがもうたまらん」



 愛華の言動に、言い表せない寒気を感じる。オブラートに包むだとか、遠回しに皮肉るだとか、そういう上手な切り返しができない。


 言葉に詰まり、言葉を選ぶ。沈黙が流れる。


「えっと、ごめん、ほんと気持ち悪いよ。そういうのやめようよ」


「……とにかく、あの子があのまま大人になったら、誰彼構わず怨みを買って、仕舞いには刺されて死にます。それだけは避けたいんです」


「なんだかんだ言っても、心配してるだけなんだな」

「まあ、お姉ちゃんですからね。……悪いですか?」

「悪くはないよ。……で、これからどうするんだ」


「それが、まだ思い浮かばなくって。あの子に人生思い通りにいかないってことを教えてあげれれば良いんですけどね」


 両親はいないし、育ての親の婆ちゃんもいないし、唯一の肉親は歪んでるし、全然思い通りじゃないだろう。もうすでに学んでいるだろう。悪魔かこいつ。

 とはいえ、今ここで美華ちゃんを擁護しても、どうせまた『騙されている』とかって言われるのがオチだろうな。適当に合わせておこう。


「……俺はとりあえず、適度な距離感で接するよ」

「多分、それが一番ですね」

「そろそろ戻ろうか」

「そうですね」



 愛華を連れて居間に戻る。じわりとこみ上げてくる緊張感に蓋をしつつ、あくまでも平然と扉を開ける。


「ただいま」

「おかえりなさい。お姉ちゃんどんな様子でし……え?」


 ソファーの上でテレビを見ていた美華の視線が、こちらを突き刺す。向けられた視線は俺を通過し、後ろの人に注がれる。


 思った通り、美華にとって愛華は脅威らしい。人生思い通りにいかないよね、美華ちゃん。



 ゆらりと人影が動く。愛華は妹の目の前に瞬間移動して見せた。人間であることをやめた動き方をした。「ひっ」と、美華は小さく悲鳴をあげる。思わず俺も悲鳴を上げてしまった。


「へっへへへ! カモがネギ咥えて待ってるなんて、お姉ちゃん嬉しい!!」

「あ、あのねお姉ちゃん、私カモじゃないしネギなんて咥えてないし、おいしくないからそういうのやめようよ、ね?」


「愛華、そういうのをやめろって話しただろ」

「すいません、回りくどくて伝わってません」

「今伝わっただろ……もういいわ……」

「た、助けてお兄ちゃん」

「残念ながら、俺はお兄ちゃんじゃない。……人生思い通りにいかないもんだな……」


 ガタガタと震え上がる美華。

 そんな彼女を見て、ノリノリで舌なめずりをする愛華。爆発寸前の二人を見届ける。


 とりあえず、コーヒーでも飲もう。飲まなきゃやっていられない。ガタガタと物音のする居間を離れ、台所に行く。もうそろそろお昼時だな。


「愛華、そろそろお昼の時間だ。腹ペロはやめろ」

「仕方ないですね。……命拾いしましたね。次は容赦しませんよ」

「やめてよぉ……グスッ……やっぱりこんなのおかしいよぉ……歪んでるよう……」


 愛華の態度も台詞も何もかもが悪役にしか見えない。美華が可哀想で仕方ない。

 だが、これも美華ちゃんの将来のためだ。適度な距離感を掴んでから、じわじわと愛華を追い詰めなければ意味がない。愛華が美華ちゃんに拒絶されて初めて意味が生まれる。その時に美華ちゃんを擁護して愛華を突き放せばいい。そうすれば愛華は反省するだろうし美華は姉離れできる。


「美華ちゃんもご飯食べていきなよ」

「……グスッ……いただきます……」

「じゃ、美華の好きなもの作ってあげよーっと。ンフフフフッ」


 愛華は鼻歌交じりに台所へと消えていく。有頂天な彼女とは対照的に、美華はソファーの上でぐったりとして、荒い息遣いをしている。


「……大丈夫か?」


「はい、なんとか……でも、もう少し早くやめさせて欲しかったです」

「こんなことになるなら、無理して姉に会いに来なくてもよかったんじゃないか」

「いや、だって、お姉ちゃんが初めて家に呼んでくれたんですよ。それだけで嬉しいです。それに、お姉ちゃんに会うためだけに来たわけじゃないですし」



 ……えっと……つまり、何をしに来たんだろう。


 愛華以外に用があるなら、俺に用があるということか? それとも、姉に会うだけが目的ではないということか? ……なんにせよ、よく分からないな。


「あれ、蓮さん、お姉ちゃんから何も聞いてないんですか?」

「美華ちゃんが来るってこと以外、なにも」


 美華は小さくため息をつくと、ぼそぼそと何かを呟いている。

 素知らぬ顔をしてコーヒーを啜っていると、目の前に美華が来た。その表情は、何かを覚悟したものらしい。


「あの、蓮さん。お願いといいますか、ちょっとお話が」

「えっ……なんだよそれ」

「では……」


 彼女はそう言ってから少し間をおいて、それから思いっきり頭を下げてきた。


「私を、この家においてください!」



 なにやら、もうひと波乱あるらしい。

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