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25.天使とは、舞い降りるもの

「あのー……ホットミルク作ってきたけど……飲めそう?」


 白いワンピースを着た少女は、ピクリと肩を震わせる。

 こちらを見上げるその表情は疲弊しきっていて、同情を誘う。

 あまりの不憫さに、ため息が出てくる。


「すいません。わざわざ作らせてしまって。ありがとうございます」と、少女は申し訳なさそうに言う。


「いいよ。……隣、座るから」

「はい」


 ソファーに座り、マグカップを手渡す。

 少女はぺこりと小さくお辞儀をし、両手でマグカップを包みこむ。ゆっくりと口元に運び、ちびりと口に含む。控えめに喉を鳴らしたあと、小さく息をつく。


 足を組み、太腿ふとももの上で頬杖をついて彼女の様子をうかがう。なんて声をかければいいのだろうか。おたがい視線も合わせずに言葉を探している。


 数分前、彼女は玄関で実の姉に襲撃された。

 142日ぶりの再会。俺の知っている『再会』というものはもっと感動的で心温まるものだと思っていたけれど、そういう情緒的なふれあいではなくて、肉と肉が擦れ合う生々しいふれあいだった。

 悲鳴をあげ涙をこぼし許しを請い助けを求め、命からがら難を逃れ、現在に至るのだ。


 そんな彼女にかける言葉は普段よりも気を遣わなくてはいけない。ただでさえ会話下手なのに、なにを話せばいいのか余計に分からない。


 だいたい、愛華の妹だからこうして部屋にあげたのに、愛華がこの場に居ないのはおかしいよな。


 愛華は今、風呂場に閉じ込められている。

 閉じ込めたのは俺だ。


 最初は、悪ふざけだと思っていた。悲鳴がうるさいなとかなるほどああやってまさぐるのかとか思いながら見ていたけれど、違和感を感じて二人を引き離した。

 愛華は大真面目に妹を襲っていた。こちらの言葉に耳を傾ける様子もなく、荒い息遣いと血走った目で、ただただ妹の腹部を吸ったり舐めたりしていた。思い出すだけでも戦慄する。

 だから、風呂場に閉じ込めてしまった。両手をガムテープでぐるぐる巻きにして縛っておくより他に手の施しようがなかったのだ。


 状況を整理すると、居間には俺と愛華の妹。風呂場で愛華は反省中。こんな感じだ。時間が経てばいつもの愛華に戻ってくれる。確証はないけれど、今はそう願うしかない。


 今の俺にできることは愛華が正気に戻ることを願うことと、愛華の妹と和やかに面談することだ。面談という言い方もおかしなものだが、この言葉が一番しっくりくる。


 無言のまま愛華の妹を見つめる。

 愛華の妹だから雰囲気や顔のパーツが似ているといえば似ているが、髪の色や瞳の色は別物だ。



 小さな顔と、胸元まで届く長い金髪。赤色を帯びた金髪は緩やかにウェーブし、幼さの残る横顔を彩る。

 ふわりと立ち上るシャンプーの香り。

 透き通る白い肌。パッチリとした二重の目蓋。紺色の鮮やかな瞳。


 愛華の妹だけあって、容姿はいい。というかむしろ、愛華よりも可愛い。天使という言葉がぴったりだ。

 全体的に幼さが残るところと、彼女に比べて目尻がほんの少し丸くて優しげに見えるところが、見た人の評価を左右するだろう。俺は愛華の細くて長い目尻を推す。



「確認だけど、愛華の妹でいいんだよね」

「あ、はい。美華っていいます」

「美華さんね。俺は立花蓮っていいます。わけあって、愛華の雇い主ってことになってます」

「立花さんですね。姉がお世話になっております」



 そう言って、彼女はぺこりとお辞儀をする。こちらもそれにならって「こちらこそ世話になってます」とお辞儀し合う。


 身体を直すと、ふと視線が合う。お互いに愛想笑いをしながら、沈黙する。


 彼女にはいくつか聞いておきたいことがある。このまま黙っていても仕方ない。話を切り出そう。



「美華さんたちの家族って、今、どうしているの?」


「家族……ですか。生きているのは、お姉ちゃんだけです。両親は幼い頃に亡くしましたので、おばあちゃんに育てられました」


「……おばあさんは外国の人だっけ」


「ええ、おばあちゃんは外国の人です。私と同じで青い目をしていました。でも、そのおばあちゃんも私が小学五年生の時に……」


「あ、その、ごめん……」


 愛華の時といい、今回といい、地雷を踏みまくってしまう。

 愛華と初めて会った時、あいつは自分のことを苦労人と言っていた。冗談だとばかり思っていたが、予想以上に苦労してきたんだろうな。


「ほんとごめん、変なこと聞いちゃった」

「いえ、いいんです」

「……でもまあ、愛華があの歳で働いていたっていうのも、少し納得だな……」


 ぽつりと呟く。

 学校にも行かずに、どうしてメイドなんてしていたのだろう。そこのところを疑問に思っていたけれど、この子のために頑張っていたんだな。


 こちらの反応を見て、何かを感じ取ったらしく、優しげな笑顔を返してくる。


「いいお姉ちゃんだな、愛華」

「そうですよ。私の自慢のお姉ちゃんです。お姉ちゃんのためなら、何でもしてあげたいです」


 ……さっきあれだけ襲われておいて、よくそんなこと言えるな。もしも俺が同じ立場で襲われる側なら、絶対に縁を切るだろうけど。


「でもまあ、あんなお姉ちゃんで大変だよな。あれはさすがに変態だし……」


 ぽつりと言った一言に、美華は表情を尖らせる。俺とこの子の間には、姉に対する温度差があるらしい。


「……あんな、とは聞き捨てなりません。私の大事なお姉ちゃんなので、怒りますよ」


「ああ、そういう意味じゃないんだ。愛華が嫌いなわけじゃない。俺が言いたいのは、さっきあれだけ襲われてたのに、それでも庇うなんて、優しいなってことだよ」


「え? 襲われてたわけじゃないですよ。姉妹だから当然のことですって」



 ……いや、いやいや、当然のことではないだろう。さっきのは誰が見ても異常そのものだ。


「普通はあんなことしないよ。いくら仲良くても、お腹に吸い付いたり舐め回したりは……」


 そこまで言うと、美華はキョトンとした表情を見せる。


「そうなんですか? お姉ちゃんに『姉妹だからこれくらい当たり前のことよ』って言われて、そうなんだと思って我慢してましたけど……」


 耳を疑うような、驚くべきことをさも当然のように言っている。


 冗談というわけではないらしい。本当に当然のことだと思っているらしい。

 自然発生的に、そんなことで納得するわけがない。つまり、身の毛のよだつような、狡猾な情報操作が行われているということだ。



 姉妹の闇を垣間見た気がする。

 ここは真実を告げるべきなのか……いや、こんな天使みたいな子をこれ以上どん底へ突き落とすようなことは出来ない。


 親はいないし、育ての親も小学生の頃には亡くしてるし、唯一の肉親は歪んでるしで、こんな人生ハードすぎる。


 だが、真実を知らずに、これからも襲われ続け、それを当然と割り切ってしまう……そんな悲しみの連鎖は断ち切るべきだ。それが出来るのは俺しかいないのかもしれない。



 目の前には、真実を知らずとも、人生がハードなものでも、それでもめげずに強く生きる少女の姿がある。

 他人からはどうあれ、唯一の肉親なのだ。

 彼女の信じる姉の偶像を、壊すわけにはいかない。


 たとえそれが、悲しい嘘だとしても。



「ま、まぁ、本当に仲のいい一部の姉妹なら、あんな感じなのかもな。あはは」

「そうなんですね。よかった。お姉ちゃんおかしいのかなって少し疑っちゃいました」



 ごめん……ごめんよ……頼むからそんな笑顔を向けないでおくれ……。



「……話は変わるけど、美華ちゃんって今何歳なの」

「姉の二つ下です。蓮さんはおいくつですか?」

「俺? 愛華の一つ下。美華ちゃんの一つ上だね」

「そうなんですね。見た目通り、お兄ちゃんですね」



「見た目……といえばさ。普通に話してるけど、こわくない? こんな見た目の男と話しててさ」


「え? 全然こわくないですよ? さっきは助けてくれましたし、ホットミルクだって作ってくれましたし。髪の毛だって、それ、地毛ですよね。私の青い目と同じようなものですよ。立花さんこそ、外人さんみたいな女の子と話してて、緊張しちゃいますよね。ごめんなさい」


「いや、そんな、全然緊張してないよ。ありがとう」



 ああ、もう。この俺に対して、感想がそれだけかよ。しかも、しっかりと気が遣えている。

 人間が出来すぎている。なんていい子なんだ。それに比べて、その姉ときたら……。



「話は戻るけど、愛華は働いているわけだし、おばあさんが亡くなってからは一人で暮らしているの?」


「そうですよ。一緒に住もうって何回も言ってるんですけど、お姉ちゃんは『住み込みの仕事じゃないと、お金が貯まらないから』って言うばっかりでたまにしか家に帰って来ないんです。お金だって、おばあちゃんの遺してくれたお金があるし、二人で高校卒業出来るくらいには残ってるのに……」


「そうなんだね。美華ちゃんは、働いたりしないの?」



 こちらの言葉に、美華の表情は曇る。


「あー、えっと、その、私はお姉ちゃんと違って要領よくないから……お姉ちゃんは最低でも高校は卒業しなさいって言ってくれてるし、それに甘えてるところです」


「そっか……それでいいと思うよ。無理はするべきじゃない。今後のためにも、まずは高校を出て、専門性の高い道に進んだ方が安心できると思う」


「それはわかってます。でも、お姉ちゃんは高校に行かずにお仕事頑張ってます。そう考えると、私ばっかり楽をしてるみたいで申し訳なくなるんです」

「その気持ちは分からなくもない。でも、家族ってそういうものだよ」

「そういうものですかね。私も要領良くなって、いつかお姉ちゃんを助けてあげたいです」


「今はその気持ちだけで十分なんじゃないかな。応援してるね」


「……早く一人前になりたいですね」



 姉は働いているが、妹は働いていない。俺が姉の立場なら、妹には他の人と同じように大学に行ったり、友達と遊んだりして楽しく生きて欲しいし、無理もさせたくない。妹の立場なら、姉に対して負い目を感じるし、早く一人前になりたいとも思う。


 難しい問題を抱えているんだな、この姉妹は。……俺にできることはなんだろうな。




 そういえば。愛華を隔離してから三十分位経つかな。一旦、様子を見に行こう。


「ちょっと、愛華の様子見てくるよ」

「あ、わかりました。あの、お手柔らかにお願いしますね」

「大丈夫、手荒なことはしないよ」

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