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22.おいしいご飯を作りましょう

 目覚まし時計が鳴り響く。

 聞き覚えのない音。

 枕の下から聞こえてくる。


 今日は土曜日。目覚ましをかけて早起きをするような予定はない。学校は休みだ。


 ……なんで、目覚ましが……うるさいなぁ……ああ、もう……。


 我慢の限界が訪れる少し前。

 鳴り始めてから十五秒ほどでアラームは止まった。

 鳴り響いている間は目を開ける気にならないのに、不思議なもので、止まった途端に周囲の様子が気になってしまう。


 薄眼を開けると、すぐ目の前に人の輪郭があった。寝ぼけてるのかと思って腕を伸ばすと、確かにそこにいた。

 柔らかい髪の毛の感触。サラサラしていて、気持ちがいい。

 ふわりと香る優しい甘い匂いに、くらりと来てしまう。


「あらあら、まぁ」


 聞き覚えのある声が耳を貫く。

 伸ばした手が硬直する。

 頭が冴えてくる。

 血の気も引いていく。


 手を引っ込めようとしたが、その間も無く彼女に掴まれてしまった。

 黙って微笑みながら、こちらを見つめている。

 そして、当たり前のように布団の中に入っている。


 ……こいつ、朝チュンを迎えた女の顔をしている。

 どことなく誇らしげで、自信に満ちていて、そして深い慈愛の心を感じる。


 現在の状況を理解して、顔の周りがぽんぽんと熱くなってくる。恥ずかしさに火照る。


 一体、なんだというのだ。わざわざ手まで握ってきて、多感な時期真っ只中の男子をからかって、何が楽しいんだ。

 理由なんて考えている暇はない。こちらのペースを乱されないうちに、迷惑している事をはっきり言ってやろう。


「なんでここに……。一昨日一緒に寝たので最後だって、言ってなかったっけ」

「おはようございます。今日もいい朝ですね」

「あ、ああ。おはようございます……って違う! お前の部屋は隣だろ! なんでここに居るんだよ! 落ち着かなくて迷惑なんだよ!」


「……添い寝、一回千円になりますけど、本当に迷惑ですか?」


「あ、千円かぁ……。お金払ってくれるなら別にいいぞ。これからも毎日一緒に寝ような?」


 我ながらこれはひどい。凄まじい手のひら返し。でも、これからの生活を支えるのは金だ。仕方ない。

 お金さえ払ってくれるなら、同じ布団で寝るくらいなら全然構わない。手を握られても全然大丈夫。全然迷惑じゃない。


「いいんですね。じゃあ、そういうことで。やったー、添い寝〜」

「……そんなに嬉しいもんかねぇ……」

「全く嬉しくないですよ」

「なんだよそれ……」


 二人で布団に入ったまま、時間だけが過ぎていく。

 眠気はどこかへ行ってしまった。眠くもないのに布団に入ってぬくぬくと惰眠をむさぼっているのだ。

 こうして寝ていることが、この上ない幸せだ。

 平穏な日常というやつなのだろう。毎日こうして居られたらいいのに。


 毎日二度寝が出来ない理由でもある、学校のことが思い浮かぶ。面倒事が控えている事を思い出す。

 来週の土曜日は花壇の手入れで朝から学校に行かなければならない。そんなことよりも、他の生徒との仲をとりもつだとかで、先生の言った『どうにかする』という言葉がどうにも引っかかる。

 引っかかるが、考えても仕方がない。とりあえず、暖かい布団に包まれているこの瞬間が楽しければそれでいい。



「……愛華は添い寝してて楽しいのか?」

「楽しいとかではなくて、なんていうか、充電みたいなものですね」

「ふーん……よく分からんけど」


「ああ、分からなくていいですよ。蓮さんって、どことなく私の妹に似てるんですよね」

「……は?」


 予想外の返答に、思わず声が裏返る。

 妹……間違いなく、そう言った。

 妹がいた事にも驚きだが、俺に似た妹って、本当に不憫で仕方がない。妹が可哀想だ。


 こちらの反応を見て何かを感じとったらしく、彼女は「あー……」と呟く。


「もちろん、雰囲気だけですよ? 見た目も性格も蓮さんに似てたんじゃ、あまりにも不憫で可哀想ですからね。見た目は、本当に可愛いんですよ? そのうえ思いやりのあるいい子でほんともう天使みたいな子で……蓮さんとは大違いで……」


「さりげなく侮辱するのやめような、傷付くから」


「たまに部屋に忍び込んでこうやって添い寝なんてしてますとね、さっきまで天使みたいな顔して寝てたのに、起きたら般若みたいに怒ってくるんですよ」


「あたりまえだよね」


「あー、二度美味しいってこういうことを言うんだなぁ……なんて思いながら、妹を見て微笑むんです。その時が一番幸せなの」


 二度美味しい。なんて力強い言葉だろう。この女は本当に頭がおかしい。


「こんな異常な姉を持って、本当に不憫だな。で、その妹は今どこで何をしているんだ? 一緒に暮らさないの?」



 住む場所こそないが、愛華は二千万円持っている。

 住むところだって、普通は親戚とか家族とかの世話になるべきだ。

 そうなれば困るのは俺の方だけど、それは今は置いておこう。


「ああ、そのことでしたら……」


 そう言って、愛華は枕の下を探る。「これこれ」と目当てのものを探し当て、引き寄せる。

 手には携帯電話が握られている。何回か画面を操作した後、一通のメールを見せつけられる。



「なんと今日、ここにきまーす!」


「は?」


 彼女が差し出した画面には、それっぽい文章が書いてあった。


「おい、冗談だろ」

「冗談ではありませんよ。あと二時間もすれば、私の可愛い可愛い妹が遠路はるばる私に会いに来てくれるのです。142日ぶりに会える…………あ〜、待ちきれない。来たらまずチュッチュしよう」


 我慢出来なかったらしく、愛華は自分の腕に口づけをする。吸啜音がやたらと耳に残る。


「そうだ! こうしちゃいられない!」


 愛華はガバリと布団を剥いで身体を起こすと、跳ね上げた布団をグシャグシャにしたままドタドタと階段を降りていった。


 なんだったんだ、あいつ。……布団くらい戻していけよな。

 ……そういえば、一昨日の事だったか。朝昼晩十回はチュッチュしてるって言っていたっけ。あれ、妹がサンドバッグだったんだな。


 なにはともあれ、二時間もすれば愛華の妹が来るらしい。相談がなかったこととか俺のことをどう説明するのかとか、色々言いたいけれど、ひとまずは姉妹の再会を祝ってやろう。


 こんなに落ち着いていられるのも、ある意味愛華のおかげだ。

 人生なるようになるってことを最近身をもって学んでいる。親はいなくても飯は食えるし、金はなくても養ってもらえる。エロ本は捨てられたけど、エロ本なしでも生きていける。


 だから、とりあえず、二度寝でもしようじゃないか。土曜日だもん。



 次に目を覚ましたのは、わずか五分後だった。

 気持ちよく寝ていたところを何者かに馬乗りされた。腹部が圧迫されていろいろ潰される。


 真上からの体圧に耐えるため、身体を横にひねり、枕にしがみついて丸くなる。心なしか楽になった。むしろちょうどいい圧迫具合だ。


「蓮さん、起きてください。朝ごはん作ってください。お腹空きました」

「は? お前、メイドだろ。自分で作れよ」

「おっと、忘れたとは言わせませんよ。昨日言いましたよね。今日から料理教えるって」


 あー……確かに言ってたっけ。

 冷静に考えよう。この俺に料理なんてできるわけがない。今まで包丁を持ったことがない人間だ。危険すぎる。



「やめておいたほうがいい。料理なんて出来ない」

「だから、出来ないのを出来るように、私がいるんですよ」

「お前がいくら優秀でも、俺の家事スキルを鍛えるなんて夢のまた夢さ」


「寝言は寝てから言うものです。もう充分寝たでしょ。ほら、起きて起きて」


 がばりと、全ての布団を剥がされる。寝坊助な子供を起こすやつだ。オカンかお前。……仕方ない、起きよう。


「ったく、もう。……どうなっても知らないからな」

「大丈夫ですよ。とりあえず、服着替えて顔を洗ってきてくださいね」


「…………あー……はいはい……」


 愛華は「三度寝したら許しませんからね」と語気を強めて言い放った後、部屋を去った。どちらが主人か分かったもんじゃない。


 身支度を済ませ、廊下に据え付けられた引き戸を開ける。長い一日が始まる。そんな気がした。


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