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21.明日のご飯は今日の頑張り

 

 夕食を終え、テレビ番組を見ながらグウタラする。これまでの日々と同じパターン。テレビの中のひな壇芸人は今日も過剰なリアクションをしている。


 しかしながら、今日は通常と異なる点がある。


 まず、枕の存在である。

 その希少性がゆえに都市伝説との呼び声も名高い、癒しの殿堂『ひざまくら』だ。そして『耳かき』。

 膝枕で耳掃除。伝説に伝説が重なり、もはや神話の領域に達している。そんな神話上の出来事に、今日、遭遇してしまったのだ。



 テレビからは観客の笑い声がこだまする。そんなものには目もくれず、ただただ耳穴を注視する。静かな時間が二人を取り巻く。


「もう少し、奥です。あっ、そこそこ! ヤッ、ちがうッ、いたっ……蓮さん、もう少し優しく……血が出ますから……優しく……いてっ」


 俺が、膝枕のオプション付きで耳掃除をしているのだ。なんか違うよね。ふつうは逆だよね。

 耳かきを始めてから三分ほど経過した。大きめの耳カスを取ろうとほんの少しだけ力を入れた際に、なんだかんだで皮膚が損傷して血が出た、という事にしている。実際には出ていない。


「血なんだけどさー、もう出てるよ」

「はい? ちょっ、痛い! 痛ッ! おい! ヘッタクソ! 痛えっつの! 一旦やめろッ!!」


 膝枕された状態のまま、バンバンと床を平手打ちする愛華。口調といい行動といい、性格の破綻に拍車がかかっている。やれやれだ。


「耳に耳かき刺したままキレるなよ。せっかく取れかかってた耳カス、奥に消えてったんだけど」

「痛いって言ってるでしょうが! 痛いって言ってんのにわざわざ痛いところゴリゴリゴリゴリこする人が、どこにいるんですか!」

「取れそうだったから」

「耳カス取れる前に、皮膚がゴッソリ取られてます! 綺麗にするために掃除してるのに家壊してるようなもんですよ! ったく、耳いてぇ……あーもう、絶対かさぶたになるコレ」


 ……なんだかなぁ……申し訳ないって気持ちもあるんだけど、他人に耳掃除させるってこと自体がリスクを伴っているってことを踏まえて発言してほしい。

 なんでこんなに怒られなきゃいけないんだろう。理不尽だ。やれやれ……。ふざけ半分で嘘をついていたけど、こんなに怒られるなら嘘をつき続ける旨味がまるでない。こんな嘘やめてしまおう。


「ごめん、血が出たなんて嘘だよ。他の人に耳かきやったことなくてさ。難しいねこれ」


 身悶えしていた愛華だったが、嘘だと分かったとたんに落ち着きを取り戻す。思いこみは人の感覚を狂わせるようだ。


「ああ、嘘でよかった……。でも、力加減はヘタクソすぎですからね。あなたの耳は石で出来てるんですかっての……」


「それ人間やめてるよね」

「モノの例えでしょうが! お黙りなさい!」


 こいつ、人に当たることしかしないな。少しは自力で頑張ればいいのに。


「自分で耳掃除も出来ないくせに、他人をとやかく言うって滑稽すぎないかな」


 彼女は目を瞑り、無言のまま舌打ちをする。

 テレビの音声がやけに耳に障る。彼女の不機嫌を解消するには、上手に耳掃除をするしかないらしい。


「力加減はこれくらい?」

「そうですね」

「かゆいところは?」

「もう少し奥……そこです。ああ〜、あ〜〜」


 ……この女、おっさんみたいな声を出しやがる。年頃の女子が恥じらいながらも快楽に身を委ねる的なニュアンスの声を出せないもんかね。


「おっ、でかいの取れたぞ」

「何ミリくらいですか」

「は? えっと、6ミリくらい……かな」

「ああ、じゃあ歴代には遠く及びませんなあ」

「あっそう」

「一番大きいので13ミリありました。ふふ、あれより大きい耳カスを作るのはこの先不可能でしょう」

「……いや、聞いちゃいねえよ。次、反対側な」


「ん。よっこらしょ、と」


 ゴロンッ……。


 身体を少しだけ浮かし、こちらを向く。彼女の取った行動はそれだけだった。


 いろいろおかしい。おかしい。おかしいよ。何が問題かって、僕の股間と愛華の顔が、ほんの数センチしか離れてないってことだ。やっぱりおかしいよ。


「そうじゃなくてさ、こっちじゃなくてテレビのほうを向けよ。身体あっちに伸ばしてさ」

「いやです、動くのめんどくさいです」


 こちらをちらりと見て、眉間にシワを寄せる。そのまま目を瞑り、耳掃除を待つ。

 この野郎、ちょっと可愛いからって調子に乗りやがって……くそ、黙ってれば可愛いじゃねぇか。……どう考えても役得じゃねぇかよ……クソッ……。


 耳介じかいと呼ばれる耳の外側部分全体を、耳かきの腹で優しく撫でる。

 耳たぶの近くを撫でると、ピクピクと肩が震えている。この女、けっこう敏感らしい。


 人差し指と中指で耳介を挟み、親指で穴を広げる。

 可愛らしい耳に、これまた可愛らしい小さな穴だ。

 ストローで耳の中の空気を吸い込んだらどんな反応をするのだろうか。……我ながらひどい妄想だ。


「あんまり動くなよ。刺さるぞ」

「わ、分かってますよ」


 愛華の肩に力がはいる。

 やりにくくはないが、リラックスして貰わないと満足感が半減してしまう。この耳掃除は彼女を満足させるために、彼女の機嫌をとるためにやっていることなのだ。


 この耳掃除には目的がある。明日のゴハンにありつけるかどうかが懸かっているのだ。


 愛華は二千万を手にしている。

 俺には使えないお金ならある。しかし、使うのはダメらしい。俺の今持っている手持ちでは、親が帰ってくるまでの三週間すら、食いつなげない。


 つまり、衣食住の全てにかかる費用を愛華に頼らなければならないのだ。

 もちろん、頼りっきりというわけではない。一応、住む所を提供している。

 部屋を貸していると言っても、そんなもの、二千万の前には無力だ。ここでなくても、彼女は暮らしていける力を持っている。アパートを借りてしまえばそれまでなのだ。


 彼女の機嫌を損ねないように、この三週間を生き抜くしかない。そのためなら、どんな汚いこともやってやろうじゃないか。


「きったねぇ……」

「え、そんなにひどいですか?」


 愛華の耳の中は綺麗だった。それでも、嘘をつく。

 自分の耳の中がどんな状態かなんて、本人には分からない。


 『掃除をしたから綺麗になった』という事実を知らしめるために、事実無根を謳うのだ。彼女の言動を鑑みるに、自分でも多少は汚いと思っている様子だ。乗るしかない、この大波に。


 手始めに耳の側面を軽く撫でる。

 綺麗に見えた表面は、ガサリと音を立てて崩れた。


 小手調べとばかりに、6ミリ程度のカスが耳かきに乗っている。6ミリって相当大きいぞ。それなのに、こんなにあっさり出てきていいのだろうか。否、6ミリとはいえ、こやつは小物なのだ。


「は? ちょっと待って」

「えっ、今なんかガサッて音が聞こえたんですけど」


「ちょっと待て。確認させろ」

「ひゃっ……」


 もう一度、今度は別の所を擦る。

 先程と同じように、ヒビが走り、割れた。


 どうりで耳の穴が小さく見えたわけだ。ストローで耳の中の空気を吸っていたなら、この6ミリの小物が口の中に入ってきていただろう……いろいろと気持ち悪い……。


「……ちょっと、蓮さん、なんかおかしいですよね」

「ああ。耳カスが全面的に薄く張り巡らされてるらしいぞ」


「そんなことになっていましたか……ちょっとだけ、耳掃除してこなかった事を後悔してます」


「もっと後悔していいぞ。鼓膜みたいなのが手前の方に見えるけど、アレも耳カスが薄く詰まって鼓膜っぽく見えるだけらしいぞ」


「いやはや……申し訳ありません。なんか聞こえるまでは蓮さん嘘ついてると思ってました」


「俺も嘘ついてるつもりだったけど、本当になっちゃったな……どうする? 取るか? 多分痛いぞ」


「どうしましょうね。やれるだけやってみますか」

「わかった。頑張ってみるよ」



 耳かきを持つ手に、ぐっと力が入る。

 まずは奥に詰まった耳カスを退治しよう。


 耳とカスの隙間に、耳かきを差し込む。焦らずじっくり引っ掛けてから、じわりじわりと手前に剥がしていく。


 愛華は黙って、時折声を漏らす。たまにぶるぶると肩を震わせている。痛いらしい。


「おい、痛くないか?」

「痛いですけど、我慢できます。そのまま動かして大丈夫です」

「わかった。……ゆっくり動かすぞ」


 ゆっくり動かそうとしたその時、耳かきが塊を離してしまう。小気味のいい感触とともに、塊の一部が耳かきと一緒に外に顔を出した。


「痛ッ……やッ……もう少しゆっくりぃ……」


 …………うむ、……言葉の余韻がなんともいえない……嫌がる声なのに、ずっと聞いていたいような魔力がある。


「ごめん、痛いよな。でももう少しでいけそうなんだ」

「じゃあ、せめてもう少し優しく……。あー、その調子です。痒いところにあたって、気持ちいいです……あッ」



 ……あっ、あっ、喘ぎ声だ! 喘ぎ声だこれ! ちょっと、ヤダー、もーぅ!


 瞬間! 頭の中のすけべ大魔神が勝鬨かちどきを上げる!


『今のは間違いない! そういう流れは我らにあり! いくぞ! 血流を巡らせろおおおお!!!』

『がんばれ! がんばれ!』

『負けるな! 理性に負けるな! ふんばれーーー!』



 ……って、待て! ふざけるな! 最悪のタイミングだぞ! 愛華の頭がすぐ近くにあるのに血流を良くしたら! ……ま、負けるな理性! すこしでも反応したら愛華にバレる! それは良くない! 良くないぞ!


 愛華の息遣いがすぐ近くに感じられる。まず、この事実をなんとかしてリセットしなきゃいけない。適当に言い訳して、耳かきを中断しよう。


「ほんとごめん、ちょっと待って! なんかエロい声出たよね! そういうのよくないよ! お互い落ち着こう!」


「えっちな声なんて出てませんから! そういうの見過ぎなんですよ! 私は痛い事はさっさと終わらせたい派なんです! ほら、続き続き!」


「出てたよ! 誰がなんと言おうと出てました!」

「そんなわけないです! さ、ほら、早くお願いします」


「ぐぬぬ……分かったよ……」


 言い負かされた。しかし、勝負には勝った。理性がすけべ大魔神を倒したのだ。時間を稼いだ甲斐があった。



「……そう、もう少し奥……んっ、んん……」

「……お前ほんと、それより高いレベルの変な声出したら無理矢理ゴリゴリするからな」


「わかってますよ……やッ、ん! ンフッ! あッ! ぬひゃっ、ちょっと待って蓮さん待って待って待って今のは事故です敏感なんです! 耳の穴が! 敏感なんです! 何卒ご容赦をおおぉぉ……」

「……こっちは真面目にやってるんだ。しっかりしてくれよ」

「はい、失礼いたしました。切り替えます。よし、切り替えー……」


 耳の中に耳かきを差し込む。少し動かすとビクビク身体を震わせる。必死に声を我慢しているが、吐息が漏れている。さっきより間違いなく、いやらしい。


 慎重に、それでいて大胆に、塊を掻き出す。あともう少しだ。もう少し……。


『…………ボロンッ……』


 愛華の鼓膜が取れた。

 出血なし、目立った損傷なし……愛華は悶えているが、本物の鼓膜は無事らしい。


「終わった……。ふぅ……」

「……あー、あー……なんだか、聞こえが良くなった気がします」

「そりゃそうだろ。この塊、広げてみるとだいぶ大きいぞ。13ミリとまではいかないけど、歴代に入れてもいいんじゃないか」

「んー。まだまだ未熟ですね」

「あっ、そう」


 とりあえず、終わった。これで明日のご飯は大丈夫だろう。


「今回の耳かきはいくら位になるんだ?」

「そうですね。三千円くらいが妥当だと思いますよ」

「おお……!」

「でも、プロは痛くしないはずなので、マイナス千五百円です。よって明日のゴハンは千五百円以内になります。もちろん、お弁当分も込みです」

「なんだそれ。それはちょっと少ないんじゃないか?」


「んー。じゃあ、とりあえず肩でも揉んでもらいますかね。あと腰と足と、マッサージ」

「それはいくらになるの?」

「相場ですと、二千円くらいですね」

「悪くないな」

「ではまず、こちらの動画をご覧ください。手順になります」

「ふむふむ……末梢から中枢へ向かって、血流やリンパの流れを意識して……力加減は……なるほど……」



 …………あの書置きを読んでから丸一日が経った。親とは連絡がつかないままだ。本当に宇宙旅行に行ってしまったらしい。親が帰ってくるまであと三週間もある。その間を生きるために、お金をなんとかしなきゃいけない。


 つまり、こき使われる毎日が待っている。

 悪いことばかりではない。いい匂いするし可愛いところもあるからモチベーションは一応続きそうだ。


「蓮さん、明日からは料理教えますからね」

「アッ、ハイ」


 拒否権という概念はそもそもないらしい。明日から、どうなることやら。

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