表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/63

2.平凡な朝には綻びがある 2

 オレンジ色の鉄柱が目にとまる。凸面鏡がつけられている。カーブミラーには茶髪の男とメイド服を着た少女が映る。


 坂の上から見える町並み。建物は多いが田畑もあり緑も豊かだ。都会過ぎず田舎過ぎず、いつもの風景が広がっている。白い建物に視線が流れ、坂を下った先に目的地が見える。


 遠目には、綺麗な白。

 勉学に励み仲間との交流のもと健全な精神を養い、ひいては人間的な豊かさを獲得する場所。成績だけが優秀では、そこはかとない寂しさを感じてしまう場所。きらきら輝く青春の汗だとか甘酸っぱい思い出だとか、そういう希望を抱いていた時期もあった。


「過去形か……」と心の声に現実の言葉を付け足す。

「なにか言いました?」と少女は視線をこちらに向ける。過去の希望に絶望していた顔を明るく一変させ、微笑みを浮かべて彼女に視線を返す。

「いえ、独り言です」

「そうですか。それはそうと、普段の喋り方でいいですよ。無理していませんか?」

 してるに決まっている。顔も声も喋り方も全部変えている。直していいのなら早く直そう。今すぐに。


「してる。堅苦しい喋り方は苦手なんだ」

「そうなんですね。普段と同じでいいですからね」

「たすかる」

「なんだか急に仏頂面になりましたね」

「もとはこういう顔なんだ」


 彼女と視線が交わらないよう、わざと前を向き続ける。

 仏頂面でも仕方ないさ、いつもと違うのだから。どうしたらいいかわからないんだ、俺には。独り言を呟くと返事がかえってくる環境なんて経験したことないからな。


 白黒のシルエットが視界の左端に見え隠れする。ゆるくクセのついた栗色の髪。風を切って進むメイド服。なんの変哲もない町並みをメイドが歩くのだ。

 ふと、思う。不釣り合いだな、と。

 常軌を逸しているのは彼女の方だが、この町並みが平凡すぎる気がしてくる。こちらの視線に気がつくと、彼女はにこりと微笑みを返す。つい、見つめてしまった。


「なんだか目立っちゃいますね。えへへ……」

「まあ。目立ちたくはないんだけどな」

「はあ」と彼女は相槌を返し言葉をつなぐ。

「目立ちたくないんですか?」

「そうだ」と呟いて、続く言葉は沈黙のみとする。

「静かな人ですね」

 一呼吸ほど間をおいて、彼女の声がポツリとする。

「そうでもない。不必要に喋りたくないだけだ」

「独り言は多いですよね」

「ガス抜きくらいしてもいいじゃないか」

「面倒な性格ですね」

「目立ちたくないだけさ」とため息混じりに言う。

「なんだか、元気じゃなさそうですね」

「元気じゃなさそうでも構わないよ。無理して元気を装う必要はないからな」


 無理して元気に振る舞うなんて俺の生き方に反する。「それこそ、目立つじゃないか」と、小さく付け足す。


「なにか言いました?」

「ああ、いや、なんでもない」

「そうですか」

 彼女は不服そうに口を閉じる。泣き止んだだけマシだが彼女も仏頂面だ。


「……ところで一つ、質問なんだが」

 こちらの言葉に、彼女はきょとんとした表情を見せる。

「質問? なんでしょうか?」

「どうして泣いていたんだ」

「ああ……実は、職場から暇をもらってしまいまして……」

 暇、か。忙しいよりは暇なほうがいいことだと思っていたが、どうにも違うらしい。

「そ、そうか。まあ、お互い頑張ろう」

「ありがとうございます。がんばります」


 よくわからないから励ましてしまった。

 なんて返事をすればよかったんだろうか。なにかが引っかかる。

 家事全般をこなす代わりに、空いている部屋を貸して欲しいというのだ。


 雇ってほしい。職場から暇をもらった。職場ということは今まで働いていたということだ。このご時世にメイドで、だ。これは普通じゃない。そもそもメイドがこんなところにいること自体普通じゃない。


「あのー……」

 まとわりつくような、間延びした声が耳に届いた。

 少女はこちらの顔を、目を、覗き見ている。あまりにも顔が近い。驚かないほうがおかしいだろ、こんなの。


「アッ、エッ、顔近すぎるんだけど。なんでしょうか?」

「これから学校なんですか?」

「そうだけど。学校行っちゃダメですか?」

「いえ、そんなことはありません!」

「そう。ならいいんだが……」

「それで、学校ってあそこですか?」


 彼女の指差す向こう、三百メートルほど先に校門が見える。俺の通う学校の校門だ。


「そうだけど……どうかした?」

「綺麗な学校でびっくりしたんです。もっとこう、不良の溜まり場みたいな、澱んだ雰囲気の学校に通っているもんだと思っていました」

「……俺の見た目だけで判断して、そういうこと言うんだな」

「ウフフ、失礼しました」

「失礼だよほんと。一応言っておくけど、ここら辺じゃ一番偏差値高い学校なんだ。不良とかいないから」

「ふーん。不良ではない、と」


 こいつ、俺に向けて言っているな。髪の色はあれだけど、染めてるわけではないし、地毛だし……。


「あれ、学校の中に教会があるんですか?」

「あるみたいだな。入ったことないけど。教会の隣の建物が校舎だ」

「へぇ……広いところですね。教会がありますし、大きな木もあるし。クリスマスにはパーティとかしてそうですね。いやー、素敵な高校生活が送れそうでいいですね。私もこういうところに通ってみたいなぁ」

「素敵かなぁ……」


 家から一番近いところを受験したわけだが、人間関係を含めると居心地がいいとは言えない。俺にとっては素敵ではないのだ。

 朝からちょっとした事件があっただけに、学校生活を送る前に疲れてしまった。


 それで、この人はどうするんだろう。どうするもこうするも、赤の他人だ。学校に連れて行く義理はないし、理由もないし、許可もない。

 おまけに、学校が終わるまで八時間もある。ここで待っていろと言える時間でもない。


 彼女の頼みを断るための都合のいい理由がここにある。それを使わない手はない。


 少女を一瞥いちべつする。視線を交える。俺がなにを言わんとしているか、なんとなく察したらしい。話が早くて助かる。


「……案外真面目なんですね」

 彼女は小声でポロリと呟く。嫌味な感じはしない。聞き流すことも考えたが、なんだか抑えられない。


「学生だからな。なんでメイドなのか、これからどうするのか、いろんなことを聞きたいけど、学校が終わるまで待たせるわけにはいかない。貴重な時間を浪費させてしまうからな。他にアテが見つかるなら、それが一番いいだろう。じゃあな、よい休日を」


 彼女の笑顔は固まる。そのまま沈黙する。なにかを我慢しているようにも見える。

 しばらくしてから、今度は満面の笑みを浮かべる。


「ええ、そうですね。楽しみます。では、私はこれで……」

「……ああ」


 なんだか、辛そうな顔をしていたな。

 校門を抜け、校舎へ向かう。メイド服の少女は門の外で立ち止まっている。ここでお別れだ。

 ここで見捨てる形になってしまったけれど、大丈夫。他の人がなんとかしてくれる。


 そう、自分にはどうすることもできないのだ。

 俺にできることと言えば、この学校で問題事を起こさずに、おとなしくしている事ぐらいなのだから。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ