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19.えっちな本が見つかった話

「さてと、時間もありますし、とりあえず株でもやりますかね……えっと、この会社で良いかな……。おっ、宇宙旅行専門の会社ですか。どこかで聞いたような……いいや、とりあえず、買っちゃえーい。くらえー、五十万パーンチッ」



 ある昼下がりのこと。

 二度寝から目が覚めて、とりあえず銀行に行ってお金を確保し、とりあえずパソコンなんか用意しちゃって、とりあえず趣味の株取引をしようかななんて思って、とりあえず行動に移してしまった。


 今日だけで六十万円近くも使ったけれど、この闇雲にお金が散っていく感覚がたまらない。表現しがたい幸福感に包まれる。


 あと三時間もすれば家の人が帰ってくる。それまでに掃除でも済ませておこう。あちこちくすんだ汚れでいっぱいで、潔癖な私には少々居づらい空間だもの。ありえないくらい綺麗にしよう。


 あの人、帰ってきたらどんな反応するかな。喜んでくれると良いけれど。


 さてと、バケツバケツ……と。


 鍵の開く音。ひんやりとした金属の感触。ふわりと香る花の匂い。

 一転、ギラギラと磨かれた床、壁、家具。


「なん……だと……」

 立花家が、立花家の玄関が、くすんだ汚れだらけの立花家の玄関が……!


 立花家の玄関が……綺麗になっている!


 我が家の面影は跡形もなく、同じ形をした別の家だと思えるほどだ。新築同然の輝きを放っている。……それがダメというわけではない。


 ダメではないが、見慣れたシミや経年劣化の妙な味を醸し出していたくすみさえも綺麗さっぱり消えていて、それがどことなく寂しいのだ。


「あら、お帰りなさいませ、ご主人様。お掃除終わりました」


 彼女はメイド服を着て、頭に三角巾を被って、マスクを着けて、手にはゴム手袋をはめていた。目元だけはにっこりと笑っている。


「綺麗になったな」


「はい。蓮さんに喜んで頂きたくて張り切ってしまいました。……お気に召しませんでした……?」


 こちらの反応から何かを悟ったらしく、彼女は目尻をまっすぐに整える。

 せっかく綺麗にしてくれたのだ。落ち込ませるわけにはいかない。


「……いや、いや、いいんだ。綺麗になったんだから」

「もっと綺麗にしたほうがよろしいですか?」

「違う……綺麗なのは良いことだ。でも、見慣れたシミやくすみまで消えているから、少しだけ、驚いただけなんだ」

「綺麗に掃除し過ぎた、という事ですか。申し訳ありません……」


 謝ることじゃないのに。

 これは俺が悪い。一言で働けといっても、どのレベルのサービスを提供するかについては言及していなかった。怒ることなんてできない。


「……謝ることないよ。綺麗にしてくれてありがとう。シミなんて、また付ければいい」

「勿体無いお言葉です。ですが、あまり汚さないようにお気をつけください」

「わかった。……あっ、でも、朝の件は許さないからな」

「申し訳ございません。私も寝ぼけていたもので……ご勘弁を」

「別に怒ってるわけじゃないけど……まあいいや、着替えてくる」


 あまりにも素直に謝られると、調子が狂うな。


 玄関をあとにし、階段を登る。

 階段が、立花家の階段が、……まあいつも通り綺麗なわけだ。階段は掃除してもそんなに変わらない。


 俺の部屋。ここも掃除されている。新築同然とまではいかないが、綺麗になっている。特に変わったところは……変わったところは……。


 変わったところだらけだ。

 机の上、本棚、丸テーブルの上、クローゼットの中、……ベッドの下……。


 綺麗すぎる部屋に一抹の不安を覚える。


 男子高校生の聖域が侵されている可能性がある。ベッドの下の、カーペットの一部を剥がす。床下収納を利用したエロ本シェルターは無事だろうか。


 ベッドの下に潜り込み床下収納の取っ手を真上に引き上げる。

 フローリングと同じ材質の、段ボール箱程度の空間。

 適当に積まれた五、六冊の雑誌。いつもの光景が広がる。



 ……大丈夫、みたいだな……クククッ……そりゃあそうさ、カーペットの下にこんな空間があるなんて微塵にも思わないだろうからな。あー、ビクビクして損したぜ。



 コンコンコン。ホッとしたのも束の間、部屋が三回ノックされる。



「失礼しまーす」

「…………!」


 え、うそ、え、愛華? うそ、愛華?

 は、は、はわわ、あわわわ、あわわわわわわ!


 床下収納の扉を閉じ、ベッドの下から出ようと身体を持ち上げた。しかしそれは叶わない。


 身体を持ち上げた、という馬鹿な行動のおかげで全てが狂ってしまった。

 ベッドの骨組みに頭を打ちつけ、床下収納の扉は俺の左手を挟んだ。どちらも大した痛みではないが、罠にかかったイノシシの気持ちがよく分かった。


 やばい、これは、終わった。


「ドタバタってどうしたんですか? 開けますよー?」


 無慈悲にも部屋の扉は開かれた。ベッドの下で動けないまま、床とベッドの間の30センチの隙間からそれを見ていた。


「今日の晩御飯なんですけ……ど……? 大丈夫ですか? ベッドの下で、なにをしているんですか?」

「いや、これは……」


「……そんなところで一体なにを……」

 愛華の黒ストッキングが部屋の扉から離れ、数秒後、栗色の髪が俺の隣に滑り込む。ふわりといい香りがしたが、それがかえって胃に悪い。


「あらら、左手はさんでますよ? さっきの音はこれだったんですね。こんなところに床下収納なんてあったんですね。あらら、いたそう……」


 愛華は収納扉を引き上げて、俺の左手を優しく撫でながら、優しく微笑んでくれた。よしよしされるたびに不安になる。こんな嫌な経験ははじめてだ。


「この中には一体なにが……」

 収納スペースに覗き首を伸ばす。

「…………」

 中のものを確認し、愛華は沈黙する。

 すぐに逃げ出そうとしたらしく、俺と同じように身体を持ち上げ、俺と同じようにベッドの骨組みに頭を打ちつけた。


 愛華は床に這いつくばりながら、俺から距離をとる。俺はただただ震える。


「……あ、あわわわ……失礼しました。私はこれから一時間半ほど晩御飯の準備で台所から離れませんし、音楽を聴きながらつくりますので、……自由時間にしましょう」

「待ってくれ」


 愛華の腕を掴み寄せる。ピクリと身体を震わせてから、愛華はこちらを向く。すっごい真っ赤な顔だ。


「はなしてください」

「ダメだ」


 ベッドの下で、俺たちは一体なにをしているんだろう。愛華の腕を掴んでしまって、俺は何がしたいんだろう。頭の中がぐるぐるしている。

 なんとかして、この状況をどうにかしなければ……このエロ本をどうにか処分しなければ…………そう、処分すればいいのだ!


「はなしてください」

「いやだ。誤解されたまま行かせてたまるか」


「誤解って、なにが誤解なんですか。えっちな本が見つかって、気まずいだけじゃないですか!」

「……ああ、そうさ、気まずいさ! ……こんな気まずいまま、生活したくない!」

「私だってそうです! けど、私にはどうすることもできません!」


「いいや、できる! やれる!」

「なにを言って……まさか、わたし……」

「そのまさかだ! いまからやるんだ!」

「そんな、はじめてなのにいやですよ!」

「いいや、どうしてもやるんだ……」



「俺はいまから、この本を処分する! 愛華はそれを見とどてくれ!」


「…………へ?」




 六冊の雑誌をビニール紐で縛る。この一年を振り返る。思い出の詰まった本。こんな形でお別れをするなんてな。


「じゃあ、捨ててくる」

「明日は古紙回収の日。ちょうどいいですね」

「ああ。じゃあ、捨ててくる」

「ええ。いってらっしゃいませ」

「うん。捨ててくるからな」

「……暗いので、足元にお気をつけて」

「ありがとう。捨ててくるから」

「……いってらっしゃいませ」

「…………捨ててくる」

「ええ、どうぞ」

「…………ねえ、本当に捨てるの?」

「……男に二言は……」

「ないよ。でも」

「でももくそもない! 女々しい野郎だな早く行けよ!」


 怒鳴る愛華。女々しい態度をしたのは事実だけれど、まさか怒鳴られるとは思わなかった。これはご主人様としての威厳というものを示さなければ。


「おま、野郎って、俺ご主人様だけど」

「いいから早く行きなさい!」

「……はーい……ごめんなさい…………」


 威厳を示さなければいけなかったのにな……愛華こわい。


 ゴミ捨て場に行く。右手にはエロ本。

 途中、何度もエロ本の束を見つめた。

 さようなら、僕の青春たちよ。

 古紙回収用の場所に雑誌を置いて、きびすを返す。



 考えてみれば、あのエロ本たちにはかわいそうなことをしていたものだ。

 狭くて暗い、あんなところに閉じ込められて、たまに陽の光を浴びたと思ったら、汗ばんだ手でページをめくられちゃうんだもん。それでまたあの中に閉じ込められて……本当に、不憫なことをしていたものだ。


 こんなことを繰り返してはならない。もうエロ本なんて読まない。愛華と一緒に住んでいる間は、絶対に。

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