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16.立花蓮の学校生活 3

「先生、来ました」

「おお、立花。ちょっと待っていろ」


 職員室。扉を開けた途端に広がるコーヒーの匂い。


 教師たちは小難しそうな表情を並べて資料やパソコンとにらめっこしている。たまにこちらを見て、すぐに視線をそらしていく。

 普段は来ない生徒が入ってきたものだから、職員室には少しばかりの緊張感が流れている。


 一度目は様子見。二度目は好奇の目。三度目には俺のパジャマをみて、苦虫を噛んだような表情を見せる。


「待たせたな」

 担任が戻る。手には男子生徒用の制服が乗っていた。

「これを履きなさい」


 断る理由はなく、厚意に甘えることにする。

「ありがとうございます」


 差し出された制服を受け取ろうとしたその時、ヒョイと避けられる。手は空気を掴まされる。


「甘いな。タダで貸すわけがないだろう。ちょっと手を貸してくれ」


 ……そんなことだろうと思った。反論しても無駄だろうな。


「何を運べばいいんですか」

「ああ、荷物持ちじゃない。うちの学校、広いだろ。花壇なんかもあるだろ。そろそろお花の植え替えをしようかなと思ってな。ほら、私、園芸部の美人顧問だからさ」


 戦慄が走る。

 自称美人顧問の言う通り、学校は広い。

 花壇も多い。そしてクオリティも高い。園芸部だけでは手に負えないほどの規模になっており、季節の変わり目にはこうして手伝いをかき集める。


 拒否権は……ないんだろうな。そもそもこちらが弱い立場だ。自然とため息がこぼれる。

「……わかりました」

「よくわかってるじゃないか」


 先生はニッと笑う。

 差し出された制服を受け取るために手を伸ばす。


 だが、またヒョイと避けられてしまう。

 まだなにかあるのだろうか。さすがに、これ以上面倒事を抱えるのは嫌だ。


「まだ何かあるんですか?」

「いや、少し話をな」

「……話、ですか」

「立花、クラスで浮いてるんだってな」

「まあ……そうですね。仲良くしようとも思いませんけど」

「だろうな。まあ、私もいろいろ感じるところはある。仲良くなんてしなくていいんだ。ここはひとつ、出来る範囲でいいから合わせてやってくれないか」


 感じるところはある……か。

 進級してから一ヶ月近く過ぎた。先生自身も、クラスでの人間関係やその動向を把握し始めた頃なんだろう。

 問題なのは、先生の独り言なのか、それとも他の生徒からの密告なのかということ。

 どちらにせよ、身の振りを変えるかどうかの選択を迫られているらしい。

 そこまでは理解できている。だが、具体的な方法が伴わない。具体策が分かっていたなら孤立なんてしていない。


「具体的に、どうすればいいんですか」

「そうだな……来週の週末に、花壇の手入れをする。その時になんとかしよう」

「なんとかって……俺が口下手なの知ってますよね」

「ああ。口下手でもなんとかしてみせよう。……そろそろ授業が始まるな。これを履いて、早く行きなさい」


「……ありがとうございました」

「遅刻は取り消しておいてやるからな。たのんだぞー」


 遅刻じゃないのは嬉しいけれど、面倒だな。


 職員室を出る。空気がうまい。とりあえず、教室に戻ろう。

 来週の土曜日。花壇の手入れをする時に他人と話をしなければいけないらしい。はたして、大丈夫だろうか……。



 いや……もう無理、限界だ……。


 二時間目が終わる頃には、限界を迎えていた。

 二時間目は英語の授業だった。適度に騒がしい教室だったが、腹の鳴る音と失笑がよく響いた。

 英語教師のマークが「オゥ、ハングリー? ミートゥー!」とか言って笑いを取りにきたのも腹立たしい。


 恥ずかしくて死にそうだ。腹が減って死にそうだ。

 つまり、生命の危機に瀕していた。

 しかしながら、食べ物をくれそうな人はこのクラスにいない。

 幼馴染みに食べ物をねだりに行くのはプライドに反する。

 適当な奴から金を借りることも出来ない。周りの生徒達にあらぬ疑いをかけられてしまう恐れがあるからだ。


 自分に出来る事と言えば、昼休みになったらひと気のない水飲み場に行き、水道水を飲む事くらいしかない。

 家に帰るという選択肢も無くは無いが、急いでも片道十五分はかかるのに、休み時間が四十分しかない。

 走って家に帰ってご飯食べて自分の制服に着替えてまた走る。不可能ではないにせよ、それをしたら午後には疲れて寝てしまう。俺は勉強をしに学校に来ているのに、本末転倒だ。



 ……考えるのはやめよう。


 今できることは、頭を働かせて下手にカロリーを消費することじゃない。

 今は机に突っ伏し、ただ時が過ぎるのを待つだけだ。心を無にするのだ。



 まぶたを閉じようとしたその時、不意に目の前を菓子パンがよぎった。

 反射的に掴みとる。

 食欲のおもむくままに袋を開けそうになったが、俺のものではないことが頭をよぎり、歯を食いしばって腕の動きを止める。


 いま、俺は悲壮にまみれた表情をしてるんだろうな。ぽつねんとそんなことを思いながら顔を上げると、小柄で華奢な人当たりの良さそうな女子生徒が一人いた。


 髪は短めで、目も大きくて、肌も白くてすべすべしていて、抱きしめたいくらい可愛い見た目をしている。


 ……でも、なにか変だ。

 何故か男子の制服を着ている。

 ……ということは、男か? 男なのか? 男だな?


 男なのに女顔負けの可愛さを持つ人って、居るんだな。

 二重螺旋にじゅうらせんのいたずらか、テストステロンとエストロゲンの黄金比からこうなってんのか、なんにせよ、グッとくる優しさとときめくほどの可愛さだ。



「食べる?」


 ああ、活気のある穏やかな口調。

 他人からこんな声色で話しかけられたのなんて、いつぶりだろう。

 ……そう、あれはこの学校に入学してから間もなくのこと、最初あった体育の時間のこと。

 俺と同じように余り物になってしまった本田くんから、『あ……組む?』と声を掛けられた時以来だ。あの時の彼の拙い優しさに、俺と同類の空気を感じたものだ。


 おっと、いけない。

 思い出している場合ではない。こうしている間にも時間は経過している。

 返事をしておかないと無視されたと思われてしまう。なんでもいいから話しかけなければ。

 話しかけるにしても、目の前の彼女っぽい彼の名前なんて覚えていない。クラスの一員であることには間違いないが、全くの他人だ。


 たしか……優しい奴、だった気がする。

 優しく返事をするべきだろうけど、お腹が減りすぎて気を遣う余裕がない。


「だれ? なにこれ?」


 『どちらさまでしょう。この素敵な菓子パンはあなたのものでしょうか?』って言いたかったんだけどな。


「あ、えっと、投げちゃってすいませんでした。僕、藤原達也っていうんだけど、一緒のクラスの」


 藤原達也。そう、藤原。よく覚えてないけど、とにかくこいつは優しい奴だった気がするんだ。


「そう。それで、なんで藤原は俺の目の前にパンをチラつかせてるんだ」

「ひっ、えっと、ごめんなさい。睨まないでください」藤原は怯えつつ、口早に言葉を続ける。

「そのパンはコンビニの廃棄パンで、消費期限は一時間過ぎてるんだけどね。あと二個余ってるんだけど、お腹減ってない? 減ってるよね? ……食べる?」



「……俺と会話してこいって、罰ゲームでも受けてるの?」

「そそそそんなんじゃないよ。お腹すかせてかわいそうだから、なにか食べて貰おうと思って」

「本当に?」

「うん……!」


「縫い針とか……毒とか……」

「そんなことしたら立花くんに殴られちゃうでしょ! お腹空いてないの?」


「空いてる。本当はめっちゃ食べたい」


 空腹と理性とプライドが対立する。

 なによりも、この藤原ってやつが不利益になりそうなことをさせてはいけない。

 一度は掴んだ貴重な栄養源を、目の前の彼につきだす。


「……でも、藤原には関係ない。だからこれは返す。俺と話してると、クラスから浮く」


「ダメ、いらない。このパンは蓮くんにあげるためのパンだもん。クラスで浮くのは嫌だけど、でも、見てられない! このパンはあげる! このパンもあげる! たやべやが、あ、いや、お召し上がれ!」


 一つのパンを返したら、二つになって返ってきた。右の頬を叩いたら左の頬を差し出された感じだ。


 反応に困る。

 どうしていいか分からないがパンをもらえるらしいから、とりあえず愛想笑いを返した。

 藤原はとても嬉しそうな笑顔でこちらを見ていた。


「僕の顔を見ても、お腹なんて膨れないよ。どうぞ、召し上がれ」


「……すまん……えっと、ありがとう……いただきます」


 袋を破り、一心不乱に菓子パンを平らげた。一瞬で消えてしまった。口の中は脂っぽいが、なんとも言えず心地いい。


 藤原は机に頬杖をつきながら俺をじっと見ている。見れば見るほど、女顔負けの可愛さだ。

 なにも話さないのは少し気まずい。お礼でも言っておこう。


「……パン、ありがとう」

「ううん、気にしなくていいよ。それ、バイト先でもらえたものだから」

「いつか恩返しする」

「ほんと? 楽しみに待ってるね」

「ああ」


「じゃあ、そろそろ授業始まるから退散するね」

「じゃあな」


 藤原は自分の席へと戻っていった。

 明るくて話しやすくて、華奢だけど芯があって、男なのに女みたいで、俺なんかを気にかけてくれる優しいやつだ。



 それから早いもので、放課後になった。


「じゃあね! みんな部活頑張ってねー! また明日ー!」

 藤原の声だ。教室の後ろの方から声が聞こえる。


「おう! 藤原もバシッと頑張ってこいな!」

 名前の知らない男子の声だ。たしか、バスケ部でモテる奴だったっけな。顔までは思い出せない。振り向いて確認する価値もない。


「ありがとー!」

 藤原の声が近づいてくる。秒速五メートルくらいか。早歩きっぽいな。


「あ、立花くんも、ばいばーい」

「……え、ああ、じゃあな」


 ……まさか話しかけられるとは……。


「マジかよ、あいつ怖いもん知らずだな……うぉっ……」

 おう、バスケ部の貴様よ、俺はお前の発言を絶対に忘れないからな。貴様の顔はこの目に焼き付けた。卒業式の夜に気をつけろよ。



 …………やることもないし、帰ろうかな。


 手荷物なんてパジャマしかない。このまま学校にいても仕方がない。

 でも、愛華に暇人だと思われてもしゃくだ。『私に会いたくて早く帰ってきたんですか?』なんて言われる可能性もある。それは嫌だ。



 そういえば、今日は紅葉に世話になった。

 たまには紅葉と一緒に帰るのも悪くないな。あいつの部活が終わるのを待って、一緒に帰ることにしよう。


 ……いや、これってストーカーじゃない?

 でも、ジャージも返したいし……ジャージだけでも返して、一緒に帰らないか直接聞きにいこう。

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