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脱却するまであとどのくらい? ―友達以上家族未満―

☆春隣豆吉さまとトムトムさまの共同企画である『皆で初恋ショコラ』企画にこっそりこっそり参加させていただきました。

 そういえばこいつとは長いよな。


 仕事帰りに待ち合わせた和風カフェの一角で、天ヶ瀬 冬規はふと考えた。

 待ち合わせの時間になってもなかなかやってこないのがデフォルトの鈴木 桜良おうらは、きっと冬規のことなど気の置けない友人かそれとも兄くらいにしか思っていないんだろうと容易に推測ができる。

 なにせ久しぶりに会うというのにその姿はいわゆるワンマイルウェアに等しい。

 気合をいれているときの桜良の姿を知っているだけに気安さ感が半端ない。


 ……ルームウェアよか、ましかも。


 なんて考えている時点でかなり桜良という存在に慣れているんだと思う。それも悪い方向に。

 だいたい住んでいるところも年齢も全く違う二人だから、よほどのことがない限り出会うはずはない。

 たまたまお互いの友人が恋人同志で、たまたまダブルデートなどという今をもってしても恥ずかしい行為に憧れた友人の彼女のせいで憐れな犠牲者となった結果、知り合うこととなったのだ。


 人の縁というのはどこに転がっているかわからないもんだよなあ。


 冬規は目の前で美味しそうに抹茶パフェを頬張る鈴木 桜良おうらを見てそう思った。




 勤めている会社が吸収合併され、仕事の量が半端なくなったのはつい先日のことだった。

 それまでもかなり忙しかった仕事は、増えた仕事のせいで朝は始発、夜は終電、土日も出勤がざらになった。労働基準法をきれいに無視しているような気がするが、残業手当がでているなら涙を飲んで仕事もしようものなのに、いかんせん中間管理職。微々たる管理職手当がでるかわりに残業手当は一切出ない。


 もしかして今は昭和? 昭和なの? いわゆる企業戦士ってやつなの? ガン○ムなの? 金色なら文句はないけどさ。


 突っ込みたくなるほど無料奉仕という残業だらけの毎日に、体の疲労はとれるわけもなく蓄積されていく一方だ。

 おちゃらけないとやってれない。

 終業時間を疾うの昔に終えてすっかり人が出払った暗いフロアの、そこだけ妙に明るい一画で、このまま永眠しても誰も気が付かないんだろうなと莫迦なことを考えた―――――――ら、風邪を引いた。それも思いっきり。

 タイミングのいいことに、莫迦なことを考えていたのは金曜日の夜で、やばいと思ったのが貫徹をした土曜の朝。もちろんフロアには誰もいないし、休日出勤する人間がいるという話も聞いていない。どんなに咳き込もうが誰にうつすわけでもないのが救いといえば救いだった。

 まあその代り誰にも気づいてもらえないから、誰にも助けてもらえないわけで。


 ああ、俺って莫迦。ほんと、莫迦。

 きっとこのまま肺炎になってご臨終。

 会社内で死亡したら労災が下りて保険がっぽり? 俺、受け取れないけど。

 え? そしたら誰が俺の保険を受け取るの? おかん? おとん? それとも、

 ――――――――――桜良。


 あっさりと思い浮かぶのは、家族のように気の置けない関係を築いてきた人だった。

 熱が、上がる。

 それも思っているよりもずっと早く。


 なあんだ、そゆことね。


 熱に浮かされたのか、目の前にはパフェを幸せそうにほおばる桜良の姿が見える。 

 はっきりと自覚をした瞬間だ。




 どうやって自宅に戻ったのかは覚えてない。

 とりあえず徹夜明けの臭い体を洗い流したかった。

 多少体温が高くても昔から熱に強い冬規は熱があっても自立できると踏んだならシャワーを浴びことにしている。

 今日も今日とて記憶がなくても帰ってこれたのだからとシャワーのコックをひねる。

 活きよいよく熱い飛沫が体に跳ねるが、発熱時特有の背中をざわりとした感触が襲ってどうにも気持ちがよくならないどころか不快にさえ感じる。

 経験上これはまずいと、ある程度体を洗い流し終えるとさっさと上がることにした。

 バスタオルのまま上がれるのは一人暮らしの気安さだ。

 まっぱだって問題はないが最後の羞恥心くらいは持ちたい。たとえ不意に訪ねてくれる人などいなくとも。

 身体をごしごしと拭けば、皮膚の違和感が半端なく襲う。

 ふらふらとチェストからパジャマを引っ張り出して着替えると、そのまま倒れこむように爆睡をした。




 あー、俺、ほんとに死ぬかも。


 身体が寒くて耐えられなくなったらしい、冬規は体をがたがたと音が鳴るほど震えさせながら目を覚ました。

 身体の感覚が過敏になりすぎて、肌とパジャマの衣擦れすらざわついて不愉快だった。


 最後くらい、いいじゃんね。好きにしたって、いいじゃんね。


 どうせあとは死ぬだけだ、恥も外聞も何もない。

 冬規は熱で朦朧とする頭のせいか、タガが外れたことを理解していなかった。

『死ぬ……死ぬ前になんかくれ』

 後から考えたらとんでもない文章のメールを送りつけた先は、もちろん桜良に決まってる。

 「なんかくれ」なんて曖昧な書き方しかできないのは、ひとえに冬規がヘタレだからだ。

 最後の最後だと思いつつも、最後の最後でヘタレてしまい、こんな言葉じゃだめじゃんねなんてわかっていつつもそれ以外の言葉が思いつかない。


 だってさ。俺って家族扱いだし。


 自分の立ち位置を十二分に理解しているだけに、いきなり本心を打ち明けたって引かれるわ、二度と会えないわじゃ話にならない。

 ヘタレはヘタレなりに一生懸命頑張った結果のメールは、本人の頑張りを綺麗にスルーして返ってこない。


 なに? 俺ってそんなにお粗末さん?


 うんともすんともいってくれない携帯電話を握りしめ、ちょっと涙目になりながら再送した。


 いつの間にか眠っていたのだろう。

 覚醒した意識では、汗で濡れたパジャマが気持ち悪い。

 起き上がろうと手に力を込めると、携帯電話を握り締めていたままなのに気が付いた。

 返信を知らせる点滅はない。


 ああ、俺ってやっぱりその程度。


 くらりとふらつく頭に力の入らない躰。

 落ち込む気分もそのままにこのままベッドに沈もうかと思ったものの、どうにも濡れたパジャマが気になり始める。


 仕方がない、着替えよう。


 冬規は汗で湿っている携帯電話をぽいとベッドに投げ捨てると、ふらふらとチェストまで歩み寄り、新しいパジャマを引っ張り出して着替えだす。

 独り身が堪えるのはこんな時だ。

 誰かに傍にいてほしいと願うのもこんな時だ。

 普段はあまりの忙しさに、独り身でよかった、家族がいても始発終電では会うこともできないなどと思っているものの、本音はやっぱり家族が欲しい。

 なにせもう三十歳。

 そろそろ生涯添い遂げてくれる相手と家庭を作って紆余曲折しながら人生を過ごしたい。

 できればそれは桜良であってほしいわけで。

 足元がふらついてダイブしたベッドには、ころんと転がる携帯電話。

『死ぬ……死ぬ前になんかくれ』

 阿呆な文章をそのままに、もう一度送ってみる。

 レスポンスがすぐにあるとは思っていない。

 本当はあってほしいと願っているが、それを気持ちに表すとなんだか負けたような気がして無視をする。

 くるかな、くるかな、なんて女々しいことなんて考えていない。


 くるかな、くる……


 そうしてまた意識を手放した。




 深く眠れないのはきっとメールが気になっているせいだ。

 時間が過ぎるのがとても遅い。

 一晩寝れば治るだろうと踏んでいた発熱は、その一晩をなかなか越せない。

 何度も起きて、何度も凝視する汗に湿った画面。

 着信のランプは瞬かない。

 受信ボックスは空っぽだ。


 やばい、ほんとに涙でたよ。

 いやいやこれは発熱からくる生理的涙で、決して淋しさからくる感情的涙ではないけども。


 ヘタレを自覚している冬規だが、ここまで落ち込むことは滅多にない。

 これが病気のせいだといえばそうなのかもしれないが、やっと気づいた恋心からの焦りなのかもしれない。

 気が付いたからこそ、不安になって繋がりを持ちたいのだろう。

 手が勝手にメールを送る。


 そうして繰り返された再送は実に七回、送信箱に蓄積される。

 重い。重すぎる。

 七回分の蓄積された重みはそのまま冬規の気持ちの表れだ。

 だがその重はそのまま心にどんとのっかって冬規を谷底に突き落とす。

 初めの頃の意気込みもどこへやら、スルーされ続けるメールにもしかしてと恐れが出てくる。

 ちょくちょく連絡は取り合ってはいるものの、初めに連絡を入れるのは何を隠そう冬規だ。

 桜良からは滅多に連絡はしてこない。

 もしかしてすでに想い人がいるからこそ、男である冬規に自ら連絡を取ろうとしないのかと思わず勘繰ってしまう冬規だが、よくよく考えたら今まで桜良から色めいた話は聞いたためしがない。男友達は多いけれども。

 だからこそ安心していたのだろう、長い年月の間にすっかりぞんざいな兄妹になりつつも、それでも離ようなんて考えることはなかった。

 安心できる存在というのは、貴重だ。

 普段は意識をしていなくても、どこか意識下で存在し続ける桜良。

 まさか土曜の夜を泊りがけで過ごせる誰かがすでにいるのかなんて、恐ろしすぎて考えることすら拒否をする。


 ――――――――どうする? どうするよ、俺。


 携帯の時計を見れば、他人に電話をかけれる時間など過ぎまくっている。

 それでいうならメールする時間も終わってるんじゃないかと思う。

 どうせ音が鳴るかバイブが震えるかしているんだったら、電話の音を鳴らせても大丈夫じゃないかなんて自分勝手に理論づけて電話帳から桜良の文字を探す。

 タップして数コール、繋がったのは無言の怒りが無機質な電話越しにひしひしと伝わってくる相手だった。


「……なに? いったい何時だと思ってるの」 

「……あのー、俺、死にそうなんですけれど……」

「死にそうな奴は電話なんてできないし、そんな謙虚な風体を装わない」

「……そこはちょっとは『えー、大丈夫ぅ』とか心配なんぞ「するわけない」……ですよねー」


 うん、通常運転だ。それももちろん怒っているほうの、いつもの桜良だった。

 なんだかんだといって面倒見のいい桜良は自分の許容量をちゃんと把握していて、手に余るようなら初めからかかわろうとしない。それが相手に対する礼儀だとへんなところで律儀にいっていた。

 だから今電話をとったということは、そこまで差し迫った状況ではないということだ。

 もしかして実は爆睡していただけで、メールに気が付かなかったのかもしれない。

 ああそうなると本当に申し訳ないと冬規は思ったが、冬規には冬規の事情があったので、できれば怒りのオーラをだだ漏れさせているのなら、少しでもいいから癒しのオーラを発してほしいと願った。


 それさえ浴びれば死んでもいいから。

 だから俺に会いに来て。

 最後に一目、会いたいんだよ。


 莫迦な言葉を喉もとで殺せば、喉のいがらっぽさが加速してこほこほと咳き込んだ。

 するとちょっと驚いたように押し黙った桜良に、冬規は桜良が何を考えているのかわかってしまった。


 きっと大げさに嘘をついていると思っているんだろうなあ。

 そして馬鹿は風邪ひかないなんて憎まれ口を心の中で叩いたんだろう、きっと。


 長年付かず離れずな関係は、相手の考えをある程度理解してしまうほどになっていた。


 「……馬鹿じゃないもん、俺」

 「何時の間に読心術を所得した?」

 「いやだからそれよりも。俺、死にそうなんですけど……」

 「ふーん。ご愁傷様」

 「冷たい、桜良ちゃんってば冷たい。少しは人助けをしてやろうとか、いやいやそれ以前にちょっとはいたわってやろうとかないの?」

 「……なぜ」

 「ひどいっ! ひどいよ、桜良ちゃんっ!! 俺、死にそうなほどつらいのに……」


 ああ、生理的涙がちょちょぎれる。

 叫んだせいでのどの痛みまで増してしまったし。


 声が聴けたのは上々だったが、相手は桜良。いつもどおりの辛辣さが骨身に応える。両方の意味でも。

 まともな声がでそうじゃなくて、しばらく黙っていた冬規に、今度は桜良が問いただす。

 いくら家族扱いだといっても本当の家族でさえ明け方の電話はしない。それは大抵不幸な話に通じるからだ。それを押して何度もメールをしたり電話をかけたのだ、冗談では済まないことはわかっているはずだと言われれば、そこまで夜中にメールをした記憶はないといいそうになって己の所業を脳内で再確認。これは駄目だとも再確認。熱で脳内沸騰中だと駄目だと分かっていることも平気できたんだと途端に恥ずかしくなって埋もれたい、穴があったら入りたいが、目の前にあるのは布団で、布団に潜ると熱が上がる。それは駄目。絶対ダメ。ほんとに死んじゃう……なんて莫迦な考えが炸裂して、熱があるのに一気に血が引いた気がした。


「ごめんなさい……猛省しますが辛いんです。なんか飲みたいなんか冷たいもの食べたいなんかつるんとしたもの食べたいです。流石に足元が阿呆なので動けませんからお願いですから買ってきて欲しいです。なにせ丸一日食べた記憶がありません。胃も空っぽなら冷蔵庫も空っぽです。マジです。せめてポカ○かアクエリ○スだけでもいいんです。喉が痛くて死にそーです」

「……いやそんだけしゃべれば喉も痛くて当然だよね?」

「……そ、ですね」

「大丈夫じゃ?」

「水があれば生きていけますが、水かビールしかないのでビールでいいですか?」

「莫迦? 真性の莫迦??」

「……ひどい桜良ちゃん……」


 随分と罵られた記憶はあるが、いつの間にか切れていた電話にため息をついてベッドに横になる。

 結局来てくれるのかどうかも確認した記憶がない。

 もうどうでもいいやと投げやり気味になってベッドに突っ伏した。


 「あー、本当に病気だったんだ――――」

 「第一声がそれですか、そうですか」


 申し訳なさ程度にノックされた玄関扉にふらつきながら扉を開けた朝六時。

 来ないだろうとふんでいた桜良は、今目の前で顔を顰めて立っている。


 気が付けば寝ているような状態でよく微かなノック音に気が付いたよなあ。よっぽど桜良が恋しいんだなあ。我ながらどんだけだよ。


 早朝は声が通りやすい。

 このまま玄関で話していたらきっとあたりには内容がもろばれだろうと、桜良が部屋に入りやすいようにと体を傾けた。

 桜良は暗黙の了解のように何も言わずに上がり込む。

 途端にさらに顰めた眉間を見逃さなかった。


 部屋が汚いのは仕方がないもん。

 いつもはもうちょっとましだもん。

 流石にふらつく体で部屋を片付ける気力がわかないだけだかんね。


 脳内では可愛い子ぶった冬規一号が桜良に必死に言い訳をしているが、冬規二号は阿呆かさっさと寝に行けよ、死ぬぞ?と冬規をベッドに動かした。

 どさりとベッドに座り込むと、スプリングが軋む。

 立ち上がる気力はもうなかった。

 がさごそと人が動く気配に顔を上げると、桜良がミニキッチンで買い物袋から物を取り出していた。


 バナナ、ペットボトル、杏仁豆腐に……チョコ?  

 え、あれってもしかして。

 ――――――『初恋ショコラ』だ。


 黒いパッケージに金のリボン。

 最近テレビをトンと観れない冬規でも知っているその商品は、宣伝に有名アイドルを起用して『ケーキとぼくのキス、どっちがすき?』などと甘いマスクと声でささやき、巷の女性を二重の虜にしているという。

 会社の女の子たち(おばさん含む)がきゃーきゃーと騒いでは、滅多に手に入らないそのチョコを見せびらかされた挙句、課長は貰えないですよねーなんてここぞとばかりに莫迦にされた記憶がある。

『初恋』なんてこっぱずかしいネーミングは女受けするだろうなあなんて思いながらもネーミングがネーミングがなだけに男は絶対手に取れないななんてどーでもいいことを思ってた。取ったら勇者だ、間違いなく。実際のところ、男はもらう事を前提としていて自分でそのチョコを買う奴なんていなかった。手に持ってる奴はたいてい彼女持ちだからって別段羨ましいわけでは決してない。ほんとにない。

 と思っていたのは過去のお話で。

 それが今、こっそりと冷蔵庫にしまい込まれたわけで――――――


 これって、もしかして?

 もしかしてもしかする幸せが、もうすぐ手にはいってくるかもしれない、ってこと?


 熱で沸いてる脳にどくそ甘い感情が乱入すると、人は倒れるモノなのですね。

 冬規は見事な弧を描いてベッドへ倒れこんだ。




「ちょっとちょっと天ヶ瀬さん? もしかして熱があるのにお風呂に入ったりした?」


 ああ幸せだ。俺ってほんと果報者。


 冬規はベッドの横で怒りながら濡れたバスタオルを突き出す桜良を見て、幸せに浸る。


 だって、絶対俺のこと心配してるよ、この子。

 どーでもいい人相手に怒ったりなんて無駄な行為しないし。

 『初恋ショコラ』だって、買ってきてくれたし。

 ああ、早く食べたいなあ、『初恋ショコラ』。

 そしたらその甘さにどっぷりと浸るのに。


 頭に桜が咲いている。

 綺麗な綺麗な満開の桜の横に、桜良が滅多に見せない微笑みを俺に向けてくれている。


 冬規は顔がにやけるのを止めることができなかった。

 その間にも甲斐甲斐しく桜良は冬規の看護をする。

 脇に体温計を挟み、測り終えると顔をしかめ、起き上がってパジャマを着替えろと命令し、その間に汗に濡れたシーツを真新しいものと交換し、ご丁寧にも次の替え用のシーツがないためかバスタオルを敷いて簡単に交換できるようにしているし、その上に冬規を寝かせると今度は氷を大動脈を狙って当てる。

 それはそれは見事な介護っぷりである。

 これで惚れ直さないなんて、ありえない。

 冬規は幸せに浸りながら、眠りに落ちた。


 それでも深く眠ることができず、目が覚める。

 今何時だろうと携帯電話を探せば、ベッドサイドにはストロー付のペットボトルが置かれてる。


 これで喉を潤せってか。


 じゃあもう桜良は帰ったのかと酷く気落ちしたが、それでもここまで世話を焼いてくれたことに感謝して、ペットボトルに手を伸ばす。

 のどの痛みは相変わらずだ。

 少し飲んでは咳き込み、咳き込んでは少し飲み。

 それでも体の熱は落ち着き始めたのか、随分と楽になった。


 まあ、汗がでてたもんなあ。

 汗が出るのは熱が下がる証拠だっていうし。


 俺って意外と丈夫じゃね?なんて思いつつ、ペットボトルをもとに戻す。

 熱に強いと自負する冬規だったが、今回のことは黒歴史のうちのひとつかもしれないと赤面だ。


 病人のいる換気の悪い部屋に呼び込んで看病してもらうだなんて申し訳ないわ、情けがないわ。

 その上、なにやら頭が沸いて莫迦な妄想に浸っていたみたいだし。

 もう一寝入りして完全に熱を下げたなら、桜良に連絡を取ってお礼をしないといけないな。


 冬規は氷の解けきった袋をベッドサイドに置かれている桶に放り込むと、布団に潜り込んだ。



 ……吃驚した。


 冬規は病床から起き上がってトイレに行こうとした。

 一人暮らしのアパートは玄関を入ってすぐにトイレとお風呂、反対側にミニキッチンというありきたりの造りをしている、たいして広くない部屋だったが、冬規が寝ているベッドから部屋全体を見ることはできないのが冬規が驚く原因になっていた。

 その、部屋の中での唯一の死角である入口付近の壁を、弘樹は今も凝視する。

 そこには帰ったはずの桜良が壁に凭れて眠っていた。


 すっかり帰っているとばかり思っていたのに、さっき起きたときには誰もいなかったと思ったのに、どうしているんだろう?

 ……嬉しいけど。


 冬規は恐る恐る桜良に近づいて、滅多に拝むことのできない寝顔をじっと愛でた。


 かわいい……。こいつってこんなに可愛かったっけ?

 まつ毛、ながっ。ほっぺたぷにぷに。

 ほつれた髪の毛とか、そそる。

 あー、でもちょっと疲れている感じするなあ……俺のせいだろうけれども。


 途端に申し訳なくなって、このまま寝かすのは体にも負担がかかるんじゃないかと桜良を起こすことにした。

 本当はもっと寝顔を堪能したかったが。

 体を目覚めさせようとカーテンを開けて日差しを部屋に取り込むと、冬規は桜良のところまでもどってしゃがみこむ。

 もちろん可愛い寝顔をぎりぎりまで見るためだ。

 それに起き抜けのぼけた顔もきっとかわいいに違いないなどと疚しいことももちろん思う。だって男だし、当然だよね、なんて誰も聞いていない言い訳もする。


「おーい、桜良ちゃーん。昼ですよー。起きよーねー」


 優しく肩を揺さぶると、うーんとか可愛らしい唸り声が桜良の、起きているときよりもちょっとだけ膨らんだ唇から洩れる。

 無理やり早朝にやって来させたのだから寝不足になっているのだろう、反応は悪い。

 それでもこんな寝方をしていたら後から辛くなるのはわかっているだけに少し強めに肩を揺さぶると、不愉快そうにゆっくりと薄く目を開けて冬規を見た。

 なにやら一気に覚醒したようだ。

 だらけていた腕が持ち上がると、桜良の手がぺたんと冬規のおでこに触る。

 起き抜けに熱を測られるとは思っていなかった冬規はにやけてしまった。


 寝ぼけてるのに俺の心配してるとか……!

 俺って愛されてるよ、ね?

 間違いなく、そうだよね?


 嬉しさに顔が火照る。

 いい年齢のいい男が何を純情少年みたいにと思わくもないが、それはそれ、これはこれ。

 意識したばかりの恋心というやつはたちが悪い。

 他の可能性なんてミジンコ並にも考えていない。

 もともと家族みたいな扱いだったはずだというのに、家族であれば病人を心配するのは当然だという考えは今の冬規にはまったくない。


「おー、桜良ちゃんの手、冷たいー」


 気持ちがいい。

 桜良の手のひらが冷たくてとても気持ちがいいというのは事実だか、それ以上にその愛情の籠っている仕草が冬規にはとても心地よかった。


 もっと、もっと、欲しい。

 もっと俺に触ってほしい。


 一つのことが叶えられたら次の欲が出てくるものだ。

 冬規は桜良の手を取って、そのまま自分の頬にあてる。

 親密度が一気に増した気がした。


「おお、気持ちいー。桜良ちゃん、気持ちいーよ?」


 桜良はなぜか驚いた顔をして手を頬から離していった。

 恥ずかしいのかもしれない。

 その証拠に急に立ち上がって、いきなりお昼ご飯をどうするか聞いてきたくらいだ。

 冬規としてはお昼ご飯よりも、もっと桜良を近くで感じていたかったのだが、桜良の言い分も納得できる。

 なにせ熱が下がりかけているのだからちゃんと薬も飲んできちんと熱を下げきるべきだ。社会人だからこそ責任のある役職、たとえそれが無償残業ばかりさせる会社であったとしても責任があることにはかわりがない仕事がある。明日のためには熱をきちんと下げなければならない。下げるためには薬を飲む、薬を飲むためには腹に何かいれておかなければ胃が荒れる。


 食べ物、ないけどね。


「じゃあ適当に買い物してくる。薬局もあいてるだろうから解熱剤も。その間天ヶ瀬は大人しく寝ておくこと。これ以上病気を酷くしないこと。……わかった?」

「はーい。桜良ちゃんのお帰りを心待ちにしてまーす」


 生ぬるい目で見下ろされた。



 桜良が出かけてから、冬規はちょっと考えた。

 さすがに生ぬるい目でみられるのは嫌だと思ったからだ。

 ちょっとはいい子(いや十分大人だが)に見られたい。

 素直にベッドに戻る前に、頭にのっける氷袋を作ろうと冷蔵庫を開ける。


 あ、『初恋ショコラ』だ。


 桜良がこっそりと冷蔵庫に入れていた『初恋ショコラ』が、冷蔵庫のど真ん中に堂々と鎮座しる。

 『ケーキとぼくのキス、どっちがすき?』

 一度でいいから言ってみたい言葉だ。

 いや、もしかしたら桜良は冬規にそんな言葉を言ってほしいのかもしれない。

 だからわざわざ熱がある冬規のもとに、このチョコを持ってきたのかもしれない。

 冬規はにやにや笑いが止まらない。

 桜色に染まった頭につける薬はない。


 冬規は桜良の想いを受け取ろうと『初恋ショコラ』を手に取った。



 旨い。

 思っていた以上に、旨い。


 冬規はコンビニエンスストアのスイーツをなめていた。

 熱のせいでざらついて不愉快な舌でも十分に美味しく感じる凄さ。

 職場のおばちゃん達の百戦錬磨の舌は伊達じゃない。 


 そうだよなあ。あのおばちゃんたちが美味しいっていって何度も買に行くほどなんだから、アイドルに踊らされてるだけじゃないんだよなあ。

 うん、旨い。


 パッケージから取り出した『初恋ショコラ』を皿に盛り、行儀よくスプーンで食べているのは桜良が帰ってきたときに見られることを想定してだ。

 なにせ冬規のために買ってきてくれた『初恋ショコラ』だ。粗末にして食べたことがばれたら桜良のことだ、目を細めて睨むに決まっている。

 怖い。

 いや、恐ろしい。

 粗末に扱うことで愛情がないと思われるのが恐ろしい。

 行儀よく食べるのは自分をよく見せたいからにほかならない。

 まあ今更な感じはしなくともないが。


 思ったよりも早くに桜良が戻ってきた。

 買出しにでてからまだ二十分も経っていない。

 それほど心配してくれいてるのかと、冬規は嬉しくなった。

 が、なにやら桜良の様子がおかしい。

 チョコと冬規を交互に見比べているのだ。


 もしかして、勝手に食べるの、不味かった……とか。


 冬規に見つからないようにこっそりと冷蔵庫にしまっていたことを思い出して、もしかしたら冬規が回復したのを待って『初恋ショコラ』を出してくれる気だったのかもしれないと改める。


 それは、拙い。

 俺って先走ったってこと、なんだよね?


「美味しいよー、このチョコ」


 とりあえず誤魔化してみる。

 間違ったことは言っていない。

 するとがっくりと肩を落として、ついでに手に持っていた袋まで落とした桜良だったが、気を取り直したのかキッチンで買い物袋を片付け始める。

 二袋からなる食材をせっせと片付けている桜良を見るだけで冬規はなんだか幸せだ。

 そして最後にまた『初恋ショコラ』が出てきたのを見たときにはそんなに自分のことを思ってくれているのかとさらに笑みが増した。

 トントンとリズム良い包丁の音が聞こえてくる。 

 桜良が料理をするところを見たのは初めてかもしれない。

 いくら家族扱いが長い日々だったからといって、冬規の家に来ることは滅多にないし、あったとしても随分昔の話で、まだお互いの友人たちが恋人同士だったころだ。

 そう考えると、よくもまあ冬規の家の場所を覚えていたなと感嘆する。


 愛情のなせる業、だったりしてね。


 自分に都合よく考える冬規だった。



「熱いから気を付けて食べて」


 目の前に出されたトレイには出来立ての雑炊と水の入ったコップ、薬が丁寧に置かれている。

 手早いなあと素直に冬規は感心する。

 同じ一人暮らし者、同じほど仕事に終わる毎日だというのに、この家事力はいったいいつどこで身に着けるというのだろうか。

 桜良が女だからってことだけでは片づけないところが冬規の冬規たるゆえんだ。

 男が誰でも電気仕事に秀でているわけではないのと同じほど女が家事に長けているとは思えない。  

 もちろん資質があるからこそ上手くなるのはわかるが、努力しないでうまくなんてなりえない。

 天才なんて言葉は努力をしない人間が作った幻想だと冬規は思っている。

 IQに関しては努力でどうのこうのはないが、それでも宝の持ち腐れにならないように知識を取り入れ吐き出さないといけないことには変わらない。結局どこかで知らないうちに努力しているのだ。

 だからこそ、さっと出てきた雑炊を見て感心するほかないのだ。

 だがその感動も、桜良の付け加えられた一言で綺麗にどこかに消えてしまった。


「……私は帰る」


 思わず口に含んでいたスプーンを落とす。

 呆れた桜良がティッシュで落ちたスプーンとこぼしたチョコを拾っていたが、その冷静さが逆に冬規を必要以上に慌てさせる。


「か、か、帰るって、桜良ちゃん!?」

「帰る。家でゆっくり寝たいから」


 桜良はかなり疲れた顔をしている。

 けれど冬規にはその桜良の顔色すら窺う余裕がない。

 桜良はぐるりと部屋を見渡して、最後に冬規を一瞥すると『初恋ショコラ』の入ったビニール袋を手にすたすたと玄関に向かった。


 え? なんで。

 どうして帰るっていうの。

 どうして『初恋ショコラ』も持って帰るの。


 冬規は突然の出来事に考えがまとまらない。

 そうこうしている間にも、桜良は靴を手にとった。


 拙い。

 このまま桜良を帰したら、絶対よくないことが起こる。


 本能がそう告げたのが早いか、体が動いたのが早いかはわからない。

 気が付いたら冬規は桜良の腕をとって自分に向き直させると、壁に桜良の体を押しつけていた。

 驚愕する桜良の顔が、クる。

 おちゃらけキャラを貫く冬規のまさかの行動に眉を潜めた桜良が愛おしいと感じるのはすでに末期かもしれないと冬規は思う。


「……天ヶ瀬?」


 少し不安げな声。

 それとも、少し期待している声かもしれない。


「ケーキと俺のキス、どっちがすき?」


 息がかかるほどの距離で、言ってほしかったのだろうあの宣伝の文句を囁く。

 その瞬間に桜良の透明感のあるブラウンの瞳がけぶったことを見逃すはずもない冬規だ、そのまま唇をそっと押しつける。

 抵抗が、ない。

 冬規はそれを了承と取って、更に深く桜良を求めた。

 いつもと違う雰囲気を纏う冬規に圧倒されたのか、それともやっぱり冬規のことが好きだったのか。

 桜良は冬規が貪るままに応えていく。


「桜良は両方、好きだろう? これで桜良の願いは叶ったんだから、今度は俺の願いを叶えて」


 桜良の細い体をこれ以上ないほどにぎゅっと抱きしめた冬規は、桜良の真っ赤になった耳に小さなキスを落としながら囁いた。


 ずっとずっと傍にいて。

 帰るだなんて、言わないで。


 桜良の顔がこれ以上に無いほどに朱に染まる。

 抱き返された細い腕には場違いな買い物袋。

 『初恋ショコラ』の黒と金で彩られたパッケージが透けて見える。

 冬規はそれを取り出して、ケーキを割って桜良の口にそっと押し込んだ。


「どっちも好き?」

「……莫迦」


 二人にショコラのような甘さが広がった。





 後日談。


「ほら、『初恋ショコラ』」

「……うん、だから、風邪を引いて熱がある人間にショコラはないよね? 理解しようね?」

「え? だって俺の時は買ってきてくれたでしょ」

「あれは私用に買ったのであって、熱のあった冬規になんて買ってきません」

「……え? え? えええっ??」

「……莫迦?」




短編掲載日:2013年 10月08日 20時37分~2013年 10月12日 21時00分 数話にかけて投稿したものです。

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