いつでも縁など切ってやる -友達以上家族未満ー
☆春隣豆吉さまとトムトムさまの共同企画である『皆で初恋ショコラ』企画にこっそり参加させていただきました。
そういえばこいつとは結構長い付き合いだな。
待ち合わせをした近くの和風カフェで、鈴木 桜良はふと考えた。
だいたい住んでいるところも年齢も違った二人に接点はない。
全くありようのなかった接点は、お互いの友人が恋人同士だからというあまり関わりたくない方向から繋がった。
何が関わりたくないっていえば、その友人たちは今ではすっかり他人だからだ。
他人になった理由を話せば長いのではしょるとして。
もともとの接点とはここ数年全くの付き合いがないのに、こいつとはなんだかんだといいながら電話をしたりメールをしたり、たまにこうやって顔を見合わせたりしている。
家族か? 家族なのか。
忘れたころに連絡をして都合のいい時にしか会おうとしない。
お互い元気なことを確認するとほっとして、それでいてずっと一緒にい続けようとはしない。
……家族だな。
桜良にとって目の前で珈琲をすすりながら飲む男、天ヶ瀬 冬規はすっかり身内扱いだった。
その日も結局は安否確認。
そんなことは電話で事足りるだろと突っ込みを忘れずするくせに、顔を合わせないと不安になるらしい。
よくわからない。
そしてこんなよくわからない男と結構な腐れ縁を続けている自分自身もよくわからない桜良だった。
ある時、天ヶ瀬からメールが入った。
ちなみに夜の11時。
最近景気が上向いたのか仕事が立て込んでいて、下手すれば午前様な毎日だったのが、久しぶりにその日のうちに家に帰れた上、明日は一か月ぶりくらいのまっとうな一日休日だ。寝倒すか遊び倒すか判断につきかねるほど久しぶり過ぎる休日に、桜良はかなり浮かれていた。
普段なら夜10時以降はメールを見ない主義の桜良は、浮かれていたせいか時間を忘れてメールを見たのが運のつき、表示に天ヶ瀬という名を見たとたん、携帯をクッションにぶん投げたくなった。
『死ぬ……死ぬ前になんかくれ』
意味が分からない。
死ぬ死ぬ言うやつほど、死にはしない。
だから天ヶ瀬が死ぬはずはない。
夜の11時にしてよい冗談でもない。
……放置だな。放置するに限る。
桜良は家族扱いの気安さから、きっぱりすっきり放置することにした。
すると、珍しくその夜は何度もメールが来た。
『死ぬ……死ぬ前になんかくれ』
使いまわしだな。それも何度もかよ。
定型文のような見慣れたメールをため息をつきながら読む。
それでも放置しまくっていたら、とうとう業を煮やしたのか直接電話がかかってきた。
そろそろお天道まがお目覚めになるころだ。
久しぶりに開いた小説にはまって夜中まで起きていたのがまずかったと後悔するが後の祭り。
だいたいこんな時間に電話をかけてくるのだ、本当はよっぽどの用事があったのかもと諦めて携帯電話をタップした。
「……あのー、俺、死にそうなんですけれど……」
「死にそうな奴は電話なんてできないし、そんな謙虚な風体を装わない」
「……そこはちょっとは『えー、大丈夫ぅ』とか心配なんぞ「するわけない」……ですよねー」
相変わらずの阿呆だなと眉間にしわが寄るのを指で擦りながら話していると、こほこほと喉の痛む音が聞こえてくる。
馬鹿は風邪をひかないのではなかったのか?
「……馬鹿じゃないもん、俺」
「何時の間に読心術を所得した?」
「いやだからそれよりも。俺、死にそうなんですけど……」
「ふーん。ご愁傷様」
「冷たい、桜良ちゃんってば冷たい。少しは人助けをしてやろうとか、いやいやそれ以前にちょっとはいたわってやろうとかないの?」
「……なぜ」
「ひどいっ! ひどいよ、桜良ちゃんっ!! 俺、死にそうなほどつらいのに……」
死にそうな人間がそんなに元気なわけあるか。
思わず冷めた目を無機質な画面に向けてしまったのは言うまでもない。
結局どうしたいんだと問い詰めれば、見舞いに来てほしいとのこと。それも今すぐに。
ふざけんなと罵ろうとしたところ、昨日から何も食べてない、喉も痛くて乾いて辛いと続けざまに言われ、喉の奥で言葉を殺した。
様は普段の行いが災いして冷蔵庫にもストック庫にもビールはあるがまともなものはなにもないというのが事実らしい。
まあ、えてして男の一人暮らしはそんなものかもしれないが。
熱があるのだと訴えられれば仕方がない、久々の休日だったが自称疑惑は残るものの病人をほおっておけるほど非情な人間ではないつもりの桜良は、電話を切ると早速必要だろう物の買出しへと繰り出した。
こんな時間に開いているのは全国展開24時間フル回転の店しかない。
とりあえず最低限必要な飲み物やのど越しのよさそうな食べ物をチョイスして桜良はレジに急ごうとした―――――美味しそうなスイーツを見つけるまでは。
そもそもその棚の横にある杏仁豆腐を買おうかどうしようか迷ったのだ、のど越しの点で大丈夫そうなので。それがなぜか横の棚にある、真っ黒で怪しげなパッケージに金のリボンで彩られた、どう見てもショコラ以外入っていないだろうと突っ込みたくなるスイーツの箱に目がいった。それはきっと『ケーキとぼくのキス、どっちがすき?』の謳い文句で宣伝しまくっている『初恋ショコラ』の文字がそのパッケージと同じ黒と金のいかつい(と言ったら失礼か)装飾をされ掲げられていたせいかもしれない。
なにせ最近テレビでもインターネット広告でもやたらと宣伝しまくっている『初恋ショコラ』は、手に入らないことで有名だ。広告に起用された甘いマスクのアイドルたちが最高に甘く低い声でキャッチコピーである『ケーキとぼくのキス、どっちがすき?』とねだるのだ。何かに突き動かされるようにケーキを買いに走っても仕方がないというものだろう。そして一度食べればその美味しさゆえに虜となって、また、そしてまたと買い続ける。幻の逸品となるに相応しい味なのだそうだ。
それが今目の前にあるこの事実をなんとしよう。
もちろん、買うに決まっている。
桜良は天ヶ瀬にと籠に入れていたバナナやアルカリイオン水、アイスクリームの上にちょこんと『初恋ショコラ』を乗っけてレジまでもっていくと、しゃわしゃわと鳴る買い物袋の中身に満足した。
「あー、本当に病気だったんだ――――」
「第一声がそれですか、そうですか」
玄関開けたら十歩でベッドの天ヶ瀬の部屋は、病気の人間がいる独特の重い空気が立ち込めて、桜良は眉をちょっとしかめてしまった朝6時。
さすがに玄関先で騒ぐには大変失礼な時間だと理解している二人は、そのまま薄暗い部屋に入って天ヶ瀬はふらふらとベッドに戻り、桜良は勝手知ったるミニキッチンに入って手際よく持参したものを片付ける。
天ヶ瀬は馬鹿だ。本人は違うと思っているらしいが。
だいたい熱があるのなら、解熱剤を飲め。なければせめてタオルを水で絞って頭に乗っけろ。いやそれよりも、氷を袋に入れてわきの下と足の裏にあてるとか、とりあえず熱を下げる努力をしろ。
誰もが知る解熱方法だというのに、部屋を見る限りそんな道具は一つもない。あるのは汗でぐしょぐしょになって床の上に丸まったパジャマらしきものと、なぜかバスタオルと靴下。もしかするとバスタオルをシーツがわりに使ったのかとちょこっとだけ考えた桜良は、その瞬間間違っていたことを理解する。
―――――濡れてるし。汗とかじゃない、お風呂入った後に使ったみたいに濡れてるし。
もしかしてこの馬鹿は、お風呂に入った後、そのままバタンと寝てしまったのではないか。
当然の疑問をぶつけると、熱に浮かされつつえへへと笑う馬鹿がいた。
しばいたろか、われ。
昔親に見せられた漫才の黒縁眼鏡をかけたおっさんがよく使っていたフレーズを思い出した。
こういうとき、家族もどきというのは厄介だ。
どうせもどいているのなら、今日を限りにさっぱりきっぱり永遠の別れをしてもよい。
ちょうど選別につまらないものを買ってきた。なんて好都合。
ああだけど、『初恋ショコラ』だけは死守しよう。
あれを手に入れたのは幸運以外なにものでもない。
とりあえず、病人はほおっておけない。
制裁はやることをやってからでも十分間に合う。
今は折角ここまできたのだから看護の一つでもしてやろう。
人間腹が立つと一瞬でいろんなことを考えることができるのだなと妙な感心をしながら、桜良は氷をビニール袋に詰めだした。
ベッドに横になった天ヶ瀬はなにやら嬉しそうににやにやとしているが、そんなことは総無視だ。もう一度起きてパジャマを着替えるように指示すると、汗でしっとりと湿ったシーツを取り換える。その上にバスタオルを一枚敷き、枕にもバスタオルを巻いた。パジャマを着替えた天ヶ瀬をベッドに寝かすと熱を測る。四十度近い熱は大の大人にはかなりきつい。薬がないためできる限り熱をわきの下と足裏に氷を当てる。もちろん額には冷たいタオルだ。尋常じゃない熱だというのによく夜中のメール攻撃ができるものだと思っていたら、そういえばこいつは小さいころから熱に強く、39度でもシャワーを浴びると自慢していたことを思い出した。
ちょっとまて。
このやたら濡れたバスタオルは、まさか熱が上がってるくせに風呂に入った結果か?
天ヶ瀬は馬鹿だった。
いや、馬鹿ではない。大馬鹿でもない。たわけである。ああ、戦国武将を思い出した―――全く関係ないが。
ではなにか? 天ヶ瀬はお風呂に入って濡れた体のまま寝入ったから風邪を引いたのではなく、風邪をひいて熱が出たから風呂に入ったのか?
―――――やっぱり今日を限りで見切らせてもらおう。
桜良ははた目に見れば甲斐甲斐しく、だが内心は怒りで腸が煮えくり返ってごぽごぽと唸る状態で、熱でいつも以上にほよほよと阿呆になっている病人の看病をした。
「おーい、桜良ちゃーん。昼ですよー」
熱で顔を真っ赤にした天ヶ瀬が、桜良の肩を揺さぶった。
うーんと唸り声が桜の小さな唇から洩れたのは、まだ桜良が寝たりないからだ。
なにせほぼ徹夜。
その上、天ヶ瀬のあまりの馬鹿っぷりに怒り心頭で腹の中でブチ切れていたわけだから、体力はゼロどころかマイナス100。少し目を瞑るつもりで壁に背を預けただけだったはずなのに、時間は無情に過ぎ去って、今は昼。滅多にまともに取れない休日の半日がつぶれたわけで。
もうどうせならこのまま寝ていていいんじゃないか?
そう思いながらもうっすら瞼を開けると、入ってきたのは昼の日差しと真っ赤な顔。
ああ、駄目だ。解熱剤がいる。
妙な使命感に気怠い腕を上げて、目の前の額に手を当てた。
熱い。
「おー、桜良ちゃんの手、冷たいー」
へらへらと喜ぶ男は、桜良の手首を掴むと今度はその手を自分の頬にあてさせた。
「おお、気持ちいー。桜良ちゃん、気持ちいーよ?」
桜良は目が覚めた。それもぱっちりと。
なんだこれ、ヘンタイか?!
うら若き乙女の手を何だと思っている。
いやいやそうじゃないだろう、単純に自分が熱すぎるので私の手が冷たくて気持ちいいだけだって。
桜良は自分にそう言い聞かせて、手をゆっくりと振り払うと立ち上がった。
昼だ、昼。とりあえず何か食べさせないと。
「天ヶ瀬、なんか食べた?」
「んー? なんかあったっけ」
こてんと首をかしげて可愛いふりをしているが、よく考えろ三十歳。
桜良はなにかぬるいものを見るような目で、長年の腐れ縁な友人を見下ろした。
とはいっても、朝に買ってきた分はほとんど食べられ飲まれている。
『初恋ショコラ』はカロリー控えめのショコラではあるが、熱の高い人間が食べるものではないし、食べさせる気もない。
仕方がない、解熱剤と一緒に食べれるものを買出しに行こう。
昼の陽ざしに目をちかちかろせながら、商店街をうろついた。
途中には朝早くに立ち寄ったコンビニエンスストア。
今朝の幸運がまだ続くかと覗いてみれば、冗談のように『初恋ショコラ』が鎮座している。
これって手に入ることすらレアではなかったのか。
それを一日に二回も見れたということは、それこそ何か幸運が待っているのかこれで使い切ったのか。
―――――天ヶ瀬に付き合っている時点で幸運を使い切っている感が半端ないが。
とりあえずゲン担ぎだ、買っておこう。
桜良はその真っ黒いケースを大事そうに手に取った。
すぐに天ヶ瀬の家に戻ったつもりだった。
実際先ほど家をでてから20分もたっていない。
それなのにこれはいったいどういうことだ。
目の前には冷蔵庫にあるはずの黒いパッケージにほどかれた金のリボン。
「美味しいよー、このチョコ」
ショコラだ、ぼけ。
うまうまと口に出しながら『初恋ショコラ』をほおばる病人に、桜良はがっくりと肩を落とした。
おい三十歳。熱があるときに滋養がありすぎる物を食べるのは厳禁だということをまさか知らないなどとはいわせない。ウィルスに力を与えてどうするよ!
天ヶ瀬のあまりの馬鹿っぷりにこのまま回れ右しても誰も咎めないだろう。
もう嫌だ。
いやもう駄目だ。
いくらほとんど家族並といっても、家族では決してない。
血のつながりがないんだからもう捨てたっていいだろう?
だいたい元々の友人たちとはすでに縁きりして久しいし、全く連絡も取ってないし今後取るつもりも全くない。天ヶ瀬と縁が切れれば元友人方面との繋がりは100%切れる。
自分の最低限の面倒すら見ない奴なんて、もう金輪際かかわらない。
嫌なことはきれいさっぱり忘れ去るに限る。
そして甘いもの食べて気力体力回復だ。
桜良はがさがさと購入してきたものを片付けながら、あれこれってなんだかデジャヴ?と心の中で突っ込んだ。
違うのは『初恋ショコラ』を冷蔵庫に入れなかったことだ。
手早く雑炊を作り、鎮痛剤と水の入ったコップをトレーに乗せて天ヶ瀬の前に出せば、真っ赤な顔をふにゃりと崩して桜良に笑いかける天ヶ瀬はとても30歳のおっさんには見えない。
「熱いから気を付けて食べて。……私は帰る」
おっさんは口に含んでいたスプーンをぽろりと床の上に落とした。
あーあ、口に入れて溶けたショコラをばらまいたよ。
ため息がでつつもついついティッシュで床を拭く自分にどこまで面倒見がいいんだと自嘲した。
「か、か、帰るって、桜良ちゃん!?」
「帰る。家でゆっくり寝たいから」
そして二度と天ヶ瀬に会うつもりはないがな、なんて言葉はもちろん言わない。
餞別もあげ終わったし、忘れ物もない。桜良は『初恋ショコラ』の入ったビニール袋を手に取ると、すたすたと玄関に向かった。
どんっと鈍い音がしたのはその直後だ。
そしてその音が痛みとともに自分の背中から伝わってきたことも。
掴まれた腕が、熱い。
「……天ヶ瀬?」
不用意に近づいてくる天ヶ瀬の、空気越しに感じる体温が。
「ケーキと俺のキス、どっちがすき?」
「……は?」
熱いのは、どこ?
掴まれた腕?
密着した躰?
甘いショコラに重なる唇?
それとも、ずっと心の奥で願っていた、小さな小さな―――――諦めていた恋心。
「桜良は両方、好きだろう? これで桜良の願いは叶ったんだから、今度は俺の願いを叶えて」
ずっとずっと傍にいて。
帰るだなんて、言わないで。
―――――『初恋ショコラ』は忘れられない味となった。
後日談。
「っていうか、キスしただけで風邪がうつるってどうよ」
「えー、それほど強い俺の愛が桜良に届いたってことでしょうよ」
「違う、それは絶対に違う」
「やだもうおうらちゃんったらー、てれやさんっ」
「……うざっ」
短編掲載日:2013年 10月05日 02時07分