彼女の独り言 後篇
☆やっぱりS.F.にしかならなかった。
恋愛要素、薄すぎ(爆)
ねえ、どう思う?
誰かから聞いたんだけれど、人生はいいことも悪いことも天秤に掛けられて人生の終わりにはきっちり水平になっているって。
こんな言い方じゃなかったかもしれないけれど。
でもこれって、その通りかもしれない。
最近は特にそう思うようになった。
え?なんでって?
そうよね。
なんでだろ。
子供のうちはよかったの。
体育はどんなに頑張っても苦手だったけれど、それ以外の勉強って名のつくものなら大抵はこの力のおかげでこなせていたから。
でもね。
あるとき、好きな人ができたの。
遅まきの恋ってやつよ。
え?言い方が古い?
まあいいじゃない。少しくらいセンチメンタルに陥っても。
もうね、世界が変わったわ。
よく言う『薔薇色』よね。
彼のことを考えると胸が切なくて、けれど考えないことの方が心臓に痛くて。
彼のことを沢山知りたくて、彼の後をたどっていったわ。
……ストーカーっぽいわね、こんな言い方すると。
時間が巻き戻るんだから、彼の前に出ることは簡単だったわ。
そうしてゆっくりとだけれど少しずつ彼が私に心を開いてくれるのは本当に嬉しかった。
キスしてくれた時は嬉しくて嬉しくて涙が出そうだった。
だから時間を眠ることで巻き戻したの。
初めてのキスを何度も何度も受けたわ。
馬鹿みたいでしょ。
乙女チックなのも大概にしないとね。
―――グラスの溶けた氷がカランとよい音をたてた。テーブルには時間がたったことを表す水滴が広がっている。
あら。
せっかくのお酒が薄くなるわ。
付き合ってくれてうれしいけれど、お酒は美味しい時に呑まなくちゃ。
ええっ?話に引き込まれていて忘れていた?
あはは。ありがとう。
じゃあもうちょっとだけ付き合って。
キスから先に進んだのは、もちろんお互いがそうしたかったからなんだけれど。
私も彼も初めてで、どうしたらお互いが気持よくなるかなんてことを考える余裕もなかったわ。
けれど彼の一生懸命さが好きだった。
ごめんねって言いながら、それでも先に進もうとするなんて、おかしいでしょ。
謝るなら止めてって思うけれど、本当はやめてほしくなんてなかったわ。
そうして一つになった時は痛みでどうにかなるんじゃないかって思ったけれど、それよりも彼を受け入れることができたのがとても嬉しかった。
そう信じてた。
ふふ。
どうしてここまで見ず知らずのあなたに赤裸々に語るのかって?
ここがターニングポイントになったからよ。
なぜって?
あのね、初めてだったの。
ああ、そうよね。何回も言う必要ないわよね。
でもね、初めてって気持ちも身体もとても疲れるでしょう?
……寝たのよ、そのあと。
ちがうちがう。
寝た、じゃなくて眠ったって言った方がわかりやすいわよね。
そう、眠ったの。
どのくらい眠ったかは……わかる?
意識が戻ったのは、彼との待ち合わせでいつも使っている駅前の金時計の前だったわ。
そう、『寝る』前。
その日の行程はもう分かってるから、いくら幸せだったといっても引くものがあったわ。
あの痛みを繰り返すのかって。
でも諦めもあった。
だってどんなにあがいてもどうせまた繰り返さないと先に進めないんだから。
だから精一杯楽しそうにして、眠る前と同じように彼と過ごしたわ。
二度目の初めての時も。
痛みに悲鳴を上げた時も。
寝た後は疲れてへとへとになったけれど、眠ったらまた同じことを繰り返すって自分に言い聞かせて必死で起きていたわ。
彼は横で幸せそうに寝ていたけれど、私は本当に必死だった。
それから数時間は地獄の苦しみね。
そうしてあの時に戻らないように慎重に計算した時間をタイマーを合わせて、やっと眠ることができた。
小刻みに眠ることで、時間の繰り返しをやり過ごすことができるのは経験から知っていたし。
でもね。
本当に苦しんだのはこの後からよ。
彼は、野獣になったの。
さかった、っていうのかしら。
思春期の男の子かってくらい。
だいたい、男と女では体力差があるし、寝ることに関しては特に女が疲れやすいでしょ?
彼と寝た後は、意識が無くなることの方が多かった。
そうするとね……戻るのよ。
意識がなくなった分、いつものように『前』の時間に。
それがどいういうことか、わかる?
ずっと、ずっと、ずっと、彼と寝なくちゃいけないの。
だって彼は同じことを何回も繰り返しているわけじゃない。
それは私の意識だけなの。
彼は今日初めての行為をしているだけ。
それだけなの。
でも私はもう何回も、何十回も、同じことを繰り返している。
気が狂いそうだった。
身体がおかしくなりそうだった。
ここでまた意識を飛ばしたらループされるという恐怖が回数を重ねるごとに湧いて出て、回数を重ねるごとに初めての彼に対して冷たくなっていったわ。
だって、仕方がないでしょう?
何度も何度も死ぬほど喘がされてやっと意識が無くなったと思ったら、一からやり直すのよ?
よく気が狂わなかったって褒めてあげたかった。
だって小説とかでよくあるじゃない。
犯られるだけ犯られたら、逆にそこから抜け出せなるくらいそのことしか考えられなくなるって。
気が狂って、そのことだけを考える獣になるって。
もしくは、何人の男に回されると死んじゃうって。
ただ、私の場合は意識だけだから死ぬことはないんだろうなって思ったけど。
そんなわけで、私は彼に対して冷たくなった。
でもね。彼にはわからないわけ。
どうして私がいきなり冷たくなったのかって。
そりゃそうよね。わかるわけない。
あなたが私を死にたくなるほど犯すからよって、まだ数回しか私を抱いたことのない彼に言えるわけがない。
……愛していたわ。
ええ、彼を愛していたの。
愛しているのに、もう抱かれたくなかったの。
―――彼女はそういうと顔を俯かせた。緩やかな巻き髪が彼女の顔を見事に隠す。
それからいくらかもたたずに、振られたわ。
仕方がないわよね。
だって、好きな女を抱こうとしても恐れおののいて逃げていくんだもの。
男の矜持を傷つけられたようなものだものね。
本当はそうじゃないのに。
このことがあってから、私は変わったわ。
どう変わったのって?
そうね、簡単に言うと男の人と深く付き合えなくなった、ってことかな。
それに男の人を選ぶようになった。
え?女は誰でも男を選んでいる?
ふふ。そうよね。
でもそういう意味じゃないわ。
私が選んでいるのは、淡泊そうな人かそうでないか。
だって、寝た後に眠りこけるのはもうたくさんだったの。
見た目が淡泊な人でも、実際寝ると違っているときがあって、その時はループに陥りそうになって必死で食い止めた。
情けないわよね。
相手は満足してるのかしら。
……していると思いたいけれど、大体のひとは私と二三度寝ると離れていくから、そうじゃないのよね、きっと。
まあいやだ。
こういうとまるで私はしょっちゅう男の人を取り換えるあばずれみたいよね。
あはは。
ほんと、嫌だ……。
―――マホガニーのテーブルの上には、いくつもの水滴が落ちている。
なるほど。彼女は傷ついている。
それはそうだろう。
大人の世界では切っても切り離せないことが、彼女にとっては苦痛の一端なのだから。
ああ、どうしてこう、涙が出てくるんだろう。
……ごめんなさい。余計に陰気臭くなってしまったわよね。
そんなことない?
ありがとう。
あなたはとても聞き上手なのね。
こんな話、聞いていても面白くないというのに。
そういえばどうして私の話をそのまま信じているように聴いてくれるの?
―――濡れた頬をそっとハンカチで拭いながら、彼女は薄暗いバーの灯のなかでも薄いとわかるほどに色素が少ない瞳で問いかけてくる。
「これを飲んだら教えてやるよ」
―――差し出したグラスを彼女は訳も分からず受け取ると、上目づかいでさらに問いかけながらグラスの淵に唇を付けた。
そうしてゆっくりとグラスを傾けると、最後は一気に飲み干してグラスを突き返してきた。
飲んだわ。
だから教えて。
―――挑戦的に突き出されたグラス。
けれど必要なのはその細い腕だった。
「勘定はつけておいてくれないか」
―――カウンターの向こうに面白そうにこちらを見ていたマスターにそう伝えると、ウィンク一つで了承を得た。こういうときは慣れ親しんだバーというのは気安くてよい。
そのまま彼女の手首を引っ張ると少しふらつかれたが、気にしないことにした。
手短に済ますため、大通りに出てタクシーを停めると訳も分からなくふらつく彼女を押し込めて、にげ出さないように自分も乗りこんだ。
行きつく先は、自分の住処だ。
驚く彼女を壁際に追い詰め、そして身体を密着させる。
「……いいか?」
確認したのは念のため。
タクシーの中でも俺の指が彼女の手首の内側を何度もなぞっていた時も、彼女は逃げようとはしなったから、今さらだ。
壁に両手を付け、彼女を確実に閉じ込めると、ゆっくりと彼女の唇に顔を近づけていく。
アルコールの匂いが混ざり合う距離。
そうしてもどかしげに身体を弄りあったのは、必然だったのだろう。
それからは意識も何もかも持っていかれるほどの快楽を二人で共有した。
「おはよう」
びくんと彼女の身体が震えたその瞬間を見逃さずにそう言った。
一瞬何が起こったのか分からないと頭をふるりと振った彼女だったが、おそるおそる顔を上げて周りを見るのはこういう場面に慣れていたからか。
諦めたように目を伏せた彼女は先ほどまで行っていた行為を繰り返そうと努力しようとした。
「大丈夫だ。……わかっている」
「え?何が」
「今、戻ってきたんだろう?だからもうしない」
素肌が溶け合うくらい密着していた身体を放すと、彼女は心底驚いたように目を大きく開けた。
「これが、答えだ。わかるか?」
さらに大きく見開かれた瞳から、ぷっくりと涙が盛り上がる。
何か言葉をかけたいのだろうにそれが難しいのか喉を片手で、口元をもう片方の手で押さえるとふるふると涙を流しながら頭を振り続ける。
「……わかったんだな。いや、そうではなく、信じられないといったところか」
くくくと喉で笑うと、その笑いはだんだんと体中に広がって、気がつけば大きな声を出して笑っていた。
なんて爽快な気分だろう。
爽快なんてもんじゃない、本当は馬鹿みたいに彼女を抱き上げてくるくると回したいくらいだ。
ひとしきり笑い終えると、腕の中の困惑気味の彼女を力を込めて抱きしめた。
今から告げる長い長い昔話のために。
「―――さあ、今度は俺の話を聞いてくれ」
彼女、というよりも彼の恋愛話になってしまったような気が……。