思い出はそのままにしておくほうが綺麗だと思う 前篇
幼馴染モノ。
羽柴 影虎は、幼いころの私のヒーローだった。
同じ町内に住む影虎は、いわゆる幼馴染に当たると思う。
一学年五クラスを保有する、そこそこ都会にあるマンモス小学校では、同じ町内に住んでいても知らない子供なんてたくさんいた。
だけど住んでいた町では子供会活動が盛んで、春には遠足、夏にはドッヂボール大会やキックベースボール大会、秋には運動会、冬には壁新聞づくりや映画鑑賞などいろんな行事が目白押し。しょっちゅう集まる機会があったせいか学校の同級生を覚えるよりも早く、学年の違う子供会の子たちを覚えた。
中でも同学年は特別だった。
子供の自主性を養うためにと、運動系の大会に出場するにあたりどんなふうに作戦を立てるのかは最高学年の六年生のメンバーを中心に考えさせる子供会だったから、優勝する気まんまんの六年生がいるとドッヂボールにしてもキックベースにしても学校が休みの土日どころか平日の夕方に至るまで練習に明け暮れることになる。
初めは好き放題言いたい放題で無秩序だったメンバーも回を重ねるうちにまとまりをみせ、自然とリーダーが生まれる。
影虎だ。
実年齢よりちょっとばかり大きめの体格は格闘家の親の影響を受けてしなやかでのびやかに運動場を自在に動き回り、みんなの目線をくぎ付けにした。もちろん幼かった私の目も。
試合が終わった後に黄色いビブスを手にかけて友達と楽しそうに話し込む姿や、ついつい白熱して言い争っているメンバーに一言声をかけるだけで場を静めることができる強さ、人混みに紛れても必ずどこにいるかわかってしまう存在感、それに加えて自分から進んで通っていた塾のテストで三カ月連続優秀賞を取った頭脳。どれをとっても平平凡凡な子供だった私の目には眩しく映った。
そこにいるだけで誰もが意識した、影虎という存在。
卒業するまで一度だって同じクラスになったことはないけれど、子供会で六年間、特に最後の一年間はなによりも私の宝物だった。
中学校は近くの小学校二校と合わせての校区になるから同じクラスになる確率は小学校よりも低くなるけれど、それでもこの宝物の時間は続くんだと当たり前のように思っていた。
だけど、それは私の勘違いだった。
「卒業式は派手にしようぜ!」
子供会の卒業記念映画鑑賞会の集まりの時に、いきなり影虎が宣言した。
まわりにいたメンバーは唖然として影虎を見つめ返した。
うちの小学校はそれでなくても卒業式が派手で有名だった。どのくらい派手かというと女子の半分くらいは大学卒業式並の袴姿だ。男子だって負けていない。紋付き袴の子が何人もいるそうだ。卒業式のために四年の頃から髪を伸ばしている子だっている。親だって困惑しながらも卒業式が近づくにつれて子供よりもそわそわと落ち着きを無くしてくる。本来なら大学生ようにレンタルされる袴は、シーズンを前にいいものからなくなっていく。親はネットワークを駆使してどこのレンタルショップによい柄があるとかどこどこは写真を事前に取らせてくれるだとか調べ上げて我が子に相応しい袴を用意する。六年生どころか五年生の時に袴や美容院の予約は当たり前という親もいるほどだった。
そんな中での「派手」発言。
恐々としたのは私だけで、残りのメンバーは影虎の意見に大賛成。小学校最後にいい思い出作るんだ!と家に帰ると早速親に話したらしい、翌日の学校では休み時間のたび親にプリントアウトしてもらったひな形にああでもないこうでもないと額を突き合わせるように相談しあっていた。
そして卒業式。
朝早くから美容院に行き、母親が成人式に着た朱色の古典柄の振袖に黒に桜の柄の袴を着つけてもらい、背中まで伸ばしていた髪を結い上げふわふわした羽の髪飾りを付けてもらったら、いつもの男の子顔負けのやんちゃな私ではなく、そこそこみられる女の子がそこにいた。
これなら、いけるかも。
願いが叶うようにデジタルカメラを差し込んだ胸をぽんと叩いた。
子供会のメンバーが集まったのは、校門の前に設置された「卒業式」と書かれた看板の前だった。
影虎は望み通りに派手な姿だった。
羽織袴姿なのはお約束だったが、周りの子たちが紺や黒、もしくは深緑と落ち着いた色なのに対し、影虎の羽織は派手の一言に尽きる。どこで見つけてきたのか、羽織がどう見ても女性の婚礼用の着物なのだ。振袖の袖の長さをそのままに羽織にかえたような感じだった。子供会のメンバーも柄こそ違え、揃ってその羽織を着ている。四人が揃うとキラキラしすぎて目を覆いたくなった。
もちろん、女子メンバーだって負けていない。
男子並みに派手派手しくはないものの、本振袖に袴というスタイルは袴姿の中でも人目を引く。
傾奇に傾いた男子と本振袖の袴姿の女子の集団はあちこちで驚きの声と黄色い声をあげられて迎えられ、写真をねだられた。初めのうちはにこやかに応じていた影虎だったがあまりの多さに最後には怒りだし、私たちを置いてさっさと教室に入ってしまった。影虎がキレるなんて珍しいと、他のメンバーと目を合わせて後を追いかけたら、影虎は教室の自分の机に腰を下ろして卒業の祝の言葉で埋め尽くされた黒板をじっと見ていた。妙にそれが印象的で、声をかけることも憚られた。
迎えた卒業式では、名を呼ばれた子の壇上に上がる姿にどよめきが起こる以外はいたって厳かに(?)式は進行した。
終わった後は教室に戻り、本当に最後となるHRが始まる。教室は別れの喪失感と、旅立ち前の高揚感に包まれていた。
そうしてとうとう、花道を歩く。
担任を先頭に、在校生で作られた花道を、笑って泣いて、最後に校門をくぐって小学校を卒業した。
式の後にも集まろう。
約束の看板の前にメンバー全員が待っていたのに、いいだした影虎はいつまでまってもやってこなかなった。
仕方がない、親の都合もあるだろうしね。
どうせ次は中学校の入学式で会えるんだからいいよね。
私たちはそういってそれぞれの親の元へと足を向けた。
それが最後だということをしらないで。
影虎がいない。
そういったのは誰だったのか。
桜の花が咲き乱れた中学校の入学式。
体育館前にはクラス分けの紙が貼られていた。
自分の名前がどのクラスにあって、誰が一緒のクラスにいるのか必死になって探す。
見つけた後は誰がどのクラスにいるかチェックしていると、何かがおかしいと心が叫んだ。
影虎の名前が、ない。
焦った私はもう一度一組からチェックを初める。
もう一度、そしてもう一度。
見落としたかもしれないと繰り返し一組から名簿をチェックしても、羽柴影虎という名は載っていない。
呆然とする私に、子供会メンバーが声をかけてきた。
「なあ、影虎って……いないよな?」
「名簿に名前、ないんだよ」
「もしかして引っ越したとか?」
「まさか。同じマンションだけど、引っ越したなんてきかないし」
「だよなあ。じゃあなんでいないんだよ」
「知らないの? 羽柴は私立にいったよ」
疑問に答えたのは影虎と同じ塾に通っていた子だった。
その子によると、影虎の能力を惜しんだ塾の先生が、私学の受験を勧めたんだそうだ。
初めは渋っていた影虎の親も、あんまりにも先生が熱心だったことと、薦められた学校にはスポーツ施設が充実していて、これだったらどこかのクラブに入れて練習させるより勉強もスポーツも最高のものを受けれるだろうと受験をさせることにしたらしい。
影虎も初めは受験なんてメンドクサイと渋っていたのに、受験前の学校見学のときに見た施設に瞳をキラキラと輝かせて、この日から目標を持って勉強に励みだしたんだそうだ。
そうなると影虎は無敵だった。
難関だと言われている学校にあっさりと合格した。
そしてそれを驕るどころか卒業するまで私立に入学することで今までの関係を崩したくないと誰にも言わないでもらいたいと親にも塾の知り合いにも告げる徹底ぶり。おかげでメンバーの誰一人、影虎が同じ中学校に進学しないなんて気が付かなかった。ただその時期はやたらと付き合いが悪くなったよなあというくらいだった。
ちょうどその頃だ、影虎が卒業式は派手にしようっていったのは。
「俺たちの結束がどれほど固いか、みんなに見せびらかしてやろうぜ!」
その言葉を重く取らなかったのは私たちだ。
「中学生になってもこのメンバーの結束は変わらないけど、部活や学業に追われていままでどおりになんてならない。だから記念になるものを残したいんだ。」
影虎がどれほどの想いをこめてその言葉をいったのかなんて、考えなかった。まさか違う中学校に行ってしまうなんて思ってもいなかったから。
もちろん同じ町に住んでいるから、道を歩いているだけで会うこともあるんだろうけど、どうしてかもう会えないような気がしてた。
それは他のメンバーもそうだったようで、何も言わずに違う中学校に行った影虎に失望したという子もいれば、何も言わない子、仕方がないと皮肉に笑う子と様々な反応を見せた。
良くも悪しくも影虎はみんなの中心だった。
バラバラだったメンバーを繋げていたのは影虎だった。
つなぐ手が無くなれば、自然と離れ離れになる。
影虎が同じ学校にいない、ただそれだけであれほど強かったはずの結束はぱちんとはじけてほどけてしまった。
ヒーローだった影虎は、この時より苦い思い出の象徴となった。




