卒業アルバム
まさか同じ高校だなんて思わなかった。
高校の入学式の日。
校門の道沿いに張り出されていたクラス名簿で自分のクラスを探していたら、見つけてしまった。
『九組 高橋 大翔』
よくある名字、よくある名前。だから、本人だとは全く思っていなかった。
なにせ通う高校は、男子がひじょーーーーに少ない商業高校だったのだ。
学年全体360人中に50人いるかいないかの、まさかのハーレム的比率。
そんな男子の人口密度が極端に少ないところに、あいつがいるなんてどんな試練だと田中 結衣はがっくりと肩を落とした。
「ねえねえ、田中さん。」
入学式の後、出席番号順に座った席の前にいる、ちょっとかわいい系な田之岡が親しげに声をかけてきた。
「田中さんってクラスに二人いるから、下の名前で呼んでいいかな?」
「どうぞ。中学校でもクラスに何人かいたから、みんな名前で呼んでくれていたし」
「あ、やっぱり? たしか日本の一番多い名字五位までにはいっているよね、『田中』って。でもそのほうが名前を呼んでもらえるから、いいよね」
へえ。そういう考え方ってあるんだ。
普段から下の名前で呼ばれ慣れている結衣は新鮮な驚きを感じた。
なにせ自分は下の名前で呼ばれていつつも結衣が他の人を呼ぶときは基本苗字だ。そのことに云われるまで気が付かないとは我ながら情けないなあと結衣は力なく笑った。
「下の名前は、結衣。結衣っていうの。田之岡さんは?」
「え? 私? ……名前で呼んでくれるの?」
「それはそうでしょ。だって、私だけ名前で呼ばれるのもなんだし」
「そっかあ。うれしいなあ。私の名前は、恭子だよ」
「芸能人みたいな名前だね」
「えっ? そうかな?」
「そうそう。『田之岡恭子』なんて、格好いいよね。羨ましいなあ」
そこから女子話が弾んで、気がついたらクラスの一番の友達になっていた。
結衣の学校では男子は貴重だ。
クラスに男子が七人いればいいほうで、全くいないクラスもある。男子のいるクラスは体育や家庭・技術の時間になると合同授業となった。
結衣のクラスにも男子がいたので他の男子のいるクラスと合同授業がある。それがたまたま九組で、九組には否が応でも高橋 大翔がいた。
結衣にとっては嫌な合同授業だったが恭子にとっては夢の時間だったようで、大翔を見かけるたびに恭子は結衣の後ろに隠れて、こっそり大翔を見つめていた。
なんであいつのことが好きなんだろう。
結衣はその程度しか思わなかった。
結衣にとって大翔はいつも喧嘩を売ってくる大人げない奴で、どうして恭子のように女の子女の子した可愛らしい子が大翔を好きになったんだろうと不思議でならない。
友人だから恭子のことは応援しなくもないけれど、相手が大翔だからこそ応援しづらいと結衣は思った。
それなのに。
なぜか恭子にばれてしまった―――――結衣が大翔と同じ町に住んでいることを。
「結衣って、九組の高橋君と幼馴染なんじゃないの?」
「すごいね、恭子。どうして分かったの?」
「うわー、本当にそうだったんだ。いいなあ。高橋君と幼馴染なんて。」
べつにいいってことは何もなくて、どっちかと言えば鬱陶しいんですが、なんて言葉は恭子のために飲み込んだ。
「ねえねえ。小学校や中学校ももちろん同じでしょ?」
「そりゃあ住んでいる町が一緒なら学校も一緒でしょ」
「じゃあ、卒業アルバム! 今度見せて?」
「いいよ。 明日持ってきてあげる」
「やった!」
その時の嬉しそうに頬を染めた恭子の顔をみて、なんとなく……変な気分になった。
翌日学校に持ってきた卒業アルバムを見て、結衣はどこに大翔が写っているか事細かに説明した。
小学校の時は五クラス、中学校の時は九クラスの多人数が写るアルバムでは当事者でないと見つけづらいと思ったからだった。
恭子は米粒みたいにしか写っていない大翔でも凄く喜んだ。
その姿を結衣は複雑な思いで見ていた。
「いいなあ。結衣はおんなじ時を彼と過ごしたんだね。高橋君の写真、欲しいなあ」
いいなあ、いいなあと何度も同じ言葉を呟くので、なんだかだんだん恭子がかわいそうになってきた結衣は「じゃあここ、切ってあげようか?」と言ってしまった。
「え? いいの?! 卒業アルバムだよ?」
「いいよ。どうせ子ども会も一緒だし、写真なんてなくてもあいつの顔くらいわかるから」
「うそみたい! ありがとう、恩にきます」
ちょきちょきと切って渡した卒業アルバムの一片を、恭子は大切に持って生徒手帳の中のカバーに入れ込んだ。
いいんだ、これで。恭子、物凄く喜んでくれたし。
ぽっかりと空いた卒業アルバムが入った紙袋を抱えて、結衣は帰りの電車に乗った。
「おい、田中」
コツンと頭を叩かれて、うつらうつらしていた意識が戻された。
「おい、田中! 起きろよ。 駅に着くぞ」
「……ありがとう、っていうべきなのかな」
「当たり前だろ! 乗り過ごすところだったんだぞ」
「はいはい。ありがとう」
「……ったく。相変わらず可愛くないな」
結衣が座っている座席の前に、仏頂面の大翔が立っていた。
なんでそこにいるの。いくらでも席は空いているのに。
「ちょうどよかった。あのさ、今度写真撮らせて?」
「……なんだよいったい。俺の写真なんてお前沢山持ってるじゃん」
「別に私はいらないんだけど。……友達がね、欲しいんだって、高橋の写真」
「はあ?! なんだそれ?」
「高橋のことが好きなんじゃないのかなー?」と、とりあえずあやふやな方向で攻めてみることした。
「やだね」
「えー? いいでしょ。別に減るもんじゃないし。写真くらい撮らせてよ。使い捨てカメラ、買ってくるし」
「はあ? なんで使い捨て? 携帯は?」
「携帯はまだ持ってない」
「……まじかよ。どこの小学生だよ」
「酷いなあ。なんでこんな男が人気あるのかなあ。さすがハーレム学校」
「お前ね……」
「ね。いいでしょ。明日学校で撮らせてね」
「だからやだって言ってるだろう」
「ケチ」
そうこうしている間に降車駅に到着したので、二人は仏頂面で電車を降りた。
「駅の売店にカメラ売ってるから買ってくる。ちょっと荷物見てて」
返事を待たずに売店に駆け出した結衣を大翔はあきれて見送った。
荷物といっても学校指定の鞄と、中身が飛び出ている紙袋。
ついでだからと紙袋から飛び出しているものを入れ直そうと手に取ると、それは大翔も持っている中学校の卒業アルバムだった。
なんでこんなものを学校に?
そう思いながらもついこの前のことなのに懐かしくなってぺらぺらとめくっていくと、数か所穴があいてた。そしてそれは誰の部分かというと、大翔自身が写っていなければいけない場所だった。
どういうことだ?
何度見ても、自分が写っている場所に穴が空いている。
ちょうどその時、結衣が手に使い捨てカメラを持って帰ってきた。
「おい田中! これ、どういうことだよ」
「は? 何急に怒ってんの?」
結衣の目の前に出されたものは、昼間、恭子にあげるために切った卒業アルバムのページだった。
「あ、……それ……」
「お前、俺のことがっ。写真を残したくないほど嫌いなのか?」
「違っ……。これは……これは、友達が欲しそうにしてたから切ってあげたんだよ」
「はあ?! お前馬鹿じゃねえの? 卒業アルバムだぞ? 記念になるものに簡単に穴なんてあけんなよ!」
「いや……だから、高橋に写真撮らせてっていってんじゃん……」
「ばっ……! そんなの、写真切り取る前に言えよ!」
「いいでしょ。そのアルバム私のだし。私がどう使おうが高橋には関係ないでしょ!」
「関係ある!!」
大翔は力いっぱい叫んで、そして真っ赤になって俯いてしまった。
「え?」
「……関係あるんだよっ!」
「ええっ?」
何を言われているかさっぱり分からない結衣は、まじまじと高橋をみてしまった。
手に力が入って、震えてる……?
「大、……高橋……?」
はーっと息を長く吐いて、よしっと空気で叫んだ大翔は、結衣に向き直って携帯カメラが握られている手を取った。
「あのさ。これで撮っていいから」
「う…うん?」
「あのさ。お願いがあるんだけど」
「うん。あの……だから、手」
「これで撮っても、その友達に渡さないでくれる?」
「え? ……でもそれじゃ」
「あのさ! 俺、お前に俺の写真、持ってて欲しいんだ」
は? あ? え? えーーーっ?!
なんで急に、何をいうのかな?!
それともこれって新手のいじめ?
結衣は慌てて大翔の手を振り払おうとしたが、大翔の力が強くてそれは叶わない。
「えーっと! 高橋の写真なんて、幼稚園のころから持ってるし!? てか、一緒に何度も写ってるじゃん!」
「そうだよ! 俺の昔を全部知ってるよ、お前は。でも、高校になって子ども会もないし、もうクラスも違うし、一緒に写るってことないだろ」
「まあ、それはそうなんだけど」
「だから! 今の俺の写真をお前に持っていてもらいたいんだ」
「え? だからなんで!」
「にぶいわ!」
「なにそれ? 何をいきなり人を『鈍い』とかいいますね?」
俺ってホント馬鹿かもしれん、と小さな声で呟く大翔に、「馬鹿は前からじゃん」と小声で突っ込むと、げんこつで殴られた。
暴力反対。
「ほんと、なんでこんな奴、好きなんだろ」
……いまなんて。
「俺さ。お前が好きだ」
「困る」
「なんだよそれ。即答で『困る』かよ」
がっくりと肩を落として壁に凭れかかる大翔に、ついついごめんと謝った。
「だって友達のほうが高橋のことをずっと好きなんだよ……だから、困る」
「そういう理由、あり? 俺、その程度?」
なんのために商業高校選んだと思ってんだ。
信じられない言葉が結衣の耳に聞こえてきた。
「俺、お前がいるからこの高校選んだんだ。まあ商業科は親の希望で商科大学でもよかったんだけど、お前が商業高校に行くってわかったから、高校をかえて受験したんだ」
え? そんな話、聞いてないし信じられない。
結衣はあまりにも驚いて、恥ずかしそうに俯いて話す大翔を下から覗き込んだ。
わ、真っ赤。
そこには顔を真っ赤に染めた、初めて見る大翔がいた。
「お前さ、俺以外のやつらがお前にちょっかい出してないって知ってる?」
「そういえばそうかも」
「がくっとくるセリフだな。俺がお前を好きなのをみんな知ってるから、ちょっかいださなかったんだよ。……わかれよ」
わかんないよ! だっていつもいつも、高橋は私に喧嘩吹っ掛けてくるし、ちょっかいだすし、頭こづくし。
そんな愛情表現って、ありなの?
結衣の恨みがましい目を理解したのか、大翔は頭を掻きながらそっぽを向いた。
「悪かったよ、子供で。でもお前のこと、本当に好きなんだ。……だから、付き合ってくれ」
「!」
「友達がどうのこうのっていうのはなしだからな。お前がどう俺のことを思っているか、だからな!」
急にそんなことを言われても困る。頭がまともに働かないよ。
結衣はまさかの展開についていけず途方にくれた。
「わかった。急に言いだした俺が時期を見誤った」
だから、喧嘩友達からじゃなく、普通の友達から始めよう。
今まで見たこともないほどの優しい顔して、大翔は結衣に手を差し出した。
「ほら、握手」
なかなか出そうとしない結衣の手を強引に握り締めた後、大翔は「このまま手を繋いで帰るか?」と笑う。
「それはない!」
「ま、そうだろうな」
くっくと笑う大翔の顔はなんだかとても楽しげで、いつもこんな風に二人で笑っていられたらと、結衣は思った。
「写真、とっていいよ」
「え? いいの?」
「おう。そのかわり、結衣のも撮る。それを俺にくれたら、いいよ」
大翔は当然のように結衣の名前を呼んだ。
使い捨てカメラの、カリカリという音を聞くたびに、結衣はこの時の大翔とのやり取りを思い出す。
デジタルが主流の写真のなかで、大翔の写真だけは今でも現像している自分にちょっと笑いながら。
短編掲載日:2011/04/21 08:19
改 稿 日:2013/11/15




