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悩める彼と男前な彼女

☆春隣豆吉さまとトムトムさまの共同企画である『皆で初恋ショコラ』企画にこっそりこっそりこっそーり参加させていただきました。☆


 なんだ、これ。

 神薗 遼太郎は目の前に落ちていた袋を拾い上げた。



 授業が終わり、帰宅部の遼太郎はバイトに行こうと帰り支度をしていると、担任から呼び出しを受けた。

 呼び出し理由はわかっている。

 進路希望調査票を出していないのは、クラスでは遼太郎だけだったからだ。

 面倒くさい。

 できればバックれたかった遼太郎だが、こればっかりは仕方がないと重い腰を上げて職員室に向かった。

 案の定、担任からお説教を喰らう。

 将来のことをもっとまじめに考えろ。高校は義務じゃない。中学のときに自分が行きたいと願ったからこの高校に入ったんだろう? 大学だってそうだ。どの大学がいいか調べるのは先生じゃない、神薗自身なんだ。神薗が何をしたいのか、将来どんな職業に就きたいのか、それを突き詰めて考える時期なんだぞ。

 遼太郎だって担任のいう通りだと思う。

 だが入学した時と今と状況が違うのだ。

 大学に行くだけの資金がない。

 父親が倒れ、家に明かりもお金も無くなったのは一年前だった。

 そこから母親と弟と三人で暮らしてきた遼太郎は、自分よりも弟に大学に行ってもらいたいと願っている。

 だけど母親が遼太郎に進学を勧めるのだ。

 将来、ぜったい大卒のほうがいいから、と。

 差別がないなんていっているのはどこかの平和主義の人だけで、実際の社会は偏見と差別に満ちている。片親の高卒だというだけで、就職したくてもできないところはいくらでもあるし、もしかすると結婚だって……だからせめて大学だけは出てほしいとすまなさそうに謝る。

 だから悩む。クラスの誰よりも将来のことを考えているのは自分じゃないかと勘繰るほど悩んでいる。

 決められないのもしかたがないじゃないか。

 遼太郎は鞄を取りに教室に向かいながらつぶやいた。


 教室の窓から見える景色は、とても切ない。

 キーンと金属バッドに球が跳ね当たる音、ワーワーという歓声、音楽室からはクラリネットのちょっと調子のはずれたスケール。

 秋の薄い空の色がそれらと合わさって切なく感じるのだろう。

 バイトに行くまでの数十分、遼太郎は感傷に浸りながら空を見上げていた。


 振り返ったのは、人の気配を後ろに感じたからだった。

 だが、誰もいない。

 気のせいかと思い直し、机の上に置いてある鞄を掴んだ。


 放課後の喧騒が過ぎ去って冷めた廊下を歩く。

 ため息が出るのはきっと決心がつかないからだ。

 いつまでもうじうじ悩んでいてもなあ。母さん、心配するだろうし。周哉だってこんな俺を見てたら自分の将来、悲観するかもな。

 そうしてまたため息をついた。


 すると、目の前の廊下のど真ん中に、さっきまでなかったはずのものが落ちていた。いや、置かれていた。

 ―――――紙袋?

 遼太郎は紙袋がまっすぐ遼太郎に向いているのを見て笑った。

 もし紙袋が誰かの落とし物であったなら、こんなに綺麗に立てて落ちているものかなのか?

 それでも廊下に置いているにしては不自然な場所にあるから落とし物だろうと解釈をして、紙袋を拾う。

 誰のものかわからないからと、持ち主がわかるものを探そうかと紙袋を開けると、中には今世間で話題のものが入っていた。

『初恋ショコラ』

 コンビニでバイトをしている遼太郎には馴染みの、だけれど自分自身は一度として食べたことのない商品だ。

 なにせ謳い文句がすごい。

『ケーキとぼくのキス、どっちがすき?』のフレーズは流行語大賞になりそうな勢いで世間に浸透している。そしてそのフレーズを恥ずかしくないのかと突っ込みをいれたくなるほど甘い口調でアイドルたちが語り掛けるのだ。

 バイト先で嫌というほど聴かされている遼太郎は軽く拒否反応を起こす。

 アイドルを観ても、フレーズを聴いても、『初恋ショコラ』を見ても。

 おかげで食べる気がしないという商品だが売れ行きは絶好調だ。棚に並べている横から嬉しそうに手に取るお客様は神様です状態だ。店員の腹の中はどうでもいい。

 まあ、誰かの忘れものだろう。

 遼太郎はあっさりと結論付けた。

 なにせ完売必須の旬な商品だ、安価だからといってもそうそう手に入らない。

 それにコンビニのビニール袋ではなく、入れ替えた茶色い紙袋。

 誰かが誰かの手に渡したいと願ったものに違いない。

 遼太郎はちょっとだけ考えて、袋を元の位置に戻すことにした。 

 大事なものだろうから、きっと誰かが取りに戻ってくるだろうと思って。

 まあ、角度はこんなものか。

 徹底的に元にあった状態に戻そうとしたが、もともと落とし物だと思っていただけに記憶があいまいだ。あいまいだから完璧に戻せるわけもなく、遼太郎は途中であきらめた。

 そうこうしている間にバイトの時間が差し迫る。

 携帯電話で時刻を確認しながら足早にその場を去るころには、遼太郎はすっかり紙袋と『初恋ショコラ』のことなど忘れていた。



 翌日は体育大会だ。

 空は照りつけるわけでもなく、よい曇り具合だった。

 遼太郎の出る種目は借り物競争とリレーというトラック周りばかりだ。自分のくじ運のなさを少し怨む。

 借り物競争はお昼前の最後の種目で、とうとう遼太郎の出番となった。

 スタートして10mもしない所に借り物を描いたカードが封筒に入って落ちている。

 無造作に拾った封筒を開けると、とたんにカードを封筒に差し戻したくなった。


『初恋ショコラ』


 誰だ、こんな阿呆なモノ、書いたやつ!

 レアすぎて、誰が持ってんだよ! つか、これ絶対にゴールできねえわっ!


 それでも仕方なしにカードを大きく掲げながら観客席にアピールする。

 絶対ないと思いながらも一縷の望みをかけて。

 トラックをそろそろ一周し終わろうとしていた時、少し遠慮がちな声が遼太郎の耳に届いた。


「あのっ! ……あります、『初恋ショコラ』」


 どこかで見たような大きさの紙袋が見えた。

 そしてそれを手にしている子に見覚えもあった。

 同じクラスの早瀬 椿だ。

 賑やかなクラスの連中とはちょっと一線を画した、控えめで大人しい子。

 その子が珍しく遠慮がちでも大きな声で遼太郎に話しかけてるのには驚いたものの、助かったと思う気持ちが強く、椿の腕を掴んでトラックに躍り出た。

 他の走者が次々とゴールし終わる中、遼太郎と椿は一番最後尾ながらもなんとかゴールしてパラパラと拍手を貰う。


「助かった。ありがとな、早瀬」

「ううん。お役に立ててよかった、です」


 急に走ったせいか少し息が切れている椿に、遼太郎はお礼を言った。

 上気した顔がほころんで遼太郎を見ている。


 あ、可愛い。

 早瀬って、こういう顔もするんだな。


「あの、よかったらこれ、貰って?」


 差し出されたのは件の『初恋ショコラ』だ。

 昨日廊下で見たまんまの、同じ紙袋に同じ商品。


 まさか昨日のものとか、違うよな。


「これ、今朝買ったものだから」


 椿はまるで遼太郎の心を読んだかのように言ってくる。

 それにさっきまで保冷剤いれてたからと付け加えてもくる。


「だけど、これってレアもんだろ? 早瀬が食べたいから買ってきたんじゃないのか?」

「う……ん。昨日も食べたの。だから、いいの。良かったら神薗くんに食べてもらいたいなって思ったんだけれど」

「そう? じゃあ有難くもらうな。ありがと、早瀬」


 ぽんぽんと椿の頭を叩いてやると、嬉しそうにまた笑った。



 借り物競争が終われば昼休憩に入る。

 遼太郎は『初恋ショコラ』のお礼にと椿を探して缶ジュースを差し入れれば、今度は椿が余分にあるからとおにぎりを一つ遼太郎にわたす。

 それじゃあ今度はまた俺が返すのかと笑って言えば、その必要はないけれど、こうやってまた話せれば嬉しいなと返されて、遼太郎は戸惑った。

 どうしたことか、今日の椿はいつもの控えめさはどこへやら、積極的に思えて仕方がない。

 体育大会という特別なイベントが気分を高揚させているせいかもしれないと遼太郎は思ったが、こういうのもたまにはいいかと「いいよ」と応えた。


 金曜日の放課後。

 遼太郎はまた担任に呼び出しを受けた。

 もちろん内容は前回と変わらない。

 遼太郎の決まらない進路についてだ。

 親とちゃんと話し合ったのかだとか、どの職種に興味があるのだとかそういったことを細かく突っ込んでくる。

 担任としては有名大学も射程内に入るほどの成績を修める遼太郎を進学させたいようだった。

 母親の願いと学校側の思惑は同じだというのに、渋るのはただ一人本人だけだというから決まるものも決まらない。遼太郎自身も本当のところは大学に行きたいし、なりたい将来も実はある。ただその将来のために入学すべき学部の費用は酷くかかるのだ。勉強をするのなら自分がやりたいことを、それ以外ならお金の無駄と思っているからこそ費用のかかりすぎる学部に入学するには躊躇するし、家の現状を考えると働いたほうが母親の役に立つ。自分にかけようとしてくれている金は弟の周哉にとも思う。でも……、と自分の優柔不断さに呆れてしまうが、決まらないものは仕方がない。

 今日も話し合いは平行線をたどり、バイトの時間が迫ってきた遼太郎は職員室を後にした。


 鞄を取りに教室に向かうと、窓にぽつんと人のシルエットが浮かんでる。

 最近ではちょっと見慣れてきたその後ろ姿は、体育大会からこっち、よく話すようになった子だ。


「あれ、早瀬じゃないか。どうしたんだよ、部活か?」

「ううん。神薗くんを待っていたの」

「……俺? 何かあったか?」


 椿は窓に目線をむける。

 その視線の先は途方もない何かを探しているようだった。

 まるでこの前の俺のようだな、と遼太郎は思う。

 椿も何か悩んでいることがあるんだろうか、と。


「え、えっと。……進路、決まった?」

「いや。まだ」

「そっかぁ。まだかあ」


 遼太郎がいつまでたっても進路を決めれないことは、クラスの中では誰もが知っていることだ。

 進学組がほとんどのクラスで、就職組なのは目の前にいる早瀬くらいなものだ。

 それともしかしたら遼太郎も。


「そういえば、なんで早瀬は進学しないんだ? 成績いいだろう?」


 それは素朴な疑問だった。

 上位の普通科の高校では、たいていのものが進学する。

 そのための普通科だし、もし就職したければ工業高校なり商業高校なりはいって、会社を斡旋してもらったほうがよい会社に就職できるのだから、普通高校に入る必要などない。

 もちろん遼太郎だって、父親が亡くならなかったら進学することに一片の疑問も持たなかっただろう。

 でも早瀬は初めから就職する予定だったようだ。


「進学は……するんだけれど、先にお金を貯める予定」


 耳慣れない言葉に、遼太郎は驚いた。

 椿が何を言っているかも理解ができない。

 入学金と一年分の授業料はバイトで稼いで貯めている、だけどできるなら全額溜めてから入学して勉強に勤しみたい、だから高校を卒業して一年は働いてお金を貯めるのと椿は笑っていった。

 奨学金という手もあるけれど、あまり借金は背負いたくないしとも言う彼女は、大人しい見かけとは違いすごく男前だった。


「私は幸せなの。だって帰る家があるもの。働く間の一年間は親が面倒を見てくれるっていってるから、それに甘える。だから私は自分が稼いだお金のほとんどすべてを貯金できるの。それってとても恵まれてると思わない?」


 遼太郎は、どういっていいかわからなかった。

 そういう考えもあるのかと、目からうろこが落ちた。

 両親がいる早瀬だというのに、親に頼って当然だと考えず、自分の力で大学に行こうとしている。

 それにはとても強い意志が必要だろうと簡単に推測できるが、それを椿はしようとしている。

 それに引き換え、他の可能性があることを考えることなく周りと同じ時流にのって大学するか就職するかしか考えなかった自分はなんて甘ったれた考え方をしていたんだと遼太郎は恥じ入った。


 勉強するのはいつだってできる。それが本当にしたいことなら、あとは自分の行動だけだ。


「恵まれている、かあ。早瀬はすごいな。俺も見習わないと」


 もっと椿と話をしたかった遼太郎だったがバイトの時間に遅れそうで慌てて鞄を手に取った。

 そして椿にまたなと声をかけようと振り向くと、椿は先ほどまでの凛とした姿はどこへやら、夕日を背に俯いてもじもじとしている。


「……どうした?」

「あ、あのね。本当は、これを、渡したかったの」


 俯きながらどうぞと言って手渡されたものは、見たことのある茶色い紙袋。

 前にももらったことのあるその袋の中は、前と同じに『初恋ショコラ』だ。


「え……? あの、早瀬?」

「あなたのことが、好き、です」


 泣きそうな笑顔で、椿は遼太郎に言う。


「あのフレーズは流石にいえないけれど、私は神薗 遼太郎くんが好きです」


 やっと言えたと微かな声が聞こえてきたが、遼太郎はそれどころではない。

 自分がどれほど甘ちゃんであったかと気づかせてもらった人からの突然の告白に、頭の中がぐるぐると渦巻いている。


 俺って、何か早瀬にやったっけ?

 ああでも、顔を真っ赤にして泣きそうになって、そんで俺を好きだって言って。

 早瀬のこういう顔、絶対に可愛いよな。


「返事は、いらないっていえば嘘になるけれど、本当は欲しいけれど、でも、やっぱりいらない、です。受験、するんでしょう? 頑張ってね」


 遼太郎が戸惑っている間にも椿は恥ずかしさのあまり言いたいことだけを言って遼太郎の前から逃げようとしている。

 いや、恥ずかしがっているんじゃない。

 返事らしい返事も貰えないと苦しんでいるんだと、椿の涙目がいっている。


「早瀬っ!」


 逃げ出そうとしている椿が遼太郎の声にびくっとして立ち止まる。

 逃がすかと、遼太郎は椿の腕を掴んでそのまま引き寄せた。

 腕の中の椿はかちかちに固まって、ぴくとも動かない。


「……早瀬。俺、ちょっと困ってる」

「……え?」

「俺、早瀬のことが好きかっていわれたら、すごく困る。でも、早瀬を可愛いって思っている俺がいて、早瀬のことをすごく尊敬している俺もいる。そして早瀬と一緒に色々なことを知っていけたらって思っている自分もいる。……そんな俺は、駄目か?」


 椿は腕の中で震えだした。

 駄目じゃないと泣きながら答える椿は、同じ涙を流していてもとても嬉しそうだ。

 椿のことをもっと知って、椿の良さをもっと感じたいと思ったのは嘘じゃない。

 嬉しそうになく姿を可愛いと感じている遼太郎は、それが小さな恋の始まりだったとは気が付かなかった。



「そういや、早瀬って『初恋ショコラ』ばっか持ってるよな」


 学校の近くの公園で、椿がおやつあるよと言ってだしたものは茶色い紙袋。中身はもちろん『初恋ショコラ』だ。


「う、うん。神薗くんに渡したくて毎日買って持ち歩いていたから……くせになってて」

「は? なにそれ」

「えっと、ほら、『初恋ショコラ』って宣伝のせいか告白するのに使われているんだって。だから、力を借りようとしてずっと買ってたの」

「あー、確かにそういって買っていく人、多かったなあ」


 だからあれほど爆発的に売れているのかと、今更ながらに遼太郎は思った。

 甘いマスクのアイドルたちが甘い声で謳う言葉だけではいくらなんでも売れすぎだろってずっと思っていた遼太郎は椿の言葉に納得した。


「体育大会の日、意味を知って受け取ってくれたんだって思ってたんだけれど……反応が違うから知らないんだって気が付いて」

「うん?」

「だから……がんばって声、かけたの」


 椿の顔は真っ赤だ。

 あまりにも真っ赤だったから面白くて頬をつんつんとつつくと、潤んだ瞳で見上げてくる。

 うん、可愛い。

 そう思った瞬間、遼太郎はあることに気が付いた。


 あー、俺って早瀬のこと、好きなんだ。


 自分に鈍感すぎる遼太郎もやっと自分の気持ちを理解した。

 受け取った『初恋ショコラ』を開けて、椿に見えるようにゆっくりと口に含む。

 椿に自分の気持ちが伝わるように。

 そうしてうんざりするほど聞かせれたフレーズを口にした。


「ケーキとぼくのキス、どっちがすき?」


 椿の答えを待たず、遼太郎は椿の小さな唇にキスをした。


短編掲載日:2013年 10月20日 12時15分

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