ピュア・プリンセス(一)
ご挨拶
お越し頂きまして、ありがとうございました。
『稜明学園騒乱譜 RIOT NOTE』序奏 第二話『ピュア・プリンセス』です。
意味不明なあらすじは、もう諦めました。はぁ。
まだ、コメディな学園物です。
究極なプリンセス登場の巻、でございます。
あっちゃんくらいだぜ、騎道君を容赦なくイジメられるのわ。笑っ。
語るほど、長いお話ではありませんので。どうぞ。本文へ。
お楽しみいただけましたら幸いです。
「やー、すんごくかわいい山ザルだったら、見掛けた覚えありますけど。木の上にするするっと」
「山ザルぅ? なんの話しをしているっ。この大事な時に。
俺が聞いているのは、飛鷹彩子君だ。見かけなかったか?
帰り足だけはトラック同様、ひたすら早いからな、彼女」
「ですから、山ザルはするするっと……」
「……一時的な言語障害なんです、三橋は。
直訳すると、彼女を見掛けなかった。ですから安心して、他を探して下さい」
騎道は三橋の口を押さえて、瞳に同情心を溢れさせて訴えた。
忙しなく放課後に入った校内を駆け回り、飛鷹彩子を探しているのは陸上部部長だった。手入れの行き届いたスポーツ刈りと焼きぬいた肌が、彼のステイタスである。陸上部に注ぐ熱心さでは、稜明学園随一の三年生だった。
「騎道君。二学期に転入したばかりで、君には彼女の噂は届いてはいないだろうが。彼女は陸上部に燦然と輝く、希望の星だっ。あの天性の脚力。
カモシカのようなとは、あれを言うのだよ。わかるか、騎道。
この私に技量さえ十分に備わっていれば、彼女は喜んで正規部員として入部していただろうに。残念だ。無念だよ。くくくっ。
県大会予選は来月だ。一刻も早く予備練習を重ね、黄金の脚に磨きをかけてもらわねばならないのだっ」
彼は力の入りすぎた肩を落とし、自己陶酔のドツボにはまった。
「……他を当たってみよう。彼女に会ったら伝えてくれ。県大会が、国体が、世界陸上が。あのローレルの冠が君を待っているのだと」
ああ、栄冠は君に輝く。夏の甲子園でつとに有名なフレーズを口ずさみ、ようやく去っていった。
「カモシカやない。山ザルでっせー」
「まだ、言うのっ!」
ザザッと、頭上の枝が揺れ、枯れ葉や虫が降ってきた。
この頭上の君こそ、男二人が正門を出ていく生徒たちを尻目に、下校もせずにのたらっとしている理由の主、飛鷹彩子であった。
「三橋。足を滑らせたら危ないだろ? 刺激するような言動は」
「ほーお、見てみたいもんだね。
それがホントの、サルも木から落ちる。じゃあ、ないでっかー」
「……騎道君。肩貸して」
怒りをなんとか押さえた声音が、とても怖い。
「どうぞ」
「また、騎道。俺だってここにいるぜ」
「あんたは、イヤ」
「……ちぇー。騎道ばっか。大体こいつなんか、痩せてて華奢だし、見るからに頼り無さそうじゃない。俺の方がずっと頑丈だぜ?」
拗ねるくらいなら初めから素直な言動に徹すればいいものを、出来ない性格なのか、不遇な性格だというのは、明らかだった。
「僕の手に捕まって」
さりげなくフォローする辺り。騎道若伴が、超の付くほどのフェミニストと噂される所以だった。彩子はやや戸惑ったが、遠慮なく、言葉に甘えた。
「彩子さん、身軽だね。ちょっと手を貸しただけなのに」
「だから、山ザルなんだって。
この見事な天然パーマを見よ。立派な名残じゃないか」
「みーつー、はしっ!」
睨まれても動じないところか、すでに立派という域にきている。
「考えるに、某あの野郎様とは釣り合わんぞ。彩子ちゃん、あきらめた方がいいっ。痩せても枯れても、奴はお殿様だぞ。ご領主様だ。身分違いも甚だしいっ。苦労するのは彩子ちゃんだぞっ。
諦めて、平民は平民同士、コホン。幸せを掴もうじゃないか?」
三橋の照れまくった陽気の後に続くのは、沈黙。彩子は耐えていた。これがほんとの言わザル。
「おーい、おーい。聞こえているかい、平民の彼女?」
この程度に引っかかるような、彩子ではないのだ。
「グスン。彩子ちゃんが遊んでくれないー。悲しーよー。えーん」
空しい沈黙を突き破って、騎道は吹き出した。くつくつと笑い出す始末。
「騎道君って、笑うと、かっわいーんだっ」
「オ、男にかわいいと言われても、嬉しくないぞっ」
一瞬にして、騎道の笑みは引きつった。
「……でも、あったかい感じで、悪くないわよ。意外だけど」
「女の子に言われるのは、男として、なお辛いです」
彩子にもそそのかされて、困惑の度合いは更に高まった。
「ジョークに決まってんじゃん。
おとぼけナイトに、ああも気持ち良く笑われたら、三橋翔君立つ瀬がないじゃありませんか」
「……簡潔に言うと、仕返しか」
「んだ。ささやかなれど、受け取れ」
「あたしは、ジョークじゃないわよ」
キラリと睨み合った二人に、彩子は割って入った。
「彩子ちゃん、またこいつの肩もって。ゆるせーん。
フン! 騎道なんか、きらいだっ。
よーくお似合いの黒斑眼鏡がとってもプリティーよ。女装しても完璧、痩せ型女顔もとっても麗しいわよ、オホホのホっ。なにしろ色白だし、餅肌だし。とっとと、おいしく頂かれてしまえばっ」
裏声を最後まで聞いてやってから、騎道は切り出した。
「言葉の虐待は見苦しいぞ、三橋。
二人揃っておちょくられているだけだろ?」
のぞきこんだ彩子の意味深な視線を、騎道は読み取っていたのだ。
目がテン、となったのは、三橋。くらくらと、昼メロよろしく額を押さえて、騎道に支えさせた。
「すまん、騎道。俺、なんか悪い夢見てた気がするぜ」
「そーだろうとも。愛の前には、男の友情なんかはかないものさ」
「まてよ。俺が悪かったよ。俺たちの友情は不滅だよな?
女なんか、魔物だ。気紛れで、身変わり早くて、したたかで」
『不滅』の二文字は、騎道には『ウソでーす』と聞き取れていた。
「くっふっふ。人間は、日々成長するものなのよ。
三橋におちょくられっぱなしで、済ませるわけないでしょ」
「僕も勉強になりました。こいつが、そこまで考えていたとはね」
色白、餅肌だぁ? 女顔の、おいしくって……、まっとうな青春を外した意味合いに塗れてるぞっ。騎道には冷や汗ものだった。
「いつのまに二人で結託してっ。俺のこの純粋すぎる心根が、理解できんの?」
「えーえ。したくないわよ。それじゃあね」
「ぐっすん」
思わぬ反撃に、三橋の深く打ちひしがれた。
「な? 気持ちはわかるけど、きれいな内に手を引かないと、落ちるとこまで落とされるのは、三橋の方だぜ。
やっぱり、彼女、一筋縄じゃいかないよ」
「キドー。やっぱり友達だよなー。翔君嬉しいぜ」
男泣きの嘘泣きに、騎道は天を仰いで、そらぞらしいものを噛み締めていた。
自称『とことんの純粋度』が、飛鷹彩子に対しては、行き過ぎている男だった。それも長所と言えなくもないが、向こうには不在だが公認の彼氏の居る身の上なのだ。
当然、日々玉砕する、おちゃらけに託した告白行為。この二学期に転入して以来、付き合わされている騎道の身には、一抹どころではない辛さがあった。
「どうかしたの?」
じゃあと言って、颯爽と下校していったはずの彩子が、騎道たちの背後に隠れるように回った。
「顔あわせたくないの。まずいのよ。ほんと、苦手」
目配せの方向を辿る。その正門には、黒塗りのベンツが見えた。
「ゲー。俺も苦手」
ということで、矢面に立たされたのは騎道だった。
「何? あの子?」
運転手がドアを開けるのももどかしく、満面の笑みで駆け走ってきた、一人の少女。
瞳の大きなまだまだ幼い顔立ち、大きな白い襟にグレイの膝上ギリギリのひだスカート。どう見ても中学生だった。
「おねーさまぁ!」
一人歓声を上げて、正門へ向かっていた生徒たちの一団の中央に立つ女生徒に、抱きついていった。
「お迎えに上がりましたのよ。『きたみ』に衣装合わせにお出でになるのでしょう? いやいや。安摘はとっても楽しみにしておりましたのよ。一緒にお連れ下さいましな。
下さらなければ、お離しいたしませんわ」
「まあまあ、子猫のように」
抱き締められたその人は、仕草も全ても非の打ち所なく、香しいばかりに美しい人だった。
藤井香瑠。由緒正しい旧公爵家に生まれ、あざみの花紋をもつ。あざみ姫の尊称で呼ばれる、全学園生徒の憧れの君。もう一つ、彼女を敵に回すことは、稜明学園のほぼ全女生徒を敵にするも同じという、もう一人の生徒会長ともいえる実権の保持者でもあった。
彼女をぐるりと囲む一団は、いわゆる取り巻きである。
「安摘は考えると夜も眠れないくらい、楽しみにしておりますのよ。
去年の白楼祭のお姿は素晴らしくて、瞬きをするのも、惜しいくらいでしたわ。今年で最後だなんて、悲しいですわ」
「私は、来年が待ち遠しくてたまらないのよ。安摘さんなら、とても愛らしい姫君がお降りになるわ。来年からは、私が『きたみ』にお付き合いさせていただくわね」
方や正反対の現代風の騒々しい美少女と、漆黒の艶やかな髪までもしっとりと麗しい聖少女という取り合わせであるが、深い姉妹愛は二人を一幅の絵にしてしまっていた。
雅な姉妹に、あっけに取られていた下校中の生徒たちは、我に返りようやく動き出した。
「末妹だよ。今、中三だから来年にはうちの学園に入学するぜ。
藤井の家は、ここにかなりの寄付をしてるからな。自動的にお姫様の座が待ってるってわけ。やだねー、でかい顔して」
「白楼祭って何?」
騎道自身、あざみ姫には脛に傷持つ身だった。自然、気を引かないよう、三橋同様声を落としていた。
「十一月の半ばかな。大体は。
細かい事はよく知らんが、鎮魂祭らしいぜ、本当のところは。
うちの旧い講堂を能舞台にして、学園の女生徒一人が、奉納舞を踊るってだけなんだがな。衣装代やら何やら、今時の女子じゃ一夜漬けでも無理があるってことで、今の所あの姉妹だけが、受け継いで毎年やってるってわけ」
見る限り、平民とは気合いの入り方も違うようだった。
「まあね、やっぱ大したもんだと思うわ。あれだけは。
雰囲気が違うからな。血筋っていうか、躾っていうか。あの時間だけ、何百年か遡ったような気になるから、不思議だぜ」
三橋の神妙な口振りから察するに、言う通りそれなりのものなのだろう。藤井家は、遡れば室町時代の公家に至る血筋を守っているくらいなのだから。
次女の香瑠は、まさしく時間を越えた妖美の化身だった。旧い衣装を纏い、見る者を、かの時代の幽幻の中に誘う舞い手としては、彼女は最も相応しいだろう。その踊りを目の当たりにする者は、鎮魂の主、姫君の生まれ変わりと感じるものも、少なくはないのではないか。
「参りましょうか」
そう促した香瑠の手を止めて、安摘は興味深い存在に両方の瞳を輝かせた。
「お姉様。あの方ですの? お姉様のお情けを無下になさった方というのは」
お情けを無下に……。雅流に置き換えるとそういうことになるのかもしれないが、騎道にはどう言い換えても耳が痛い話しだ。
猫のように足音も立てずに、誇り高く高圧的な視線を注いだまま、歩み寄ってきた。騎道若伴。彼の前に。
「このような方、初めてですわ。あまりにアンバランス過ぎませんこと?
ねぇ、皆様」
くすくすと、香瑠の取り巻きたちは賛同を示した。
マネキンの衣装を品定めするように、ぐるりとねめつけ、意地の悪い視線に切り替えた。
「間の抜けた顔をなさらないで下さる?
あなたをお選びになったお姉様に失礼ですわよ。
あら、ごめんなさい。悪気があったわけじゃありませんのよ。ただ、考えていたよりも、綺麗な顔をしているから、ついね」
「……どうも」
楽しそうに話しかけてくるので、答えなければならない観念に、騎道は襲われていた。
「安摘さん」
「はい、お姉様。すぐに参りますわ。
私、興味をそそられましたの。この方って、どこかの王子のような方ですのね。整った顔立ちをして、優しげで、横柄なんですもの」
再び、苦笑が広がった。
三橋も彩子も苦手っと、逃げ出す相手。目の当たりにして、騎道もそうしたい相手というのは判明した。その上、藤井香瑠には末妹がトゲを含む通り香瑠をフッた。という、負い目のある体だった。しかし、中学生相手に本気になれるわけもなく、窮地であった。
「あなたの為に一つ忠告いたしますわ。お姉様がお気に召された方ですもの、私が行く末を案じてもかまいませんでしょう? お姉様は、私にとっては最愛の方なんですもの」
ニッコリと彼女は笑った。残忍さの欠片もないが、安摘の思惑は、それそのものだった。
「眼鏡は、お似合いではありませんわ。お外しになったら?」
「いや……、これは」
「いや、ですの? 私の言うことが聞けないと?」
彼女は冷然と囁いた。安摘の白い手が、風を切った。
「痛っ……!」
払い落とされた眼鏡が、地面に転がった。
「その手をお取り下さいな。騎道様」
騎道は右手で両目を塞いでいた。少しうつむいて、長めの前髪が手にかかる。
「忠告は嬉しいのですが、それがないと、困るので」
「麗しい素顔を拝見させて下さいな。でなければ、これはもう一度、今度はコンクリートの上に落としますわ」
彼女の手に眼鏡などなかった。地面に転がったまま、いつでも安摘が踏み潰せる位置にあった。
軽くうなずいて、騎道は手をゆっくりと離した。
「ここまで、取りにお出でになれば? お目を開けて」
吐き出すように告げた。手は外しても、堅く瞳を閉じていたのだ。
「これ以上は無理です」
一筋の怒りも彼の表情には浮かばなかった。ただ、静かな困り果てた笑みだけ。
「無礼です。言う通りになさい!」
「眼鏡なら、好きなようになさってください。代わりの物を作ります。
僕の目には、代わりがありませんので、望み通りにはしてあげられませんから」
「あなた……?」
微かに怯んだ。
「失明するそうです。光りに直接当たりすぎると。
それは特殊な造りになっていて、光線の目に影響のある分を遮断します。おかげで、格好のいいものにならなくて、僕も不満なんですけどね」
さらりと言いのけた。通りすがりの野次馬生徒たちも、お取り巻き連中も、衝撃の新事実に一瞬言葉を無くした。
一番立ち直りの早かったのは、安摘だった。
「いやよ。なら、片目だけでも、開けなさいな」
自分が世界の中心。言わんばかりのお嬢様だった。
はた、と騎道は対応に行き詰った。三橋ばりに、お笑いで切り抜けるには、修行不足だった。