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第8 話

---永遠に---

 何の連絡も無しにケイトが学園に来なくなって一週間が過ぎ、レイチェルとメイは漠然とした不安を抱いてケイトの家へと向かっていた。

 高級住宅街に入り、レイチェル達を乗せた車がケイトの家に差し掛かった時、家の前に数人の男達が立っていた。

 男達の姿を見て、タムラの目が厳しくなる。

 玄関の門を塞ぐ様に黒塗りの高級車が止まり、道路にも二台の車が止まっていて、その周りにはガラの悪そうな男が十人ほど立っていた。

「何かしら、あの人達……」

「……」

 車の中から不安そうに二人が見ていると、タムラは玄関を通り過ぎケイトの家の角を曲った所で車を止めて、

「お嬢様、私が様子を見に行って参ります」と、言ってシートベルト外した。

「あ、あの、私も……」

 自分も外に出ようとしたレイチェルに向かって、

「いけません!お待ち下さい!」と、何時もとは違う厳しい口調でレイチェルを止めた。

「え、でも……」

 不安そうに見詰めるレイチェルに、タムラは微笑みながら、

「直ぐに戻って参りますので、お嬢様方は外には出ずに車の中でお待ち下さい」と、今度はレイチェル達を安心させる様に言った。

 二人が不安そうに顔を見合わせている中、タムラは車から降りて静かにドアを閉めリモコンキーでロックを掛ける。

 そしてタムラは、ゆっくりと玄関へと向かった。

 家の角から百m程の距離を、ゆっくりと向って来るタムラに気付き、

「あぁ?」と、ガラの悪そうな連中がタムラに注目する。

「なんじゃい、おっさん!」

「なんかようけ!われ!」

 五人が玄関の門に辿り着いたタムラを取り囲み、威嚇しながら凄む。

「少し、お話を聞きたいのですが」

 タムラが静かに問い掛けると、

「なんやと、ごらぁ!」

「わし等は忙しいんじゃ!いね!」と、一人の男がタムラの胸元を締め上げる。

「困りましたね……」

 タムラは男を睨み付けて、

「貴方方は、何を目的で、此処にいらっしゃるのですか……」と、静かに尋ねた。

「ほっとけや!関係ないやろ、われ!」

「なめとんかぁ!おんどりゃ!」

「やれやれ、言葉の通じない人達だ……」

 タムラの目付きが変わった時、胸倉を掴んでいた男がタムラを引き寄せ、

「なんやと、ごら、いてもうたろか……」と、品の無い顔を近付けて凄む。

 その時、門を塞ぐ様に止めてあった高級車の後部座席のドアがいきなり開いて、

「おい!やめんか!」と、怒鳴り声がした。

 その怒鳴り声に、ガラの悪そうな男達は怯える様に身を縮め、声の方へと振向いた。

 車の中から出て来た男は、タムラより少し若く見える、大柄な紳士だった。

 黒いスーツに身を包んだ男がタムラへとゆっくりと近付き、

「汚い手、放さんかい!」と、叫びながらタムラの胸倉を掴んでいる男を殴り飛ばした。

 吹き飛んで転がる男を見ようともせずに、乱れた髪を手櫛で直して、

「お久しぶりです……」と、紳士はタムラに深々と頭を下げた。

 頭を上げた男の顔を見て、

「お前か……」と、タムラは呟いた。

「あにさん、何か御用でも……」

 尋ねられて、タムラはケイトの家の方を見て、

「成る程な……ろくな奴じゃ無い事は知ってはいたが、お前らとつるんでいたとはな……」と、眉を顰める。

「ははは、相変らずですなぁ……あにさん、此処のチンピラ、ご存知なのですか?」

「ああ、少しな」

「……そうですか……」

 タムラの答えを聞いて男の顔が曇る。

「奴なら此処には居ませんよ……で、此処には何か御用でも有ったんですか?」

「何があったかを知りたくてな……何があった?」

 再びタムラの言葉を聞いて紳士の顔が曇る。

「あにさん、貴方は今、かたぎのはずだ……申し訳ありませんが、何も聞かずに帰ってもらえませんか……」

「話せないのか?」

「あにさんにも分かるでしょ、俺達の世界がどう言うものか……若い頃、狂犬と呼ばれていたあにさんには……」

 タムラは紳士を睨み付け、黙って話を聞いている。

「奴は、ボスの顔に泥を塗りやがった……そう言う事です……」

「なんだと……」

「それが、何を意味しているかは……分かるでしょ……」

「どうする積りだ」

「けじめはきっちりと付けてもらいます」

 紳士の言葉を聞いてタムラが眉を顰める。

「けじめって……お前……」

「あにさん……若い頃、世話になった事は忘れては居ません……でも、今の俺は組織の幹部です、察してください……」

 再び、深々と頭を下げる紳士を見て、

「……分かった……」と、タムラは諦めた様に空を見る。

「あにさん……」

 と、その時、頭を上げた紳士の胸倉を両手で掴んで引き寄せ、

「だがな!」と、タムラが叫ぶと、周りの男達に緊張が走る。

 懐に手を入れている者や、拳を構えて臨戦態勢を取る男達に囲まれながら、

「いいか、良く聞け……俺の大切な人が、此処の娘さんに危ない所を助けられたんだ。此処の娘さんはな、俺の大切な人の、命の恩人なんだ……分かるな……」と、目に殺気を光らせ紳士を睨む。

「もし、何かあってみろ……ただで済むと思うなよ……」

 普段のタムラからは想像も出来ない、狂犬の様な目を光らせ紳士に凄むと、

「あ、あにさん……」と、紳士は顔色を変える。

 怯える目をした紳士の胸倉から乱暴に手を突き放すと、タムラは車の方へと向かった。

 タムラの前に立っていた男達が慌てて道を開ける中、タムラは「何をしたんだ、馬鹿もんが……」と、唇を噛んで歩いて行った。

 車に近付くにつれ、気を落ち着かせ、

「只今戻りました……」と、何時もの落ち着いた声で言って、車に乗り込んだ。

「どうでした、タムラさん」

「何か分かりまして?」

 気になる二人は、体を乗り出してタムラに尋ねると、

「申し訳ありません、あちらの方々もアダムス氏を探しておいでの様で……」と、少しニュアンスは違うものの、嘘は言わずに報告した。

「じゃ……ケイトは居ないのですか?ご家族の方も?」

 不安そうに尋ねるレイチェルに、

「その様ですね」と、静かに答えた。

「どちらに居られるかも分からないのですか?」

「はい……申し訳ありません……」

 申し訳無さそうに答えるタムラを見て、二人は困惑して顔を見合わせた。

「どうしましょう……メイ……」

「……分からないわ……」

「メイ……」

「ご家族も、どちらに居られるか分からないのに……調べ様が無いじゃない……」

 どうする事も出来ずに俯いてしまった二人を、バックミラー越しに見ながら、タムラは静かに車を発進させた。

---◇---

 国道から車通りの少ない州道に入り、三十分ほど走った所に在る古びたモーテルにケイト達は入って行った。

 州道から直接見えない所に車を止めて、ケイトの母親が辺りを見回して車を降りると、

「行くよ……」と、言って後部座席から荷物を取り出す。

 ケイトは荷物を持って車を降りると、周囲に気を配りながら建物へと向う母親の後を追った。

 長屋の様に続く建物に沿って歩き、電話で聞いていた部屋の前まで来て、母親は背後を気にしながらインターホンを鳴らすと、

「……誰だ……」と、押し殺した声が聞こえた。

「私だよ……」

 インターホンに顔を近づけ小さな声で言うと、暫くしてドアの鍵が開く音がした。

「あんた……」

 僅かに開いたドアから、ケイトの父親が外の様子を確認して、チェーンを外す。

 開いたドアから二人が入ると、父親は直ぐにドアを閉め鍵を掛けてチェーンを掛ける。

「無事だったんだね……」

 母親が安心した笑顔を浮かべて言うと、

「すまねぇ……」と、父親は力なく項垂れる。

「何言ってんだい……心配したんだよ……」

 荷物を置いて抱き付く母親に、

「すまねぇ……」と、父親は繰り返した。

 ケイトも緊張が溶けて安心した笑顔で父親に近付き、父親の傍らに寄り添った。

「すまねえな、ケイト……」

 父親が静かにケイトの頭を撫でると、

「いいよ、もう……無事だったんだから……」と、静かに言った。

 三人は、小汚い狭い部屋に有るベッドに座ると、

「で、どうなんだい……話は上手く付いたのかい?」と、心配そうに母親が尋ねた。

 すると父親は、静かに首を左右に振って、

「……駄目だ……話を聞いてもくれねぇ……」と、力無く答えた。

「ちくしょう……あそこまで上手くやったのに……あの野朗が裏切りやがって……」

 悔しそうに歯を食い縛る父親を見て、ケイトは父親の手に自分の手を添える。

 そんなケイトを、情け無い笑みを浮かべて、

「すまねえな、ケイト……お前まで巻き込んじまって……」と、言いながら頭を撫でる。

「父さん……」

 軽薄な乗りの、普段の父親からは想像出来ない情け無いほどに力の無い声を聞いて、ケイトは父親にそっと寄り添い、顔をうずめる。

「ボスを怒らせてしまったんだ……俺だけじゃ済まねぇ……」

「あんた……」

「あの野朗が雲隠れしやがって、直ぐにお前達だけでも逃がしたのは正解だったよ、アルの話じゃ、今は組織の奴等が家を見張ってるみたいだ……」

「あっ、父さん、アルは?」

 父親の話を聞いて、ケイトは心配そうに部屋を見回し尋ねた。

「ああ、今は食いもんを買出しに行ってるよ」

「そう……」

 父親の話を聞いて、ケイトはホッとした様に笑顔を浮かべた。

「あんた、これからどうすんだい?」

「そうだな……」

 深刻な顔で壁を睨み付けながら、

「ボスから、地上げの大仕事を任された組織の奴に誘われて……でかく儲けるチャンスだと思って乗ったのに……大方の地主と、立ち退きの話も付いていたのに……もうちょっとで、上手く行く筈だったのに、あの野朗がボスから預かった軍資金を持って逃げやがって、その上、敵の組織の奴等に土地を横取りされて……くそっ、あの野朗さえ裏切らなかったら……何で、あんな野朗と組んじまったんだよ……」と、歯を食い縛りながら悔しそうに呟いた。

「あんた……あんたの、せいじゃないのに……」

 隣に座っている母親が、悔しそうに父親の手を握ると、

「奴等にそんな理屈は通らねぇよ、組織の奴等は、俺が奴と組んでいた事を知ってるんだ……それに、立ち退き用の工作資金も使っちまったしな……」と、母親の手を握り返して情けなく微笑む。

「金なら、金だけなら、何とかなるけど……敵に土地を横取りされて、ボスの顔を潰しちまったんだ、言い訳なんて聞いてもくれねぇ……もう、どうにもならねぇ……」

 部屋の中が重い空気に包まれていた時、行き成り鳴ったインターホンに、三人は飛び上がる様に驚いてドアの方を向いた。

 恐る恐る受話器を取った父親は、

「誰だ……」と、尋ねて直ぐに顔の緊張が溶け、受話器を置いてドアへと向かった。

 ドアを開けると、アルが大きな紙袋を抱えて入って来て、ケイト達が居る事を気付いているのに声も掛けずに荷物を置くと、懐からデザートイーグルを引き抜いて窓へと向い、スライドをコッキングして、クラス2のボディーアーマーも貫通させる凶悪な.50AE弾をチャンバーへと送り込むと、片手でデザートイーグルを天井に向けながら半身を隠してカーテン越しに窓の外を見た。

 アルの様子を見て父親も、懐からセンチメーターマスターを取り出し、スライドをコッキングして10mmオート弾をチャンバーに送り込み、

「どうした……」と、緊張に固まる声でアルに尋ねた。

 ケイトと母親は、その張り詰めた空気を読んでベッドの影に抱き合って隠れた。

 大型のデザートイーグルを、まるで護身用の小型拳銃の様に片手で持って、

「マーケットで、怪しい奴等を見かけまして……」と、外を見ながら報告した。

「なに……」

 アルの話を聞いて、父親はアルとは反対側の窓へと向かい、同じくカーテン越しに半身を隠して外を見た。

「追けられたか?」

 父親の問い掛けにアルは慎重に外を見ながら、

「いえ……大丈夫みたいです……」と、答えた。

「でも、此処も長くは居られないと思います」

「そうだな……」

 父親はベッドの影に隠れている二人に近付き、

「逃げるぞ」と、拳銃を懐にしまいながら短く言った。

「に、逃げるって……あてでもあるのかい?」

 母親に尋ねられて、暫く黙って考えていた父親は、

「……無い事も無いけど……随分と遠いがな……」と、自信無げに答えた。

「遠いぐらい良いけど……そこでやっていけるのかい?」

「ああ、持ち出した金もあるから、暫くは何とかなる……けど、また貧乏に逆戻りだな」

 情けなく笑う父親に、

「何言ってんだい、また、バーガーショップでバイトするよ」と、母親は気楽に答えた。

「ケイト、済まねぇな……そう言う事だ……」

「……良いよ、しょうがないよ……」

 ケイトは、父親を安心させる為に作り笑顔で答えながら「嫌だって言ったって、私には何も出来ないわ、こんな状況で中学生の私が、何が出来ると言うのよ」と、心の中で自分の非力を怨み「でも……本当は嫌よ、絶対に嫌よ……レイチェルと会えなくなるなんて嫌よ、絶対に嫌……でも……」と、悔しい思いに拳を握り締める。

「すまねぇ……」

 情けなく謝る父親に、

「良いよ、しょうがないじゃない……良いよ、もう……今は、家族で無事に逃げ切る事を考えようよ」と、ケイトは決して諦め切れない悔しい思いを押し殺していた。

「そうだよ、家族が一緒に居るのが一番なんだよ。もう一度やり直そうよ、あんた……」

「すまねぇ……」

「なに謝ってばかりいるんだよ!元気出しなよ!」

 情け無い父親に母親が渇を入れると、

「アル、お前も一緒に来な」と、母親が窓の所で見張っているアルに声を掛けた。

「え?良いんですかい?」

 戸惑いながら問い返すアルに、

「なに言ってんだい、お前だって家族の一人だよ」と、母親は笑顔で答えた。

あねさん……」

 サングラス越しに見詰めるアルを見て、

「お前にも随分と世話になったんだ、家族と一緒だよ」と、母親はケイトを見て言った。

「アル、一緒に行こうよ」

「そうだな、アル、お前も一緒に来い」

「お嬢……兄貴……」

「他の奴等には、僅かだか金を渡して高飛びさせたけど、一緒に来いよ……お前が、嫌じゃなけりゃな」

 気障なポーズを決めてウインクする父親に、

「そんな、兄貴……嫌だなんて……あ、あ、ありがとうございます……」と、言いながら、アルはぐいっとサングラスを上げて袖で涙を拭いた。

「じゃ、早速逃げるか……行くぞ」

 荷物を取ろうと立ち上がった父親を見て、

「あっ、待って……」と、ケイトは我慢しきれずに声を掛けた。

「何だ?」

 何事だと振り返る父親に、

「あ、あの……私、ちょっと行きたい所があるんだけど……」と、遠慮気味に言った。

「行きたい所って……おい、今がどう言う時か分かってんのか?」

 語尾を荒げる父親に、

「でも、私……」と、ケイトが言い掛けた時、

「良いよ行ってきな……」と、母親が言った。

「おい、お前まで、何言ってんだよ!」

 母親に怒鳴り付ける父親に、

「この子にだって未練があるんだよ!」と、怒鳴り返した。

「未練って何だよ……」

 怒鳴り返され、声の勢いが無くなった父親が尋ねると、

「会いたい人が居るんだろ」と、母親はケイトを見て尋ねた。

「うん……ごめん……」

 ケイトにも、自分がどれだけ危険な我が侭を言っているのかは十分理解していたが「このままレイチェルに会えなくなるなんて、そんなの私、我慢出来ない……」と、自分の気持ちを抑え付けられ無く成っていた。

「電話じゃ駄目なのか?」

「ごめん……どうしても会って話がしたいの……」

「ケイト、だけど覚悟は出来てんだろうね……」

「えっ?うん……分かってる、見付から無い様に気を付けて行くよ……」

「ふっ……そうじゃ無いよ……」

 母親は微笑みながらケイトを抱き寄せ、

「まっ、それもあるけどさ、命懸けで会いたい人に、ちゃんと別れの挨拶が出来るのかい」と、尋ねた。

「あっ……」

 母親に言われて「私は、レイチェルに会いたいとばかり思っていたけど、レイチェルに会う事は、さよならをしに行く事なんだ……」と、これから進まなくてはいけない自分の残酷な運命に気付き「そうなんだ、ちゃんと、さよならを……しなきゃいけないんだ……」と、身が引き裂かれる様な使命を自分に課すと「レイチェルに会って、ちゃんとさよならって言えるの、私……」と、暗闇の中で恐怖と共に手探りする様な不安に襲われた。

「覚悟が無いなら、このまま消えた方が良いよ」

 母親がケイトの頭を撫でながら言うと、

「……大丈夫……」と、両手に拳を握り締めて答えた。

 そんなケイトを見ながら、

「よし、分かった」と、母親はあっさりと言って、

「アル、ケイトを頼むよ」と、アルに振向いて言った。

「へい」

 二つ返事で、了解したアルに、

「あ、でも……」と、躊躇いがちにケイトが声を掛けると、

「お嬢は、絶対に守ります」と、アルは母親に頭を下げた。

「頼んだよ……」

 微笑んでアルを見ている母親の隣から、

「アル、俺達は買い物をしてから、国道を南に向う……お前達も用が済んだら南へ向かえ、そして州境にあるドライブイン辺りで落ち合おう」と、父親が指示すると、アルは無言で頷いた。

---◇---

 メイを家まで送り、二人でケイトの事に付いて話し合う積もりだったが、バラの絵が描かれたティーカップの中で、ジャスミンティーが冷め切るまでの間、二人はただ黙ってケイトの事を考えていた。

「じゃ、レイチェル、また月曜日にね」

 結局、実のある話は何も出来ずに、夕方近くに帰る事になったレイチェルが、

「ええ……」と、玄関先で不安な表情を浮かべて立っている。

 そんなレイチェルを見て、

「……レイチェル、心配なのは私も同じよ……」と、レイチェルの肩に手を置いた。

「でもね、今の私達じゃ何も出来ないわ……」

 残念そうに首を振るメイを見て、

「そうね……」と、レイチェルも残念そうに頷いた。

 広い敷地の森の中にある、小ぶりな中世のお城を思わせるメルヘンチックなメイの家の前で、二人は別れを告げると、レイチェルは車に乗り込み、メイの家を後にした。

 自宅へと向かう車の中で「ケイト、何処に居るの……」と、ケイトの事ばかりを考えていたレイチェルの脳裏に「もしかして、このままずっと会え無いの……」と、考えたくは無い嫌な予感がぎり「嫌よ、そんなの嫌よ!ケイト、ケイト、何処に居るのケイト!」と、胸を突き破る様な不安を振り払おうとすると、自然と涙が溢れて来た。

 涙で霞む目で窓の外を見ていた時、レイチェルの携帯電話が鳴った。

 レイチェルは涙を拭きながら携帯電話を取り出すと、其処にはケイトの名前が表示されていた。

「ケイト!」

 レイチェルは慌てて携帯電話を開き着信ボタンを押して、

「ケイト!ケイトなの!」と、思わず叫んでしまった。

 レイチェルの声を聞いて、タムラが車を路肩に寄せて止める。

 電話の向こうから聞こえるケイトの声を聞いて、

「無事なの!何処に居るの!何をしているの!」と、レイチェルが取り乱し尋ねた。

「ごめんなさい、レイチェル……心配を掛けて……」

「そんな事!そんな事より、無事なのね!」

「ええ、ごめんなさい、私は元気よ」

 その言葉を聞いて、レイチェルは力が抜けた様にシートの背凭れに体を倒して、

「ああ……よかった、無事で……」と、ホッとして、再び涙が零れた。

「レイチェル、今から会える?」

「えっ?ええ、良いわよ……」

「ごめんなさいね、電話だと……」

 口篭るケイトに、

「ええ、何処に行けば良いの?」と、レイチェルは尋ねた。

「……そうね、学園で会えないかしら?」

「分かったわ、直ぐに向うわ」

 レイチェルは、そう言って電話を切り、

「タムラさん、お願い!直ぐに学園に向って!」と、タムラに言った。

「しかし、お嬢様……」

 レイチェルの申し出に「ケイトさんにお会いしたい気持ちは分かりますが……ケイトさんに会いに行くと言う事は、もしかして、あの連中にも会う事になるかも知れない……そんな危ない事はしたくない」と、タムラが渋っていると、

「お願い!タムラさん、早く!ケイトが待っているの!」と、レイチェルは涙を流しながら、必死で頼んだ。

「しかし、お嬢様、これ以上遅くなりますと……」

「お願い!お願いだから、ケイトに会わせて!」

 涙を流しながらタムラに食い下がるレイチェルを見て、

「お嬢様……」と、タムラは戸惑っていた。

「お願い……」

 涙が溢れる目で見詰めるレイチェルを見て「エリザベスお嬢様……」と、タムラの脳裏に遠い昔の記憶が蘇る。

『お願い!あの人に合わせて!……』

 自分がまだ若かった時、恋焦がれていた少女からレイチェルの様に懇願され、自分を拾ってくれた大恩人を裏切る事を承知で……そして、自分の想いも裏切る事を承知で、少女を乗せ、トウモロコシ畑が続く星だけが照らす暗い夜道を、愛する少女の幸せだけを望んで、少女の思い人の待つ所へと車を走らせた事を思い出していた。

 自分が愛した少女にそっくりなレイチェルが、涙を流しながら訴える言葉を聞いて、

「分かりました……」と、躊躇いがちに返事をして、タムラはゆっくりと前を向いて帽子を被り直すと、車を学園に向けて走り出した。

---◇---

「アル、ごめん、学園に向かって」

「へい」

 ケイトはレイチェルと会う約束をしてから、「正直に言おう……正直に全てを話そう……」と、決心をしていた。

 それは重く圧し掛かる決心だったが「もしかしたら最後になるかも知れない、だから……大好きなレイチェル……貴方に嘘を付いたまま、分かれる事なんて出来ない、そんな事したら、私、私、きっと生涯後悔するわ……」と、覚悟を決めていた。

「アル、ごめんね……付き合せて……」

「お嬢……」

 バックミラー越しに見えるケイトが微笑んでいるのを見て、

「お嬢、気にせんで下さい。俺、嬉しいんっすよ」と、サングラス越しで良く分からないが、アルも微笑んでいた。

「えっ?」

「俺、家族が居なくて……あねさんに『家族だ』って言われて……へへへ、本当に嬉しいんっすよ」

「アル……」

「グレてた俺を兄貴が拾ってくれて……兄貴って、あれでも面倒見が良いんっすよ」

「へぇ……私達の面倒見は悪かったけどね……」

 恨みたっぷりに呟くケイトの言葉を聞いて、

「はははは……」と、アルは申し訳なさそうに笑って誤魔化した。

「こんな事、言ったら怒られるかも知れませんが、俺、お嬢の事、妹、みたいに思えて……だから、役に立ちたいんすっよ……すんません……」

「アル……」

 恥ずかしそうに謝るアルを見て、

「謝る事無いよ、そう思ってもらってるなんて、私も嬉しいよ……」と、ケイトも恥ずかしそうに言った。

「でもさ、それだと随分と年の離れた兄妹だね」

「えっ?そうっすか?俺、十八っすけど……」

「えっ!……嘘……」

 身を乗り出して、どう見ても三十代に見えるサングラスを掛けたアルの横顔をまじまじと見詰めるケイトに、

「ほ、本当っすよ……お嬢が6年生の時、兄貴にお嬢の送り向かいが必要だからって、免許取れって言われて……十六になって直ぐに免許取りに行ったすんよ」と、サングラスを外してアルが答えた。

 初めて見る、童顔と言っても過言では無い、巨大な体に不釣合いなキューピーちゃんの様なアルの可愛らしい顔を見て、

「ぷっ!」と、ケイトは思わず噴出してしまった。

「お、お嬢……」

 笑いを必死で堪えているケイトをバックミラー越しに見て、

「だから、サングラスしてるんっすよ……」と、アルがサングラスを再び掛け、情けなく言った。

「あっ、そうか、それで、お前、あんなに、運転が、下手で……そうか、そうか……」

 今にも大声で笑い出しそうなケイトが、笑いを必死で堪えながら、

「で、でも、タバコは、駄目だろ」と、言うと、

「あ、あれは、体に悪いっす、だから、直ぐにやめました……」と、アルは即答した。

 金属バットで殴ってもビクともしそうに無いアルが、健康に気を使っていると知って、

「ぶわっはっはっは……体って、おまえぇ!」と、ケイトは我慢しきれずに大声で笑ってしまった。

「お嬢……」

 後部座席で笑い転げるケイトを見て、アルは「言わなきゃ良かった……」と、後悔していた。

 そんな中、車は学園へと到着した。

 校門の直ぐ側には、ジェファーソン家の車が止めてあり、脇にタムラが立っている。

 レイチェルに別れを告げると言う重荷で押し潰されそうだった心が、図らずも、アルの事で大声を出して笑い、僅かにほぐれて、ケイトの気持ちを少し楽にしていた。

 そんな事とは知らずに、アルが車のドアを開けると、ケイトはアルに微笑みながら、

「ありがとう、お兄ちゃん」と、ウインクして見せた。

「えっ?えっ?」

 突然の事に戸惑うアルを後に、ケイトはタムラに近付いて行った。

「お久しぶりです……」

 丁寧に頭を下げるタムラに、

「お久しぶりです」と、言ってケイトも頭を下げて、

「無理をお願いして、済みませんでした」と、謝った。

 ケイトの言葉にタムラは首を左右に振って、

「いいえ……お嬢様は中でお待ちです」と、門の方を手で示した。

「ありがとうございます」

 ケイトはタムラに礼を言って振向くと「よし……」と、心の中で覚悟を確認して門へと向った。

 タムラは、万が一、ケイトの車に組織の連中が付けて来た時の事を考え、レイチェルを先に学園の中へと向わせていた。

 ケイトが門の中へと入って行くと、アルがタムラに近付いて、丁寧に頭を下げるのを見て、タムラも頭を下げる。

「いったい、何があったのですか……」

 アルを睨みながら不機嫌そうにタムラが尋ねると、

「はい……」と、アルは一礼をして今回の経緯を説明した。

 アルの話を一通り聞いて、

「ボスを怒らせるとは……厄介な事を……」と、眉を顰める。

「それで、どうするのですか、これから」

「はい、南の方へと逃げようかと……お嬢様の御用が済みましたら、社長達と州境の街で落ち合う予定です」

「州境……」

 アルの話を聞いて、タムラは手を顎にやって暫く考えて、

「組織の連中が追っているのに、そんな目立つ所では……州境等は、連中は必ず見張ってますよ……」と、忠告した。

「あっ……」

 自分達の甘い考えを指摘されて、アルが絶句すると、

「暫く待っていて下さい」と言って、タムラは車の中へと入って行った。

 車の中で暫く何軒かに電話をして、再びタムラがアルの前にやって来て、

「この人に電話してください、信用出来る人物です。話は通して有りますから、組織の目を潜って、逃がしてくれます」と、電話番号の書いたメモを手渡した。

 アルは電話番号を受け取り、

「あっ……あ、ありがとうございます……」と、戸惑いながら礼を言った。

「アダムス氏はもう向っているのですか?」

「いえ、まだ買い物をしていると思います」

「では、直ぐにこの人と相談して、落ち合う場所を変えて下さい」

「あ、はい……」

「そしてこれから、貴方達は北へ逃げたと言う噂を立てます……子供騙しみたいなものですが、暫くは大丈夫でしょ」

「はぁ……」

「裏切った奴も探し出す手配をしました。そいつが見付かり、ボスの顔も立てば、連中もアダムス氏への矛先を幾分かは緩めるでしょう」

「先輩……」

 アルが「そんな事、どうやって電話だけで直ぐに出来るだよ……何者なんだ、この人は……」と、タムラを見詰めていると、

「今の私では、この程度しかお手伝い出来ませんが……」と、タムラが頭を下げた。

「あ、いえ、そんな、ありがとうございます。何から何まで……なんとお礼を言って良いやら……」

 慌てて頭を下げるアルを見て、

「礼だなんて……此方こそ、お嬢様を助けていただいたお礼ですよ……」と、タムラが微笑みながら言った。

---◇---

 ケイトが校舎へと続く石畳を重い足取りで歩いている。

 少しは気が楽に成ったとは言え「どうやって話そう……何から話したら良いの……」と、何時もなら、軽やかに登っていたはずの緩やかな上り坂が、今は辛く思えた。

 試合や発表会の近付いた、クラブ活動の生徒達だけが居る休日の学園は静かだった。

 遠くから吹奏楽部が練習している音が聞こえるのを聞いて「合唱部も練習しているのかな……」と、脳裏に浮かぶレイチェルとの大切な思い出、合唱部の仲間達との楽しい思い出、その全てが心の中で輝き巡るが「もう、お別れなんだ……」と、懐かしい思いが未練と共にケイトの心を締め付けた。

 切ない思いと共に歩いていると、前からレイチェルが駆け寄って来る姿を見付けた。

「レイチェル……」

「ケイト!」

 立ち止まって待っていたケイトの所に駆け寄って来たレイチェルは、ケイトの両手を取って、

「無事なのね、なんとも無いのね」と、心配そうに尋ねて来た。

「ごめんなさい、心配掛けて……私は元気よ」

 レイチェルを安心させる為に、ケイトが無理に笑顔を振り絞り答えると、

「よかった……」と、レイチェルはケイトから手を離して胸を撫で下ろした。

 そしてレイチェルが再びケイトの顔を見て、

「ケイト……どうしたの……」と、涙を流しているケイトに驚いた。

「あ、ごめんね……」

 辛い作り笑顔を浮かべていたが「さよならを言わなきゃ……」と、レイチェルの顔を見ていると、込み上げて来る物を押さえ切れず目から涙が零れた。

 ケイトは涙で霞む目でレイチェルの顔を見て「しっかりしなきゃ……」と、自分に言い聞かせ、

「話があるの……」と、躊躇う心を振り払う様に涙を指で拭った。

 ケイトは、ゆっくりと辺りを見回してから、

「少し、歩きましょうか……」と、校舎へと続く石畳から林の方へと入って行った。

 何か重い物に包まれながら無言で歩く二人は、秋に色付き始めた周りの木々とは対照的な、淡い色の花を、まばらに残している十月桜の下へとやって来た。

 僅かな花びらが、時折、風に舞い散る中、ケイトは十月桜を見上げ、

「ねぇ、覚えてる?ちょうど一年前だったかしら……二人で、この桜の下で……うふっ……泣いちゃった事……」と、懐かしそうに花を見ていた。

 木を見上げているケイトに近付いて、

「ええ……ふふふ、覚えているわ」と、レイチェルも微笑みながら十月桜を見上げた。

 ケイトは暫く桜の花を見上げていたが、踏ん切りを付ける様に小さく頷いて、レイチェルに振向き、

「今日は、お別れを言いに来たの……」と、静かに告げた。

「えっ……」

 寂しそうに微笑むケイト。

 戸惑い、目を大きく開いてケイトを見詰めるレイチェル。

 二人の間に、重い沈黙が流れた。

 ただ黙って見詰め合い「大好きなレイチェル、もう、貴方に嘘を付いているのは嫌……たとえ、嫌われる事が分かっていても、貴方だけには正直に言いたいの……」と、ケイトは思っていた。

「お別れって……何なの、それ……」

 突然のケイトの言葉が理解出来ず、いや、理解する事を恐れて、レイチェルがワンピースの裾を両手で握り締めながら、おずおずと問い返すと、

「……あのね、私……本当はこの学園に居てはいけないの……」と、ケイトはレイチェルから目を背け、俯き小さな声で答えた。

「どう言う、事なの……」

「私ね……私のお父さんね、田舎の大地主の息子って、嘘なの……私、嘘を付いてこの学園に合格したの……」

「そんな……」

 ケイトの告白を聞いて、貧血の様な不快な感覚に襲われたレイチェルは、呆然とケイトを見詰めている。

 そんなレイチェルを見る勇気も無く、ケイトは俯いたまま、父親の事、母親の事、そして、自分の事を正直に話し、レイチェルを心配させないために、組織の事は言わずに、

「それでね、お父さんが、大きな仕事で失敗して……家を出て行かなきゃならなくなって、私達、遠い町に行く事になってね……だから、もう、この、学園、には……」と、最後は涙で言葉に詰まった。

 歯を食い縛り俯いているケイトの目から涙が地面へと落ちる。

 勇気を振り絞って顔を上げて、黙って聞いているレイチェルを真っ直ぐに見詰め、

「でも、本当に楽しかった。この学園での生活が……クラスの皆や合唱部の皆と居るとね、本当に楽しかったの」と、ケイトは正直に告白して、吹っ切れた笑顔を浮かべた。

「そして、レイチェル、貴方と出会えた事を神様に感謝するわ。貴方と過ごした時間が一番楽しかった、だって、私、レイチェルの事が一番好きなの……綺麗で、優しくて……大好きよ、レイチェル……」

 ケイトは眩しそうにレイチェルを見詰めながら「嘘を付いたままだと、私がレイチェルの事が大好きだと言う事さえ、嘘に聞こえてしまうわ……そんなの、いや……そうよ、これで良いのよ、正直に話して……これで良かったのよ……」と、自分に言い聞かせた。

「ありがとう、レイチェル……今まで仲良くしてくれて、こんな私に優しくしてくれて……ありがとう……」

 レイチェルを見詰めていたケイトは、黙って聞いているレイチェルに居た堪れない気持ちに襲われて、思わず下を向いてしまった。

 ケイトはレイチェルの言葉を待っていた。

 レイチェルを騙して居た事を告白し、なじられても仕方が無いと思っているケイトは、罵声でも良い、侮辱でも良い、レイチェルの言葉が聞きたかった。

 黙ってケイトを見詰めるレイチェルの前で「お願い、レイチェル、何か言って……お願いだから……話した事を後悔なんてしていない、だから、だから、ののしられても良いの……お願い、何か言ってよ……」と、俯いたまま待っていた。

 しかし、レイチェルは黙ったままケイトを見ている。

 ケイトは「もう、貴方に取って私は、話をする価値も無いのね……そうよね、騙して居たんですもの……」と、正直に告白した事では無く、今までレイチェルを騙して居た事を後悔した。

「じゃ、行くね……」

 ケイトは俯いたまま、レイチェルの言葉を諦めて、振り向いて歩き出した時、

「なによ……」と、震える声が聞こえ、ケイトはビクッと体を震わせて立ち止まる。

「だからって、何よ……」

 声のする方に振り向くと、目にいっぱいの涙を溜めたレイチェルが睨んでいた。

「だからって、何が言いたいの、だからって……何が言いたいのよ!ケイト!」

 拳を両手に握り締めながら、全身を小刻みに震わせているレイチェルを見て、戸惑い、ただ黙って立っているケイトに、

「な、なによ……スラムで、育ったからって、なによ、そ、それが、なんなのよ……」と、震える声を詰まらせながら近付き、

「だからって、だからって……嫌いになれとでも言いたいの!もう、お別れだから、忘れろとでも言いたいの!」と、ケイトの目の前でレイチェルが叫んだ。

「レイチェル……」

「ええ、覚えているわよ、一年前の事、昨日の事の様に覚えているわ……貴方は此処で、私に勇気をくれた……頑張る力を与えてくれた……そんな、大切な事、私にとって宝物の様な大切な事……忘れる訳、無いじゃない!」

 悔しそうな顔で見詰めるレイチェルを、困惑した顔でケイトが見詰めていると、

「ケイトは、ケイトじゃない……何が変わると言うのよ……貴方は、私の、大好きな、ケイトでしょ……」と、ケイトの肩に両手を置いたレイチェルの目から涙が溢れる。

「レイチェル……」

 レイチェルの言葉を聞いて、ケイトの目からも涙が溢れる。

「わ、私、ケイトの事、大好きよ、あ、愛しているの」

「……私だって、私だって、大好きよ……愛しているわ、レイチェル……」

 見詰め合っていた二人は、強くお互いを抱き締めた。

「レイチェル……」

「ケイト……」

 そして、お互いの愛しい温もりを感じていると、狂おしいまでの熱い想いが込み上げて来て、自然と二人は唇を重ねていた。

 甘く幼い恋心の、思いを遂げる口付けだった。

 それと同時に、悲しい別れを惜しむ口付けだった。

 十月桜が優しく見守る秋の香りが漂う色付き始めた林の中で、低く傾く夕日の優しい木漏れ日に包まれて、二人の心は、この甘く悲しい時間の中で一つに溶け合っていた。


---ケイトからの手紙---

「ただ今帰りました。お婆様」

 ベージュのワンピース姿のレイチェルがリビングの入り口で、メイドのクレアと一緒に花を活けている祖母に向かって挨拶すると、

「お帰りなさいレイチェル、どうだった、大学初日は」と、花を活けている手を止めて、祖母がレイチェルに近付く。

「まだ初日で良く解りませんわ、お婆様」

 笑顔で報告していたレイチェルの顔が急に曇り、

「でも、やはり……」と、下を向いてしまった。

 そんなレイチェルを見て、

「ケイトさんが、居なかったのね……」と、尋ねると、レイチェルはこくりと小さく頷いた。

「でも、私……信じていますから」

「……ケイトさんの事?」

 レイチェルは、穏やかな微笑を浮かべ、

「ええ、五年前、ケイトと分かれた日……あの日、ケイトは約束してくれました『大好きな学園に、きっと、帰って来るから』って」と、祖母を見詰めながら言った。

「でも、この五年間、何の連絡も無いなんて……」

「そうですね……どの様な事情があるのかは分かりませんが……でも、私、信じていますから」

 信じて待っているケイトの事を、遠い目で祖母の活けた花を見ながら「ケイト、何処に居るの……会いたい……早く、会いたいの……」と、思いを馳せて居ると、

「じゃ、これは、信じていたレイチェルへの、神様からの贈り物かしら……」と、祖母は一通の手紙を差し出した。

「えっ?」

 レイチェルは祖母から手紙を受け取ると、その差出人を見て、

「ケイト……ケイトからだわ!」と、喜びの声を上げ手紙を抱きしめた。

 両手で手紙を胸に抱きしめ、レイチェルの浮かべる笑顔から一筋の涙が流れた。

 レイチェルの肩にそっと手を置いて、

「後で、聞かせてね」と、祖母が優しく言うと、

「はいっ!」と、レイチェルは指で涙を拭いながら、明るく答えた。

 レイチェルは三階へと続く階段を駆け上り、自分の部屋に入ると、ベッドの上に座って手紙の封を開けた。

 中の便箋を取り出すと、

「あ……」何か懐かしい香りがした様な気がして、レイチェルは目を閉じる。

「ケイト……」

 中学舎での、たった一年ほどの短い間ではあったが、目を閉じたレイチェルの脳裏にケイトとの思い出が鮮やかに蘇る。

 まだ見ぬ手紙に、不安と期待が入り混じりドキドキする心を落ち着かせ、レイチェルは静かに目を開けて手紙を読み始めた。


「レイチェル、お変りありませんか?

私は、変わりなく元気よ。

まず、謝らなくてはならないわね。

ごめんね、まだ学園に戻れなくて。

そして、何の連絡もせずにいて、ごめんなさい。

私、貴方と別れた時に決心していたの。

私の事を、ちゃんと報告出来るまで、連絡しないでいようと。

だって、途中でくじけたりしたら、嫌だもの。

私達は、お父さんが以前、金融業をしている時に、お金を沢山貸していたお爺さんの所に身を寄せたの。

そして、何とか此処で暮らせる様にお願いしたの。

お爺さんは、農園をやっていて、そこで私達は働かして貰って、私は、お手伝いしながら学校に通わせて貰えたの。

不思議な事に、お父さんもお母さんも農場が合っているみたいで、辛い仕事でも楽しそうに一生懸命働いていたわ。

私も、最初のうちは辛かったけど、慣れると楽しくなって来たわ。

それが気に入られたのか、お父さんはお爺さんの養子になる事になったの。

地主のお爺さんは、子供が無く奥様を早くに亡くされてからずっと一人で居たの。

お爺さんは私達家族が出来て、とても喜んでくれたわ。

そして私達は、お爺さんに、とても感謝しているの。

でも、農園は経済的に余裕が無くて、お父さんが頑張って少しは経済的に楽になって来たけど、とても学園に行きたいなんて言えなかった。

私は、勉強を頑張って、なんとか奨学金を貰える様になったの。

そして今年、州立の大学に入ったの。

私が頑張れたのは、レイチェル、貴方のおかげよ。

遠くに居ても、貴方は何時も私を支えていてくれた。

会えなくても、貴方との楽しい思い出が私を支えていてくれた。

貴方と過ごした学園に戻るために。

私は貴方との約束を守るために、必ず大好きだった学園に戻るわ。

私に、大切な事を教えてくれた学園。

そして貴方に会えた学園に、教師として必ず戻るから。

そうそう、少し恥ずかしいのだけど、実は私、お姉さんになったのよ。

十六も年の離れた妹が出来て、とても可愛くて、しょうがないのよ。

それから、運転手をしていたアーノルドだけど。

あんな怖そうな人でも、好きに成ってくれる人がいるのね。

同じ町で農園をやっている家の、とても可愛い娘さんに気に入られて結婚したのよ。

その、農園のおじさんもアーノルドを気に入ったみたいで、今は跡継ぎとして働いているわ。

会いたいわレイチェル。

でも、時間が経ち過ぎたわね。

この五年の間に貴方は、変わったかしら?

今も貴方の気持が五年前と変わらないで居てくれてたら、会いたいの。

もし、会ってくれるのなら連絡を待っているわ」


 レイチェルは、涙が手紙に落ち様とするのを指で拭いながら、何度も何度も手紙を読み返した。

 幾ら拭っても、ポタポタと落ちる涙で濡れて行く手紙を見ながら、

「私も……私もよ、ケイト……貴方は何時も私を支えていてくれたわ、泣きそうな時、挫けそうになった時、たとえ会えなくても、貴方は何時も私を支えていてくれた……」と、  ケイトが元気で居る事の喜びと、懐かしい思いに涙が止まらない。

 やっとハンカチで涙を拭き、レイチェルは部屋の電話へと駆け寄り、手紙に書いてある番号を押した。

 呼び出し音が鳴る。

 レイチェルは、呼び出し音を聞きながら、期待と不安で胸がドキドキして、待っている時間が苦痛にさえ思え出した時、

「はい、アダムスです」と、懐かしい綺麗なソプラノが聞こえ、レイチェルの目から一気に涙が溢れた。

「もしもし……」

 電話の向こうでケイトが呼びかけるが、

「・・・・・・」レイチェルは涙が止まらずに声が出せない。

 かすかな泣き声に、ケイトが気付き、

「……レイチェル……なの?……」と、不安な声で問いかけると、声の出せないレイチェルは、泣きながらうんうんと頷いた。

「あ、ああぁ……レ、レイチェルなのね……」

 受話器の向こうにレイチェルを感じながら、今にも泣き出しそうな震える声でケイトが尋ねると、

「ケイト……」レイチェルはやっと声を振り絞り、ケイトの名前を呼ぶ事が出来た。

二人は、その懐かしい声を聞いて、五年間の時が埋まった気がした。

「色々と、話したい事があるの……でも、でも、電話で、話すなんて、勿体無いわ……会いたいわ、会いたいの、会ってくれる?レイチェル……」

 受話器から聞こえるケイトの声は、懐かしくも愛しい声を聞いて泣いていた。

 別れた時のケイトの姿が脳裏に鮮明に浮かび、

「ええ……私も会いたいわ……」と、レイチェルは受話器を握り締めた。

 そして、二人は思い出の学園で再開した。

 広い林の中で、二人はお互いの姿を見つけると、駆け寄り抱き合った。

 懐かしい思いが込み上げ、二人とも涙が止まらない。

 色々と話したい事があった、しかし今は言葉が出てこない。

 いや、言葉なんて要らない。

 五年の時が二人の姿を変えてはいたが、抱きしめ伝わる懐かしい温もりと鼓動、微かに漂う懐かしい甘い香り、全てが五年前で止まっている事を感じ取り、キラキラと煌く思い出に包まれた至福の空間で溶け合う様に口付けを交わし、別れた時と今の時を繋いだ。

 周りの木々から零れる晩夏の眩しい木漏れ日が、永遠の時を望む二人を照らし出し、別れた時と変わらずに十月桜は二人を見守っていた。


---エピローグ---

「まあ、レイチェルなの」

「あら、お久しぶりね、ケイト」

「珍しいわね、今日はどうしたの?」

「ええ、孫の歌を、是非聴きたくて来たのよ」

「私も、合唱部の歌を聴きたくて、寄ってみたの」

「じゃぁ、一緒に行きましょうか、学園長先生」

 スクールフェスティバルで華やかに賑わう中、懐かしい思い出の詰まった学園のホールへと、二人は寄り添いさくらんぼの様に二つ並んで向かって行った。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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