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第六話

続きです

---疑惑---

 楽しかったクリスマスも終わり、新年を迎えて新学期が始まった。

 ケイトに対しての噂は、やはりメイの言う通り消えてはいなかった。

 そこで、その噂を耳にする度に、クラスメイトや合唱部の生徒達が消火に当たり、次第に鎮火しては行ったが、完全に消えるものでは無かった。

「やはり、真相が解明されないと無理ね」

「……真相ねぇ……」

 ケイトはクラスメイトの合唱部員達とランチタイムに会議を開いている。

「真相と言っても、事件の情報が余りにも少ないんですもの……どの様に推理していいのか分からないわ……」

 軽くウェーブの掛かったブラウンのロングヘアーから受ける柔らかな印象とは対照的に、レイナが硬い表情を浮かべながら腕組み考え込んでいるのを見て、

「そうね……まず、紛失なのか、盗難なのか……」と、メイが付け加える。

「でも、紛失の線は考え難いのではなくて?」

 ボーイッシュな赤毛のショートヘアーが似合っている、オリビアが小首を傾げながら尋ねると、

「完全に否定は出来ないわ、みんなもフェスティバルの日の記憶は曖昧だった筈よ。だから、シンディーお姉様が何処かに置き忘れたと言う可能性も、捨てる訳にはいかないわ」と、メイが答えた。

「そうだとすると……ほんと、何処から調べたら良いのか分からないわ……」

 諦める様に上を向いているケイトを見て、

「そうね……」と、皆が考え込んでしまった。

 そんな時、また事件は起こった。

 二年生の生徒が、体育の授業中に更衣室で財布を無くしたのだった。

 生徒からの報告を受けた先生としては、これ以上問題を大きくしたく無かったので、盗難では無く紛失として生徒にもう一度よく探す様にと指導した。

 一時逃れの策ではあるが盗難である証拠も無いため、学園側としてもこれ以上生徒達の間に不安を膨らませる様な事は避けたかった。

 しかし、学園側の思いとは裏腹に、高等学舎でも似た様な事件が起きてしまった。

 此処まで来ると、生徒達の間で何処からとも無く噂が流れ出し、最早、盗難か紛失かと言っている次元では無く、完全に盗難事件として色々な憶測が飛び交い、生徒達の不安を大きくして行った。

 この事態を学園側も重く受け止め、学園長を初め各校長が連日会議を開いていた。

 学園長は悩んでいた。

「今後、この様な騒ぎが続くのであれば、不名誉ではありますが、警察に届けるしか無いと考えています」

「しかし学園長先生、その様な事に成りますと、理事会や父兄会の方々が……」

「ええ、解っていますわ……ですが考えて下さい、これ以上続く事になれば、生徒達の不安はより一層大きくなり、心を深く傷付ける事になります」

 学園長室に重い空気が流れる。

「警察が入る事で、生徒達により一層の不安を与える事になるのでは無いでしょうか……私は賛成しかねます」

「そうも思いますが、何より、生徒達の身の安全が心配です。今はお金で済んでいますが、これがもし、生徒達の身に何か降り懸かる事でもあれば、取り返しが付かない事になります」

「確かに、私達に解決策が無い以上……それも、止むを得ないかも知れませんわね……」

 会議が続く中「自分の、しわ首一つ差し出して解決するのであれば、何時でもその覚悟は出来ては居る……」と、学園長は考えていた。

 そして何日かが過ぎた頃、生徒達は休み時間ともなると、盗難事件の噂で盛り上がっていた。

 元々、この年頃の少女達はお喋り好きで、事件など無くてもお喋りのねたには困らないものだが、事件に関する様々な噂が飛び交い、火に油を注いでいた。

 幸い、ケイトの名前は出て来なくなってはいたが、段々と話が大きくなっていた。

「なくなったお財布には、大金が入っていたんですって……」

「犯人は冬休みの間も、ずっと屋根裏に潜んでいて……」

「地面の下にトンネルを掘っているらしいの……」

 等と、非現実的な要素を含み大きく膨らんだ噂には、とうとう宇宙人や幽霊までが登場しだした。 

「幽霊だなんて……嫌だわ……私、怖い……」

 怯えるレイチェルを見て、

「幽霊なんて、いるはず無いでしょ……」と、ケイトが呆れて言うと、

「え、いないの?」と、レイチェルは驚いた様に聞き返した。

「あのね、レイチェル……まさか宇宙人も……」

 少し嫌味っぽくメイが尋ねると、

「えっ?宇宙人って怖いの?……」と、レイチェルが顔色を変える。

「あっ……いえ、怖いと言う訳では無いのだけど……」

 論点のずれた質問にメイが困っていると、

「そうよねぇ……お会いした事も無いから……」と、レイチェルが本気で悩んでいた。

 しらけた空気が流れ、周りの皆が「当たり前でしょ……」と、呆れる中、

「まあ、とにかく……」と、メイが気を取り直して、

「幽霊だの宇宙人等は無いとしても、犯人が今でも潜んでいるなんてのは有り得るわね」と、腕を組みながら皆に向かって言った。

「そうね、まさか『去年からずっと屋根裏に潜んでいる』なんて事は有る筈無いでしょうけど、必ずまた、何かやるわね」

 ケイトの言葉を聞いて、

「嫌だわ、怖い……でも、何処から入ったのかしら、泥棒さん……」と、レイナが怯えながら問い返す。

「それは……やっぱり、外からでしょ」

 当たり前の様に言ったオリビアの意見を、

「でも、それなら目立つわ」と、ケイトが否定する。

「そうねぇ、フェスティバルの時なら分からないけど、外部の人が入れば目立つわね」

「噂だけでは、何軒の事件が起きているのか分からないけど、事件は生徒のいる昼間に起きているのよ……普段は門は閉じているし……外部からと言うのは考え難いわね」

 ケイトの推測を聞いて、

「内部の人間ね……」と、メイが結論付けると、周りの生徒達がざわついた。

「考えたくはないけど……」

「それって……生徒や先生っ事?……」

「あと、事務局の方とか……」

 少女達は顔を見合わせながら、考えたく無い事が身近に起きている事を怖く思った。

 ケイトは今回の事件で、一旦は白けた気分に落ち込んでいたが「くそっ!私の、お嬢様ライフを掻き乱す奴は何処のどいつだ!そいつのせいで、不名誉な濡れ衣まで着せられて……お姉様達やレイチェル達に嫌な思いをさせて……」と、今は怒りに燃えていた。

 そして、目の前で怯えている少女達を見て「そうよね、レイチェル達にしてみたら怖い事よね、こんな事、別次元の話ですものね」と、同情しながら、ぐっと拳を握り締め「可哀そうに……か弱い乙女達を怖がらせやがって、許せねぇ!見つけ次第ただじゃおかねぇからな、ぼこぼにしてやる、覚悟してろ!」と、激しく怒りを燃え上がらせ、お嬢様ライフとは掛け離れた、少々乱暴な事を考えていた。

 その日の放課後、ケイトとレイチェルは、寒さに震えていた。

「まだなの、メイ」

「もう少し、今やっと冷えて来た所よ……」

 本来なら、この時間は合唱部で練習している時間だが、ケイト達は中学舎と高等学舎の間にある林に居た。

 各学舎には境界が決めてはあるが、無粋な鉄柵の様な物は無く、高さ五十cmぐらいの植え込みがあるだけだ。

 ケイト達はその植え込み付近で、理科の授業で出された課題の自由研究をやっている。

 テーマは「冬の観察」である。

 ケイトとレイチェルは、メイが言い出した雪の観察を一緒にする事にした。

「雪の結晶ってとても綺麗なのよ、顕微鏡なんて無くても見れるのよ」

 とても綺麗だと言うメイの話しに乗ったレイチェルは「メイったら、それがとても寒い作業だなんて教えてくれなかったわ……」と、鼻の頭を少し赤くし不機嫌になっていた。

 コートにマフラー、手袋と、防寒装備は一応しては居るのだが、雪がちらつくマイナス四、五℃の気温の所で、観察用の道具が冷えるのをじっと待のは正直辛かった。

「そろそろ良いかしら……」

 メイは冷えた黒い紙の上に、降って来た雪を乗せて、

「これで見て御覧なさい」と、ルーペを渡した。

「息を掛けない様に気を付けてね」

 メイが差し出した黒い紙に乗っている雪を、レイチェルが口と鼻を可愛らしいパステルピンクのミトンを付けた掌で覆いながら、息を止めルーペでそっと覗き込む。

「わあぁ、見えるわ……綺麗……」

 レンズ越しに見える、繊細な細く尖った氷が幾つも連なって幾何学的な形を作り、キラキラと白銀の光に輝いている雪の結晶を見て、レイチェルは感動している。

「ほら、ケイトも見て」

 レイチェルからルーペを受け取って、

「見える物なのね、結晶て……」と、ケイトは感心している。

「でしょう、あとサンプルも取りましょう」

 メイは、冷やしてあった幾つかの小さなガラス板の上に、透明のマニキュア液を塗る。

「どうするのそれ?」

 ケイトが興味深そうに尋ねると、

「この上に雪を置いて乾かすの、そうすると結晶の形が固まったマニキュアに残って、部屋の中でも結晶の形を観察出来るの」と、作業を続けながらメイが説明した。

 作業を続けるメイを見ながら「へぇー、良く解らないけど、凄いなぁ……メイって、色んな事、知ってるなぁ」と、ケイトは感心した。

 レイチェルが「綺麗、綺麗」と、感激している横で、少し時間が掛かり遅くなってしまったが、ケイトも持ち前の好奇心が満足出来て楽しかった。

 辺りは薄暗く成り始め、大半のクラブは終了し生徒達が帰り始めた頃、

「こんな物ね」と、取り終わったサンプルのガラス板をクッキーの空缶の中にしまって、

「後は暫く乾燥させてと……あらっ……」と、メイが高等学舎の校舎の方を見た。

 ケイトとレイチェルも連れて見ると、校舎の脇を一人の男性が脚立とバケツの様な物を持って歩いている。

「あの人……誰?」

 学園内では、滅多に見かけない作業服姿の男性を見て、ケイトが不信そうに尋ねると、

「用務員のキムさんかしら?」と、レイチェルが答えた。

「そのようね」

「キムさんって?……」

 自分の知らない名前を聞いて、ケイトが問い返すと、

「そうね、ケイトは知らないでしょうね、男性の方だから何も無い時は此方には来られる事は無くて、普段は小学舎の用務員室にいらっしゃるから」と、レイチェルが説明した。

「校舎の傷んだ所を直したり、切れた蛍光灯を取り替えたりして下さっているのよ」

 メイの説明を聞きながら、

「でも……今、何してるの、あれ……」と、校舎際を歩きながら、一づつ覗き込んで窓に手を伸ばしている用務員を、ケイトが不審そうな目で見ながら尋ねた。

「窓が痛んで無いか点検に回られているのかしら?」

 ケイトの言葉に何かを感じて、用務員の様子をじっと見ていたメイが、

「隠れて!こっちよ」と、小声で言って、二人は同時にレイチェルの腕を掴んで木陰へと連れ込んだ。

「どうしたの、メイ」

 急な事に驚くレイチェルに、

「しっ!」と、ケイトが人差し指を唇に当てレイチェルに向かい合った。

 用務員は、ペンキの入った缶を片手に持って脚立に乗り、鍵のかかっていなかった窓を開けたり閉めたりして校舎の窓を点検している様だった。

 その様子を、メイとケイトは不信そうに見ている。

「どうかしたの?」

 レイチェルは、木陰に隠れ二人が黙って見ている理由が分からずに尋ねると、

「あの窓、ペンキなんか元から塗っていないわ、アルミサッシですもの」と、メイが説明する。

「そうね……第一、痛んでそうに見えないわよ、あの窓……」

 二人の説明を聞いてもレイチェルは「その事と、私達がこの寒い中で此処に隠れている理由と、何か関係あるの?」と、首を捻った時、

「あっ!」と、ケイトとメイは小さく声を上げた。

 用務員が辺りを見渡してから、窓を半分ほど開けて校舎の中に入った。

「メイ、あそこは何をする部屋なの」

「分からないわ……高等学舎なんて、入った事無いもの……」

 ケイトとメイが半分開いた窓を見詰めていると、十分ぐらい経っただろうか、用務員が窓から顔を出し辺りを見渡しながら出て来た。

 そして、何事も無かった様に脚立を片付けて歩いて行った。

「怪しいわね……」

「そうね、おかしいわ……」

「どこが???」

 呆けるレイチェルを、二人は苦笑いを浮かべながら見て、

「いいわ、確かめに行きましょう」と、メイが走り出す。

「あ、待って、メイ……」

 メイの後を追ってケイトも走り出し、レイチェルは一人木陰でぽつんと立っていた。

 レイチェルは「どうしましょ、二人は行っちゃったけど……先生は『他の学舎には理由も無しに入ってはいけません』って小学舎の時から仰ってたし……」と、悩んでいた。

 現場の窓の所へ着くと、二人は窓から中を覗き込む。

 メイが窓枠ぎりぎりの目線で中を見回し、小柄なケイトは窓枠にしがみ付き背伸びして中を見ようとしたが、

「どっ、どう見える?」と、背伸びしても天井しか見えないケイトがメイに尋ねた。

 メイは、体の位置を変え目線の角度を変えながら狭い部屋を見回して、

「クラブの……更衣室のようね……」と、答えた。

「えっ!」

 メイの言葉を聞いて、驚いて窓枠から手を離して、

「まさか、それじゃ……」と、メイの方を向いてケイトは戸惑っている。

「可能性はあるわね……」

 殆どの生徒達が下校した時間ではあったが、試合が近いのか、その狭い部屋には生徒達の鞄が置いてあり、壁際に並んでいる小さく区切られたボックスには制服らしき物が置いてあった。

 部屋を見回していたメイが、ケイトに向き直り、

「確かめましょう……」と、提案した。

「確かめるって、何をする気なの?」

「用務員室を調べるの」

「えっ!」

「もしかしたら、何か証拠が残っているかも……」

「まさか、証拠になる様な物なら、とっくに処分しているわよ」

「それは、私達の知っている二つの事件だけを言ったら、その可能性は強いけれど、でも他に何かあったとしたら?」

「何かって……何よ……」

「現に今、入って行ったわ」

 窓を指差すメイを見て、ケイトは不安な表情を浮かべ、

「でも、それだけで盗んだかどうかは分からないし、もし、本当に犯人だったら、危険だわ……」と、考えながら言った。

「じゃぁ……どうする?」

 メイに尋ねられて「どうするって言ったって……確かにこのまま引き下がれないな……あいつが犯人だとしたら、今が尻尾を掴むチャンスかも……」と、ケイトは考え、

「……行くわよ!」と、メイの指を指すポーズを決めて命令口調で言った。

 それを見てメイは、一瞬不快な表情をした。

 二人はレイチェルの所まで戻って来て、レイチェルに一通り説明した。

 それを聞いたレイチェルは、

「えぇっ、そんな……」と、驚いて、

「嫌だわ……男性の方が更衣室に入るなんて……」と、呆けた感想を述べたが、二人は既に諦めていた。

「……とにかく……メイ、どうする?」

「そうね、用務員さんがあっちに行ったと言う事は……私達が今から小学舎に向えば、調べる時間は十分有るわね……」

 用務員の歩いて行った先を見ながらメイが言うと、

「えっ?どう言う事なの?」と、レイチェルが小首を傾げて尋ねた。

「用務員さんが犯人かも知れないのよ、この間からの盗難事件の」

 改めて具体的にケイトが説明すると、レイチェルの顔色が青ざめ、

「そんな……」と、寒さのせいとは別に少し震えていた。

「今なら、用務員さんは部屋に居ないわ、だから、これから私達で調べて来るから、レイチェルは教室に戻って待っていて」

「だめよ、そんな!危ないわ!もし、用務員さんが犯人だったら、見つかったら危ないわよ……」

「大丈夫よ、その辺はうまくやるわ」

 怯えながら止めるレイチェルに、何の根拠も無しに自信たっぷりにメイが言うと、

「でも……そうよ!先生に報告しに行きましょう。それが良いわ」と、レイチェルがメイの腕を掴んで言った。

「だめよ、証拠が無いわ。それに、時間が経てば証拠を隠される恐れも有るわ」

「メイ、早く」

 時間が惜しいケイトがメイの腕を掴んで走り出そうとすると、

「わ、わ、私も行く!」と、レイチェルもメイの腕を掴んだまま走り出した。

 それに気付いて二人は立ち止まり、

「だめよ、レイチェルは教室に戻って!」と、足手まといに成るの事は解っているケイトが、レイチェルに強く言った。

 ケイトはレイチェルを危ない事に巻き込みたくは無かった。

「いやよ、私も行く!」

「だめよ!危ないわよ!」

「だからって、二人が危ない事をしようとしているのに、私、一人で教室で待っているなんて、怖くてとても出来ないわ!」

 二人は、問答している時間が惜しかった。

 全校舎を回って帰って来るとは言え、用務員が何時帰って来るか解らない今、レイチェルを説得している暇は無い。

「……解ったわ、だけどレイチェル、言う通りにするのよ」

「メイ!だめよ!」

 命令口調で指示するメイにケイトが腕を掴んで抗議すると、

「時間が惜しいわ」と、メイは冷静に答えた。

「だけど……」

 ケイトは不満ではあったが「仕方ないか……」と諦め、

「急ぎましょう……」と、三人は小学舎の方へと走り出した。


---決戦---

 三人は小学舎の正面の入り口にやって来ると、

「こっちよ」と、メイが案内する。

 小学生達は早くに全員帰宅し職員室は二階に有る為、三人は誰にも会わずに奥まで進んで行った。

 正面から入って階段横の通路を進み、廊下とT字に交差する所まで来ると、メイが立ち止まり、

「あそこが、倉庫で隣が用務員室よ」と、奥を指を指す。

 ケイトは、周囲を見渡して、

「解ったわ、私が部屋を調べるから、二人は見張りをお願い」と、二人に向かって言うと二人は黙って頷いた。

「レイチェルは此処で誰か来ないか見張ってて、メイはこの奥で見張って、そして誰か来たら何か合図をお願い」

「合図って……何をすれば良いのかしら……」

 レイチェルが不安そうに尋ねると、

「あ、携帯……」と、ケイトがポケットを探るのを見て、

「持ち歩いているはずが無いでしょ……」と、メイが呆れた様に言った。

「あ、そうね……」

 禁止した校則がある訳では無いが、当然、聖ディオニシウスの娘達に携帯電話は不要である。が、大半の生徒達はこっそりと鞄の奥に隠して持って来ている。

「そうよ、お勉強に必要ない携帯電話ものは、持って来てはいけませんって、先生が仰っていたでしょ」

 どうやら正直に持って来ていないレイチェルがケイトを諭すと、二人は少し罪の意識に苛まれていた。

「……廊下を、音を立てて走って。用務員さんが来たら、どうせ逃げないといけないから、派手に音を立てて走って……」

「え、でもぉ……」

 ケイトの提案に躊躇っているレイチェルに、

「分かっているわよ『廊下は静かに』でしょ……でもね、今は非常事態よ」と、少し苛付いてケイトが説得した。

 レイチェルは「そうね、今は非常事態……えっ、でも非常事態って?あら?」と、未だに現状を理解しきれていないレイチェルだったが、

「ええ、分かったわ……」と、罪の意識を押し殺して了解した。

 長細い形の校舎には三箇所入り口があり、階段横の通路を進むと廊下が部屋に沿って続き、用務員室は二つの入り口の間に位置していた。

「だから、レイチェルはメイの方に、メイはレイチェルの方に走って行けば、途中の用務員室にいる私には分かるから」

 ケイト達三人が互いに向き合って、しゃがんで手順を打ち合わせしている時、

「あ、やっぱりいた」

「きゃっ!」と、突然の声に三人は飛び上がって驚き、声の方を向いた。

 其処には巨大な影が立っていた。

「ア、アル?」

「あ、すみません……驚かせて……」

 運転手のアルが、ケイト達が驚いているのを見て申し訳無さそうに立っていた。

「なんで、おま……貴方が、此処にいらっしゃるの?」

 ケイトは自制心で自分を抑えながら、アルに尋ねた。

「はい、あにき、いえ、社長から、本日はお嬢様をお迎えしたら出来るだけ早く帰る様にと、ご指示がありまして……」

「何か、ありましたの」

「はあ、社長のお仕事の関係で、とてもひいき、いや、大事な取引をされております方が、家族で食事でもどうかと、お誘い下されまして……この事は奥様がお嬢様にメールを送られているはずなんですが……」

 レイチェル達の手前、アルが言葉を選びながら説明するのを聞いて「見てねぇよ……ずっと外に居たんだから……」と、苦い顔をして、

「解りました、でも、どうして学園の敷地内に入って来たの。何時も、外で待つように申し付けている筈ですが?」と、ケイトが少し苛立ってアルに聞いた。「はい、出来るだけ早くと言われていましたので、何時もより早く、お嬢様をお迎えにと学園に着いたのですが、他の生徒さんはもう出で来られているのに、お嬢様が出て来られる様子も無いので……」

 アルが長々と説明しているのを、ケイト達は苛立ちながら聞いていた。

「それでも暫く待っていたんですが、これ以上遅くなってはいけないと思いまして、お迎えに上がろうと、中学舎の方へと向いました所、此方に走って行かれるお姿を、お見受けいたしましたので……」

 申し訳無さそうにアルが言葉を選びながら長々と説明しいると、

「ケイト、急がないと……」と、メイがアルの話に割って入る。

 ケイトは頷き、

「じゃ、作戦通りにね」と、二人を見て言った。

「ええ」

「分かったわ」

 二人が頷くのを見て、

「アルは此方へいらっしゃい」と、ケイトはアルを引っ張って用務員室へと走り出した。

 レイチェルが作戦通りに、その場に残り正面入り口の方を見張っている。

 ケイトと一緒に走っていたメイが、

「危ないと思ったら直ぐに逃げるのよ」と、用務員室の前でケイトに言って、

「了解」ケイトの返事を聞いて、奥の入り口へと走って行った。

 ケイトは、隣の倉庫のドアを開けて、

「此処に隠れて静かにしてろ!」と、アルの腕を強引に引っ張る。

「えっ?あの……」

 訳が分からずに何か言いかけたアルを強引に引っ張るが、

「うにゅうぅ!……くそっ……」巨大な物体はビクともしない。

 ケイトはアルの腕を放して壁際まで下がり、

「良いから……早く……入れ!」

「どわっ!」と、助走を付けたドロップキックでアルを倉庫に蹴り込込んだ。

 倉庫に倒れ込み、

「おっ、お嬢?……」と、アルが後ろを振向と、

「解ってるだろうな、大人しくしてるんだぞ……」と、殺意とも取れる光を目に浮かべて睨みながら命令するケイトの迫力に押され、

「へいっ……」と、力なく答えた。

 倉庫のドアをそっと閉めて、ケイトは隣の用務員室へと入って行った。

「さてと……」

 目に付いた所から手当たり次第に探し回るケイトだったが、証拠となる物は直ぐには見つからず、

「きゃっ!」と、机の下に置いてあったエッチな本を見付け驚いたり、

「うえっ!」と、ベッドの上に散らかっていた洗濯前の下着に慌てたが、肝心な物が出て来ない。

 ケイトは狭い部屋の中央で、部屋を見回しながら「何処に隠した……やっぱり捨てられたか……」と、思い始めていた。

 現時点でのケイトは、用務員が犯人であるとの前提の下で行動している。

 その頃レイチェルは、廊下の角から顔だけを出し可愛いお尻を突き出す様にして、正面の入り口の方を見詰めながら「しっかり見張ってなきゃ……しっかり……しっかり……しっかり……」と、一心に見張っていた。

 其処へ、校舎裏の通用口から入って来た用務員が「何で、中学舎の子が此処に居るんだ?こんな時間に、隠れんぼでもしているのか?」と、レイチェルのお尻を眺めながら通り過ぎて行った。

 一生懸命正面の入り口を見張っているレイチェルは、用務員が帰って来た事に全く気付いていなかった。

 用務員は廊下を進み、倉庫のドア開けて脚立をしまい、ペンキの缶を置いた。

 アルは気配を感じて、戸棚の影に素早く隠れていた。

 ケイトは、倉庫のドアが開く音を聞いて驚き「えっ、アル?なに?」と、戸惑っていると、今度は用務員室のドアが開いた。

 部屋の中にケイトを見付け、

「誰だ!何をしている!」と、怒鳴る用務員の姿を見て「どうして?何でこいつがいるのよ!なんで合図が無かったのよ?何でいきなりこいつが来たんだよ?」と、ケイトはパニクッていた。

「何してんだって聞いてんだよ!」

 声を荒げケイトに詰め寄る用務員に、ケイトは「くそっ、考えてもしかたないか……此処は度胸を決めて行くか……」と、気を落ち着かせて覚悟を決めた。

「ちょっとねぇ……探し物をねぇ、してたのぉ……」

 ケイトが横目で薄笑みを浮かべながら、用務員を挑発する様な口調で言うと、

「な、何だと、何を探していた!」と、用務員が慌てて問い返して来た。

 慌てている用務員を見て「こりゃ、やっぱビンゴだね……」と、ケイトは確信し、

「証拠だよ、お前が犯人だって事のな……」と、張ったりをかました。

 ケイトは「さぁ、どう出る……」と、用務員を睨み付けると、案の定、用務員の顔色が変わった。

「な、何の事かなぁ、お嬢チャン?お、おじさんには、分からないなぁ……」

 言葉に詰まりながら答える用務員を見て「解りやすい奴だなぁ……」と、呆れながら、

「バザーの時、合唱部から袋に入ったお金が無くなったの、そして、ついこの間、二年生のお姉様のお財布が無くなったの……それって貴方が盗んだんでしょ」と、ケイトが落ち着いた様子で用務員に向かって尋ねた。

 用務員は少し顔を曇らせながら、

「だ、だから、何の事か解らんね。証拠でも有るのか?……あ、有るなら出して見ろ!」と、焦りながら話す最後の言葉で声が裏返ったのを聞いて「本当に解りやすい奴だわ……」と、ケイトは思った。

 明らかに慌てている用務員を見て「やっぱり証拠となる様な物が、まだこの部屋にあるんだ……」と、推測したケイトは薄笑みを浮かべながら、

「だからぁ、証拠は今探していたのよ」と、用務員に探りを入れた。

 案の定、まだ見付かっていない事を知った用務員は、急に顔をほころばせて、

「お嬢チャン、証拠も無いのに人を疑ったりしたらだめだよぉ。それに、こんな時間に、良いのかなぁ……中学舎の生徒がこんな所にいて……先生に言いつけちゃうぞぉ」と、余裕を持ってケイトに言った。

 その用務員の姿を見て「けっ!証拠が無いと判ったとたん、これだもんねぇ……」と、再び呆れた。

「お嬢?……」

 その頃、隣の倉庫では、戸棚の陰に隠れているアルは隣の様子に気付いていたが、ケイトに「此処で大人しくしていろ」と、厳命されていた為、どうしようかと悩んでいると、

「あれ?」と、隣の用務員室に直接繋がっている引き戸を見つけた。

 アルは、大きな体を小さくして、そっと引き戸を開けて隣を覗いた。

 レイチェルは「しっかり、しっかり」と、相変わらず一生懸命入り口を見張っている。

 メイは「変だわ……時間が経ちすぎている……」と、用務員室の方に向かうかどうか悩んでいた。

 ケイトは、薄ら笑いを浮かべている用務員を見て「さて、そろそろ追い込むか……」と、にやりと笑い、

「でもね、私見ちゃったの……おじさんがね、高等学舎の更衣室に入って出てくる所を……」と、意味有り気に用務員の顔を覗き込む様にして言った。

「なにっ……」

 それを聞いて、身に覚えが有る用務員は再び顔色を変える。

「何をしていたのかしら、ねぇ……」

 ケイトの白々しい質問に、

「な、何だと、そ、それがどうした……修理する箇所が無いか、み、見ていたんだ、そう、そうだよ、て、点検してたんだよ」と、用務員は声を震わせながら答えた。

 ケイトは、明らかに動揺している姿を見て「どんっ!」と、床を踏み鳴らし、

「うるせえぇんだよ!さっきから、ごちゃごちゃと!」と、威勢良く啖呵たんかを切った。

「証拠だと!何なら今、此処に先生を呼んで来て、お前の身体検査してもらおうか?言っただろう、見たんだよ私は!」

 ケイトは、用務員が高等学舎の更衣室で、何か盗んでいると考え鎌を掛けた。

 用務員は強張った顔でケイトを見て、

「い、良いさ……つ、つ、連れて来いよ……せ、先生を……」と、動揺しながら答えた。

 あまりもの用務員の分かり易い態度に、

「あら、私が?先生を?呼んで来るの?……だめよぅ、そんな事している間に、おじさん、証拠を隠すんでしょぉ……」と、ケイトは馬鹿にしながら、甘える様な声で言った。

「そ、そんなこと……」

 怯んでいる用務員に「よっしゃあぁ!もう一押し、いったるかあぁ!」と、調子に乗ったケイトは再び床を「どんっ!」と、踏み鳴らし、

「どうなんだ!はっきりしやがれ!お前が盗んだんだろうがぁ!」と、怒鳴り付けた。

「知らないって言ってるだろうがぁ!」

「もう、お前が盗んだ事は解ってんだよ!白状しろぃ!」

「知らない!知らないって言ってるだろうがぁ!」

「嘘付け!お前が音楽室から袋ごと金を盗んだんだぁ!」

「赤い袋なんか知らない……!」

 怒鳴り合っていた用務員が、言葉の途中ではっと言葉を詰まらせる。

「……お金の入った袋が赤だったて……何で知ってるんだ?」

「えっ、いや、それは……」

 ケイトが用務員を睨み付け、

「合唱部の部員と先生しか知らない事を、なんで、お前が知っているんだ……」と、静かに問い詰めた。

 用務員は小刻みに震えながら、怯えた目でケイトを見ていたが、

「わあぁぁぁぁぁっ」と、突然叫んでケイトに向かって来た。

 ケイトは咄嗟に身構え「やばい、逆上しやがった!」と、ケイトが後悔した瞬間「どすっ!」と、鈍い音と共に用務員が壁へと吹き飛んだ。

 ケイトは、防御の為に顔の前で組んだ腕の隙間から、そっと前を見ると、其処には、アルが拳を構え立っていた。

「お嬢……」

 壁際に倒れてうずくっている用務員を見据えながら、

「すんません……言い付け、守れなくて……」と、アルは申し訳無さそうに謝った。

 やっと何が起きたのか理解したケイトが、

「ばか……ありがとう」と、はにかみながら礼を言った。

「く、くそ……」

 蹲って腹を押さえていた用務員が、急に立ち上がって部屋の外へと走り出した。

「追え!」

「へい!」

 二人は、用務員の後を追って部屋を出た。

 用務員が廊下に出ると、メイが此方に走って来るのが見え、反射的に逆の方向へと逃げ出した。

 アルが部屋から出て、用務員を見付けると

「待ちやがれ!」と、後を追いかけ走り出した。

 アルの後からケイトが部屋から出て来たのを見て、

「何事なの!」と、興奮気味のメイが尋ねた。

「あいつが犯人よ!」

「やっぱり……あっ!レイチェル!逃げて!」

 ケイトが指差す用務員の前に、一生懸命正面入り口を見張っているレイチェルの姿を見付けたメイが叫び声を上げると同時に、ケイトが飛び出した。

「レイチェル!」

 用務員は、追い着かれたら只では済まない事が容易に予測出来る馬鹿でかい男が追いかけて来るのを見て、

「ひぃ!」と、全力で走っていた。

 すると目の前に、名前を呼ばれて振り向いた、さっき擦れ違った少女が目に付いた。

「きゃっ!」

 用務員はレイチェルの首に左腕を回して捕まえると、追い掛けて来るアルの方へと振り向いた。

「えっ?……あら?用務員さん?」

 何が起きているのか理解出来ずに戸惑うレイチェルの前で、アルは拳を振り上げ、レイチェル越しに用務員を殴ろうとして固まった。

「来るな!」

「うっ……」

 叫ぶ用務員の右手には、刃渡り十五cmほどのナイフが握られていた。

 拳を振り上げたまま固まっているアルにケイトが追い着き、

「あっ!」と、ケイトも固まる。

「あっちへ行け!ほら、早くあっちに行け!」

 用務員がナイフを振り回し威嚇しているのを見て「あのやろう、あんな物を……」と、ケイトが身構える。

 目の前で振り回している手に、ナイフが握られている事にレイチェルがやっと気付き、

「ひぇ……」と、此処に来て事態を飲み込み、小さく悲鳴を上げる。

「レイチェル!落ち着いて!大丈夫!大丈夫よ!」

 真っ青になって怯えるレイチェルは、

「ケイト……」と、どうして良いのか分からず縋る様な目でケイトを見た。

 れてやって来たメイも、現状を理解して顔色が真っ青になった。

「どうしやす……お嬢……」

 ケイトだけに聞こえる様な小さな声でアルが冷静に尋ねると、

「今は動くな……様子を見る……」と、ケイトも冷静に指示し、

「へい」と、アルは落ち着いて返事をした。

 幾つもの修羅場を潜り抜けて来た二人は、今更ナイフを突き付けられたぐらいで慌てたりはしないが「だけど、どうしよう、どうしたら良いんだ……レイチェルが……」と、目にいっぱい涙を浮かべて怯えているレイチェルを見て、ケイトは動揺を隠し切れない。

「おい、分かってんだろうな!こいつがどうなっても良いのか!」

 ケイトにナイフを突き出し脅す用務員に、

「貴方こそ、どうなるか分かっているんでしょうね……レイチェルに何かあったら、生きて此処から出られるなんて思わないでね……」と、氷の様な殺気を含んだ冷たい目で用務員を睨み付ける。

「うっ……う、うるせぇ!」

 ケイトの迫力に押され虚勢の叫びを上げる用務員の腕の中で震えているレイチェルを見て「……可愛そうに、あんなに震えて……ごめんねレイチェル、こんな事に巻き込んで、ごめんね……」と、後悔に唇を噛み締める。

 ケイトは慎重に用務員の隙を伺いながら、

「レイチェル!必ず助けるからね!怖がらなくて良いのよ!必ず、必ず助けるから!」と、レイチェルを慰め勇気付けた。

 そしてケイトは、レイチェルを落ち着かせる為に微笑を浮かべ、

「大丈夫よ、必ず助けるから……」と、レイチェルの目を見ながら優しく言った。

 レイチェルは、そんなケイトを見て「ケイトが居てくれる……大丈夫、大丈夫よね。がんばれ、がんばれ私、がんばれ……」と、心の中で何度も繰り返し、少し落ち着いた。

「いいか、此処を動くなよ……動いたら、こいつがどうなっても知らんぞ」

 ナイフをレイチェルの首に突き付け、その場から逃げようと用務員が後退るのを見て、

ケイトは拳を握り締め「くそっ」と、どうする事も出来ずにほぞを噛む。

 心配そうに見詰めているケイトを見て「私、がんばる……がんばる……」と、レイチェルが何か決心したかの様に頷きケイトを見る。

 ケイトは、嫌な予感にはっとして大きく目を開く。

 レイチェルが、自分の首に撒き付いている用務員の腕に目をやった。

 それに気付いたケイトは「だめ!何をする気!」と、大きな不安がケイトを襲い、

「レイチェル!だめ!」と、叫んだ瞬間、レイチェルが用務員の腕に思いっきり噛み付いた。

「ぎゃあぁ!」

 作業服の上からとは言え、食い千切らんばかりの力で噛まれ、その激痛に用務員は一瞬怯んだが、見る見る内に顔が真っ赤に成り、

「くっそう……」と、逆上しレイチェルを睨み付け、

「このがきゃぁぁぁ!」と叫び、ナイフを振り上げる。

 恐怖が走った瞬間、

「レイチェル!」と、叫んでケイトがダッシュし、メイは次に起こる事を想像し顔を背ける。

 静けさに固まった空間で、ナイフはレイチェルの胸の前で止められていた。

 床に、ぼたぼたと大量の血が落ち、血溜りを作る。

 レイチェルが首に巻き付いている腕の力が抜けた事に気付いて、静かに目を開け事態を理解した時、

「ケ、ケイト……ケイトオォ!」と、叫んだ。

「ケイト!」

「お嬢!」

 メイと、アルもその光景を見て叫ぶ。

 振り下ろされたナイフは、差し出されたケイトの左腕に深々と突き刺さり、突き抜けた切っ先がレイチェルの胸の寸前で止まっていた。

 ケイトは痛みに歯を食い縛りながら、用務員を睨み付ける。

 呻き声一つ上げずに睨み付けるケイト見て、

「うっ!」用務員が恐怖に駆られ怯んだ時、

「やれえぇぇ!アル!」と、ケイトが叫び終わる前に、アルが拳を振り上げ用務員に突進する。

「ひっ!」

 用務員は、恐怖に顔を引きつらせ慌ててレイチェルを放し、ケイトの腕からナイフを引き抜き後ずさり、血みどろになったナイフを構えた所に飛んで来た拳を寸での所で躱し、「うわあぁっ!」突進して来たアルの体に跳ね飛ばされた。

「大丈夫っすか!お嬢!」

 腕を掴んで蹲るケイトの脇に、アルが慌ててしゃがみ込むと、

「私は良い!あいつを捕まえろ!」と、立ち上がり走り出そうとしている用務員を見て、ケイトが叫ぶ。

「へい!」

 アルが返事をしてケイトに頭を下げると、走って行く用務員を追いかけた。

「ケイト!ケイト!ケイト!ケイト!」

 レイチェルが混乱してケイトを呼び続ける。

 腕からの出血が、グレーのコートを赤黒く染めて行くのを見て、顔から血の気が引いてメイはその場にへたっと座り込む。

 さすがのメイも、所詮は中学一年生の少女だ。

「レイチェル、怪我は無い?」

 優しく微笑みながらケイトが尋ねると、

「あっ……」と、混乱していたレイチェルが我に帰り、メイに振り向くと、

「しっかりして!メイ!」と、叫んだ。

「メイ、お願い!先生を呼んで来て!」

 おろおろしていたメイが、レイチェルの言葉に力なく頷いて、

「わ、解ったわ、直ぐに行ってくるわ……」と、足を震わせながら立ち上がり、小学舎の職員室へ躓きそうになりながら危ない足取りで走って行った。

「ごめんなさい、ケイト、ごめんなさい……」

 レイチェルは目にいっぱい涙を溜めて、震える声で呟きながら自分のマフラーをはずして、出血を止めようとケイトの腕にきつく巻き付けている。

 手を血だらけにしながら、ケイトの腕に必死でマフラーを巻いているレイチェルを見て、ケイトは「あのレイチェルが……」と、驚いていた。

 気弱だったレイチェルが気丈にもマフラーを巻いている姿を見て、

「大丈夫だよレイチェル、心配しないで……怪我は無い?」と、嬉しそうに微笑んだ。

「私は大丈夫よ……ごめんね、ごめんねケイト、私のせいで……」

 目にいっぱい涙を溜めて見詰めるレイチェルを見て「良かった……レイチェルが無事で……貴方が無事ならそれで良いの……」と、思った時「あれ……」と、ケイトは不思議な感覚に包まれた。

 自分は大怪我をしたのに、少しも辛くない。

 そして、レイチェルを無事助けた事が、とても誇らしく思えた。

 『他人をかばって自分が怪我をするなんて、そんな馬鹿な事があるか!』と、スラムに居た時はそれが常識だったのに、今はレイチェルの無事な姿を見て、嬉しくて嬉しくて酷い痛みも辛くはなかった。

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「大丈夫よ、泣かないで……レイチェルのせいじゃ無いよ。私こそごめんね。怖い目に合わせて……」

 二人が優しい目で見詰め合っていると、メイが先生達を連れてやって来た。

 先生達は血だらけの現場を見て、悲鳴にも似た声を上げて一人の先生が救急車を呼びに走って行って、二人の先生がケイトを抱えて保健室へ連れて行った。

 メイとレイチェルは、何があったのかと、残った先生達に聞かれたが、どう話して良いか解らないでいた。

 一方、学園の外では、何時もの時間と比べて帰りの遅いレイチェルを、タムラは校門の傍で待っていた。

 見れば、アダムス家の車もあり「まだ、何かされているのだろうか……」と、タムラは考えていたが、運転手のアルが居ない事に、何か漠然とした不安を感じて、帰る生徒達もほとんど居なくなった学園の中へと入って行った。

 暗がりの中、校舎へと続く道を歩いていると、林の中を二人の男が走っているのを見つけた。

 暗い林の方を、じっと見詰めていたタムラの背筋に、ざわっとした不安が走り二人の方へと走り出した。

 走る二人へと近付くと、後ろの男が何か叫んでいる。

「せんぱあぁぁい!」

 後ろを走る男がアルだと気付いた時、タムラは自分がどうすべきかを理解した。

 進路を予測し先回りして、走って来る用務員の前にタムラが立ち塞がると、

「どけぇ!じじいぃ!」と、ナイフを振り上げながら迫って来た。

 用務員がナイフをタムラ目掛けて振り下ろす、と、タムラは半身でナイフを躱し、のめり込んだ用務員の右腕を掴むと、しゃがみながら体を翻し、

「はっ!」と、気合と共に見事な体落としを決めた。

 タムラは、仰向けに倒れている用務員の腕を捻り上げ、膝で鳩尾みぞおちに蹴りを入れた。

「ぐえ!」

 一撃で失神した用務員の腕を放し、タムラが顔を上げた時、

「はあ、はあ、お見事です……はあ、はあ、先輩……」と、アルが息を切らせながら到着した。

 用務員の手から落ちた血だらけのナイフを見て、

「何があった!」と、アルを睨み付け、何時も冷静なタムラが声を荒げる。

「それは、後で、話、ます、から、早く、こっちへ」と、息を整えながらナイフを拾い、ひょいと男を肩に担ぐと、タムラを連れて小学舎へと向かった。

 その後は、大変だった。

 救急車が来るまでの間、保険医の先生がある程度の止血をしていた。

 其処に学園長や中学舎の校長や担任の先生、マクドウエル先生にオコナー先生もやって来た。

 そして、何があったのかと、メイとレイチェルに聞いている所に救急車がやって来た。

 救急車に乗り込むケイトを見て、

「私も行きます!」と、レイチェルが後を追う。

「お嬢様!」

 驚いたタムラがレイチェルを止めようとすると、アルがすっと片手を伸ばし通せんぼして、

「いけません、レイチェル様。これ以上遅くなると、お婆様がご心配されます」と、静かに言って止めた。

「でも、ケイトは私のせいで……」

 今にも泣き出しそうなレイチェルに、

「誰のせいでも有りません、お気を楽にしてください。私が付いて行きますので、どうかご安心下さい」と、優しく言った。

 アルがタムラに頷いて合図を送ると、タムラも頷いて、

「お嬢様……」と、レイチェルの手を引いて救急車から離した。

「先輩、後は頼みます」

 丁寧に頭を下げるアルを見て、

「ありがとうございました……」と、タムラも深く頭を下げた。

 アルが救急車に乗り込み、救急車が出て行った後、レイチェルとメイは今度は警察に事情を聞かれた。

 タムラが捕まえていた用務員を警察に引き渡すと、案の定、用務員のポケットからは、生徒の財布が出て来た。

 一段落した所で、学園長は、

「まだまだ、聞きたい事はありますが、今日はもう遅いので帰りなさい」と、メイとレイチェルに言った。

 病院に着いたケイトは、血管や筋も縫わなくてはいけない大怪我で、手術に一時間ほど掛かった。

 結局、一週間の入院と一ヶ月の通院が必要となり、時間は掛かるがリハビリしだいでは元のように戻るだろうと、医者が遅れて駆けつけたケイトの両親に告げた。

「大丈夫か!ケイト!」

 病室に入って来た両親に、

「ごめん……心配掛けて……」と、誤った。

「アル!てめえが付いていながら……」

「止めて!アルを叱らないで!」

 アルに殴りかかろうとした父親を止めて、

「アルは私を助けてくれたのよ……お願い、叱らないで……」と、まだ大量の出血のせいで自由に動かない体を起こして頼んだ。

「でも……」

 怒りが収まらない父親の肩を掴んで、

「ケイトが良いって言ってんだよ、良いじゃないか……」と、母親が諌めて、

「何があったか話してくれるね」と、ケイトに言った。  

 黙ってケイトの話を聞いていた両親は、ケイトの話が終わると、

「で、アル、ちゃんと方は付けたのかい?」

「すんません、学園の中でる訳には……仕方なく察に引渡しやした」

 申し訳無さそうに頭を下げるアルに、

「はははは、馬鹿、それで良いいんだよ。お前まで察の世話に成る事無いよ!」と、笑いながら母親が言った。 

「まっ、お前も、これに懲りたら、あんまり無茶するんじゃ無いよ」

 母親が微笑みながらケイトの頭を撫でている横で、父親はおろおろして、

「痛くないか?大丈夫か?」と、繰り返していた。

 ケイトは、両親の姿を見ていると傷の痛みが和らぐ思いがした。

「ごめんね、心配掛けて……」

「バカ、何しおらしい事言ってんだよ。いいんだよ心配なんて幾らでも掛けても、私たちゃあんたの親だよ」

 母親がケイトの頭を撫でてから、

「アル、すまなかったね。今日はもう良いから帰んな。後は私が付いてるから」と、アルに振向いて言った。

「でも……」

「良いよ、もう……アル、今日はありがとう」

 ケイトが微笑みながら礼を言うと、

「お嬢……失礼します……」と、アルは深々と一礼して病室を出て行った。


---勲章---

 一週間の入院中、レイチェルやメイ、合唱部の生徒達が見舞いに来てくれて、ケイトは退屈はしなかった。

 退院してケイトが登校すると「もういいの?」「大丈夫なの?」と、クラスメイト達がケイトの事を気遣った。

「まだ病院は、一ヶ月ぐらい通わないといけないけど、もう痛みも無いし、大丈夫よ」と、ギプスをはめたままのケイトが説明した。

 レイチェルは、今にも泣きそうになりながら「よかったね、よかったね」と、繰り返している。

「ごめんね、本当に心配掛けて」

「何言っているの、謝らないといけないのは私よ、ごめんねケイト」

 涙ぐんで謝るレイチェルを見て「良いのよ私は……レイチェルさえ無事で居てくれたら」と、ケイトは思っていた。

 それから二日後、事件の当事者三人が両親を連れて、理事長、学園長と中学舎の校長と言う面々に呼び出されていた。

 ケイトは、初めて見るメイの両親が、メイとは似付かず細っそりとしている事と、母親がモデルのようにスタイルの良い凄い美人だと言う事を始めて知った。

「お爺様が私を見て、お母様の若い頃そっくりだと仰っているのよ」

「ま、まあ……そうなの……」

 メイに母親を紹介されて、ケイトとレイチェルは不思議そうに見ていた。

 会議室は、重い空気に沈んでいた。

 両親とケイト達が座る前で、理事長達が立ち上がり、

「この度は、学園において、真に持って、不名誉な事件が起きた事を、心よりお詫び申し上げます」と、理事長以下の面々が深々と頭を下げた。

 その姿に、ケイト達は戸惑いながら黙って見ていると、学園長が一礼をして、

「先だってご自宅へお伺いし、個別に謝罪させて頂ました通り、この度の事件の重要性を考え、理事会で話し合いました結果、私と校長が責任を取るという形で、辞任する事に致しましたので、この件に付いては、どうかご容赦願いたいと思います」と、学園長が沈痛な面持ちで父兄達に報告した。

 辞任と聞いてケイト達は驚いている。

「お、お母さん……」

 ケイトは、母親に寄り添いながら不安な表情で顔を見上げる。

「いやよ……辞めるだなんて、そんな……」

 母親はケイトの気持ちを察して、微笑みながらケイトの頭を撫でると、

「あの学園長先生。それはどう言った事に対しての責任でしょうか?」と、質問した。

「どう言ったと、言われましても……つまり、今回の盗難事件で当学園の職員が関わっていた事と、その者が、お嬢様に怪我を負わせたと言う事に対してです」

「でも、それはすでに解決しているではありませんか?犯人は警察に捕まったのでしょ」

 問い返す母親の前に立っている、経営母体の教会から選任された理事長が、

「そう言う訳には参りません。今回の事は不祥事に他ありません。この様な不祥事に対して管理責任のある者が責任を取るのは当然の事です」と、静かに説明した。

「確かに、大人の都合はそうかも知れませんが、子供達の事も考えて頂いているのでしょうか?」

 呆れた顔で尋ねるケイトの母親に、

「どう言う意味でしょうか?」と、理事長が顔を曇らせ問い返す。

「学園の職員が窃盗と傷害の事件を起こした。確かに不名誉な不祥事です。ですが、盗難と言っても金額は知れていますし、傷害は、この子達が自分達の正義の下で行動した事により起きた事です。この子達も、その事に付いては何も不満はありませんよ」

 そして、ケイトの母親は立ち上がり、理事長の前まで進む。

「もし、ケイトの心に、一生負い目を感じ続ける様な傷を負わされたら、私も主人も黙っては居ないでしょう……でも、この傷はケイトにとっては勲章です。自分の不名誉を晴らした事、大切な友達を守ったと言う勲章なのですよ。それを、あなた方は踏みにじるお積りですか?」

「そ、それは……」

 戸惑う理事長達を前に、更に、ケイトの母親は理事長に詰め寄り、

「盗難事件と言っても些細な事では有りませんか。そんな事で、お辞めになる必用なんて無いと思いますよ」と、にこりと微笑み、

「もし、私の娘が怪我をした事が原因でお辞めに成ると、仰るのでしたら……」と、一呼吸置いたかと思うと、大きく足を振り上げ「どんっ!」と、理事長の前の机を踏み付け、

「その事で傷付くケイトの心は、どうしてくれるんでぃ!」と、威勢良く啖呵を切った。

 会議室に居た全員の目が点になって、ケイトの母親を注目していると、

「あら、やだ……」と、慌てて足を下ろして乱れたスカートを整えて、

「ほほほ、ごめんなさいね……つい、興奮してしまって……」と、上品に笑って誤魔化した。

 その時ケイト達三人が理事長の前へと駆け寄り、

「私のせいで辞める何て嫌です!」

「辞めないで下さい!」

「そうです、辞めないで、先生!」と、懇願する姿を見て、

「あなた達……」と、学園長が戸惑っていた。

「先生達は悪くありません!」

「そうです、悪いのは私です!最初に言い出したのは私です。ケイトは危ないからと言いました。でも私が調べようって言ったから……」

「いいえ、悪いのは私よ!私が犯人を挑発してしまったから、見つかった時に逃げていたらこんな事には……」

「一番悪いのは私です!ケイトは私を助けて怪我をしてしまって、来るなって言われたのに、私が無理に付いて行ったばっかりに……」

 泣きながら必死で訴える三人の姿を見て、レイチェルの母親がゆっくりと学園長の前まで進んで、

「学園長先生、一つ聞かせてくださいな……」と、微笑みながら尋ねた。

「何をでしょう」

「確か……以前仰いましたわね、先生自身が教育者である限り、二度と生徒達の心を傷付ける様な事はしないと……」

「そ、それは……」

 困った顔で黙ってしまった学園長を睨み付け、

「あれは、嘘だったのですか」と、きつい口調で尋ねた。

「もし、責任をどうしても取ると仰るのなら、先生、きちんと取っていただけます?」

「どの様にでしょうか?」

 戸惑いながら尋ねる理事長に、レイチャルの母親が微笑みを浮かべて、

「この子達が学園を卒業するまで、責任を持って、見守ってくださいませんか?コワルスキー先生……」と、恩師に向かって提案した。

 微笑んでいる、レイチェルの母親を見詰めて、

「ありがとう……サラ……」と、学園長は薄っすらと涙を浮かべ微笑みながら呟いた。

 その後も話し合いは続いたが、結局、理事長は『当事者の保護者の方がそう仰るのであれば……』と、もう一度、理事会に持ち帰り審議し報告すると言う事でその場は別れ、結果として学園長と中等部校長は留任と言う事に落ち着いた。

 結果を聞いてケイト達三人は喜び合い、お互いに事件を通じて結ばれた強い絆を感じていた。

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