第五話
続きです
---スクール・フェスティバル---
ケイトが九月に入学してから季節は巡り、早十二月。
クリスマスが待ち遠しいこの時期、ケイト達は慌しくなって来た。
十二月初めに行われた州大会で三年生達は優勝し、春に行われる全国大会出場を決め、その喜びも覚めやらぬ内に、ケイト達はスクール・フェスティバルの準備に追われていた。
フェスティバルはチャリティー・バザーも兼ねていて、経営母体である教会への寄付を集める聖ディオニシウス女学園全体で行われる文化祭みたいなイベントで、小学舎の生徒達はオープニング等のセレモニーで賛美歌を歌い、聖書の物語を題材にした劇を披露したりし、中学舎と高等学舎並びに大学舎は、各クラブ単位で自分達の実績の発表展示や物品の販売を行う。
当然ケイト達合唱部は、コンサートをする。
期末考査が終わり、冬季休暇に入る前に行われるイベントは、生徒達にとって楽しみではあるが、試験が終わってからの1週間しか準備期間が無い為、ケイト達は何かと忙しかった。
「アンナ、チケットの準備は進んでいるの」
部長のシンディーが尋ねると、
「はい、プリントアウトが終わって、今カットしています」と、二年生のリーダーのアンナが切り離したチケットを束ねながら答えた。
「メイ、一年生の方は進んでいて?」
シンディーがメイに近付いて尋ねると、
「はい、星は殆ど切り抜きました、後は背景に張る分をやっています」と、一年生のリーダーを引き受けたメイが、鋏で赤い紙を切りながら答えた。
「ねえ、シンディー、背景のシーツ、四枚じゃ少し寂しくなくて……」
「うぅん……そうねぇ……確かに寂しいわねぇ……」
マチルダが広げる背景に使うシーツを見ながら、シンディーが少し考えて、
「もう二枚は欲しいわね……」と言って、三年生達が集まって相談を始めた。
「もう、背景の準備に時間を取られていたら、歌の練習が出来ないわ……」
不服そうに緑色の紙を針葉樹の形に切り抜きながら、ケイトが言うと、
「とりあえず今日中に全部切り抜いて……明日、三年生のお姉様方の縫ったシーツに、全員で貼り付けて……練習はそれからね……」
ケイトの隣で同じく緑色の紙を切り抜きながらレイチェルが不安そうに言うと、
「大丈夫よ、私達も上達したし、今回はディオニシウスの生徒と父兄の方々の前だから、地区大会で歌った時に比べたら気分は随分と楽なはずよ」
茶色の紙をトナカイの形に切り抜きながらメイが何時もの調子で言うと、
「はぁ……あのねメイ、貴方には分からないかも知れないけれど、それはそれで私達には、また違った緊張感があるのよ」と、わざとらしくケイトが大きな溜息を付いて言った。
「……確かにそうね」
「えっ!」
珍しく素直にケイトの嫌味な意見に同意したメイの顔を、その場に居た一年生全員が驚いて見ると、
「お父様とお母様に、私の成長した姿を見てもらうのですもの……確かに緊張するわねぇ……」と、メイが目をキラキラと輝かせて言った。
「あ……」
驚きが一瞬で白け、一年生達が諦めの目を向ける中、
「ですからね……あなたの、その自信は、何処から来るの……」と、皆とは違ったニュアンスで悩むメイをケイトは呆れながら見ていた。
みんなでわいわいと楽しい作業の時間が過ぎて行き、あっと言う間にフェスティバルの当日がやって来た。
今日は女学園全体がお祭り気分に包まれ、普段は静かで地味な女学園も華やいでいる。
父兄達も多く訪れ賑わい、特に毎年盛り上がるのが、父兄からの寄付で集めたブランド品のバスタオルやグラスセット等の、未開封の不要ギフト品が格安で販売されるバザーである。
このバザーが何故盛り上がるかと言うと、高級品が格安で手に入るという事が目的ではなく、大企業のオーナーや重役である父兄が、あくまでもチャリティーと言う場で交流が行われるからである。
そんな大人達の事情とは別に、ケイトはレイチェルやクラスの友達と合唱部の発表までの時間、彼方此方の展示を見て回り楽しんでいた。
普段は廊下を走る生徒等いないが、今日だけは楽しそうに走り周り、それを咎める様な無粋な先生やお姉様はいない。
男性の先生がサンタクロースに扮装してケイト達をからかい、ケイトとレイチェル達が無邪気にはしゃいでいると、
「よう!ケイト!」と、呼びかける声に、ケイトはぎくっと振り向いた。
はしゃいでいたケイトが両親を見つけ「やっぱり来たか……」と、ケイトは警戒した。
両親はケイトに近付き、隣のレイチェルに、
「こんにちは、レイチェルさん」と、母親が微笑みながら声を掛けると、
「ようこそ、こんにちは」と、レイチェルも笑顔で挨拶を返す。
「やあぁ、お嬢チャン!何時見ても可愛いっひっ!……」
軽薄な笑みを浮かべてレイチェルに手を振る父親のお尻を思いっきり母親が抓り、ケイトはレイチェルから見えない様に、踵で父親の足を踏み付ける。
「なっ、なんだよ!……」
突然痛め付けられた訳が分からず、父親が不服そうに母親を睨み付けると、
「うっ……」と、殺気を孕んだ目で母親に睨み付けられ言葉を失った。
何が起きているのか分からないレイチェルが、きょとんとしてケイト達を見ていると、気を取り直した父親が、手に入れたコンサートのチケットをひらひらと振って、睨み付けているケイトに見せ、
「ふっ、ケイト……お前の歌、聞かせてもらうぜ……」と、気障なポーズを決めてウィンクした。
相変らずの父親の能天気さに、
「……あ、そう……」と、呆れながらも「ほんとに、もう……しょうがないわね……」と、ケイトは苦笑いを浮かべ、嬉しい様な恥ずかしい様な不思議な気分だった。
ケイトは母親に近づき耳元で、
「しっかり見張っててよ……」と、握った手の親指で父親を指して囁いた。
それを察して母親は、黙ってOKサインを送った。
「じゃあ又後でね、レイチェルさんも」
「はい、失礼します」
バザーの見物に向かったケイトの両親を見送って、
「いいなぁ……ケイトはご両親に来て頂けて……」と、レイチェルは羨ましそうに言った。
顔を曇らせるレイチェルを見て、ケイトは申し訳無い様な気分になり、
「レイチェルのご両親は来られないの?」と、尋ねた。
「ええ、お母様は欧州に行かれてて、お父様は亜細亜に行ってらっしゃるの……でも、クリスマスには帰るって、お電話でお約束したのよ」
嬉しそうに話すレイチェルの話を聞いて、ケイトは胸を撫で下ろしながら、
「お婆様は来られないの?」と、聞いた。
「ええ、お婆様は、あまり騒がしいのがお好きじゃ無いから……」
残念そうに話すレイチェルを見て、
「まぁ、そうなの……」と、レイチェルを可哀想に思う心が半分「よかったぁ……」と、安心している心が半分と、ケイトは少し複雑な気分だった。
コンサートの始まる時間が近づき、ケイト達はホールへと向った。
ケイトがホールに着くと、演劇部の発表が終わり観客がホールから出初め、次に発表する合唱部が準備に入る。
ホール内の準備に部長のシンディーが指揮を執り、ホールの外は二年生のリーダーのアンナが指揮を執っていた。
ケイト達一年生の五人は、アンナの指示でチケット係りとしてホールの入り口に座り、残りの一年生達は、ホールへの案内係の役割分担を聞いて配置に就いた。
そして他の部員達は、緞帳の向こうで舞台の飾り付けに追われていた。
開演の時間が迫り、合唱部の発表を聞きに来た父兄達が並び始める。
ホールの中から、舞台の準備が整った合図をアンナが送るのを見て、
「お待たせいたしました」と言って、ケイト達は受付を始める。
チケットを受け取っているケイトの前で、
「ヘェイ!ケイトォ!おまえ……」と、気障なポーズを付けて何か言おうとした父親を、
「はいはい、こっちよぅ……」と、母親が強引に腕を掴んで引き摺って行った。
「あっ、おい、まて、ちょっ……ケイトォ!……」
引き摺られて行く父親を、皆が珍しい物を見るかの様に注目する中、
「ははは……」と、引きつった笑顔をケイトが浮かべていると、
「レイチェル来たわよ」と、聞き覚えのある声に振向いた。
「お婆様……」
レイチェルが思いも寄らなかった来訪者に驚いていると、
「あなたの歌を是非聴きたくて」と、婦人は微笑んでレイチェルに言った。
「あ、お婆様……嬉しい……ありがとうございます!」
レイチェルが笑顔を炸裂させている横から、
「ようこそ、お婆様」と、ケイトが複雑な心境で婦人を歓迎した。
「まあ、ありがとう。ケイトさんも頑張ってね」
「はい!」
婦人のチケットを受け取って、
「よかったわねレイチェル」と、ケイトがにこやかに言うと、
「ええ」と、レイチェルも笑顔で答える。
中に向かおうとする婦人の横から、
「エリザベス……」と、声を掛けるもう一人の婦人がいた。
「やっぱり!ベスだわ!」
「まあぁ!ナスターシャ……お久しぶりね」
二人の婦人が笑顔で手を取り合っている。
「何年ぶりかしら」
「もう、五年は……いえ、七年ぶりね、学園長先生……」
懐かしそうに話すレイチェルの祖母が、
「孫のレイチェルよ」と、レイチェルを紹介すると、
「ええ、知っているわ」と、学園長が微笑みながらレイチェルを見た。
レイチェル達は何事が起きたのか解らないまま二人を見ていると、
「私達、合唱部で一緒だったのよ」と、婦人がケイト達に向かって言うと、
「えっ、ええええ!」と、其処に居たケイト達一年生は驚きの声を上げた。
ケイトは入学式に一度だけ見た学園長を見ながら「大先輩じゃないか!しかも全国大会で優勝した……」と、その事実に驚いた。
「ベスがフェスティバルに来るなんて珍しいわね」
「ええ、今日は、孫の歌を聴きに来たのよ」
「私も、合唱部の歌を聴きたくて立ち寄ったのよ」
二人は懐かしそうに話をしながらホールへと入って行った。
コンサートが始まり、ケイト達は緊張しながらも、今の実力としては満足出来る出来栄えだった。
楽しい時間はあっと言う間に過ぎて行く。
フェスティバルが閉会の時間を向かえ、ケイト達は片付けに掛かった。
---事件---
ケイト達が片づけを終えて音楽室で帰る仕度をしていると、何やら三年生達がごそごそとしている。
「何をされているのですか?」
それに気付いたアンナが尋ねると、
「無いのよ……」と、シンディーが顔を曇らせて答える。
周りの三年生達は机の下や通路をきょろきょろ見ている。
「皆も、来てくれる?」
マチルダが下級生達に向かって呼びかけると、
「どうかされましたの?」と、メイがマチルダの所へと進んで尋ねた。
「募金がね……チケットを、売ったお金がね、見当たらないのよ……」
シンディーが今にも泣き出しそうになりながら話すのを聞いて、下級生達が驚き「どうしたのかしら?」「音楽室で?」「他の場所を探しては?」「何か思い出さないのですか?」と、皆が口々に尋ねた。
「お静かに!」
口々に囀る雛鳥達を一声で制して、
「お姉様、どう言った状況で紛失したのか、紛失される前からご説明していただけますか?」と、メイは冷静に尋ねた。
「ええ、チケットを音楽室の前で販売していたの。そして、予定より早く三百枚を売り切ったので、音楽室に入って間違いが無いか、私とマチルダとエミリアでお金を数えたの」
「ええ、そうね……」
「ええ……」
同じ三年生のマチルダとエミリアが、お互いに顔を見合わせて確認して頷いた。
「募金箱からお金を出して、ちゃんとある事を確認したのよ。それから、この箱にそのまま戻すのもどうかと思って、お金を飾り用に作って余っていた赤い袋に入れたの」
ダンボール紙に色紙を貼っただけの募金箱を指差して説明するマチルダに、
「あら、袋じゃなくて、靴下よ。私の作った」と、抗議するシンディーに、
「とても靴下には見えなかったわよ……」と、マチルダが言い返し、
「まあ、失礼ね!」と、シンディーが頬を膨らませる。
「あの……お姉様……お話が逸れていますが……」
緊張感の無い二人に、メイが頬をひくひくと震わせながら言うと、
「あら、ごめんなさい……ええと……お金を入れた赤い靴下を、確かに募金箱に入れておいたのよ」と、シンディーが自分に都合良く訂正して説明した。
「其の後、どうされました?」
既に探偵気分のメイが尋ねると、
「其の後……本当は直ぐに、先生に、届けるべき、だったの、だけれど……」と、話しながらシンディーが言葉に詰まって手で顔を覆った。
「シンディー……」
隣で聞いていた、マチルダがシンディーの肩を抱き寄せ慰めながら、
「其の時ね、クラスのお友達が誘いに来たの……それで、少しの間なら、大丈夫だろうと、思って……」と、説明している内にマチルダも涙ぐむ。
「でもね、戸締りはちゃんとしたのよ」
泣いている二人に代わってエミリアが、
「そうしている内に、準備の時間になっちゃって……私達、お金を音楽室に置いたままホールへ向かったの」と、泣きそうになりながら説明した。
「ええ……そしてホールの入り口で、音楽室の鍵をアンナに渡して……準備して……私達、お金の事は忘れてしまったみたいで……」
泣いていたシンディーが、マチルダの腕の中で顔を上げて説明したのを聞いて、
「お姉様、取り合えず……この事を先生に報告しに行きませんか?」と、アンナが心配そうにシンディーの顔を覗き込む様にして提案した。
「そうね、それがいいわね……」
少し落ち着いて来たシンディーが、涙を拭きながら答えると、
「みんな、ごめんなさいね。嫌な思いをさせて……」と、肩を抱いてくれているマチルダから離れて、
「私達は先生に報告して来ますから、皆はもう心配しなくても良いのよ。だから早く帰りなさいね」と、シンディーは部長らしく、しっかりとした口調で皆に向かって言った。
ケイト達は「いいのかしら?」「どうしましょう?」と、顔を見合わせていると、
「遅くなるといけないわ、だから、早く帰るのよ」と、シンディーが念を押し、
「はい……」と、皆は渋々返事した。
既に暗くなりかけた校門へと続く道を、ケイトとレイチェルが話しながら歩いている。
「どうしたのかしら?」
「誰かが、音楽室から持ち出した……としか、思え無いわね……」
「では、誰かが盗んだと言う事なの?」
ケイトの推測にレイチェルが驚きながら尋ねると、
「そうとは断言出来ない、とは思うのだけど……お姉様方のお話だけでは、其処までしか推測も出来ないわね……」と、ケイトは慎重に考えながら答えた。
「そうねぇ……」
ケイトはシンディーの話を思い出しながら「大体、金なんて物は、何時も肌身離さず持っておく物だろうが。それを『忘れてしまってて』なんて……何処まで呑気な連中なんだよ、まったく……」と、思っていた。
次の日、ケイト達が登校すると、昨日の事が想像以上に大事になっていた。
各学年、各クラスの先生が、昨日の紛失事件に付いて生徒達全員に事情聴取をする事に成った。
「決して、あなた方の誰かを疑ってお話を聞くのでは無いのよ。何か、手掛かりになる事があればと考えて……そう、まだ盗難って決まった訳じゃ無いし……あの、だから、ちょっと、お話を聞きたいの……」
ケイト達の担任の先生が、きまりが悪そうに皆に説明した。
それから教室では、一人一人、教壇横の先生の机に呼ばれ話を聞かれた。
当然の事ながら、どの生徒も当日の行動等、はっきりとは覚えてはいない。
少女達は先生の前で、
「ええと、その時間は……ええと、ミッチェルと一緒に……」と、記憶を探っている。
時間を忘れて楽しんでいた少女達に、明確な話等出来る筈が無い。
ケイトとレイチェルも同様だったが、只一人、
「レイナと一緒に乗馬部の展示を十分ほど見学してから、確か、問題の時間の午後一時十五分頃には、読書部の展示を三十分程度閲覧していました。その後、私も合唱部の準備が有りましたのでレイナとホールへと向いました」と、メイだけは、はきはきと答えた。
「私も時計を見ながら行動していた訳では有りませんので、幾らかは誤差があると思いますが、それで、よろしいでしょうか?」
「えっ、ええ……それで充分だわ……」
堂々と説明するメイを見ながら先生は呆れていた。
皆が事情徴収される中、ケイトは深く落ち込み嫌な気分だった。
それは、事情徴収される事に対してでは無く、この学園では絶対に起きないと思っていた事が起きた事に対して、暗い気分に落ち込んでいた。
ケイトは、事情徴収している先生を見ながら「なんだよ、なんだかんだ言っても……此処も他と変わらないのかよ……」と、冷めた考えが浮かんで来た。
しかし、嫌な気分に成って居たのはケイトだけでは無く、学園中の生徒達が嫌な気分を味わっていた。
放課後には、合唱部で現場検証と事情聴取が行われたが、何度やっても新しい事等解らなかった。
「ごめんなさいね、貴方達を疑う積りは全く無いのよ……でも、理事会に報告しないといけないから……」
申し訳無さそうに話すマクドウエル先生に、
「いいえ、謝らなくてはいけないのは私です……すみません、直ぐにお金を届けなかったばっかりに……」と、シンディーは力なく先生に謝った。
「シンディー……」
落ち込んでいるシンディーの肩を持って、
「もう、気にしないで……」と、先生は微笑みながら力付ける様に言った。
小さく頷くシンディー見て、先生も頷いてから皆の方を向いて、
「皆さん、いい事、此処であった事は他の生徒達には言わないでね、あまり詳しい事が外に漏れると、話が大きくなる可能性もあるから」
「はい……」
沈んだ声で返事する生徒達を見ながら、
「特に、無くなった金額や、お金が赤い袋に入っていた事……それと、無くなった時の音楽室の様子とか、詳しい事は絶対に言っては駄目よ」と、続けた。
現場検証が終わって、先生達が引き上げた後、
「ごめんなさいね、みんな……こんな大変な事になるなんて……」と、シンディーが落ち込んでいた。
「そんな!シンディーのせいじゃ無いわ!」
マチルダがシンディーを庇うと、
「そうよ、マクドウエル先生に報告に行ったタイミングが悪かったのよ」と、エミリアもシンディーを庇う。
「お姉様、タイミングと言いますと……」
話が見えないアンナが尋ねると、
「昨日ね、マクドウエル先生に報告していたら、たまたま来られていた御父兄に、話を聞かれてしまって……」と、マチルダが答えた。
「ええっ、それじゃぁ……」
「そうなの、そのうえ悪い事に、話を聞かれた御父兄が理事の方を見つけられて……」
「ええ、そして『どう言う事だ!』って、強く説明を求められたの……」
「そうしたら、理事の方がとても怒られた様子で……学園長室の方に向われて……」
「まあ……」
職員室に報告に行った時の様子をシンディー達から聞いて、みんなは戸惑っていた。
学園側としは、こんな事にはしたくなかった。
確かに無くなった金額が大きいと言えば大きいが、一枚缶コーヒー一本程度のチケット三百枚だ、大した事は無いと言えば大した事は無い。
シンディー達が気付いたあの時点では、合唱部の部員だけが知っている事だから、学校側としては盗難では無く、紛失と言う事で内々に処理しようと思えば出来た事だったが、事件を知った理事が学園長室に怒鳴り込み、事実を確認し正式に報告しろと命令した。
学園長や、中・高等学舎の校長は、教育上好ましく無いと、強く反論したが、生徒を疑うのでは無く、状況を知る為だと押し切られた形になり、今日の取調べとなった。
ケイトは、すっかり冷めていた。
今まで自分が、お嬢様ごっこではしゃいでいた事が、急に馬鹿馬鹿しくなって来て「結局、何処も同じなんだよ。此処だけは、こんな事が無い世界だなんて馬鹿みたいに信じていた私って……なんなのよ……ほんと、ばっかみたい……」と、ケイトは思っていた。
結局この日は、学園全体が嫌な気分に落ち込んだ。
次の日、生徒達は昨日の事がショックだったのか、教室は暗い雰囲気に包まれていた。
ケイトは、自分が夢見ていた事を馬鹿馬鹿しく思い白け切っていた。
そして其の日の授業が進むにつれて、ある噂が立ち始めた。
「何ですって!もう一度言ってみなさいよ!」
ランチタイムに教室で大声を張り上げるメイが居た。
「何の証拠があって、そんな下らない事言うのよ!」
メイが怒鳴り付けている三人の少女達は、メイの剣幕に怯え震えている。
普段、態度はでかいが冷静なメイが異常に興奮して、その剣幕に集まって来た周りの生徒達も怯えている。
レイチェルは少し距離を置いてメイを見ていたが、本来、何時もメイに意見する筈のケイトが、椅子に座ったまま窓の外を見て無関心を決めている事も気になっていた。
「ケイト……どうしたのかしら……」
レイチェルは二人を交互に見ながら「わ、私が、しっかりしなきゃ……同じ合唱部員なんですもの……」と、怯えながら決意した。
レイチェルは恐る々メイに近付いて、
「メ、メイ、落ち着いて……」と、震える声でメイに問いかけた。
「私は冷静よ!」
レイチェルに振り向き怒鳴るメイを見て「きゃー、怒鳴らないでぇ……」と、レイチェルは一瞬ひるんだが、ぐっと震える足を踏ん張って、
「な、なにが、あったの……」と、メイに尋ねた。
「はっ、下らない噂話よ。取るに足らないわ」
メイが興奮しながら隣のレイチェル言った時、前に居る生徒が
「でも、あの日ケイトが……」と、言い終わらない内にメイが振り向いて、
「だから、そんなの根拠の無い噂よ!」と、怒鳴り遮った。
「えっ、ケイトが……なに?」
レイチェルには意味が分からずに聞き直していると、
「聞く必要ないわよ!だって……」と、興奮して怒鳴るメイを押しのけ、その場にケイトがやって来た。
「私が……なに?」
メイの前に居る生徒に、ケイトが無表情のまま静かに問いかける。
そのケイトの表情の冷たさに、皆が怖いと感じた。
「ねぇ、何か教えて……」
ケイトが言い渋る生徒を見て再び問いかけると、
「あ、あのね、私も聞いた話なのよ……」と、前置きをしてから、
「お金の無くなった頃、ケイトが音楽室に入って行くのを見た人が居るって……」と、恐る々答えた。
「だから、それではケイトがお金を盗んだと言っているのと同じ事なのよ!」
興奮しているメイの肩を持ちながら「はっ、結局それか……何処でも下らない噂が立つもんだね……下らない……」と、冷めた気分で、
「いいわよメイ……もう、いいわよ……」と、静かに言って席に戻ろうとした其の時、
「良くないわよ!」と、また大声が響いた。
メイの怒鳴り声よりも大きな声に皆が驚いた。
其の声の大きさよりも、声を発した人物に。
レイチェルが小さく震えながら、胸の前で両手に拳を握り締めて立っているのを見て、その信じられない光景にケイトは驚いていた。
「皆はどうなの!ねえ、どうなの!皆もケイトを疑っているの!そんな噂信じるの!ケイトが、ケイトが信じられないの!ねぇ、どうなのよ!」
レイチェルが大きな声で周りの生徒を見回しながら、クラス全員に問いかけている姿を見て、
「レイチェル……」と、ケイトは何か言いかけて声が詰まった。
クラスの皆は、黙ってレイチェルを見ている。
レイチェルは、悔しかった。
ケイトが疑われている事を知って、悔しくて、悔しくて、拳を握り締め小刻みに震えながら、涙を流して皆を睨み付けている。
暫くの沈黙を破り一人の生徒がレイチェルに向かって、
「レイチェル……誰も疑ったりなんかしていないわよ……でもね、変な噂が立っている事は事実よ」と、冷静に説明した。
「そうよ、メイもレイチェルも落ち着いて、私達がケイトを疑う訳が無いわ」
そう言いながら一人の生徒がレイチェルの肩に手をかけた瞬間、緊張が解けたのかレイチェルは、
「わあぁぁぁ……」と、一気に泣出してしゃがみ込んだ。
「レイチェル」
メイがレイチェルを慰め様と声を掛けた後ろから、ケイトが近づいて来た。
ケイトはレイチェルの後ろに立ち、しゃがんで泣いているレイチェルの後ろから肩に抱き付いて、
「ありがとう……レイチェル」と、囁いた。
「ケイト……」
レイチェルが泣き止んでケイトを見る。
安心した様に微笑む二人を見て、
「ごめんなさい、つい興奮して大きな声を出したわ」と、何時もの調子に戻ったメイの言葉を聞いて、
「冷静よって、言ってなかったかしら……」と、クラスメイトが突っ込みを入れる。
少々の矛盾を指摘された所で怯むはずも無く、
「噂の出所が何処かは知らないけれど、確かめる必要はあるわね」と、メイが腕を組んで皆に言った。
「でも、今ケイトを信じるって言ってなかったかしら?」
再び突っ込まれたメイは、
「当然、信じているわよ。私が言いたいのは、何故そんな噂が立ったかよ……」と言うと、両手で大きく手招きして皆を呼び寄せ、
「……この噂、誰かがケイトに濡れ衣を着せる為に流したとしたら?……」と、内緒話の様に皆に言った。
「あっ!」
メイの話を聞いてクラスメイト達がお互いに顔を見合わせながら「そうね、そうね」「考えられるわ」「そうよ、有得るわね」と、口々に言った。
ケイトはそんな皆を見て、
「はあぁ?」と、呆れて「あぁ……もう、本当にめでたいよこいつ等、そんな事で言い包められて……ほんとに、もう……」と、苦笑いしながら「とことんお人よしなんだから……」と、肩の力が抜けて、今まで白けて沈んでいた気持ちの方が馬鹿らしく思えて、自分自身が暖かいものに包まれて行くのを感じた。
放課後、ケイト達は音楽室に向かっていた。
「いい事、噂は合唱部にも広がっているはずよ」
メイが隣を歩くケイトに囁くと、ケイトは無言で頷いた。
「解っていると思うけれど、私達は味方よ」
「解っているわ。だから、お昼休みに怒鳴ったりしたのでしょ。わざと」
「何の事かしら」
ケイトの質問にメイが白々しく横を向いた。
「だけど、解った事が一つあるわ」
「なにかしら?」
「私が怒鳴るよりレイチェルが怒鳴った方が、クラスの皆には効果的だった見たいね」「確かに……だとすると、レイチェルは貴方にとってはイレギュラーだった訳ね」
「そうでもないわ」
自信たっぷりにウインクして見せるメイを見て、ケイトはやれやれと言う表情で苦笑いを浮かべて「そう、この子は味方なんだ……」と、思った。
「それよりケイト、火の無い所に煙は立た無いものよ、何か思い当たる事は無くて?」
「……解らないわ……」
メイに聞かれて考えるケイトだったが、思い当たる事が無かった。
ケイトは色々と考え「もしかして、誰かが私の事を知っていて……それで私を追い出す為に……いや、それなら、こんな面倒なこと事をしなくても、スラム育ちをばらせばいい事だし……それとも、父さんの仕事がらみで恨みのある者が……いや、それもしっくり来ないなぁ……」と、叩けば埃は沢山出ては来るが、今回の事に当てはまりそうな埃は出て来なかった。
音楽室の前に着いて「さて、いよいよだ……」と、ケイトは身構える。
メイが音楽室のドアを開けて皆が挨拶をしながら入って行くと、中に居た合唱部の皆がケイトを一斉に注目した。
ケイトは「やはり噂は聞こえていたな……」と、眉をしかめる。
その時、身構えていたケイトに、アンナが駆け寄って来て、
「ごめんなさぁい、ケイト!私が余計な事言ったばかりに、こんな事になってえぇ……」と、ケイトに抱き付いて泣出した。
ケイトは予期せぬ出来事に、何が起こったのか検討が付かず、ポカァンとしていると、
「本当に、アンナったら、もう少し上手く言えなかったの!」と、部長のシンディーが叱り付けた。
「あのぅ、何があったのでしょうか?……」
訳が解らずケイトがシンディーに問いかけると、
「ケイト、聞いていないの?噂の事」と、シンディーが呆れた顔でケイトを見た。
「あの……私がお金をどうかしたと言う噂は聞きましたが……」
「それよ、それ。アンナたら音楽室の鍵を貴方に貸したって先生に言ったのよ」
「だって、こんな事に成るなんて思っても居なかったんですもの……」
シンディーの言葉に、アンナが泣きながら言い訳しているのを聞いて、
「あっ!思い出した!」と、ケイトが大きな声を上げた。
「えっ?なになに?」
「なんなの?」
皆が一斉に注目した事に少し戸惑いながら、
「あ、あの、フェスティバルの日、私、準備のためにホールに着いたら、アンナお姉様がチケット係りをする様にと仰って、寒くなって来たので、レイチェルみたいにマフラーをした方が良いかなあぁと思いまして、お姉様に鍵を借りて、一人で音楽室に取りに行った……のよね……」と、一つ一つ思い出しながら説明した。
「それで、その時のマフラーって、それ?……」
「そうだけど……」
メイに言われてケイトがマフラーを見ると、
「赤!」と、皆が一斉に声を上げた。
「そうよ、それよ!それを持ってケイトが音楽室から出て来るのを目撃した生徒が、昨日それを先生に言ったんだわ」
シンディーの推理を聞いて、メイは腕を組んで、
「つまり、アンナお姉様がケイトに鍵を渡したという事は、今回の噂には直接関係ないと……」と、推理した。
「えっ、そうなの」
アンナが安心した様に笑顔を浮かべるのを見て、
「ええ、恐らく……私達に事件の事を話すなと言われた先生が、アンナお姉様の話の内容を漏らすとは考えられません……しかし、お姉様の推測は、結果としては正しいかも知れませんが、納得出来ない点が有ります」と、難しい顔をして言った。
「え、どう言う事なの?」
「私が聞いた噂では、誰も居ない音楽室にケイトが入って行って、何も持っていなかったのに出て来た時には何か赤い物を持って出て来た……と言う内容だったと、思いますが」
「ええ、そうね、私もその様に聞いたわ」
「ええ、そうだわ……」
お姉様方が、お互いに顔を見合わせて頷いている。
「当日は音楽室の前にも多くの生徒達がいた……当然、音楽室に入ったケイトの目撃証言も多かったでしょうが……私のクラスでは、そんな話は出ませんでした……」
メイの話を、お姉様方が真剣に聞いている。
「そこで、何故『ケイト』だと?音楽室に入った人物がケイトだと特定されて噂になったのか……『誰かが音楽室に入って行った』なら分かりますが……何故、ケイトの名前が出たのか……しかも、こんなに早く噂が広まったのか……其処が私には分かりません……」
「あっ……」
メイの疑問に上級生達は驚いたように顔を見合わせている。
「メイ、貴方……」
少し戸惑い、シンディーがメイに近付きながら、
「貴方、知らないの……」と、声を掛けた。
「えっ?」
何の事かとメイが眉を顰めると、
「ケイトは有名なのよ」
「そうよ、ちっちゃくて可愛いいんですもの」
「以前から、みんな知っているわよ」と、上級生のお姉様方が口々に言った。
「はあぁ?」
事実を知って、情報不足だったメイは開いた口が塞がらない。
「だって、クラスのお友達に聞かれたんですもの」
「ええ、私も聞かれたわ、合唱部のちっちゃくて可愛い子は誰って」
お姉様方が銘々にケイトに抱き付いて証言する姿を、メイ達一年生は呆れた顔で見ていた。
メイはこめかみに指を当てながら、
「噂も広がるはずね……」と、俯いて苦い顔をしていた。
「ごめんなさいね、ケイト。私が先生にお金を届けなかったばっかりに、貴方に嫌な思いをさせちゃって……噂の事は私から先生にちゃんと説明するから、許してね」
シンディーがケイトを抱き締めながら申し訳無さそうに言うと、
「そんな……お姉様、あうっ……私、もう気にして、ぐぅっ……いませんから……」と、もみくちゃにされながらケイトは少し迷惑そうに言った。
「もう、シンディーばっかり、ずるい!」
お姉様方に抱き付かれながら、ケイトは「此処には、悪者を仕立てる者は居ないんだ、責任を他人に背負わせる者も居ない……こんなに沢山の味方が私を守ってくれているのだから……恐れる事なんて何も無いわ……」と、安らいだ気持ちを心地良く思い、歓迎はしかねるが、抱き付いて来るお姉様達に身を任せていた。
---成長---
次の日、明日からは冬休みだ。
ケイト達のクラスでは、何時ものメンバーが集まって話し合いをしている。
「噂と言う物は時が経てば消えると思うけど、消えるまでの間に、尾鰭が付いて増えたり膨らんだりするものよ」
「尾鰭ならまだ可愛いけど、頭が付いて別な物になるなんて事も有るわね……」
「……それって、想像したら怖いわ……」
皆の話を聞いて、青ざめるレイチェルを見て「噂って怖いものね……」と、皆が思っていると、
「だって、頭と尻尾が違うお魚なんて……」と、本気なのか呆けているのか分からないレイチェルに、皆はどの様に反応したらいいのか迷っていた。
「幸い、明日から休みよ、休みの間に忘れてしまわないかしら?」
楽観的なクラスメイトに、
「甘いわ、休みだからと言ってリセットされないわ、フリーズするだけよ。新学期が始まれば、また溶け出すわ」と、メイが悲観的に言った。
「……だから、私達で真相を究明するの……」
「えっ!」
内緒話の様に声を殺して囁くメイを、皆が戸惑い見詰める中、
「究明するって、いったいどうする気なの?」と、ケイトが冷静に尋ねる。
「大丈夫よ、これから考えるの」
きっぱりと何時ものポーズを決めて言い切ったメイに、ケイトが呆れながら、
「残念だけど、これからは掃除よ。先生が来られたわ」と、解散を宣言した。
大掃除も進んで、メイとレイチェルが一緒にゴミを捨てに行った帰りに、新しいゴミ袋を貰おうと職員室へと向かっていた。
二人が廊下を歩いていると、校長室の前に人影を見つけた。
「あら?……」
その人影が知った顔である事に気付いたレイチェルが、
「やだ、お姉様方……何をしていらっしゃるの……」と、戸惑いながら声を掛けた。
ドアの前には、とても上品とは言えない姿で、三人の合唱部のお姉様方が居た。
シンディーとマチルダ、そして二年生のアンナが、スカートの裾が乱れているのも気にせずに、しゃがみ込んで校長室のドアに片耳を当てている。
シンディーは片膝を立て、下着が見えそうなのも気にせずに、真剣な表情でドアに耳を当てている。
アンナがレイチェルに気付き、人差し指を立て唇に当てるのを見て、レイチェルとメイは訳が解らず顔を見合わせた。
「なにか……あるのですか?」
メイが小声で問いかけると、マチルダが立ち上がり、二人を引っ張り校長室のドアから遠ざけると、
「あのね、父兄会の方が来られているの……」と、ドアから少し離れた所でマチルダが小声で説明する。
「昨日からの噂がね、父兄の耳に入ったらしいの。それでね、今、父兄会の役員の方と学園長先生と校長先生が中で話ししているみたいなの……」
マチルダの話を聞いて、メイとレイチェルが好奇心たっぷりに目を輝かせて、こそこそとマチルダと共に校長室のドアへと片耳を当てに行った。
一方中では、
「この様な噂が流れること事態、不名誉な事では無いのですか!」と、強い口調で一人の女性が学園長の前に立って問い質している。
「だからと言って、噂だけで一人の生徒を犯人扱いして、尋問する事など出来ません」と、学園長は静かにきっぱりと言い放つ。
「誰も犯人扱いなんてしていませんわ、詳しく調べたいと申し上げているのです」
「それは、出来無いと申し上げたはずです」
「噂になっている生徒に、直接話を聞くだけです、それが何故出来無いのですか」
「教育者としてです。証拠も無いのに一人の生徒を犯人扱いして、尋問する事など許可出来ません」
「あの、ジェファーソンさん。それは先程も説明いたしました様に、噂は誤解であったと生徒達から報告を受けまして……」
堂々巡りの言い合いを聞いていたマクドウエル先生が、話に割って入ると、
「セシルは黙ってて。それとも先程の生徒達の話に何か確証に成る物があるのかしら?」と、学園長と言い争っていた女性に言われ、マクドウエル先生は俯いて黙ってしまった。
「サラ、少し落ち着いて頂戴」
言い争っていた女性の隣に座っている女性が宥め座らせて、学園長に向かい直って、
「学園長先生、伝統ある我が校にとって、これほど不名誉な事件は今までありませんでしたわ。私は中学舎の父兄会の会長として、一保護者として、本当に心配しているのです。サラも同じですわ。その気持も解って頂きたいですわ」と、静かに言った。
「ええ、お気持は良く解ります。ですから、事実を調べて理事の方々とも相談しまして、ご報告申し上げる様に致します」
「それが、何時になるか分からないから、提案しているのではありませんか」
再びサラ婦人が立ち上がり、学園長に詰め寄る。
再び同じ様な問答が続く中、ドアが「ことことっ」と、鳴っている事にマクドウエル先生が気付き、
「あら?……」と、何かと思ってドアを開けると、
「きゃっ!」と、短い叫び声と共に五人の生徒が学園長室に倒れ込んで来た。
「まあ!」
驚いているマクドウエル先生越しに、学園長室の中に居た全員が何事だとドアの方を見ると、其処には、恥ずかしそうにレイチェル達が照れながら立ち上がろうとしていた。
「レイチェル……あなた……」
サラ婦人がレイチェルを見付けて驚いていると、レイチェルは、
「お母様!……何故此処に?……」と、母親であるサラ夫人が居る事に戸惑った。
「そんな事より、何をしているのですか!はしたない!」
母親がレイチェルに向かって大きな声で叱り付けると、
「ごめんなさい、お母様……」と、レイチェルは恥ずかしそうに下を向いて誤った。
母親はレイチェルの謝る姿を見てから、何事も無かった様に学園長に向き直り、
「ケイトと言う生徒をすぐに呼んで下さい」と、要求した。
学園長は、またかと思い溜息をついて、
「どうしてもケイトを此処に呼びたいのでしたら、理事会に申請し、私を罷免してからにして下さい」と、母親を見据え重い口調で言った。
学園長の言葉に皆が驚き、注目する中、
「私が、ここの学園長である限り、どんな事があっても生徒達は守ります」と、しっかりとした口調で断言し、続けて、
「もう、この間の様な事は二度としたくありません。生徒達を尋問するなんて……生徒達の心がどれ程傷付いた事か……私が教育者である限り、生徒達の心を傷付ける様な事は、二度としません」と、堂々と宣言した。
学園長の言葉を聞いて学園長室の皆が黙り込んでしまった。
戸惑いながら学園長を見ている母親に、
「お母様、ケイトを此処に呼び出して、何を為さるお積もりなのですか?」と、レイチェルが尋ねた。
黙って学園長を見ていた母親が、レイチェルの声で我に帰って、
「レイチェル、あなた噂を知らないの?」と、母親が訝しげに聞き返す。
それを聞いてシンディーが、
「合唱部の部長を勤めさせていただいております、三年生のシンディー・アグスタです。事件の後、流れた噂については、私達合唱部で事実を確認して誤解であったと、先生に報告させて頂きました」と、堂々と言きった。
レイチェルの母親はシンディーの前に詰め寄り、
「それは聞いたわ。でもね、それが真実だと証明出切る証拠は無いでしょ」と、両手を腰に当てて威圧的な態度で立ち塞がる。
「証拠、なんて……」
レイチェルの母親の迫力に押され、返答に詰まりシンディーは思わず後退る。
「事件の有った日、ケイトが一人で鍵を開けて音楽室に入ったと言う証言も有るのよ」
「ですから、それは、マフラーを……」
たじろぎながら言葉を詰まらせるシンディーが、アンナを恨めしげに見ると、アンナは申し訳なさそうに首を竦めた。
「音楽室を出て来た時、ケイトがマフラーの中にお金を隠していた、としたらどうなの」
「そんなこと……」
シンディーが圧倒されながらも反論しようとした時、
「ケイトはそんな子じゃ無いわ!」と、母親を睨み付け、大声でレイチェルが叫んだ。
母親は、思いも寄らなかったレイチェルの叫び声に驚いて、
「あなた……」と、戸惑い言葉を詰まらせる。
「ケイトはそんな子じゃ無いもの、私の友達を悪く言わないで!」
母親に向かって叫ぶレイチェルは、今はもう震えてはいない。
今は、泣いてはいない。
しっかりと母親を見据え、自分の大切な友達を侮辱した事に怒りをぶつける。
「お願い、お母様信じて!私達も、この問題がどれ程重大か解っていてよ。だから、私達も真剣に考えて調べた事なの。だから、お願い信じて!クラスのお友達も、合唱部の皆も、誰もケイトを疑たりはして居ないわ!」
大きな声で、はっきりと訴えるレイチェルを黙って見ていた母親は「どうしたと言うの、この子……今まで私に何一つとして逆らわなかった子が……何が有ったと言うの……」と、戸惑っていた。
学園長が、戸惑っている母親の姿を見て、
「サラ、子供はね、成長するものよ。だけど、それは残念な事だけど、私達教師が教えられる事じゃ無いの」と、静かに話し出した。
「子供達は、友達を作る事によって成長するの。お互いを信じて、お互いを助け合い、お互いを許しあって」
「先生……」
レイチェルを見詰めていた母親が、学園長の方へと振り向く。
「サラ、貴方は昔のままね。真っ直ぐで、正義感が強くて……変わってないわね。でもね、周りも良く見てちょうだい……子供達は成長したのよ」
「成長……」
「ええ、そうよ……レイチェルにとってケイトはとても良いお友達なのよ。レイチェルに勇気を与えてくれたのよ」
母親の前に立っているレイチェルを、微笑みながら見ている学園長に、
「ケイトも成長しましたわ、友達を思いやる事で」と、マクドウェル先生が報告する。
「まだまだ子供だと思っている内に、この子達は見違える様に成長したの。まだ頼り無いと見えるのは仕方のない事だけど……どうかしら、子供達を信じて上げては……いえ、信じて上げてほしいの」
学園長の話を、レイチェルの母親と父兄会のメンバーは黙って聞いていた。
「サラ……」
父兄会の会長がレイチェルの母親を呼ぶと、微笑みながら軽く頷く。
母親はその姿を見て、微笑みながら頷き返し、
「解りました、学園長先生。子供達を信じます」と、学園長に向かって言った。
その言葉を聞いて、レイチェル達に笑顔が戻る。
「しかし、事が事ですから、うやむやになる様な事はしないで下さい。期限は設けませんが、この問題を解決し、ご報告願います」
「解りました。私の責任において、報告させて頂きます」
学園長室から戻って来たレイチェル達に、遅いと、皆が抗議していた。
「何か、あったの?」
ケイトが心配そうにレイチェルに尋ねると。
「いいえ、なんでもないわ、ゴミ置き場が混んでいて、それから新しいゴミ袋も貰いに行っていたので……ごめんなさいね心配掛けて」と、微笑みながら答えた。
メイはレイチェルの包み隠した言い訳を聞いて「それで、いいわ……」と思い、黙っていた。
「あら、帰ったのサラ」
「ただいま戻りました。お母様」
レイチェルの母親は、挨拶してリビングに入るなり、ソファーに倒れ込む様に座った。
「お仕事から帰ったと思ったら、またすぐに出て行って……大変ね」
「ええ、クリスが電話して来て、疲れていましたけど、あんな事言われたら行かない訳にはいかなかったわ」
疲れた様子の母親を見ながら、
「クリスさんと言うとフィルモア家のお嬢さんで、貴方のクラスメイトだったクリスティーナさん?」と、祖母は尋ねた。
「ええ……」
「何かあったの……」
「ええ、今、彼女中学舎の父兄会の会長をしているの……」
心配そうに尋ねる祖母に、母親は学園での出来事をクレアが持って来てくれたお茶を飲みながら話した。
最初は盗難事件と聞いて驚いていた祖母が、ケイトの名前を聞いて顔を曇らせ、最後まで一通り聞き終えて、
「まあ、そんな事があったの……」と、最後は安心した様に微笑んだ。
母親は話し終えてから思い出した様に微笑を浮かべて、
「でも、もっと驚いたのが、あの子の事かしら……」と、窓の方を見ながら学園での事を思い出していた。
「驚いたわ、あの子があんなにはっきりと私に意見するなんて……」
「そうね、あの子は成長したのよ」
祖母が満足そうに微笑む。
「貴方のお仕事が大変な事は解るわ、でもね、レイチェルの事もちゃんと見てやってね」
祖母に言われて苦笑いを浮かべながら、
「コワルスキー先生にも、同じ様な事を言われたわ、周りをもっと良く見なさいって」と、恩師に諭された事を報告した。
「まぁ、ナスターシャが……そうだったの」
「お変わり無かったわ、先生……正義感が強いのはどっちよ」
クスッと、笑ってから母親が、祖母の方に身を乗り出して、
「先生たら、生徒を生贄に出すぐらいなら、自分の首を切れって、仰ったのよ……」と、呆れた顔で報告した。
「まあ、あの子らしいわね……」
祖母は母親の報告を聞いて、懐かしい昔を思い出していた。
「私……欧州との取引が終わったら、後はあの人に仕事を任せて、出来るだけレイチェルの側に居る様に……いえ、居たいわ」
「ええ、そうしてあげて」
「でも、会って見たいわ、そのケイトという子に。別な意味ですけどね」
「ええ、そうねケイトさんはとても良い子だったわ」
「まあ、お母様、お会いになったの?」
「あら、お話ししていなかったかしら?」
驚いている母親に、ケイトが遊びに来た時の様子を、温室での出来事は伏せて祖母が話している所にレイチェルが帰って来た。
「ただいま戻りました。お婆様!お母様!」
大きな声で挨拶しながら、レイチェルはソファーに座っている母親に真っ直ぐ駆け寄って抱き付いた。
「これ、何です!はしたない!」
突然の事に驚きながら、きつく叱る母親に、
「ごめんなさい……」と、笑顔で誤りながらレイチェルは母親を抱き締める。
甘えて来るレイチェルの笑顔を眩しそうに見ながら、母親もレイチェルを抱き締める。
「大きくなったわね……」
「そうかしら、あまり身長は伸びて無いと思っていましたのに?」
レイチェルが怪訝そうに母親の顔を見ると、母親はくすっと笑い、
「いいえ、貴方は大きくなったわ……」と、嬉しそうに言った。