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第4話

レイチェルの祖母の希望もあり、レイチェルの家に遊びに行ったケイトだったが……

---レイチェルの家で----

「何やってんだよ!」

「すんません……」

「さっきから、何回同じ所をうろうろしてんだよ!」

 高級車の広い後部座席で、小柄なケイトが身を乗り出して怒鳴りつけると、

「へい、でも、間違ってねぇはずなんすっけど……」と、首を捻りながら運転手は申し訳無さそうに答え車を止める。

「ナビは合ってんだろ、この住所で」

「へい……」

 大柄な運転手がノートの切れ端を見ながら、節くれ立ったごっつい指でカーナビのモニターを割らない様に気を付けながら画面にタッチして確認しているのを見て、

「ちょっと、貸してみろ」と、ケイトは運転手からノートの切れ端を受け取る。

 それは、ノートから綺麗に切り離したページに、レイチェルが住所と州道から自宅までの簡単な地図を書いてくれた物だった。

 レイチェルの書いてくれた地図を見ながら「州道の交差点は間違っていない、確認した。自然と北に曲がる道に三叉路……間違っていない……でも、なんで家が無いんだろう?」と、ケイトは首を捻った。

 車の窓を開けて周りの風景を見ながら、

「レイチェルは、住宅街の真ん中ぐらいって言ってたけど……」と、再び首を捻る。

 ケイト達の居る場所は、広い四車線道路の両側にレンガや鉄柵で出来た高い塀が続く林の中だった。

 その林が続く四・五Kmの間を、何度も行ったり来たりしていた。

 ケイトは不思議そうに林を眺めながら「公園かな……まさかレイチェルが書き間違ったのかな?」と、疑いたくは無いが他には考えられないでいた。

「お嬢、携帯で聞いてみたら?」

「あほか!そんなカッコの悪い事出来るか!御呼ばれしているのに〝ごめん、道、分なくなっちゃったぁ〟なんて聞けるか!」

「そ、そんなもんっすか……」

「あたりまえだろが!地図を描いてくれたレイチェルに恥をかかせる気か!」

「あ、いえ、そんな……」

 約束の時間が迫り、焦るケイトは、

「おいアル、もう一度三叉路まで戻って、反対の道に行ってみろ」と、決断して運転手のアルに命令した。

「へい」

 この大男の名前はアーノルドと言い、ケイトからは「アル」と呼ばれていた。

 アルは、交通量の殆ど無い道路で、ゆっくりと車をユーターンさせていたが、突然車を止めて、

「お嬢……お友達のお名前は何て言いましたっけ?」

「あぁ?レイチェルだよ……」

 何言ってんだお前は、と言う感じでケイトが答えると、

「いや、名字の方でさぁ……」と、アルが聞きなおした。

「ジェファーソンだよ。それより何止まってんだよ。急げよ!遅刻するだろうが!」

「あ、いえ……それじゃ……此処、ですかね……」

 アルが自身無さそうに指を刺しているのを見て、

「なにぃ?何、馬鹿な事言ってんだよ!家なんて何処にある、てっ……あった……」と、アルの指差す方を見てケイトは絶句した。

 ケイト達が車を止めた直ぐ前に、十tトラックが二台並んで通れそうな巨大な門があり、二メートル角は有りそうな重厚な石積みの巨大な門柱には、確かに「ジェファーソン」とブロンズで作られた名板が埋めてあった。

 その非常識な光景に、ケイトとアルは暫く言葉を失っていたが、

「お、おい……」と、ケイトがやっと言うと、

「へい……」と言って、アルが車を門の前に進める。

 門に対して正面に車を止めると、アルは車を降りて行った。

 ケイトは窓を開けて「何処が住宅街なんだ?家なんて屋根さえ見えないじゃないか……でも、此処が住宅街だとすると……この五kmほど続いている林は全部住宅?」と、呆れながら大きく口を開けて周りを見回していた。

 アルは車から降りると辺りをきょろきょろ見渡し、目的の物を見つけボタンを押して暫く待っていると、

「どちら様でしょうか?」と、インターホンから声がした。

 アルは緊張の中、咳払いを一つして、

「ケイト・アダムスと申します。本日はレイチェル様にお招き頂、参りました」と、何度も練習した台詞を他所よそ行きの声で間違わずに言った。

「お聞きしております。門を開けますので、お進み下さい」

「ありがとうございます」

 その様子を、車の窓からアルがしくじらないか睨み付ける様にケイトが監視している。

 ひやひやしながら待っているケイトに、間違わずに言えたアルが満足そうにケイトに近付くと、ケイトが手の平を広げ親指と人差し指で丸を作り、

「Good!」と、アルに向かってにこっと微笑んだ。

 微笑んでいるケイトを見て、アルが「ニカッ!」と、笑顔を浮かべVサインを送った時「カコンッ」と小さな音を立てて、ブロンズ製の華奢で優雅なロココ調の柵が、左右に「コロコロ……」と、静かにスライドすると、柵の後ろに立っていた直径三十cm高さ一mの、大型トラックで特攻したぐらいではビクともしそうに無い金属製のポール五本が「ブシュッ!」と、圧搾空気を吐き出し一気に地面へと沈み込み、更にその奥の、目立たない様に周囲の林に合わせて艶消しのブラウンに塗られた厚さ二十cm高さ一mの、戦車の侵入さえも許さない重厚な鉄で出来た隔壁も「ガッシュウン!」と、中央のロックが解除され「ゴゴゴゴ……」と、地鳴りを響かせ左右にスライドした。

 まるで軍事基地の様な防犯(防衛?)対策に、二人は言葉無く唖然として見ていたが、

「お、おい……」と、ケイトが何とか我に帰ってアルに声を掛けると、

「へ、へい……」と、アルも我に帰って慌てて運転席に戻る。

 車が静かに門を潜ると、門は再び臨戦態勢を取り、

「まじかよ……」と、その様子をケイトは車のリアウィンドウから呆れて見ていた。

 ゆっくりと進む車の中で、ケイトは後ろ向きで辺りをきょろきょろ見回し、

「きっと防犯カメラなんかも、あちこちにあるんだろうな……もしかして、レーザー砲やバルカン砲なんかが狙ってたりして……」と、警戒する。

 しかし、バルカン砲らしき物は見当たらず、ケイトは気を取り直して座りなおすと、

「どんなけぇ……」と、門を潜っても相変らずの林が続く風景に更に呆れた。 

 百mほど進むと木々の間から、やっと家の屋根が見えて来て、更に百mほど進んだ所に建物が有った。

 ケイトは門から玄関までの間に、豪邸が立ち並ぶ高級住宅街中でも一際目立った豪邸の自分の家が「何軒建つのだろうと……」と、考えいた。

 レイチェルの家は、レンガと石積みで出来た棟と木造で出来た棟から成っており、二階立ての部分と三階建ての部分があった。

 レンガと石積みで出来た二階建ての棟はとても古い建物で壁を蔦が覆っていて、木造で出来た棟は三階建てで、レンガの棟の両端に直角に接していて建物全体はアルファベットのHの形を成している。

 木造の棟はレンガの棟より明らかに新しい作りだが、出窓等の装飾は上品にまとまっており違和感は無かった。

 そんなレイチェルの家を眺め、ケイトは図書館で見た古いお城の写真を思い出していると、中央に噴水があるロータリー状になっている道を周り、車は大きな屋根の架かったエントランスに止まった。

 車を止めると、直ぐにアルが降りて後部座席の扉を開ける。

 恐る恐る辺りを見回しながらケイトが降りると、象でも通れそうな扉の前にレイチェルがマリアとタムラと共に待っていた。

 ケイトはレイチェルを見るなりニコッと微笑み「落ち着けよ、落ち着けよ」と、呪文の様に心の中で呟きながらレイチェルに近付き、

「今日は、お招きありがとう」と、微笑みながら軽く会釈する。

「いらっしゃい。よく来てくれたわ」

 微笑みながら迎えるレイチェルの後ろから、車の側に立っているアルにタムラが近づくと、アルは少し慌ててタムラに向き直り直立の姿勢から深々と頭を下げる。

 タムラはゆっくりと会釈すると、アルに車を止める場所を指示していた。

「さあ、入って」

 レイチェルがケイトを促すと、マリアが扉を開けて二人は中に入って行った。

 入って直ぐにケイトは目を疑った。

 玄関を入った所は二階まで吹き抜けになっていて、ケイトの学園の教室ぐらい、いやそれ以上の広さがあった。

 正面には二階へと続く階段が左右から架かり途中の踊場で折り返している。

 装飾はかなり古い物と思われるが、どれも上品な雰囲気が漂っている。

 ケイトは無作法である事も忘れて「こ、これって、家……なのか?……」と、美術館の様な部屋を茫然と見回して、飛行場が有ったり遊園地が有ったりする、映画スターや売れっ子歌手の豪邸の紹介をテレビで見た事を思い出していた。

 茫然としているケイトに気が付かず

「ちょっと待っててね」と言って、レイチャルは奥の部屋へと消えて行き、少し経つと、レイチェルと共に初老の婦人が現れた。

「お婆様、此方がケイトよ」

 レイチェルが笑顔で祖母にケイトを紹介すると、

「始めまして、ケイト・アダムスです」と、膝を少し折り丁寧に頭を下げて挨拶した。

「ケイト、私のお婆様よ」

「始めまして、ケイトさん 祖母のエリザベスよ」

 レイチェルに紹介されて、祖母はケイトに微笑を送る。

「本日は、お招き頂きまして、ありがとうございます」

「ええ、よく来てくれたわ。ケイトさんの事はレイチェルからよく聞かされているのよ」

 にこやかに話す婦人に、レイチェルは頬を少し赤くして、

「もう、お婆様……」と言って、婦人の袖を少し引っ張って可愛らしく抗議した。

「これは、母からご挨拶にと、預かって参りました」

 ケイトは緊張しながら持ち手の付いた紙袋を両手で差し出す。

 婦人は、紙袋に書いてある店の名前を見て、

「まあ、プリンかしら?此処のお店有名ね」と、笑顔で受け取る。

「やっぱり、プリンね。嬉しいわ、ありがとう」

 婦人が笑顔で礼を言うと、

「後で、皆で頂きましょうね」と言って、紙袋をマリアに手渡した。

「リビングの方がいいでしょうね、お願いね」

「はい。大奥様」

 マリアが紙袋を持って奥に下がって行くと、レイチェルがケイトの手を掴んで、

「こっちよ」と、リビングへとエスコートする。

 ケイトは、顔には笑顔を浮かべながらも「想像はしてたけど、此処まで斜め上とは……がんばれ私!上手くやるのよ私!ぼろを出すなよ私!」と、心の中で自分にエールを送っていた。

「此処は、家族用のリビングなのよ。だから楽にしてね」

 リビングに入り、時代の掛かった豪華なソファーへと誘われ「家族用と言いますと、当然、ゲスト用も有るのでしょうね……此処だけでもどんなけ広いのよぉ……」と、ケイトはソファーに座りながら呆れた。

 部屋にはマホガニーの暖炉があり、ハードカバーの分厚い本とトロフィーが飾ってある書棚が並んでいる。

 装飾品は少ないが、サイドテーブルが六ヵ所に置いてあり、その上の花瓶には花が飾られてあった。

 ケイトとレイチェルの向かいに婦人が座り「さて、困ったぞ……何を話せばいいんだろう、普段あまり喋らないレイチェルに、MCは期待出来ないし……」と、思いながら、

「素敵なお部屋ですね」と、思い付いたお世辞を言った。

「ええ、そうでしょ……この部屋は、私が子供の時から気に入っているのよ……」

 ゆっくりと部屋を見回し婦人が懐かしそうに答えた後、リビングを沈黙が包む。

 途切れた会話を「どうしようか……」と、ケイトが前の広いテーブルを見ると、中央に鉢植えの花が飾ってあった。

「シクラメンですね。とても綺麗な色ですね」

 ケイトが再び、その場の思いつきで話し出すと、

「まあ、解る?この色珍しいのよ」と、婦人は嬉しそうに答えた。

「そうでしたの。すみません、私、あまり花には詳しく無くて」

「でも、好きなのでしょ?」

「はい」

 思い付きで言った言葉に婦人が乗って来た事に「よっしゃ!上手く行った!」と、ケイトは喜んだが、花好きの婦人は次々と花について話をしだし、どつぼに填った。

 婦人はサイドテーブルを渡り歩きながら、止め処なく「この花は手入れが難しいのよ」とか「この花は長く咲いているのよ」とかと、年寄りの薀蓄うんちくを長々と披露して、ケイトとレイチェルが少し飽きて来た所に、メイドのクレアの助けが入った。

「お茶でございます」

 クレアはそう言うと、テーブルにカップを並べ初め、並べ終わったカップに静かにポットでお茶を注いで行き、その作業が終わると、

「失礼します」と、下がって行った。

 クレアが下がると同時に、

「お待たせいたしました」と、ケイトが持って来たプリンにウェハースを添えたお皿をトレイに乗せてマリアが持って来た。

「では、頂きましょうね」

 婦人がソファーに座りながら二人に向かって言うと、

「はい」と言って、二人もプリンにスプーンを入れた。

 お茶の時間の間、取り留めの無い会話が柔らかく続いた。

 学校での事、合唱部での事、ケイトとレイチェルは婦人に向かい楽しそうに話す。

 そして婦人はそんな二人を、愛おしいそうな目で微笑みながら眺めていた。

 しかし、ケイトは緊張していた。

 楽しそうな顔を保ちながら、一言一言、間違いが無いか確認しながら喋って「うぅぅ……やっぱり緊張するようぅ……ばぁさんが前に居ると……」と、精神的な疲労が溜まり「せっかくレイチェルの家に遊びに来たのに、これじゃ面接試験だよぉ……」と、ケイトは出来れば早く開放して欲しいと願った。

「とても、美味しかったわ」

 婦人がお茶のおかわりを飲みながらケイトに言うと、

「お口に合いまして嬉しいです。母も喜びます」と、ケイトが微笑みながら言った。

 婦人が気に入ってくれたみたいで、ケイトは内心ほっとして「そりゃぁ、美味しいわよ。このセットに入っている一個の値段は、バーガーショップのアルバイトが二時間働かないと買え無いんだからねぇ」と、思っていた。

「そうだわ、レイチェル、少しケイトさんを借りても良いかしら?」

 急な祖母の要求に、

「何の事でしょう?」と、訳が分からずレイチェルは可愛らしく小首を傾げる。

「ケイトさんにお庭の花を見せたいの、良いかしら?」

「はい……構いませんが?」

 レイチェルは「私と一緒じゃ駄目なのかしら……」と、疑問に思ったが、「ちょっと、おトイレに行きたいかな……」と考え、納得した。

 婦人は庭の日当たりの良い場所にある花壇へとケイトを案内し、

「ごめんなさいね、今は寒くなって来たので此処はあまり咲いていないのよ」と説明し、

「此方へ来て……」と、温室へと案内した。

 ガラス張りの温室の中に入ると、其処には、色々な種類の花が様々な色で咲いていて、

「綺麗……」と、ケイトは思わず声にした。

「綺麗でしょう。でもね、気を付けなくてはいけないのよ。花を育てるのって難しいのよ」

「はあ、そうですか……」

 また、長々と薀蓄が始まるのかとケイトが身構える。

 婦人は綺麗に咲いている花々を、一つ一つ見回りながら、

「花で色の違う物は、種類によっては近くに植えてはだめなのよ」と、話し出した。

「どうしてですか?」

「色が移るのよ……」

 婦人は、暫く黙って花の痛んだ葉を摘み取ったりしていたが、ゆっくりと振向いて、

「あなた、隠し事が有るわね……私達に知られてはいけない様な」と、ケイトを睨んだ。

 ケイトはその言葉にドキッとした。

 見詰める婦人の目は、心を見透かす様にケイトの瞳を見据えている。

 ケイトは婦人の視線に戸惑いながら「何でだよ、何でばれてんだ……どうしよう……どうしてだか解らないけど、ばれてる……」と、思い、「どうする……どうする、私……とぼけるか……だけど、この婆さん相手に、惚け通せるのか……」と、考えていた。

 長い沈黙が続き、どれぐらい時間が経っただろうか、ケイトは観念した様に婦人から目を逸らし上を見ながら、

「やはり、分かりますか……」と言った。

「ええ、私もこの年ですもの、少しは人を見る目が出来たと思っていてよ」

 婦人は、鉢植えを手に取り花を眺めながら、

「せっかく綺麗に咲いた花に、違う色が移ってしまっては困るの」と、静かに言った。

 婦人の言葉を聞くと「おしまいだぁ……もう、レイチェルに近づくな、とか言われるんだろうなぁ……」と思い、ケイトは半泣きに成りながら少しやけになって、

「私、何か失敗したのでしょうか?」と、質問した。

「いいえ、とても上手にやっていたわ」

 婦人は、手にしていた鉢を置いてケイトの方を見ながら、

「でもね、それが本物か作り物かは解ると思わなくて?」と、にっこり笑った。

 涙で霞む目で婦人の顔を見ながら「やっぱり三ヶ月ぐらいだと早すぎたかな……レイチェルに誘われて、私、嬉しくて……うかつだった……」と、ケイトは後悔した。

「人はね、生まれ育った環境が身に付くものなのよ、そして、一度身に付いてしまった物は、なかなか抜けないものよ」

 婦人は、ケイトに近づきながら、

「あなたがどんな目的で何を隠しているかは、私には解らないけれど、それは私にとって、とても不快な事なの」と、ケイトのすぐ前に立って、厳しい口調で言った。

「あなたの隠し事で、私の可愛いレイチェルが傷付かないかと、とても心配なの」

「そんな!私!……」

 婦人に抗議しようとしたがケイトは唇を噛んで思い留まり「そうだよなぁ、ばぁさんにしたら心配だよなぁ……でも……でも、嫌だ!レイチェルと会えなくなるなんて絶対に嫌だ!」と、ケイトは心の中で叫んだ。

歯を食い縛って次第に溢れる涙を堪えながら「確かに、私はスラム生まれのスラム育ち。それを隠して学園に入ったけど、だけど、だけど、レイチェルが好きな気持ちに嘘は付いていないよ!レイチェルを大切に思っているのは本当だよ!」と思うと、堪え切れなくなった涙が零れ、ケイトは下を向く。

「前を向いて!」

 婦人はケイトの頬を両手で持ち上げてケイトの目を見る。

「でもね、あなたを見ていると、あなたがレイチェルの事をとても好きだという事も解るの……」  

 婦人は小さく溜息をつくと、

「だって、あなたが今泣いている訳が、私には分かるもの……」と、ケイトの涙を見ながら「なんて素直な子なのかしら……」と、思った。

「だから、私……とても悩んでいるのよ」

 婦人は片手でケイトの頭を優しくなでながら、

「あなたと出会ってからあの子は変わったわ、とても良い色にね。それは、私をとても幸せにしてくれているのよ」と言って、ケイトを優しく抱き寄せる。

「何を隠しているかは、言いたくなければ言わなくてもいいわ。私も調べたりはしないわ……でもね、約束して欲しいの、それが原因であの子を傷付ける事はしないで、お願いだから」

 婦人は腕の中のケイトに、

「約束……出来るわね」と、念を押す。

 ケイトは「あ……ゆ、許してくれるの?」と、婦人の心を察して、

「はい、約束します」と、顔を上げて、はっきりと返事をした。

 その言葉を聞いて婦人は微笑みながら、

「さぁ、涙を拭いて……可愛いお顔が台無しだわ」と言うと、ハンカチでケイトの涙を拭いた。

「あなたは、本当に素直な良い子ね、言訳もしなかったし……これからも今まで通り、あの子と仲良くしてやって下さる?」

「はい、お婆様!」

 婦人の言葉が嬉しくて嬉しくて、ケイトは満面の笑みを浮かべて大きな声で返事した。

 二人が温室から出て来た所に、ちょうどレイチェルがやって来て、

「ケイト、どうかしたの?」と、目を赤くしているケイトに尋ねた。

「ごめんなさいねケイトさん、花粉が目に入ったみたいで」

「いえ、もう大丈夫ですから」

 婦人の言葉に機転を効かせケイトが話を合わせて答えると、

「ケイト、大丈夫なの?」と、レイチェルがケイトの顔を心配そうに覗き込む。

「ええ、もう平気よ」

 にこやかに笑顔を浮かべるケイトを見て、

「ケイト、私のお部屋にいらっしゃいな」と、レイチェルが誘った。

「では、お婆様、失礼します」

「失礼します」

「ええ、行ってらっしゃい」

 ケイトとレイチェルは婦人に一礼をして、レイチェルの部屋に向かった。

 二人を微笑みながら見送っていた婦人の後ろに、

「大奥様、よろしいのですか……」と、温室の脇からタムラが姿を現した。

「……そうね……正直、迷っているわ……」

 婦人は顔を曇らせて、

「あなたが聞いたと言う話、気にならないはずが無いでしょ……」と、呟く様に言った。

「はい、父親は組織に所属しては居りませんが、組織関係者との付き合いは有るようです。それに、金融業と言うのも……」

「もう、いいわ、タムラ」

 前を向いたまま、後ろのタムラの話を手でさえぎり、

「もう、その話は聞きたくは無いわ……」と、婦人が言った。

「はい、大奥様」

 深々と頭を下げるタムラに、

「それとね、タムラ……もう、余計な事はしないで頂戴。ケイトさんの事、頼みもしないのに調べたりしないで」

 明らかに不機嫌な口調で婦人が言うと、

「申し訳ありません。大奥様」と、タムラは再び深々と頭を下げた。

「決して、ジェファーソン家のお名が出る様な事はしておりませんので……」

「分かっているわ、あなたの事だから、その事は心配していないわ……」

 婦人は暫く考えてから、

「おそらく、あの子はその事を隠しているのね……でも、もういいの、それ以上知る必要は無いわ」と、婦人は静かに言ってタムラに振り向き、

「だって、ケイトさんは約束してくれたもの」と、微笑んだ。

「ケイトさんの目は……あの真っ直ぐな目を信じたいの。私やレイチェルを裏切らないと信じたいの」

 微笑む婦人の顔を見て、タムラの顔も緩む。

 レイチェルの部屋では、中央にある丸いテーブルに二人が並んで座って、楽しそうに話しをしていた。

 レイチェルの部屋は、東側の木造部分の三階の一室で、白いレースのカーテン、アイボリーの壁紙には、こまやかな淡いブラウンのつる草模様、カーペットは毛足の長いパステルピンク、少女らしい調度品と幾つものぬいぐるみが並んだ書棚、二人が座っている丸いテーブルは、足にアンティークな飾りが彫り込まれ、パッチワークのテーブルクロスが敷いてある真ん中にはウサギのぬいぐるみが二つ置いてあった。

 まるで少女雑誌で紹介されるお手本みたいな可愛らしいレイチェルの広い部屋と比べて、自分の部屋は殺風景だなとケイトは感じていた。

 生まれて初めて友達の家に遊びに来たケイトにとって、レイチェルと二人で過ごす時間がとても新鮮で楽しかった。

 婦人から解放されて、魔法が解けたみたいに何時もの自分に戻ったケイトは、普段見ていた制服姿のレイチェルと違い、可愛い薄桃色のワンピース姿のレイチェルの新鮮な印象を改めて感動していた。

 部屋でレイチェルの子供の時からのアルバムを見せてもらい、ケイトは思わず、

「かわいいぃぃ!」と、叫んでしまった。

 お人形の様に可愛い小さなレイチェルが、自分の背丈ぐらいある大きな熊のぬいぐるみを、体をそらしながら抱きかかえて笑っている。

「この時の熊さんがあれよ」

 レイチェルが指差す先に、写真に写っている一メートル近くある熊のぬいぐるみが、ベッドの枕元に座っていた。

「お父様に三歳の誕生日に買ってもらった熊さんよ」

 微笑みながらお気に入りの熊さんを紹介するレイチェルを見て、ケイトは羨ましかった。

 それは、自分には無い思い出だから。

 子供の頃の写真なんて一枚も無いケイトには、父親からのプレゼントの思い出なんて有るはずが無い。

 寂しそうに顔を曇らせて黙っているケイトを見て、

「どうかしたの?」と、レイチェルが心配そうに声をかける。

「え、ううん、何でもないわ」

 慌てて笑顔を作って、ケイトは再びアルバムを見た。

 ケイトの知らない時代のレイチェル。

 劇の発表会で、舞台の上で皆と並んで写っているレイチェルは、何故か今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 そして、運動会で転んだのか、体操服姿で膝を赤くして泣いているレイチェル。

「あらあらぁ……随分と泣き虫さんだったのね」

 少し意地悪な笑みを浮かべてケイトが言うと、

「もう……」と、レイチェルが可愛らしく頬を膨らませる。

 校外学習や行事での集合写真では、何時も端の方で恥ずかしそうに一人隠れる様にして立っているレイチェルを見て、無口で恥ずかしがり屋のレイチェルが見えてくる。

 小学舎での写真では、知っている子達も何人か写っていた。

 その中にメイを見つけて、

「メイって、変わって無いわねぇ」と、ケイトが呆れながら言うと、

「そうね……」と、レイチェルは少し苦笑いを浮かべながら答えた。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ、帰る時間となってケイトは婦人に丁寧に挨拶をして帰ることを告げる。

「また、何時でも遊びにいらしてね」

「ありがとうございます」

 ケイトの乗った車を見送って、婦人がレイチェルを見ながら

「ケイトさんは本当にいい子ね」と、微笑みながら言うと、

「はい」と、レイチェルも微笑みながら答えた。


---ケイトの家で---

 ケイトの部屋でレイチェルとケイトが話している。

 レイチェルの部屋と比べると、とてもシンプルな部屋で、壁紙は白のつや消しに薄いグレーのストライプ模様、家具といえばグレーやブラウンの地味な色のベッドと机と本棚そしてクローゼットだった。

 唯一少女らしい装飾として、ぬいぐるみが三つ本棚に並べてあるぐらいだった。

 ケイトの家は高級住宅街にあり、斬新なデザインの鉄筋コンクリート四階建ての建物は、立ち並ぶ豪邸の中でも一際大きく目立っていた。

 二階部分が迫り出した、車が十台は並びそうなエントランスの奥には従業員(子分?)の部屋が有り、二階にはリビングとキッチンダイニング、リビングに隣接した予備の部屋はパーティーの時には壁を開いて一部屋となり、その奥には客用の寝室が三部屋あった。

 三階が家族の寝室とウォークインクローゼットと空き部屋が四室、最上階の四階は、見晴らしの良いラウンジとテラスになっている。

 風呂とトイレは各階にあり、外にはテニスコートぐらいの大きさのプールの横に、バスケットコートが楽に二面は取れるガーデンパーティー用の庭が広がり、庭に隣接して低い植え込みに囲まれた高級車が十台並ぶガレージがあったが、レイチェルの城の様なお屋敷には到底及ばない。

 ケイトとレイチェルがベッドに並んで座り、

「ごめんね、狭い部屋で……」と、申し訳無さそうにケイトが言うと、

「そんなこと無いわよ……」と、レイチェルは少し返答に困りながら言った。

 二人は、ケイトの母親が作るケーキが出来上がるのを待っていた。

「いいのかしら、手伝わなくても……」

 レイチェルが心配そうに扉の方を向いて言うと、

「いいのいいの、お母さんは、あれが趣味だから」と、ケイトは素っ気無く答えた。

「いいなぁ、ケイトのお母様ってお菓子作りが得意なの?」

 レイチェルが羨ましそうに聞くと、

「ええ、昔レストランで働いていたの」と、ケイトは答えて「バイトのウェイトレスだけどね……」と、ケイトは心の中で呟いた。

「まぁ、すごい!パティシエールだったの?」

 レイチェルが目をキラキラさせながらケイトに聞くと、

「まぁ、そんなとこかしら……」と、ケイトは返事に困って目線を逸らし誤魔化した。

「お二人さあぁぁん!ケーキが出来たわよおぅ!」

 ケイトの母親が他所行きの声で二人に告げると、

「はあーい」と、二人は返事をして二階のキッチンに降りて行った。

「ケイト、手伝って。ケーキをお皿に入れて運んでね。それと、レイチェルさんが持って来てくれたチョコレートもね」

「え、ええ……」

 キッチンのカウンター越しにケーキを切り分けている母親を見て、普段では想像も付かない母親の言葉使いに違和感を感じながらケイトは手伝った。

 楽しそうにケーキやチョコレートとお茶をテーブルに並べていく二人を見ながら、レイチェルはキッチンの入り口近くで一人佇んで見ていた。

「レイチェル、良いわよ、此方に座って」

 テーブルの準備が済んで、ケイトが呼びかけると、

「ええ……」と、レイチェルは何故か沈んだ声で答えた。

「はい、お待たせ」

 エプロンを脱いだケイトの母親がテーブルに着くと、

「では、召し上がれ」と、にこやかに声を掛ける。

 完全に奥様モードに入っている母親を見て「母さん、気合入ってるなぁ……」と、ケイトは感心する。

 三人は、楽しそうに会話をしながらお茶を楽しんだ。

「とても美味しいですわ」

「お口に合って嬉しいわ。このチョコレートもとても好きよ」

「ありがとうございます。祖母も喜びますわ」

 普段のケイトの家では、ありえない会話が続き「ありがとう母さん……肩こってるだろうなぁ……」と、ケイトは心の中で感謝した。

 お茶が終わって母親が片付けようとすると、レイチェルが、

「お手伝いします」と、お皿を運び出す。

「いいわよ、あなたはお客様なのよ。ケイトと遊んでらっしゃい」

「いえ、させてください」

 レイチェルがお皿やカップを運ぶのを見て、無理に断る事も無いかと、

「じゃぁ、お願いするわ」と、母親は笑顔で言った。

 ケイトは、食器を片付けるレイチェルを不思議そうに見て「レイチェルってお嬢様でしょ?家にはメイドさんも居たし、片付けなんて普段しないでしょう?それなのに、あんなに強く言い張って……」と、心の中で呟いた。

 レイチェルが手伝っている為、日頃は母親の手伝いをしないケイトも片付けに参加する事になった。

 普段なら食器洗い機に入れてポンッだけど、レイチェルがシンクに水を張り出した。

 それを見て母親は、何かに取り憑かれた様に手伝おうとするレイチェルに、

「レイチェルさん、良いわよ、私が洗うから。あなたは拭いて下さる」と、言うと、

「はい、お母様」と、笑顔でレイチェルが返事した。

 そして、楽しく会話をしながら、三人は片づけを済ました。

 その頃、一階の従業員(子分?)室では、アルとタムラがお茶を飲んでいた。

「では、何ですか、先輩は子供の頃に、天涯孤独の身でこの国にいらっしゃったと……」

「ええ、着いたばかりの時は苦労しましてねぇ……密航して来た外国人の私が、ろくな仕事に付ける訳もなく、生きる為に色々と悪さもしましたよ……」  

 お茶を飲みながら語るタムラの話を、アルはうんうんと頷きながら真剣に聞いている。

「……まぁ、組織の連中とも色々有りましてねぇ……そんな野良犬みたいな私を、先代様が拾ってくださいまして、今の私が在ると言う訳です」

 先代様とはレイチェルの祖母の父親の事である。

 遠い目をして語るタムラの話を、

「苦労なさったん、です、ねえぇ……」と、涙ぐみ聞き入るアルがいた。

 それはともかく、部屋に戻った二人は、発表会の時の事やクラブの事で話を咲かせていた。

 今回は自宅で面接官もいない中、ケイトは「楽しいよう、レイチェルと二人で話しているなんて、なんて楽しいのよおぅ」と、気楽に楽しんでいた時、ドアをコンコンとノックする音がした。

ケイトは「あれ母さん?なんだろう?」と、油断してドアを開けると「!なんで、お前が此処に居るんだあぁ!」と、思わず叫びかけた。

 ドアの向こうには、昼間居るはずの無い父親が立っていた。

「よう、ケイト、友達か?」

 呑気に声を掛ける父親に、

「何してんだよ!何でいるんだあぁぁ!」と、ケイトは語尾を荒く小声で父親に囁いだ。

悪意をむき出しにしているケイトにお構い無く、

「いやぁ、仕事の都合で近くまで来てさぁ、ついでに家に寄ったら見かけない車があったもんだから……だれ?友達?」と、にやけながらケイト越しに部屋を覗く父親に、

「そうよ!友達のレイチェルよ!ちょっと、お父さん!レディの部屋を無闇に覗かないで!」と、ケイトは思いっ切り怒りを抑えて言った。

「ちゃんと紹介するから、下で待っててよ!」

父親は、ドアから離そうと押してくるケイトを無視して、

「こんにちわぁ、ケイトのパパでぃす」と、レイチェルに軽薄に手を振って挨拶した。

「レイチェル・ジェファーソンです」

 立ち上がってお辞儀をするレイチェルを見て、

「ははは、ごめんなさいね、父です……」と、ケイトは情けない笑いを浮かべ、父親を押し出しながら紹介した。

「今日はお招き頂きありがとうございます」

 微笑みながら礼を言うレイチェルに、

「ハアァィ!いらぁっしゃい!」と、軽薄な笑いを浮かべて手を振る父親の襟首を掴んで引き寄せ、ケイトは父親を睨み付けて、

「殺すわよ……」と、レイチェルには聞こえない様に父親の耳元で鬼の様な顔で囁いた。

「ひっ! ……もう、冷たいんだからぁ……」

 父親が寂しそうに言うと、下のキッチンから、

「あなたあぁぁ、帰っているのおぉぉ」と、他所行きの声で母親が呼びかけた。

「ほらあぁ、お母さんが呼んでいるでしょっ!」

 ケイトが叩きだす勢いで父親を押し出すと、

「分かったよ、もうぉ……」と、父親は不満そうに呟き、ケイトの一瞬の隙を突いて、

「ゆっくりしていってねぇ!」と、またもやレイチェルに軽薄に手を振りながら言った。

「はい、ありがとうございます」

 レイチェルが、にこやかに礼を言い終わるかどうかの瞬間に、

「もうっ!」と、言ってケイトは扉を強く閉めた。

「ごめんねレイチェル、無神経な父親で……」

 ケイトが振向き申し訳無さそうに言うと、レイチェルは首を振りながら、

「ううん、楽しそうなお父様で……」と、言いかけてレイチェルは少し涙を浮かべる。

 レイチェルの涙を見て、ケイトは驚き焦りながら、

「何、なに、ごめん、本当に無神経なお父さんで、ごめんなさい、後でお母さんにしかってもらうから……」と、レイチェルの側に駆け寄り謝る。

 レイチェルは涙を指ですくってから首を振って、

「いいえ、ごめんなさい、そうじゃないの……ケイトが羨ましいの……」と言った。

 レイチェルの言葉の意味が分からず「なになに、何なの、レイチェルが私を羨ましいって……私、何か聞き間違えた?」と、ケイトは頭の周りが?マークでいっぱいになった。

「私の、お父様やお母様は、お仕事がとても忙しくて……なかなか会えなくて……」

 寂しそうに俯くレイチェルを見て「ええぇ?居れば居るで鬱陶しいんですけど……」と、ケイトは思った。

「毎日、会っているケイトには解らないかもね……」

「あの、会えないって……どれぐらいなの?」

「この前会えたのは、私の小学舎の卒業式の時よ」

 悲しそうに答えるレイチェルの言葉を聞いて「ええぇ!それじゃぁ、三ヶ月以上も会って無いの!」と、驚き、

「あ、ご、ごめんなさい、嫌な事聞いたかしら……」と、ケイトはレイチェルに誤った。

「ううん、気にしないで……もう、慣れてしまったわ……」

 寂しそうに俯くレイチェルを見て、ケイトは小さい頃の事を思い出していた。

(あれは……確か、私が六歳か七歳の頃だった……キッチンで母さんが泣いていた。

 あの、ろくでなし野朗が、又、金を取って行きやがった。

 母さんが働いて稼いだ金を、あの野郎は博打や酒に使うんだ。

 私は母さんに「あんな奴、居なくなっちゃえばいいのに」って言ったら、母さんは泣いてた顔を急に上げて、私を殴った。

 私は頬を強く平手で殴られて床に倒れた所に、

「あんたの父ちゃんにそんな事、言うんじゃ無いよ!」って、母さんが怒鳴った。

 怒鳴った後、母さんは又泣きながら、

「お願いだから、そんな事言わないで……」って、言って、

「あんたには、まだ解らないかも知れないけど、親が居ないって事は寂しい事なんだよ、家族が居なくなる事は悲しい事なんだよ……」って、私を抱き締めた……)

「それに、お婆様は何時も居て下さるし、お爺様も時々いらっしゃるし……寂しくは……ないのよ……」

 言葉とは裏腹に、寂しそうに話すレイチェルの話を聞いて「そりゃ、メイド達もいるだろうけど……でも、レイチェルは両親に会えない事が寂しいんだ……だけど、親と一緒に居る事が、そんなに羨ましい事なの?」と、考えていた。

 そしてケイトは、再び昔を思い出す。

(「母さんって、どうして、あの、ろくでなしと結婚したの?」

「ちゃんと、父ちゃんて呼びな!あれでも私の亭主なんだぞ!」って、母さんがが笑いながら言ってから考えるように黙ってしまって、暫くして母さんが静かに話し出した。

「私はね……親が居なかったんだよ」

「えぇぇ?じゃぁ、どうやって生まれて来たの?お母さんもいないのに?」

「ははは、どうして、だろうねぇ……」

 苦笑いを浮かべてたお母さんの顔が急に曇って、

「どうして……なんで、生まれて来ちゃったんだろうねぇ……」って、答えた。

「解らないの?」

「うん、解らない……だけど、ずいぶん寂しい思いをした事は覚えているよ」

「そうだよね、私も母さん居ないと寂しいよ」

「そんな私にさ、あいつがさ言ったんだよ。チンピラで、粋がってたあいつがさ、良い家庭を作ろうって、良い家族を作ろうって」

「作って無いじゃん……」

「ははは、そうかもね……でも、その時は寂しくてさ、家族のいない自分が寂しくてさ、暖ったかい家庭がさ、欲しかったんだよ……」)

 ケイトは、なんとなくそんな事を思い出し「少なくとも私の両親は、私の側にいてくれた。そうだよな、なんだかんだ言っても、あいつも側に居てくれたよな……」

 寂しそうに俯くレイチェルの顔を見て「幸せって何だろろ……」と、ケイトは考える。

 そして「レイチェルは、両親に毎日会っている私を羨ましがっているけど、それは、私には解らない……それが当たり前だから。私は、生まれた時からお金持ちで生きる為の苦労を知らないレイチェルが羨ましい……でもそれは、レイチェルには多分解らないだろうな……それが当たり前だったから……」と、考えていた。

「ねぇ、レイチェル……」

「なに?」

「今、幸せじゃ無いの……?」

「えっ?」

 静かに尋ねるケイトの質問に、レイチェルは少し戸惑ったが、

「そうね……幸せ……幸せだと思うわ」と、考えながら答えた。

「でも、ご両親に会いたいのでしょ」

「ええ、そうね……たぶん幸せだと思えるから……ケイトが居て、合唱部の皆が居て、お婆様が居て……今幸せだと感じているから、両親に会えない事だけが余計に寂しく思えるのかも知れない……」

 ケイトはレイチェルの言葉を聞いて「不幸だと思う事は、自分に欠けている事で直ぐに解るけど、満たされて居る事は、それを幸せだと気付かない……そして満たされているからこそ、欠けた物が余計に不幸に思えて来る……あっ、そうだ……レイチェルの家で見せてもらった写真……羨ましかった……私には両親が何時も側に居るのに、羨ましかった……」と、思った。

「幸せって、感じにくいのかしら?」

 ケイトの質問を、レイチェルは暫く考えてから、

「そうね……きっと無くした時に、それが幸せだった事に気付くのかしら?でもね、反対に考えると、不幸だと思っている時に、それが得られたら幸せって思うのかしら?」と、答えた。

 レイチェルの話を聞いて「レイチェルが、お茶の片付けやりたがったのは……母さんと片付けをやりたがったのは、其の性?……普段、レイチェルが自分のお母さんと出来ない事だから?」と、思った。

「だからね、私、思うの」

 レイチェルが微笑みながらケイトに向かって、

「会っているだけで幸せな気分になれる友達は、不幸に思う事を塗り替えてくれているんだって思うの」と、言うと、少し恥かしそうに下を向いて、

「あの、私、ケイトが羨ましかったの」と、言った。

「え?両親の事?」

「ううん、そうじゃないの、それもあるけど、初めて会った時から、ケイトは私の中で輝いていたの」

「え?」

 何の事かは分からないが、ケイトは恥かしいそうに少し頬を染める。

「受験組みで、誰も知った子が居ないのに、新学期初日から、あんなに活き活きとして輝いていた……私は、そんなケイトが羨ましかったの……」

「そんな……」

 恥かしそうにレイチェルを見ながら「確かに、初日からやっちゃったよな、メイと……あれ、そう考えると、今レイチェルとこうして居られる切っ掛けは、メイ?……」と、ケイトは複雑な心境に陥っていた。

「私が合唱部を辞め様とした時、励ましてくれた事……嬉しかった……」

「レイチェル……貴方も私の中で輝いていたわ」

 微笑みながら見詰めるレイチェルに、

「初めて会った日に、仲良くしましょうねって言ってくれて……初めて会った知らない私に優しくしてくれた……嬉しかったわ、私……」と、ケイトは真剣な顔で言った。

 ケイトは「優しくて綺麗なレイチェル、貴方と居るだけで幸せだった……貴方と一緒に合唱部に居る事が幸せ……友達と居る事が、こんなにも楽しい事だと気付かせてくれたレイチェル……ありがとうレイチェル、そう、私は変わった……」と、自分を変えてくれたレイチェルに感謝して、

「私達って、きっと、望んでいる事を、お互いに埋め合っているのかも知れ無いわね」と、微笑みながら言って、ケイトはレイチェルの手を取る。

「ええ、きっと、そうね……」

 レイチェルもケイトの手を取り、微笑む。

 そして、ケイトは自分の額をレイチェルの額へと付け、

「レイチェル……大好き……」と、呟くように言うと、

「私もよ、ケイト……大好き……」と、レイチェルも静かに言った。

 冬の低い太陽の光が窓から優しく二人を照らし、柔らかな暖かい空間に溶けながら二人の時間は止まっていた。

 夕方近くになって、ケイトが静かに階段を下りて母親を見付けると、

「父さんは?」と、小声で訊ねる。

「叩き出してやったよ」

 同じく小声で答える母親に、ケイトは手をぐうにして親指だけを上に立て突き出しウインクすると、母親も同じポーズでウインクする。

「レイチェルが、そろそろ帰るって」

「じゃ、ちょっと上で待ってな」

 母親が内線で下の部屋にその事を伝えると、

「はい、承知しました」と、返事してアルが受話器を掛ける。

「先輩、レイチェル様がお帰りになるそうです」

「分かりました。ありがとうございます」

 礼を言いながら静かに立ち上がるタムラに、

「先輩、今日は大変ためになる話を、ありがとうございました!勉強させて頂きました!」と、アルは直立の姿勢から深々と頭を下げて何度も礼をする。

「いえいえ、此方こそ、年寄りの昔話を聞いていただいて、ありがとうございました」

 優雅に頭を下げるタムラに、

「恐縮です!」と、再び深く頭を下げる。

 何があったか知らないが、どうやらこの二人は打ち解けたらしい。

「ありがとうございました」

「何時でも、遊びにいらしてね」

 母親がにこやかに言うと、

「はい、ありがとうございます」と、レイチェルも微笑みながら頭を下げる。

 エントランスで、レイチェルに別れを告げて手を振るケイトと母親。

 其の横でアルが深々と頭を下げている。

 レイチェルの乗った車が門を出るのを見て、

「母さん……」と、ケイトはボソッと声をかける。

「なんだい?」

「肩、揉んでやるよ」

「ああぁ、頼むよ、肩こっちまってさあぁ……」

 腕をぐるぐる回して何時もの母親に戻ったのを見て、

「ありがとう……」と、ケイトは、はにかみながら言った。

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