終曲:ウサリーナの帰路
午後22時13分。
美咲歩海は山吹病院から寮に帰ろうとしていた。
街灯や建物の明かりが星を消してしまい、点々としか光らない夜空を見上げた。
時間も遅く、今着ているワンピースでは身震いするほど寒い。
病院では鼎梗香を送り届けたが、精神科病室区まで着くと病室を教えずに去っていった。
「受付さんに場所聞いてな」
と言われて不思議に思いながら歩いていた。
病室を教えるだけで良かったのに。
美咲はふらふらしていた。
音波を使いすぎたからだ。
リュウ、菱山美央、鼎梗香、箕輪なぎさ、と連戦したため、疲れないわけがない。
人のいない広い路地、車も通っていない。
美咲は空を見上げ、歩くのが精一杯の足が少しずつ遅くなった。
やがて止まった足は、その場で膝をついた。
美咲は両手を握りしめ、涙で顔を歪めた。
「……明日には…箕輪はいない……のか……教室に…きっといない…もう…学校に来ない……何で…何で私の友達ばっかり…」
美咲は何も気にせずに泣いた。
声は小さかったが、子供のように泣いた。
時空領域事件の浜風理子の件から、自分の知る人が敵になる可能性を認めていた。
霧島佳乃の件から、友達と戦わなければならない事を覚悟した。
はずなのに。
4月からずっと友達として側にいた箕輪が敵だとは思っていなかった。
電話で真実を知って、平然と受け入れようとした。
戦う事を覚悟し、実際に戦った。
効果が無いことを知っていたから建物ごと破壊してもらった。
まだ生きているだろうが。
躊躇いを必死にしまい込み、戦った。
結果、目的の音波は完全に消去され、襟澤がアンインストール処理してくれた。
成功だった。
しかし涙は止まらなかった。
悲しいのでも、悔しいのでもなく、意味は分からなかった。
寒さなんて気にすることすらできなかった。
何も言えなかった。
ひたすら泣いた。
しかし、少し思った。
「立てない………」
一度はこんな経験は無いだろうか。
疲れている時にふと座ってしまうと、何故か立てなくなってしまう。
立ちたくないのではない。
立てない。
美咲はさらに泣き出した。
情けなさすぎる。
「帰れないじゃない…この馬ァ鹿ァ…」
すると、何かが頭に被さってきた。
急に視界が真っ暗になり、美咲は顔を上げた。
「本当だよ。しかも寒いから風邪ひくぞ」
被さってきたのは黒いコートで、目の前にはウサリーナが立っていた。
「鋼鉄の音姫様がこんな所で大泣きとか無しで………」
「……ウサリーナァァ」
ウサリーナ内の襟澤は言葉を止めてため息をついた。
美咲はコートの端をつかんでまた泣き出した。
「おい、帰るぞ」
「ふえぇぇぇ………」
何か別の生き物のような声だ。
さすがに自分も寒かったので、早く屋内に入りたかった襟澤は美咲の横で屈んだ。
背と膝の裏に腕を回し、襟澤は美咲をひょいと持ち上げた。
いわゆる、お姫様抱っこ。
「なななな何やっで………」
「負ぶったら時間かかんだろ?早く帰って寝ちまえ」
動揺しながらも美咲は襟澤の制服につかまり、足をばたつかせていた。
「寮近いし、誰もいないし、泣いてていいから」
「……」
その後、襟澤は今朝に自分が受けた酷い仕打ちをペラペラと話した。
美咲の素っ気ないメールで起こされ、足と頭をぶつけ、部屋でドアノブに額をぶつけた。
占いの運勢が最悪で、生徒会馬鹿眼鏡がアポ無しで自宅訪問してきて、ハンバーガーを朝から後輩なのに奢った。
そしたら葵通りが半壊してて、外に出たら飛んできた美咲にまた素っ気ない態度で飛んで行かれた。
勝手に調べようとしてたら情報屋と軽く逃避行して、追っ手を目の前で全滅させられた。
殺されかけて、そのまま美咲と合流するまで誘拐状態。
なんて酷い仕打ち。
もう朝から心身ともに痛いのよ。
と襟澤は寮に帰るまで止まることなく話し続けた。
到着する頃には、美咲の涙は止まっていた。
「さて、泣き止んだな」
「あんなペラペラ話、泣いてたら聞こえないわ」
「あ、ちゃんと聞いてたの」
「聞いてたわ。素っ気ないメールでごめんなさいね」
いいって、と言いながら襟澤が空白を使って2階に上がる。
窓を開け、コートを取り返すとともに美咲を中に入れた。
ウサリーナを脱ぐと、部屋のソファーに放った。
「それじゃ、早く寝るんだぞ」
「待っ………」
ふよふよと浮かぶ襟澤の制服の袖をつかみ、美咲は窓からほとんど身を乗り出していた。
「ちょっと!危ない!」
「今日は本当にありがとう。私一人では何も」
「俺も一人じゃ何も出来なかったよ。でも弱気になっていい理由にはならないし、あんたのサポートが大変だからな………ん?何だこんな時間に」
襟澤はカバンから携帯電話を取り出すと、メールが来ているようだった。
窓の桟に腰掛け、内容を確認した。
美咲もベッドに座り、彼の表情をうかがう。
「…うん、美咲。あの情報屋なんだけどさ」
「皇さん?」
「本っっ当にウザい!!」
と見せてきた画面を見てみると、オラシオンと表示される人物からのメールだった。
はろ~ん☆
お疲れ様~、いのりんだお~?
アルニカちゃんの調子はどおかなぁ?
あ、そうそう。誰でも知ってる情報だけと君らは疎そうだから教えたげる。
研究所ぶっ壊した電撃使いはぁ、鼎梗香。
『Flora』って雑誌見れば馬鹿でもわかるよ?
ナンバー1の現役大学生モデルだから。
その美しさと京都弁でイチコロらしいよ?
エリザベス、浮気しちゃ駄目だぞ☆
「へー、モデルさんだったの!でもすごい物騒で病んでたわ」
「そこじゃない!馬鹿って言われたのがむかつく!!」
「それは襟澤だけでしょ?」
「俺は馬鹿じゃない!」
「それより、やっぱり私の事はバレてるのね」
それは文面からわかる通り、美咲がアルニカであると知っているという真実だった。
「俺の事もバレてたよ。どこまでもな。死ねとは言わないけど、豆腐の角に頭ぶつけてコミカルに気絶しないかな…そうしたら俺泣いて喜んで録画する、そしてネットにばらまく」
「それは無いと思うわ。よほど嫌いなのね」
「…………ここだけの話、格好良かったけどね?あんな鮮やかな殺しは初めて見たよ」
そこまで殺人現場を見慣れるのもどうか、まるであらぬ方向性の刑事のような物言いだと思ったが、美咲は新たなメールの着信に気付いた。
襟澤と画面を見ると、
右ポケット☆
襟澤はズボンの右ポケットに手を突っ込んだ。
すると小さな黒いチップが入っていた。
赤いランプが点滅している。
襟澤は一瞬でこれが何なのかを確信し、みるみるうちに赤面した。
「豆腐の角に頭ぶつけて死ね馬鹿!!」
この晩、寮長の眠りを妨げる怒号については、一枚の貼り紙が出された。
夜間は、口を無駄に開けるな。
それは生徒全員を震え上がらせる程の直筆であったとのこと。