第四楽章ー1:盗難届
午後8時59分。
襟澤称はカフェを出てゼェハァと息を切らしながら猛ダッシュしていた。
梔子研究所までの距離はそう無いが、信号が多いという難点がある。
いちいち止まっていては美咲より後に到着しかねない。
近道をするしかない。
襟澤は路地裏へと曲がった。
「うぇっ………美咲め、後で絶対何か奢ってもらお」
自転車があれば……と思いながら立ち止まると、全く男らしくない声でヒーヒーと息を整えようとした。
路地裏は真っ暗で、東京であった頃の名残もあってか入り組んでおり、ショートカットによく使われている。
しかし、夜は危険なので誰も使わないため、何にもぶつからずに走ることができる。
「……よし、走るか」
「君、何してるんだい?」
「!」
肩を震わせてから振り返ると、懐中電灯の明かりに目を瞑った。
改めて見ると、警官が一人。
「この先は危ないよ……その大きなバッグは何かな?」
げ。
襟澤のカバンの中はクラッキングなどの用具が詰まっている。
軽量パソコン二台、妨害電波を流す機械や盗聴器など、ポケットには研究所や政府関連のパスコードなどを暗号化したメモが入っている。
見られたら即死。
連行される。
そう焦る中、襟澤はハッとした。
「………あの、警察手帳は?普通、警察官は自転車か何かでパトロールするし、無ければ大体が二人一組だと思うけど」
「え?やだなぁ、はい」
ぺらりと開けて見せた警察手帳を見た瞬間、懐中電灯の明かりが消えた。
路地裏に押し込まれた襟澤は、急に暗くなったせいで目が眩んでいた。
アスファルトに頭を強く打ちつけられ、警官が覆い被さってきた。
「能力者殲滅部隊をご存知かな?」
「っ!?」
本日二回目の床ドンは実に強烈で、自分より何倍も力のある男は、彼に一切の身動きをさせなかった。
左手を出そうとすると、折れそうな程の握力で掴まれ、短い悲鳴をあげた。
らしくない、そう思いながら奥の手を使おうと男を睨んだ。
すると、男の口から急に血が漏れ出した。
滴が襟澤の頬に落ち、男は引き剥がされた。
「だから言ったじゃ~ん、男にそのうち襲われちゃうから気を付けなって」
その手には大きな折りたたみ式の鉈、金色の瞳が襟澤を見下ろした。
「………あんた、何で」
「お届け物があってね~?あとはどこぞの輩に掘られないように助けてあげたの~☆」
「何、掘るって」
皇祷は鉈をたたむと、背に忍ばせるように収めた。
鉄扇を一つ開き、口元を隠した。
「あぁ~…それは知らなくていいかな?ほらほら、急いでるんだろ?早く行こうよ~」
と押してきたのは、襟澤の自転車であった。
「?!」
「お家の駐輪場にあったぞ☆」
「何勝手に持ち出してんの?!最低!!」
「でも乗るよね?」
「…」
襟澤が自転車に跨がると、荷台に皇が座った。
「何してんの」
「え?俺が道作ったげるよ。研究所は今ぐっちゃぐちゃの瓦礫だらけになってるから」
「は?!」
「100円ちょーだい」
皇が右手を出してきた。
まさか情報料か?
襟澤は渋々100円を渡すと、荒いため息とともに走りだした。
「まさか野郎を乗せて自転車とはな。全く青春してない」
「歩海たんと乗る機会無かったの?」
「ちょっと、俺も名字でしか呼んでないのに赤の他人が名前呼びなんかすんな」
「嫉妬~」
「振り落とすよ?」
「そういえばさぁ」
皇は襟澤の腹に両腕を回した。
軽く抱きしめられるような感覚で、襟澤は思わず自転車を止めた。
「ひっ」
「なかなか可愛い声だったよねぇ、いいなぁ間近で聞きたかったなぁ」
「何やってんだ離せ!」
「わぁぁ、そうやって恥じらう所も可愛いなぁ~☆さっきのおじさんはやり方を分かってないんだよぅ!ちゃんと弱い所つっつかないと」
「ぎゃぁぁぁっ!!どこ触ってんだ変態!!警察呼ぶぞ!!」
「えぇ~?自転車持ってきてあげたのに~」
「盗んできたのと同じレベルの調達だからね?それこそ警察だよ?そんなに俺を助けたいなら黙って乗ってろよ」
「ん~、100円貰ったしなぁ。いいよ、もう遊ばない」
襟澤は頷くと、また自転車を漕いだ。
梔子研究所の駐車場に出ると、半壊する建物と瓦礫で道は殆ど無かった。
代わりに黒いワゴン車が数台止まっており、銃を構えた部隊が待ち構えていた。
自転車を止めると、皇が瓦礫に向けて電撃を放った。
急に雰囲気の変わった皇は、自転車から飛び出した。
銃弾は全て鉄扇に吸い込まれるように弾かれ、彼は笑った。
「エリザベス、100円って高いんだよ」
鉄扇を両手に構えた皇は猟奇的で、妖艶にも見える面持ちであった。
襟澤はその後、その場を動かなかった。
皇の舞う様を、華麗にも残酷に人を殺める素速さを。
見惚れているうちに部隊が全滅し、皇が突っ立ったままの襟澤に驚いた。
「何突っ立ってんの?早く行きなよ」
「…………えっ、あっ!すぐ行きますよ?!」
「もしかして惚れちゃった?」
皇が鉄扇で口元を隠すと、襟澤は慌てて自転車で走りだした。
「んなわけないじゃん!」
皇の前で止まると、襟澤は恥ずかしげに呟いた。
「………今日は、色々と、その、どうもありがとうございました」
「おやおや」
「自転車盗んできたのは別だからな!あと殺しかけたのも!さっき俺のくっ、首と……」
「全然筋肉無かったなぁ、シャツの中☆」
「うっさい!!とにかくそれ以外は礼を言ってやらなくも無い」
「ほう」
「……」
襟澤はガミガミと言っていた先ほどまでの勢いから、急に肩を落とした。
その理由を理解していた皇は、笑顔で言った。
「大丈夫、俺はリアル割れしても何も起こらないよ。むしろ遊びに行っちゃうよ。またチャットしてくれる?」
襟澤が頷くと、皇は薄い携帯電話を操作し、「まずい、もう昼過ぎだ」と呟いた。
「それじゃ、俺これから友達とお食事に行くから!また会おうね、ツンデレ君☆」
「はぁ?!誰がいつデレたんだ馬鹿!!」
襟澤は皇に背を押され、自転車で走りだした。
手を振って見送る情報屋を背に、襟澤はスピードを速めた。
自転車が建物の中に消えると、皇は両手に鉄扇を開いた。
バチバチと電気が走り、一方は建物へ、もう一方は部隊の屍達に浴びせられた。
部隊の屍の体が跳ね、駐車場は静まり返った。
「さぁ~て、みんな片付けてくれる?車は第一研究所に駐めて」
そう言うと、部隊の面々がふらふらと起き上がり、自らの服でアスファルトの血を拭き始めた。
車からアルコールなどを持ち出して掃除をすると、全員が車に乗った。
発進して一人になると、皇は鉄扇の裏で笑った。
「びっくりするだろうなぁ、死体が運転してきたとか。さぞビビるだろうなぁ!良い子は真似せず見なかった事にしてね」
情報屋は花柳の闇に溶けていった。