第二楽章-3:刺客と謎の能力
午後12時04分。
綿貫は遂に応力発散から憂さ晴らし攻撃を仕掛けられなくなった。
当たらないからだ。
古いドラム缶の上に応力発散はだらりと座り、その下で綿貫は鉄パイプを軽く振り回していた。
「……」
「……」
無言だった。
綿貫はひたすら鉄パイプを振り回し、気まずさを紛らわせた。
ここを離れるわけにはいくまいし、座っているしかない。
「………おい」
「……」
「………おい、てめぇだよ」
「……はい?!あたし?!ってあたししかいないのか!そっか!はい、何でしょうか!!」
綿貫は慌てて立ち上がり、鉄パイプを落とした。
「腹減った。何か買ってこい」
「え、いやダメだろ!目ェ離しちゃいけな」
キュルル………と短く腹が鳴る。
綿貫は顔を真っ赤にして腹を押さえつけた。
「行ってこい」
「ダメダメ!コンビニ行ってる間に絶対逃げるだろ?!」
「勿論」
「そこ正直に言うなよ!」
応力発散は鉄パイプを拾い、ドラム缶に突き刺した。
ドスッと音がしたが、その様は柔らかい土にシャベルを突き刺したような容易さを思わせた。
綿貫がまじまじと鉄パイプを見ていると、応力発散は彼女のバッグを奪い取った。
「ちょっと!」
応力発散はバッグから財布を取り、小銭を確認した。
「ったく………さっさと行くぞ」
「は?おい、あたしの財布!」
応力発散が工場から出て行くのを綿貫は追い、コンビニにたどり着いた。
いらっしゃいませ、と店員が営業スマイルを提供する。
応力発散はそれを無視してづかづかと入っていく。
お弁当の棚で二人は止まる。
「………あの」
「てめぇ何食うんだよ」
一切こちらを向かない彼をちらと横目で見ながら、幕の内弁当に手を伸ばす。
「わりと食べるタイプ」
「じゃそれ二つ」
綿貫は弁当を二つ取り、先に出て行ってしまう応力発散を追うべく素早く会計を終えた。
「待て待て!…………その、連れ出して、悪かったな」
「あ?」
大層嫌な顔をする彼に、綿貫はたどたどしく言った。
「あー………まだ、聞こえてんだろ?変な、音が」
「……聞こえてるね、あぁ聞こえてる。耳障りで仕方ねぇよ」
秋空の下、二人は足早に廃工場に戻った。
が、入り口で綿貫が足を止めた。
応力発散が振り向くと、綿貫は彼の腕をつかんだ。
「こっち!」
と入り口から退いた瞬間、鉄の扉が小間切れになって飛んできた。
包丁で切られた野菜のようなきれいな切り口で、砂煙が舞い上がった。
「あらあら、仕留め損ねちゃったー。惜しかったなぁ」
二人が素早く立ち上がると、工場の中から栗色の髪をした女が見えた。
甲高い笑い声とハイヒールを鳴らす音に二人は構えた。
武器は無いが。
「ねーねー、そこの丸傷のキミがぁー、応力発散でしょ?」
工場から出て来た女を見て二人は言葉を失った。
想像して頂きたい。
髪、二つで三つ編みなのだが、片方はすぐにゴムで止められて栗色のストレートが伸び、もう片方はほぼ髪の先まで三つ編みされている。
こめかみの辺りに垂らす髪も、右は短く、左は長い。
顔、左側の眉のみ剃られ、瞳は右が黒、左は赤。
服、よれよれの襟のTシャツなのだが、左側だけ肩が露出した長袖で、右側は袖がない。
スカートにはスリットが入っており、前はパンチラ寸前のミニ、後ろは膝ほどの長さ。
黒と紫のボーダーのニーハイソックスは右側は太ももまで、左側はふくらはぎの辺りでくしゃくしゃになっている。
履いているハイヒールパンプスも片や黒、片やベージュ。
…………………長々しいが、一言でいってしまうと、全てが
「……アシンメトリー」
「こういったイカれた奴は絶対能力者だ」
「お前にだけは言われたくねぇよ?あたしだってそれなりに能力者なんだから」
「何の?言ってみろよ」
「なんでお前に言わなきゃなんねーんだよ!」
「言えねーようなクズ能力かよ」
「何だと!」
アシンメトリー女がため息とともに右手で空振りチョップをした。
口論する二人の間がきれいに切り裂かれた。
スパン、と音をたて、アシンメトリー女は笑った。
「あのあのー、リリアのことは、無視?」
笑顔は殺気に溢れ、咄嗟に応力発散は右手を前に突き出した。
衝撃波と何かがぶつかり、見えない力が相殺された。
応力発散は駆け出し、一瞬で彼女の前に手をかざした。
「やだやだー、何相殺してんの………よっ!!」
アシンメトリー女のリリアは左手を斜めに振った。
「右に一歩!!!」
綿貫が叫び、応力発散は反射的に右に動いた。
すると応力発散の左肩が軽く切られた。
「!?」
彼は傷口を押さえたと同時に、綿貫を見た。
綿貫が倒れ込んだ応力発散とリリアの間に立ち、携帯を耳に当てた。
「もしもし、今から梅通りを出るよ。追っ手らしき女が襲ってきてるから………ん?彼氏さん?まぁ、こっちのことは心配すんなって伝えといて頂けますか?!ちょっと急いでるので失礼します!!」
綿貫は携帯をポケットに突っ込み、リリアに向かって言い放った。
「テメェのこたぁ知らねーが、家のお嬢様に言われた事は守らねーといけないんで、あたしがこいつの代わりに相手する!」
「まじまじー?応力発散がさっきクズ能力っていってたんだけどー?」
「クズかどうかは、見てから言いな!」
リリアが両手で空振りチョップを連発し、その度アスファルトにきれいな亀裂が走る。
しかし、綿貫は片足で前に飛び込み、亀裂を避けた。
「あんたの能力は“空を斬る”ことみたいだ。だからといって」
綿貫は這う程の低さで回し蹴りをした。
足は斬れることなく、リリアの両足をすくい上げた。
「きゃっ!」
「“自分の周りは斬るのが怖い”らしい!」
体勢を崩したリリアに応力発散が全力で拳を握りしめた。
「“空間切断”か」
衝撃波がリリアを吹き飛ばし、応力発散が綿貫を担いだ。
砂煙に咳き込み、リリアは自分の背後を見た。
廃工場が跡形もなく崩れている。
前には二人はいなかった。
「………あらあら、応力発散が加減した」
工場が壊れる程の威力、普通ならリリアも死んでいた。
のはずがリリアは無傷だった。
服がボロボロになったくらいだ。
亀裂だらけのアスファルトに寝転がり、インカムを耳につけた。
「ねーねー、応力発散は危険だわ……………心を、持った」
* *
午後12時42分。
応力発散は綿貫を布団干しのように担いで一軒家の屋根に着地した。
崩れた廃工場を眺め、鼻を鳴らした。
綿貫がじたばたしている間に。
「下ろせ!ケガしてんだから止血くらい!」
「うっせーな金髪!ちょっと切ったくらいで騒ぐんじゃね!」
応力発散は屋根から飛び降り、やっと綿貫を下ろした。
「何でさっき、『右』っつったんだ?」
「え、あー………あれはね」
「何の能力者だ」
綿貫は黙り込み、応力発散から顔を逸らした。
しかし、その沈黙はすぐに破られた。
綿貫が空を見上げ、応力発散の手を強く引いた。
「来い!!」
走り出すと、二人がいた場所がきれいに切り裂かれた。
「さてさて、逃がしたわけじゃあ、ないんだよッ!」
リリアが追ってきていた。
綿貫は誰の敷地かはわからない竹林に迷わず入り、息切れすることなく走り抜けた。
細い竹を避けながら全力で走る彼女に手を引かれ、応力発散は後を追ってくるリリアに振り返った。
「飛べ!!」
綿貫が踏み込み、高く飛んだ。
あわせて跳ぶと、下は崖、しかもかなり高いところからのダイブだった。
「おい!てめ……!」
二人はリリアの前から消え、崖の前で彼女は止まった。
下はため池になっており、大きな轍が見えた。
リリアがつまらなさそうに息をついた。
「まあまあ、この高さなら死んでる?」
リリアがその場から消えたと同時に、綿貫は安堵した。
どこにいるのかというと、飛び降りた崖の少し下。
小さな洞穴になっており、二人はそこに着地していた。
ため池には石を投げた。
「よかった」
「ここ、知ってんのか」
「ガキの頃は遊んでた。勉強サボる時とか…………さて、ぐちゃぐちゃにはなったけど、弁当食べますか!」
綿貫はビニール袋から御飯の上におかずのぶち撒かれた弁当を出した。
応力発散にも同じようになった弁当と割り箸を渡し、両手を合わせた。
「いただきまーす」
ガツガツとお弁当を食べる彼女を見ながら、応力発散は弁当を開けた。
「この後どうしようかなー。なんか彼氏さんがお嬢の電話に出たから、ヤバいことあったのか気になるんだけどさー、多分寮だし様子見にいけないよな」
「様子見に行け」
「いや、お前逃げるだろ」
「こっからは別行動だ」
綿貫が箸を止めた。
「ちょっと待て!歩海にお前の事頼まれてんだよ!」
「関係ねー事に首突っ込むんじゃねーよ」
「別行動ってどこ行くんだよ!」
応力発散はレンコンの煮物を口にくわえ、御飯を箸でつまんだ。
「へんひゅーひょ」
「うん、食ってから言えよ」
綿貫は早くも弁当を完食し、ビニール袋に空箱を入れた。
同じくして弁当を食べ終えた応力発散が改めて言った。
「第三……梔子研究所。俺が最後にいた研究所だ」