第一楽章ー3:アンラッキーデイ
午前11時30分。
襟澤称は秋津悠と葵通りを歩いていた。
ただでさえイライラしている襟澤は、後ろを呑気についてくる秋津に振り返った。
「帰ってくれる?」
「何で?何か調べるんじゃないの?生徒会いると便利だよ?」
「あんたといたくないの!朝から食いたくもないバーガー食わされて、美咲にも素っ気なくされて今日のHP壊滅的なの!」
「でも何かあったら心配じゃん。襲われたりとか」
「俺が?ボコボコにされるとでも?馬鹿じゃないの?」
「いや、君じゃなくて、相手が心配なの」
「あっそ」
襟澤はすたすたと秋津を置いて歩き出した。
秋津が追いかけようとすると、目の前に見えない空白の壁が出来た。
前に進めなくなった秋津の呼びかけに、襟澤はちらと向いた。
「大丈夫、誰も殺しやしないよ」
「……」
雑踏に紛れた襟澤は、バーサーカーが壊したと思われるマンションに向かうことにした。
美咲から連絡が来るまでは、状況把握が最優先である。
携帯電話を見てみると、いくつかチャットのメッセージが届いていた。
「…この人いつも早いな」
襟澤は通常のネットも大いに活用している。
相手の見えない交流は危険視されているが、未だにその方法を使って交流している人は少なくない。
それを電脳と併用している襟澤は、この相手の見えないチャットを使ってたった一人と交流している。
何故なら、彼の情報が早いから。
自分の情報網についてくることができる人がそういないことを知っている。
しかしこの相手は、自分と同等の情報量で話すことができる唯一の人間である。
世の中で起こる様々な事件以外の話は一切しない。
襟澤はこの相手と数ヶ月前から交流しており、美咲と会ってからは一つの情報源として有効活用している。
道の端に寄り、チャットを開始した。
エリザベス:お待たせ
Oracion:日本大変みたいだね~
エリザベス:海外?
Oracion:いや、日本。それも花柳
エリザベス:他人事的なの紛らわしい
Oracion:メンゴ~、てか逢えちゃうかもね
エリザベス:逢いたくないけどな
Oracion:俺は逢っても良いけど
エリザベス:見たってわからないくせに
「お外でチャットとか危ないよ?」
「ぎゃっ」
突然かけられた声に、思わず変な声が出た。
襟澤は青冷めながら振り返った。
すると黒いロングコートを着た細身の男が立っていた。
やけにニコニコしており、緑がかった黒の短髪と金色の瞳が普通の人間ではないと思わせる。
「……」
「……」
あまり人と話さない襟澤は、もちろんのこと硬直した。
何と言えば良いのかわからず、携帯電話をしまい、叱られているかのように下を向いた。
すると男は軽々しく笑いだした。
「誰も叱ってなんかないよ~、赤の他人に見られたら危ないよって注意してあげただけ~」
「!…………あ、ありがとう、ございます」
「一人?」
「え?あ、まぁ、ちょっと用事はあるけど」
「どんな?」
「あ、あの、ほら、その」
襟澤は懸命に答えを考えた。
アルニカの事を話すわけにはいかない。
例えば少し前に起きた爆発事件について調べています、と言えば確実に怪しまれる。
「あっはっは!超かわいいんですけど!ねぇねぇ、暇ならお兄さんと遊ばない?」
「は?そういうのはそこらの女に声かけようよ、真っ昼間から野郎とデートなんかしてる場合じゃないの」
「じゃ、何してるの?」
しつこい人に出会した事を後悔しながらため息をつくと、男が急に襟澤の腕をつかんだ。
「?!」
「こっち」
男は足早に雑踏を脱け、薄暗い路地裏に入った。
振り返った襟澤は、彼が突然逃げた理由を理解した。
一般人に紛れていたのだろう、様々な服装の若者が追ってきていた。
その手には銃を持っていた。
「?!」
「いいから走って、銃弾はうまく跳ね返すから」
「あれ何なの?!あんた追われてるの?!」
「俺じゃなくて、君が狙われてるの」
襟澤はわけのわからない説明を聞きながら、その路地の行き止まりでやっと止まった。
体力が無いためにゼェハァと限界の襟澤。
一方、男は息切れすらしていなかった。
若者達がじりじりと詰め寄り、襟澤の前に立つ男に銃口を向けた。
「ちょっと~、いつの間に日本はこんなに物騒な国になっちゃったの~?」
「そこを退け、さもなくばお前から撃つ」
「あはぁ………君らは一発だって撃てないよ。ねぇ、研究所の雇われ部隊の諸君?」
「?!」
若者達が驚愕していた。
その焦りは顔にあからさまに出ていた。
「名前順だと~、浅野くん、島津くん、浜田くん、宮坂くん、矢田くん、脇田くん」
次々と名前を言い当てられた若者達は遂に恐怖した。
男の顔は不気味な笑みを浮かべていた。
「スメラギイノリ、て言えばわかるかな~?上の人しか知らないかな~」
矢田、と言い当てられた若者が血相を変えた。
「…………おい、嘘だろ、撤退だ!」
「知ってるのか?」
「何で撤退する!」
周りは彼の怯えように顔をしかめた。
すると震えながら彼は言った。
「………情報屋の皇祷、何でこんなところ」
しかし、矢田はその先を言うことが出来なかった。
距離はあるはずなのに、その首を切り落とされたからである。
一方、男はニヤニヤと影のある笑みを浮かべながら、いつの間にか持っていた緑の柄の鉄扇から血を滴らせていた。
「そんなに褒めても駄目だよ~、俺はね~、ギッタギタに虐げられて伸びるタイプだからぁ」
襟澤は状況を上手く把握できないでいた。
急に話し掛けてきた男は情報屋か何かで、自分がこの人達に狙われていた事を知っていた。
しかも何の躊躇いもなく人を殺した。
殺人を間近に見た恐怖などは全く無かったが、この場の収束のつけ方に悩んだ。
「………あの…あんた」
「グロいの嫌なら見ない方が良いよ?」
「待った、まさか」
「その能力も使わせないから」
襟澤が動く前に、男は鉄扇を開いた。
電撃が迸り、男はまるで踊っているかのように若者達の首や手、脚を切り刻んだ。
残るのは膨大な血溜まりと肉塊。
終始、彼は笑んだままだった。
「さぁて、怪我してない?危なかったねぇ~襟澤くん」
頬に返り血をつけたまま、襟澤の前で止まった彼は、鉄扇を眼鏡拭きのような布で拭き始めた。
「あんた何者?」
「皇だってば、皇祷。ま、ここらで情報とか色々売ってるんだよ。今日は依頼を受けてたから君を探してたの」
皇祷は鉄扇をしまい、身構える襟澤を笑った。
「てか、ビビらないんだね?この惨状」
「何でだろうね」
「“死”に鈍感だからだよ」
次の瞬間、襟澤は首を掴まれ、地面に叩きつけられた。
強く頭を打ち、一瞬目が眩んだ。
「っ!!」
「やっと逢えたねぇ、エリザベス」
襟澤はやっと恐怖した。
この人が誰だかわかったからである。
「っ………オ」
「オラシオン、そう、それ。やっと逢えた所悪いんだけど、俺の受けた依頼は君を監視する事で~……何か探ろうとしてたら殺してくれってさぁ」
襟澤は空白を使おうと左手を構えたが、その手首を掴まれてしまった。
皇は首を傾げ、首の手を緩めた。
「調べてるんだよね?」
「…」
「何か言いなよ」
「………一つ聞いて良い?」
「どうぞ?」
「…あんた、俺を殺せる?」
その質問に皇は違和感を感じながら、何でも知っているかのように笑んだ。
「死にたいの?」
「……今俺は色んな人と関わってる。理由もあって死ぬわけにもいかない。でもあんたが本当にあの二次元チャット(二次チャ)のオラシオンなら……俺の話聞いてくれる?」
襟澤に表情は無かった。
漆黒の瞳はただ天を遮る金色の瞳を気怠げに捉えていた。
「ん~……話は全部端折って良いよ?俺、何でも知ってるから。そーゆーのはアルニカちゃんに言ってあげなよ」
「本当だ、何でも知ってんだね」
自分が電脳世界でのクロであり、美咲歩海がアルニカであることを知っていると分かった襟澤は、その境遇も全て知っているのではないかと推測した。
「結論から言おうか、“俺は君を殺せる”。確実にあの世にご招待できる。あとは希望と覚悟次第だね~」
「……殺せる?」
襟澤は目を見開き、その結論に心底驚いていた。
「それじゃあ、俺にとっては最後の切り札か」
「コスト超高いけど~?」
「デッキから引かないよう努力はするけどな。どうせ今殺す気無いんだから、さっさと退きなよ」
すると皇は見たことの無い薄さの携帯電話を取り出し、カメラのレンズを襟澤に向けた。
首から手が離れると、しっかりと両手でそれを構えた。
「ねぇねぇ、人生初の床ドンされた気分はどうなの~?」
「床?何?」
「あるおっかない人曰く、相手を壁か床に追い詰めて、手で逃げ道を遮る……の恋愛フォーカス版」
「訳分かんない」
皇の携帯電話からシャッター音がし、彼は満足げに床に手をついた。
近づいてきた顔は整っており、美しいとさえ思えた。
「戦闘フォーカスだとこっから殺されちゃうけど、恋愛フォーカスだとあちこち物色されちゃうって事ね~☆可愛い顔してるんだからその内男に襲われかねないよ?気を付けなよ~?」
「男?!物色って…あ、わかった。止めよう、まず離れようか変態!」
身動きが出来ない襟澤の動揺する様を面白そうに見る皇は、ボタンを一切見ること無く携帯電話を操作して耳に当てた。
「仕事~?イタ電~?」
『お邪魔でした?』
「ん~ん?どこのクズ客より優先しちゃうよ☆でも今ちょっと可愛い子捕まえてるから取り込み中かなぁ」
『では改めますね』
「待って待って!明日夕食どう?ビッグニュースがあるんだよ~!お店は任せてよ~」
『いいですよ。それと、あんまり殺しちゃ駄目ですよ?可愛い子ってどうせ』
「俺の同類だよ」
その言葉に電話の向こう側は返事をしてこなかった。
至近距離のため、襟澤には相手の声まで聞こえていた。
「死にたがりの智将」
『……』
「可愛すぎて塩分過多を覚悟で丸ごと食べれるよ~」
『電話の向こう側に銃弾ぶち込む方法ありませんかね?』
「冗談だよ~☆それじゃ、また後でね~?」
皇は電話を切ると、襟澤の顎に手を添え少し擽るように触れてから彼の上から退いた。
パチン、と開いた鉄扇で口元を隠し、立ち上がった襟澤の手をしっかりと握った。
「よ~し」
「え?」
「ほら、エスカレーターで聞かない?『お子様の手を放さないように』って」
「どこにお子様がいるの?!放せ気持ち悪い!!」
非力な襟澤の抵抗も効かず、突如現れた情報屋に強制連行された。