第二楽章‐3:吹き飛ばしの法則
篠原ことは
椿乃峰学園寮の管理人で、なぜか入口の広場を私物化して庭をつくっている。
宇宙がなくなっても守るらしい。
あまり知られていないようだが、能力は時間旅行。
年月日と場所、全てを明確に言うことでその位置に移動できるという能力である。
毎日歴史を歩くも、何かに巻き込まれてしばらく戻れないことも。(本当に。この前だってルソーが…)
アルニカの活躍を見るのが好きなようだ。(だってカッコいいじゃん)
というわけで、何より庭が大事な篠原さんでした。
野次馬という人混みをかきわけ、美咲と芦屋は噴水の上に乗った軽自動車の惨劇を目にした。
午前10時11分。
軽自動車は屋根もへこみ、タイヤもパンクして正常に稼働できる状態ではなかった。
芦屋はすぐさま仕事を始めた。
「皆さん離れてください!生徒会です!」
その一文で野次馬はざわつきながらも水溜まりに落ちた水滴が作り出す轍のように噴水から退いた。
芦屋はすぐに学校へ連絡し、噴水に近寄った。
美咲は何故かわからなかったが視線を感じて人混みに振り返った。
一瞬だった。
ちょうど影になる細い路地から、誰かがこの惨劇を笑っていた。
美咲は影の路地へ走った。
芦屋が呼び止めるのも聞かず、美咲は路地へ入っていった。
* *
10時15分。
美咲は音速で太陽を遮る影の路地をひたすらに走っていた。
「どこにいんだよ、さっさと出てこい!!」
美咲の怒鳴り声はその路地にこだまして、周りの建物さえ振動したかに思えた。
そんな音波に耐えられるわけもなく、そいつは叫び声を上げた。
美咲はすぐに声のする方へ走った。
そして見た。
「………?」
ごく普通の男子生徒がそこに座っていた。
ただ、挙動不審で何かしら病んでいそうな容姿で、目が血走っていた。
「……何の用だ……」
少し恐怖を感じながらも美咲は一歩づつ近づいた。
「あの車はお前の仕業か?」
その問に、男子生徒は不気味に引き笑いした。
少し長めの髪の隙間から、血走った目がぎらりと光った。
「俺の能力は……吹き飛ばすこと……」
「?!」
その瞬間、男子生徒の少し後ろに取り付けてあった消火器が美咲に向かってまっすぐに飛んできた。
避ける間もなく美咲の目の前に来たため、腕で顔を庇うように消火器を受けとめた。
「ひゃハハハ!血がでたぞ!血だ!」
美咲は舌打ちをして、男子生徒を睨み付けた。
セーラー服の清潔な白い袖が血で染まる。
男子生徒がゆらりと立ち上がり、両手を前に出した。
「ひゃハハハ!!」
他の建物にもたくさん消火器やゴミ箱などがある。
あらゆるものが放られるように美咲に向けて飛んできた。
「…避ける!」
美咲が飛んでくるポリバケツを避けようと足を横に跳ねるように蹴りあげた。
しかし、跳んだ瞬間もう目の前にあるポリバケツの前に跳ね返された。
美咲はポリバケツを頬にまともに受けた。
何が起こったのかわからなかった。
男子生徒がまた引き笑いした。
「そう!俺は人だって吹き飛ばせる!」
吹き飛ばされた美咲はアスファルトに叩きつけられた。
苦し紛れに咳き込みながら起き上がった。
この頬絶対あざできる、と思いながら血の流れる頬を拭く。
美咲は勢い良く飛んでくる障害物を避けながら、男子生徒のもとへ走りだした。
「お前……いい加減にしろォ!!」
「無駄だ!また吹き飛ばして……?!」
美咲はすでに男子生徒の前にいた。
「吹き飛ばすには計算が必要なんじゃない?」
その通りだった。
吹き飛ばす対象と角度、強弱を綿密に計算して扱うのが男子生徒の能力だった。
つまり吹き飛ばすまでにはどんな電卓のような人間でも何秒かは時間がかかる。
その計算を、音速は余裕で上回ったのだ。
美咲は右手拳をぐっと握りしめ、男子生徒を精一杯に殴った。
音波で男子生徒は少し遠くへ吹き飛ばされた。
「女の顔を何だと思ってやが……?」
その瞬間、美咲は嫌な予感に上を見上げた。
自転車が空から放られるように落ちてくるではないか!
「いや、あれはちょっと………?!」
ガシッ、と誰かが美咲の腹に手をかけて自転車を避けた。
美咲らの少し横で自転車は軽自動車と同じように壊れて路地に不時着した。
美咲は何も言えなかった。
美咲の前にいたのは芦屋千代だった。
よほど走ったのか、息を荒げて美咲を怒鳴りつけた。
「何勝手に犯人と戦ってんの!!」
つい癖で。
なんて言えるわけがないアルニカこと美咲歩海だった。
「……危ないでしょう………!」
影で美咲にはよく見えなかったが、芦屋は頬に一筋涙を流していた。
芦屋はそんな時においしい揚げ物の匂いに顔を上げた。
美咲が………
「何やってんの?!」
美咲は唐揚げ棒を食べながらもう一本を芦屋に差し出していた。
「いつもらったのよ!!」
「追っかける前」
そして芦屋は最大の疑問をぶつけた。
「金どうしたの!」
「……」
美咲の嫌な微笑み。
芦屋は嫌な予感から、自分のカバンを探った。
「無い!」
美咲が芦屋の黒い革財布を手にぶらぶらと持っていた。
「スリか!!」
芦屋は即座に美咲から財布を取り返した。
その時だった。
美咲から財布を奪い取る右手。
その手のひらに美咲の表情が凍った。
「………何それ」
財布を取り返した芦屋が首を傾げた。
「何が?」
美咲は芦屋の右手を無理矢理に広げた。
そして見た。
手のひらに集中した無数の切り傷を。
わからないわけがなかった。
これは、音波振動によるものだ。
『ちーは能力なんて無いよ?』
『これはどーゆーことでしょう?』
美咲は気付いた。
芦屋は、
『私の能力は“根性”よ』
本当に、相殺したわけでもなく、何の変哲もない手のひらで、音波という刃に触れたのだ。
「……すみませんでした」
芦屋は誤魔化すように笑って返した。
「何よいきなり!別にこんなの何でもないじゃない」
「私にとっては……」
美咲の震える声に芦屋は思わずぴたりと笑いを止める。
「何でもなくないの!!」
美咲は手に持っていた唐揚げ棒を芦屋に無理矢理渡して立ち上がった。
「失礼します!」
美咲は芦屋を背に暗闇の路地を奔り抜けた。
芦屋は無理矢理渡された唐揚げ棒を一口かじり、ため息をついた。
「なんて勘の良い子なの………」
さて、と芦屋は立ち上がった。
ぎらりとした目付きが美咲に殴られ、倒れた男子生徒のに向かい、ワイシャツの襟を掴み上げる。
あまり運動は好きではないのか、その華奢な体は簡単に浮いた。
「私はあの子追わなきゃならないの、手っ取り早く答えなさい。何故あんな事したの」
男子生徒は咳き込みながら笑っていた。
「……時空領域は……完成する」
「は?」
すると後ろから芦屋を呼ぶ声がした。
生徒会の他の人が来たのだ。
芦屋はその人らに男子生徒をまかせ、怪我人が逃げたと言って美咲を追い始めた。
* *
正午。
美咲は女子寮の近くまで戻ってきていた。
篠原に殴られないように、石の道をしっかりと歩こうと決心していた。
とともに、芦屋にはもう二度と触れない、言葉を発さないと決心していた。
美咲は知っていた。
自分の音波がどれだけ小さなことで他人を傷つけるか。
振動数が多ければ多いほど他人に迷惑がかかるのだ。
あの傷は美咲を背負い投げをした時のものだろう。
確かあの時自分は怒っていたと思い返し、反省する。
「やっちまったな…」
「本当ね」
美咲はその声に硬直した。
古いブリキのおもちゃのようにカタカタと振り返った。
そこには小さめの白いレジ袋を持った芦屋が立っていた。
いかにも走ってきたような汗と呼吸する肩を見て美咲は少し嫌な雰囲気を読み取りながら平常心を保つことにした。
「……あなた、自分の唐揚げ棒まで置いてったでしょ!」
喋らないと決心した美咲は無言、そして表情で「はぁ?」と返した。
芦屋はづかづかと美咲に近づき、セーラー服の袖を掴んだ。
それを美咲が黙っているわけもなく芦屋の手を振りほどこうとしたが彼女は決して離すことはなかった。
さすがに美咲が小声で言葉を発した。
「……先輩がどんな能力かなんて知らないけど私には触らないほうが」
芦屋は遮った。
「冷める前にどっか座るわよ」
美咲の血の着いた袖を引いて芦屋は午後の賑わう町を歩き始めた。
* *
山吹病院。
そこは並の人間では成し得ない特別な能力を持った隔離対象者専用の病院である。
患者の身体検査と称して患者を実験に使うという例もあり、能力者たちは“能力者の監獄”とも呼ぶようだ。
そんなことも気にせず、一人の女子生徒が待合室のソファーに背筋を伸ばして座っていた。
ツインテールを微香性ワックスでふわっと仕上げ、今にも寝そうなたれ目をした生徒、しかしその左腕には生徒会の腕章がついていた。
その隣には、同じく生徒会の腕章をつけた斬新に切られたショートカットの女子生徒がいた。
「水無瀬ー、患者が出てこない!」
ツインテールの水無瀬が静かに応える。
「黙っていればすぐにでも来ます」
「でもこーなーいー!!」
いくら能力者専用と言えど、他にも患者はたくさんいる。
待合室にいる他の人々はその二人に「うるさいな」と目だけを向ける。
「羽賀さん、他の方の迷惑を考えて」
ショートカット羽賀が頬を膨らませた。
「わかったよぅ」
羽賀は懲りずに水無瀬に話しかける。
「水無瀬はどう思う?今回の犯人」
「特に意見はありませんが、羽賀さんは?」
「いや、椿乃峰の天才と謳われる水無瀬しづる様はこの事件をどのように見ているのかなぁ、とな?」
水無瀬は女性らしく小さなため息をこぼした。
「まだわからないわ。ただし、時空領域については聞かないと。何か知っているといいんだけど」
* *
12時26分。
清潔な白に包まれた病室には、容疑者高畑政一が点滴を受けていた。
音波により身体中が傷つき、安静を余儀なくされたのだ。
仕切りのベージュのカーテンが静かに開く。
「高畑さん、点滴の交換です」
目を覚ました高畑はその声に疑問を抱く。
「?……まだ点滴は……あんた!!」
高畑は看護師の女の顔を見て思わず飛び起きようとした。
しかし容疑者であるためにケガをしていない右手首には手錠がされていた。
そして頼みの綱であるナースコールもその看護師に取り上げられた。
「看護師ならここにいるわ」
「………や、やめろ……やめ……」
看護師は高畑の腕に、空の注射を射った。
高畑の目に光は消え、抵抗する手もゆっくりと投げ出された。
そして、高畑政一の心拍数は0になった。