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アルニカ交響曲  作者: 結千るり
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第三楽章-2:お姫様とピアノ

午後2時。

美咲は襟澤の手を引き、校内を歩いていた。

着替えの入った紙袋は襟澤が持ち、キョロキョロと周りを見回しながら歩いていた。

「何か食べましょうか!」

「……うん、食べる」

するとすぐ側の教室から声がした。

「あーら、音姫ではありませんの!宜しければクレープは如何?」

「あら、負け犬お嬢様。じゃあ、いただこうかしら」

美咲が教室に入ると、白いフリルのエプロンを着けた茶髪のお嬢様がクレープ屋のお洒落なメニューを持って立っていた。

しかし二人の間では静かな火花が散らされていた。

「私は苺のやつを。あとは…チョコのやつ」

「俺の好み知ってるとかさすがだね」

襟澤が言うと、美咲は笑った。

「嫌いだった?」

「好き」

「お待たせしました!で、一つだけお聞きしたい事がありましたのよ」

「?」

急にお嬢様が表情を曇らせたので、美咲は襟澤と首を傾げた。

「………その、霧島さんは、転校されて、どちらへ………」

このお嬢様は、霧島佳乃をクラスでいじめていた。

謝る前に夏休みに入ってしまい、終わってみると霧島は転校して消えてしまった。

一言でも、謝りたかったのであろうが、美咲は真実を告げるわけにはいかない。

能力喰いとして事件を起こし、記憶喪失になり、金崎としてアメリカに飛び立った事。

「………彼女は」

「花柳から出てっちゃったんだよね。行き先については誰も知らない。だよね?」

「?!」

美咲がどぎまぎしていると、襟澤が袖を引いた。

「そうですの…………で、貴方は?」

「さぁ?行こう」

クレープを受け取った襟澤は美咲を強制連行し、人混みの廊下を早足で抜けた。

人気のない更衣室の前で止まると、襟澤が美咲にクレープを渡した。

「大丈夫?」

「……ありがとう」

「別に良いですよ?音姫サマ」

「………仕方ないでしょ?そう呼ばれるのよ」

美咲はクレープを一かじりし、顔を背けた。

襟澤もクレープをかじり、美咲の顔を覗きこんだ。

落ち込んでしまっている。

襟澤は自分のクレープを美咲に向けた。

「何?」

「チョコ。食べると元気出るよ」

「私に食べろって?」

襟澤は頷いた。

しかしクレープは食べかけ。

美咲は冷や汗を垂らし、クレープを凝視した。

これでは間接……

「………」

「じゃあ、そっちのもちょうだいよ。それでイーブンでしょ?」

「そういう問題じゃなくて……って私が意地汚いみたいじゃ……!」

襟澤は子猫のような眼差しで美咲を見ていた。

平常心を必死に保ちながら、美咲は自分のクレープを前に出した。

「た、食べたいなら最初からそう言いなさいよ!あげるから!」

「あ、そう?」

次の行動で美咲は動揺を隠しきれなかった。

襟澤が美咲の持つクレープをひとかじり、口元にクリームが残っている事も気にせずご満悦。

「お前…………!!」

「はい、イーブン」

こいつ、絶対にわかっていない……!

美咲は最早食べざるを得ない状況を悟った。

[ええい!どうにでもなれ!!]

美咲は目を瞑り、頬を赤らめながら襟澤のクレープを小さくかじった。

「どう?」

噛みしめてはいるものの、味が全くわからない。

「お、おお美味しいよ?!すっごく!」

「良かった」

安堵したような笑顔に負け、美咲は笑顔で返した。

二人はクレープを食べ、包み紙を折りたたんだ。

「じゃ、私は着替えようかしら。あと1時間くらいだし」

午後1時56分。

美咲は襟澤から紙袋を取り、更衣室に入った。

「じゃ、見張りよろしく」

「え?!ここで?!誰かに見られたら変態確定じゃん!」

襟澤の焦る様を見て、美咲は最高の笑顔で扉を閉めた。

その数分後、緊張感に押し潰されそうな襟澤はやっと言葉を出した。

「……あの、誰か来たら…」

「………あ、誰か来るかも」

?!

更衣室から呟かれた声で、襟澤の緊張は一気に頂上に上がりきった。

そして静かな廊下に上履きを擦る音が響いた。

角の先に上履きが見えた瞬間、更衣室のドアが開き、襟澤は中に一瞬で引きずり込まれた。

美咲は鍵を閉め直し、安堵のため息をついた。

アイボリーのタイル床にしりもちをついた彼の第一声。

「……あんた、何やってんの……」

「え?何?」

それもそのはず。

ベージュのサテン生地で美しいシルエットのロング丈ドレス、右肩の辺りから赤やオレンジの花のコサージュをつけ、本当なら綺麗な立ち姿に言葉を失うところである。

しかし、残念だったのは髪だった。

アルニカヘアになっており、手に持っているドライヤーを使ったのだろう、ぐしゃぐしゃになっていた。

ましてやブラシが鏡の前に置かれているが、使っていないらしい。

こいつは髪を整えたことがないのか。

「その髪で出んの?」

「ちゃんとやるって!すぐにでも!」

と言いながらドライヤーのスイッチをつけたが、手ぐしでどうにかしようとしていた。

「ちょっと待てぇぇぇっ!!!」

美咲が思わずドライヤーを止めた。

「あんた本当に馬鹿ですかそのブラシは何のためにあるんですかドライヤーに手ぐしとか火傷するでしょうがあと1時間ないのに本ッッッ当に何やってんのあんた!!!!」

美咲は急なマシンガン級の怒鳴り散らしぶりに石化した。

襟澤がドライヤーを奪い取り、ブラシを持ち、側にあったパイプ椅子の脚に足を引っ掛け、鏡の前に動かした。

「座って」

「……………え」

「さっさと座って」

美咲は恐る恐るパイプ椅子に座り、ぐしゃぐしゃの髪を鏡ごしに見つめた。

すると襟澤が後ろに立ち、ドライヤーのスイッチをオンにした。

ブラシを髪に通し、左側から元のサラサラなアルニカヘアに戻っていった。

少し頭を動かすと、ブラシの裏側で軽く頭を叩かれた。

「痛!」

「前髪」

彼は美咲の前に移動し、前髪を整えた。

目の前なものですから、自然と目が合った。

「ず、随分手慣れてるわね……」

「ドライヤーくらいかけたことあるでしょ。さて、まとめますかね」

後ろに戻り、ドライヤーを止めた。

紙袋から無香料のスプレーワックスを取り出した。

「……この前見た髪でいいか」

「どこで?!」

「如月が見てた雑誌」

襟澤が後れ毛を残すことなく髪を上げ、ゴムと一緒にバラバラと置いてあったヘアピンできっちりとまとめた。

結い上げた髪を前にスプレーを振った。

「目瞑って」

美咲が目を瞑ると、襟澤が素早くスプレーワックスをかけ、結んだ髪を軽くくしゃくしゃさせた。

「完成」

美咲が目を開けると、まるで自分ではないような髪型になっていた。

「アルニカの長い分はさらにくしゃくしゃしてカバーしといたから、まぁイケてるでしょう」

「……ありがとう」

美咲は鏡に釘付けになっていた。

「で、メイクは?」

「…………あ」

襟澤は遂に舌打ちし、紙袋からメイクポーチを出した。

「あんたガキか!いや最早ガキ以下だ!」

「酷い!」

「メイクくらいしろよ!女だろ!ヒロインだろ!全く………」

襟澤は美咲の前で膝をつき、ポーチを開けた。



午後2時35分。

美咲は申し訳無さそうに鏡を見た。

襟澤が『よし』と呟いた。

「ナチュラルベースにピンクで華やかに!」

「すごい!私の面影がない!」

「あるよ!何言ってんの!………と冗談はさておき、この後は何が起こるかわからない。だから危険を察知しろとは言わないが」

と言いかけたところで美咲が誇らしげに腕を組んだ。

「どんな音も聞き逃さない!私なら楽勝よ!」

ならいいんだけど。と言いたいところを堪え、襟澤は更衣室のドアを開けた。

「どうぞ、お姫様?」

「やめてよ。お姫様に見えるのは今だけよ」

美咲は更衣室を出て、襟澤もそれに続いた。





    *    *





午後2時42分。

美咲歩海は体育館の舞台袖にいた。

襟澤は客席の前列で待機し、何かあれば能力を使える範囲にいてくれている。

彼女の隣には綿貫と箕輪がいた。

「綺麗だねぇ、アルミン!」

「もう本番間近だな!あたしまで緊張してきちまったよ!」

箕輪は客席に戻ると言って本番の5分前になると袖を出て行った。

美咲は綿貫の緊張する様に自分の僅かな緊張が解けた。

「菜穂、客席から観ないの?」

「へ?!あぁ、あたしここにいるよ!…………いやなんかさ、友達がなんかに出るなんて初めての経験でさ、客席とは違う感じでいいなと思って。んで歩海を待つと!」

「いや、終わったら向こうに行くけどね」

と反対の袖を指差した。

綿貫がショックを受け、その様で美咲は笑顔になった。

緊張の欠片もない舞台袖で2時56分。

体育館の舞台に黒いグランドピアノがセッティングされた。

先生が調律を終え、舞台にはグランドピアノがスポットライトに照らされるだけだった。

綿貫が背中を押し、ガッツポーズをして見せた。

「行ってこーい!」

「行ってきます」

3時ちょうど。

美咲は眩しい舞台に上がり、ピアノの前で観客席を見た。

知っている顔も、知らない顔もあった。

体育館はびっしりと観客で埋まっていた。

胸が高鳴った。

心が躍った。

美咲は笑顔で一礼し、ピアノの前に座った。

拍手の大きささえ一つの音に感じた。

楽譜は無い。

必要ないのだ。

美咲の両手が白と黒のきっちり並んだ鍵盤に軽く置かれ、長い瞬きをした。

そして指を滑らせた。

「ドビュッシーのアラベスク………第一番ね」

客席で芦屋千代は呟いた。

流れるような優しい一曲目、美咲は丁寧に奏でた。

ひとつひとつの音を、丁寧に。

誰も喋ることはなかった。

息をのんだ。

美咲の頭の中ではアラベスクの連譜が流れ、それを思うままに弾いた。

それはまるで、オルゴールのように。

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