第三楽章-1:トラブルメーカー
午前10時52分。
黒髪、黒い瞳、学ランの、昨晩会ったばかりの、襟澤称が座っている。
一年B組の甘味喫茶の端の席に。
但し。
「何でノーパソ使ってるかな……」
何故かノートパソコンを開いている。
小さな声で箕輪が後押しし、綿貫の力強すぎる背中叩きに押し出され、美咲はテーブルの向かい側に座った。
「………よくここってわかったわね」
「自分で言ってたよ?甘味喫茶って………………ねぇ、そのぬいぐるみ何?」
美咲は自分の抱き抱えるウサギのぬいぐるみに気付き、射的シーンを思い出す。
「一発で仕止めたの」
「その怖い言い方やめようか」
ウサギの口から血が垂れて見えるようだ。
せっかく可愛いのだから。
取ったの。と言えば「あぁ、何かの景品ね」とわかる。
「で、こんな所で何見てるのよ?」
「んー、ここの電脳は完備が良くて助かった。そしてここは座って何か頼んでれば怪しまれない喫茶、この席からは全ての席が見渡せ、俺のパソコン画面は誰にも見られないよう後ろにすぐ壁がある。正に最高のポジションだね」
答えになっていない。
誰も席のことなんて聞いていない。
美咲がそんな表情をしていると、襟澤がパソコン画面を指差した。
何々?と彼女は画面を覗きに行くと、何十面もの校内の電脳画像が映し出されていた。
「何これ!」
「電脳は大体の一般人がログインで学園にリンクしてるから、全部のアイコンを視認できる。何か変な動きがあればすぐわかる」
「これ、犯罪?」
襟澤が数秒黙り込み、へへっと笑った。
犯罪ですよね。学園ネットワークをハッキングしているのですから。
よくもまぁ、白昼堂々こんなことできましたね。と言いたかったが、グッと堪えながら席に戻った。
「あとはあんた待ちかな。店番あるんじゃないの?」
確かに、母に連れられて休みを取ってしまい、ほとんどクラスにいなかった美咲は頷いた。
「キッチンに行かないとね」
「大丈夫。お茶美味いから何時間でも占い見てられる。今日はラッキーカラー緑なんだよね」
それで緑茶か。
と苦笑していると、店員に戻った箕輪がトレイを持ってきた。
「はい、イチャイチャカップル様!スペシャルメニューでーす!」
箕輪は抹茶のケーキを二人分置いた。
「箕輪?!いつの間に?!」
「アルミン!心配しなくてもお店は私達でちゃぁんとやるから、ゆっくりしてなよ!昨日大変だったしね。ってキッチン一同から伝言でーす!」
襟澤は思った。
イチャイチャカップル様に関してツッコミは無いのかと。
「箕輪、ありがとうって伝えて。後で片付けでまた言うけど。それから、誰がイチャイチャなんとやらですって?」
「えー?違うのー?だってこの方誕プレ渡してくれた人じゃない!」
襟澤が緑茶を吹き、美咲が箕輪を叩いた。
思い出してみると、襟澤は美咲の誕生日の朝に箕輪に紙袋を渡している。
『これ、男の人からアルミンに渡してって』
二人には面識があるのだ。
しかも誕生日プレゼントを渡しているとなれば、これはカップルだろうという考えにたどり着くのは容易い。
「いやっ!そのっ!えーと…………」
ちらと襟澤を見ると、こちらをじっと見つめている。
そして言った一言。
「………………友達から始めましょう」
「友達?!」
「友達かぁ!じゃあ発展するといいねぇ!アルミン!」
と言うだけ言って箕輪は他のテーブルに去っていき、美咲はさらに気まずくなった。
『昨晩といい今日といい、一体何があったの?』
美咲は自分にも出されたケーキを手前に寄せ、フォークを持った。
「これあんたの手作り?」
何故わかった!と聞き返そうとしたが、その前に襟澤が続けた。
「ケーキ見てる表情でわかるって。いただきます」
襟澤はケーキを食べ始め、頬袋いっぱいの抹茶ケーキを堪能した。
「ん、緑」
「あぁ、ラッキーカラーね」
「得意なの?ホントに美味い」
まるでハムスターのように頬袋をふくらます彼を見ながら、美咲は自分で作ったケーキを自分で食べた。
「甘ったるいの好きそうだと思ってたけど、控えめも食べれるのね」
「そーのーとーりー!」
全く聞き覚えのない男の声に美咲はピタリと停止し、声の主を見上げた。
黒髪、薄い黒縁の眼鏡、襟澤と同じ学ランの男が立っていた。
先ほどまでいなかったのに、ましてや気配すら感じられなかった。
襟澤がため息をつき、ケーキを完食してフォークを置いた。
「人のプライベート立ち聞きなんて悪趣味だとは思わないの?ハル」
美咲は誰か分からず、襟澤に視線を送った。
すると男性は美咲の肩に手を置き、笑顔で自己紹介した。
「はじめまして。僕は秋津悠、このオーバーハイスペック馬鹿の先輩です。襟澤、敬語使ってね」
「トラブルメーカーよりゃマシじゃない?あと、その人から離れてもらえる?」
襟澤が席を立ち、美咲から先輩の秋津を引き剥がした。
「はいはい、勝手に触らないで………ってオイ!」
「お名前は?お嬢さん」
「え、えっと、美咲といいます」
「あんたまで自己紹介しないの!」
襟澤がさらに二人を引き剥がし、美咲に懸命に説明した。
「あのね、この人見たら近付かないこと!危ないから!」
危ない?
「とりあえず赤い血は流れてない!人の嫌がりそうな事が大好きな冷酷非情の人でなしだから!」
「人聞き悪いな。ね、美咲さん!もしかして夏や」
襟澤が勢い良く秋津の顔面を叩いた。
「余計な事を、言わないでくれますかねこの大馬鹿が!!」
美咲が仰天していると、廊下から声がした。
その声に秋津が振り向き、少し焦ったように手を振った。
「まずい!」
彼が逃げようと一歩踏み出した瞬間、甘味喫茶に芦屋千代が駆け込んできた。
「このバカハル!!いい加減にしなさいよ?!」
「千代!!僕まだ何もしてないだろ!」
「存在が既に犯罪よ、私の親誑かして!人でなし!!」
美咲は目をまん丸にし、そのまま喫茶から逃亡劇を開始する二人を見ていた。
喫茶から秋津が逃げ、芦屋が客に深々と謝罪してから彼を追った。
「芦屋先輩、知り合いかな」
すると襟澤は嫌な笑みを浮かべた。
「……ふーん。ネタになるかな」
怖い人だな、と思いながら美咲はケーキを完食した。
「あの人が、あんたが心配しちゃった“あらゆるトラブルに巻き込まれる天才”だよ。オンラインゲーム事件も能力喰いも引っかかった」
「あ、そうなの?……心配して損したかも」
「能力は自分や身の回りのものの存在感を操作すること。誰にも気づかれずに俺達の前に来れたりとかな」
美咲は思い返した。
テーブルで気付かなかったのはそのせいか。
「ねぇ、襟澤。案内するわよ。回りましょう?」
「ここまでたどり着くのもド緊張だった人連れてくの?」
「人混み嫌い?」
「……人が」
「……」
襟澤が身振り手振りで慌てて説明しようとた。
しかしその手はすぐに落ち、悲しそうに言った。
「こう、あんまり人と話してこなかったというか。そもそも、好き好んで俺に近付く人にあまり会った事がない。昔は能力を上手く使えてなかったし。今もそうだし、死なせてからじゃ遅いし」
“空白”は何物も寄せ付けない空間。
その領域に入った物は消える。
目に見えない害を消滅させ、生物からは必要不可欠である空気を奪う。
「この能力さ、生き物でも消せるんだ。俺自身もまだわかってない部分があったりする。だから人とはあんまり……」
「…私は死なないわよ。その前にぶん殴ってあげるわ」
「その自信はどこから………」
「行きましょう!大丈夫よ、私がいるじゃない!」
美咲は手を差し出した。
「…………ありがとう」
襟澤は美咲の手を握り、安心したように口元を緩ませた。
二人は席を立ち、廊下に出た。
* *
午後1時31分。
芦屋は生徒会室の前で秋津を捕まえていた。
隣の立て看板には、お菓子の配布のお知らせと簡単なタイムスケジュールが載っていた。
「全く!何で来たのよ!」
「千代の親父さんが一緒においで、って言うから」
あの親父、と苦笑しながら芦屋は生徒会室に入った。
中には副会長の水無瀬しづると羽賀優奈が空のバスケットを片付けていた。
「あ、おかえり芦屋ちゃん!」
「お菓子なら配り終えたわ」
「大成功ですね、美咲さんも美味しかったと言ってました。あ、この人気にしないで下さい」
と秋津を置いたまま窓に駆け込んだ。
外の中庭では、生徒会長の花岡紗夜が能力でステージに上がっていた。
自らの周りに花びらを混ぜた水を舞わせ、注目の的となっていた。
羽賀は芦屋の隣で窓を眺めた。
「オルゴールに誉めてもらえるとかマジ嬉しいじゃん!」
芦屋は花岡のステージに見とれ、わぁ、と声を漏らした。
水無瀬が腕時計を見ながら言った。
「“水の妖精”。花びらで道を示し、水を自在に操るウィンディーネ。花柳の妖精の名は伊達ではないわね」
そして秋津に目をやり、微笑んだ。
「で、芦屋さんの幼なじみさんはどうしてここに?」
「もちろん、貴女に会いに」
「馬鹿!!」
素早く芦屋が言葉を遮り、秋津を殴った。
「秋津悠。公立花柳第二高校の二年生にして生徒会会計。能力はたしか……」
芦屋が水無瀬の代わりに答えた。
「存在操作。自分や物の存在感を操作できるんです」
「犯罪するにはうってつけさ」
「しなくてよろしい!」
秋津は口を尖らせ、窓に釘付けになっている芦屋の背を眺めた。
腕時計を見ていた水無瀬が、窓を見る二人にわざとらしく声をかけた。
「あら、そろそろ体育館に行かなくていいのかしら?美咲さん、演奏があるわよね」
そしてちらと秋津を見た。
秋津が口の端を少し上げて、軽い会釈をした。
「千代、案内してくれる?演奏聴きたいな」
「しょうがないなぁ。ほら、行くわよ」
芦屋は秋津の手をつかみ、二人にお辞儀をしてから生徒会室を後にした。
羽賀が水無瀬の隣の席に座った。
「ありり?オルゴールのステージって15時からだよね?」
「察しなさい。女性の嗜みよ」
羽賀は机に突っ伏し、水無瀬がパンフレットを開いた。
もうすぐ椿祭も終わる。
席を立ち、花岡に贈られる盛大な拍手を聞いた。
「私達も下に降りましょう。最後の文化祭なんですから、会長を連れて一回りしましょうか」
「さんせーい!!」
二人は生徒会室に鍵をかけ、電気を消した。