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アルニカ交響曲  作者: 結千るり
74/110

第二楽章−4:椿祭



ごめん。



朝早く、それだけが聞こえた。

午前6時10分。

美咲は開いたままのカーテンを睨んだ。

そして下を覗いた。

布団が畳んである。

何も書き置きはなかったが、きれいに畳まれた布団がありがとうと言っているように見えた。

特に普段の襟澤を知っているわけではないが、普段のクロの性格なら………、あのような意地悪も、するかもしれない。

美咲は布団を片付け、昨晩に触られた腰を撫でた。

背筋をうんと伸ばし、制服に着替えた。

「うん、考えるのやめよう」

カバンを持ち、寮を一番に出る。

エントランスに出ると、よく聞く声が彼女を呼び止めた。

「美咲さん!朝くらい食べなさい!」

食堂から出てきたのは芦屋だった。

制服の上に質素なエプロンをしている。

緑色の風呂敷を手渡され、美咲が中をちらと覗いた。

おにぎりが3つ入っていた。

「鮭よ!」

「ありがとうございます」

「朝練でしょ?いってらっしゃい!」

芦屋に見送られ、寮を出ると、木刀の入った袋を肩に掛けた綿貫が待ち構えていた。

芝生は避け、美咲に手を振った。

日差しに目を細め、軽く足を弾ませた。

「おはようございます!お嬢!」

「いつも遅刻と戦ってるのに」

「お嬢もそうじゃないすか………と、何か朝から堅苦しいんで、朝練行こーぜ!」

お前の朝練じゃないけどね、と美咲が突っ込んだが、綿貫にはとくに効かなかった。

箕輪は昨日が遅かったようで、まだ爆睡している。

学園に向かって歩きながら、本番で弾く曲の楽譜をパラパラと捲った。

「ねぇ、綿貫」

「あ?」

「……名前とかニックネームで呼ばれると、嬉しかったりする?」

綿貫が意外そうな表情を美咲に向け、何度も頷いた。

「そりゃ友達だからな!呼んでいいのか?」

美咲は照れくさそうに小さく頷いた。

「なんか、この名前も悪くないかなって」

「うんうん!せっかくかわいい名前なんだからさ!じゃー改めてよろしくな、歩海!」

「ょよろしく!な………」

「菜穂だよ!」

更に照れくさくなり、楽譜をカバンにしまった。

「じゃ、じゃあ、菜穂……よろしく」

綿貫が満面の笑みで返し、二人は学園に到着した。





    *     *





8時30分。

学園の正門が大きく開かれ、数の限られた招待券を持った一般人が中へと進んだ。

椿乃峰学園祭、“椿祭”が開催された。

委員会役員の生徒が整列し、深々とお辞儀する。

パンフレットを配布し、ご案内係の腕章をつけた生徒が背筋を伸ばして立つ。

放送がかかり、生徒会長の花岡紗夜が挨拶した。

【おはようございます。本日は、椿乃峰学園高等学校文化祭“椿祭”にお越し頂きまして、誠にありがとうございます。皆様、どうぞごゆっくり、お楽しみ下さいませ。】





       *     *





9時03分。

一年B組は大賑わいだった。

美咲は厨房に立ち、料理班とともに異常な数の甘味を盛り付けていった。

ある程度作っておいたものの、すぐになくなった。

箕輪と綿貫は数人の接客班とともにテーブルを急遽増やした。

大いに繁盛していた。

「むぅー、アルミン!予想以上だよお客様!」

「そうね………まさかこれほどとは」

これから昼ご飯の時間帯までと、三時のおやつの時間帯にピークが訪れると予想し、人員も増やしてはいたが、足りない。

8時30分から16時までの7時間半の勝負。

長いと思うかもしれないが、各クラスと部活、委員会に生徒会、パフォーマンスのできる能力者によるステージと沢山の催しがあり、全てを回るには十分な時間なのだ。

美咲は薄紅色に桜柄の小袖を着ており、明らかに厨房からは出る気がない服装だった。

接客班には秋色の着物で統一し、上履きの代わりにゴム底のついた下駄を履かせ、和風に徹した。

バタバタと働く甘味喫茶は開店から一時間経っても、未だに満席だ。

「菜穂、あと一時間で休み時間ね」

「歩海どうすんだよ?」

「ちょくちょく休むから」

美咲は髪を結びなおした。

その時、厨房と客席を仕切る出入り口から声がした。

「お、やってるやってる!歩海ー!」

その声には美咲と綿貫が同時に振り向いた。

菊柄の着物を着た母、美咲歩遊が顔を出していた。

「お母様!」

小声ではあるものの、その表情は輝いていた。

「繁盛してるじゃないか!」

「まぁね、着物チョイスも大成功。ありがとう」

箕輪が歩遊に気づき、メニューを持ってきた。

「いらっしゃいませ!美咲さんのお母様!何か頼まれますか?」

「いや、私はお茶貰えればいいさ」

すると綿貫が大きく首を振った。

「いいえ!とりあえず座って下さい!スペシャルがありますから!」

綿貫と箕輪に歩遊が座らされ、美咲が厨房からパタパタと何かを持ってきた。

テーブルに置かれたのは抹茶のシフォンケーキと紅茶だった。

ケーキは緑色のシフォンの上に生クリームを塗り、小豆を少し乗せたおしゃれなものだった。

「朝から一生懸命作ってましたよ?」

「言うな!」

「ちなみに知人向けスペシャルだそうで」

「言うなって!」

美咲は大慌てで綿貫を厨房へ、箕輪を他のテーブルへと押し出した。

背後で歩遊がクスクスと笑っているのが聞こえた。

「歩遊!……あ、お母様!」

「別に歩遊で構わんのに」

「でもお母様だから。ほら、ケーキ食べて」

歩遊は笑顔で合掌し、ケーキを食べた。

「そういえばよく一人で来れたね。ちょっと遠かったでしょ?」

「あぁ、それなら心配なし!廊下に二人待たせてるから」

「え?!入れたの?!」

入れました。

二人のお付きと正門を潜ったところ、先生が美咲組の組長だと気付いたようで、お付きもいないと不安でしょう、と中に入れてくれた。

「え、えぇー……………?」

歩遊はケーキを食べ終え、席を立った。

「さて、綿貫!娘を少し借りていくぞ」

「はい、どうぞ!」

「どうぞ?!」

歩遊が美咲の両手をつかみ、ニコニコと笑顔で教室を出た。

動揺する美咲に綿貫が手を振った。

「ぉぉおお母様?!」

「なぁに、小一時間借りるだけさ」

「せっかく休み時間空けといたのに!」

「それが今になっただけじゃないか!全く、歩莉によく似たもんだ」

歩遊が連れてきたのは、二年生のクラスの縁日だった。

まだまだ夏は終わってない!的な?とのこと。

「あれ取ってほしくって!」

歩遊が指差したのは、射的の景品のウサギのぬいぐるみとブタの貯金箱だった。

美咲は大層嫌な顔をした。

「あれ、普通に買えるよね?」

「美咲ちゃーん、うちの縁日なめないでよね!」

陽気な声で射的用の銃を渡してきたのは、芦屋のルームメイトである神宮亜里沙だった。

金髪をお団子に結い上げ、制服をビシッと着ていた。

「私たちでアレンジした景品なんだ!あの貯金箱はグリッターシールとストーンデコでキラッキラだよ!」

美咲は歩遊をもう一度見た後、神宮の銃を受け取った。

ちなみに椿祭は現金制で、売り上げはそのままクラスの物になる。

収支の赤字か黒字かは本日1日の売り上げで決まる。

黒字なら材料などの費用以外を山分け、赤字なら生徒たちの自費で支払うという現実的な社会勉強になる、というわけだ。

美咲は射的に200円を渡して、二発だけ銃弾を貰った。

「ちょい、200円で五発だよ?」

美咲は片手で銃を構え、狙いを定めた。

「二個取るなら二発で十分です」

パン!と二発の清々しい銃声に、教室内の全員が振り向いた。

ウサギのぬいぐるみとブタの貯金箱がコロリと台から落ちた。

数秒間、神宮すら言葉を失った。

静かな教室で、一人が拍手した。

「さすがね、美咲さん?」

「あ、芦屋先輩だ」

教室内に拍手が溢れ、神宮が景品を持ってきた。

「いっや、すごいもの見ちゃったわ!大事にしてよ~!」

「あ、ありがとうございます」

そして景品の入った袋を歩遊に渡すと、中からウサギのぬいぐるみを取り出し、美咲に返した。

「これはあんたにだよ」

「……ありがとう」

美咲はウサギのぬいぐるみを抱っこし、懸命に照れ隠ししていた。

「さて、そろそろ私は生徒会かな」

芦屋が言ったので、美咲は生徒会の催しを思い出した。

「たしか、お菓子売ってましたね。紅茶入りの洋菓子とか。あれ美味しかったです」

「ありがと。それじゃ、演奏見に行くからね!」

教室を出て行く芦屋にお辞儀し、美咲は歩遊と教室を後にした。





    *     *





午前10時34分。

美咲は歩遊と人混みの廊下を歩いていた。

美咲家の賑わいとはまた違った音の新鮮さ。

母と歩くことがあまりなかった彼女にとっては、本日は貴重だ。

しかし、店に戻らなければならない。

「そろそろ戻るだろ?」

「うん、時間あまり作れなくてごめん」

「ステージもあんだから、ちゃんと休んでベストで弾いてもらわなきゃ!」

歩遊は後をつけていたお付きの二人を呼び、美咲に手を振った。

目立つな、着物姿。と思う自分も着物姿なのでなんとも言えないまま、美咲は喫茶に戻ることにした。

「アルミィィィィィン!!!」

今日は忙しい。と思いつつ振り向くと、箕輪が着物のまま走ってきた。

美咲の前に到着するなり、両肩をつかむ。

「アルミンに、お客様だよ!」

続いて綿貫が走ってきた。

「ほら、事件かなんかで家に来た!」

美咲は直感で一番会うのが気まずい奴を想像した。

まずい。

しかし二人に連行された美咲は甘味喫茶をそっと覗いた。

午前10時52分。

奴が座っていた。

緑茶を飲んでいた。

黒髪、黒い瞳、学ランの、昨晩会ったばかりの、襟澤称が座っていた。

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