第二楽章-2:前夜祭
午前9時15分。
椿乃峰学園のとある教室にて、箕輪なぎさが拳を突き上げた。
「前夜祭だぁ!」
クラスメイト達もやる気満々だ。
美咲以外は。
深いため息を吐き、開いたカバンからちらと見える最後の招待券でさらにため息が深くなる。
その隣で綿貫菜穂が木刀を拭いている。
「どうしたんです?招待券がまだ残ってるとか?」
美咲は答えなかった。
綿貫が木刀を袋に入れた。
「……まさか」
言われなくてもわかった。
綿貫が美咲の肩に手を置いた。
「放課後行ってこいよ。着物の後片付けくらいできっから」
「ありがとう………じゃあ、始めましょうか」
店員係の着付けをし、お茶や和菓子を準備し、9時30分、前夜祭が始まった。
本日は客を呼ばずに生徒のみで祭を楽しむ。
ちなみに美咲の演奏は明日なので基本クラスにいることになった。
「次のお茶作って!餡蜜急いで!」
夏祭りや普段の美咲組という大家族の食事に慣れている美咲は、甘味喫茶キッチンの司令塔となっていた。
「寒天今のうちに水切って!」
意外と大好評の甘味喫茶はすぐに満員となった。
箕輪はテキパキと料理を出してくるキッチンを見て感激していた。
「アルミンスゴすぎ」
「箕輪、何突っ立ってんの。早くこれ持ってって!」
美咲の指示で箕輪はまたテキパキと動き出した。
「随分と繁盛してるじゃない」
美咲はその声で教室内のキッチンから出てきた。
芦屋と風紀委員の安西が立っていた。
「あ、いらっしゃいませ」
「美味しかったわよ。和菓子」
ありがとうございます、とお辞儀をした美咲の前にチャリン、と音を立てて鍵がぶら下がった。
「使うでしょ?音楽室。吹奏楽部が楽器置いてないから明日まで持ってていいわよ」
「明日の演奏、期待しておるぞ」
美咲は頬を赤らめ、鍵を受け取った。
「ありがとうございます!」
その後、美咲は綿貫と交代して明日の祭りの案内役になれるよう校内を回った。
そして午後2時。
一日目のメニューは完売し、甘味喫茶は終了した。
「アルミンおつかれ!一緒に回ってから帰らない?」
箕輪が着物をたたみながら聞いた。
「あ、今日は……」
「今日は美咲ダメだぜー、ちょっと用事があんだよ」
綿貫が代わりに言い訳し、箕輪が頬をふくらませる中、美咲は教室を出て行った。
* *
午後2時32分。
色鮮やかな枯れ葉がアスファルトを彩り、文化祭の準備で賑わう帰り道。
黒髪の青年は学校の正門の柱に寄っ掛かり、長い瞬きをした。
「何考えてたんだろうな」
青年、襟澤は一人歩き出した。
美咲がわざわざ現実世界で話したかった事がわからなかった。
能力喰いについてもアリシア・フリーデンについても電脳世界で十分な話題だ。
本当ならあまり関わらないようにしたいはずなのに、何故会いに来たのか。
もしかして。
襟澤は止まった。
ショッピング街の通りで。
その時電話が鳴った。
「あ、あの、もしもし」
声ですぐに美咲だとわかった。
「もしかして、本当に好きになっちゃった?」
「何の話かしら?」
電話の向こう側で美咲が首を傾げているのが見えるようだった。
「いやいや?あんたがいつになったら名前で呼んでくれんのかなぁって」
「襟澤じゃダメなの?」
「そこは可愛らしく“称クン”で」
「うわ、気持ち悪い!自分のことクン付けって……あ、その、実は話が」
襟澤がケラケラと笑った瞬間、自分とよく似た声がした。
「へぇ、まだ律儀に約束守ってんだな。称クン」
襟澤は咄嗟に振り向こうとしたが、素早く口を塞がれた。
路地裏の陰に引きずり込まれ、空白を発動させた。
すると口を塞いでいた手が首もとに伸び、空白が一瞬で無くなってしまった。
「ッ!!」
「首弱いのも昔のままだね」
手を振り解き、声の主から離れた。
襟澤要だった。
美咲との電話を切り、思わず声を放った。
「………要!」
「椿乃峰の祭、行かないの?」
要がいきなり切り出した。
「美咲歩海が通ってるだろ?明日文化祭なんだよね。美しき花園で清らかに蝶が舞う」
「え?何?ポエム?」
襟澤称は文化祭ワードが意外すぎたせいか、肩の力が抜けた。
要は不気味な笑みで続けた。
「但し、清らかな花園の中に一頭だけ、黒い蝶が紛れている」
称はその意味を一瞬で理解した。
「黒い蝶は美しき蝶の姫を殺す。なぁんて」
暗がりの中、要が称の肩を軽く叩いた。
手を払いのけた瞬間、要の姿はどこにもなかった。
長いため息を吐きながらその場に座り、どうしようかと呟いた。
「黒い蝶……」
* *
午後8時46分。
美咲はグルグルと頭を回転させていた。
一日を無駄に使い、招待券を渡し損ねた。
もうチャンスがない。
考えてみれば、招待券なんて迷惑なのでは?
いらないのでは?
きっとここまでチャンスが無いのは、むしろ渡すなということなのでは?
と一人で風呂上がりの濡れた髪をタオルで拭いていた。
「そ、そうよ、別に渡さなくっても!」
コンコン
何故か窓がノックされ、大きな窓のカーテンを開けた。
暗い部屋に月の光が差し込み、美咲は窓の外を見て小さな悲鳴をあげた。
黒いジャージ姿の襟澤が浮いていたからだ。
振っている両手の半分がジャージの袖に隠れ、指しか見えない。
彼の空白があれば、宙に浮くなど造作もないだろうが、美咲にとってみれば天変地異だ。
窓を開け、桟に手をかけた。
「何してるの?!」
「いや、ちょっとお姫様に聞きたいことがあって………あー、正義のヒロインさん?そのアングルはちょっと………」
襟澤は両手で顔を覆い、美咲は自分のなりを見て赤面した。
現在、彼女は風呂上がりである。
春に芦屋からもらったピンクのワンピースをパジャマ変わりに着ており、これから寝るはずだったのだから、もちろんブラジャーもつけていない。
翌日の朝つけるものだと習慣付いている。
そして襟澤は美咲より少し上の位置におり、ちょうどよく胸元が………
「死ねエロ猫が!!」
「ふぎゃ!」
美咲が顔面にパンチし、襟澤がふよふよと後退した。
「待った待った!窓閉めない!良からぬ事考えるならもっとうまく忍び込むって!今日は聞きたいことがあって!」
美咲が白いローブを羽織り、襟澤がその間に靴を脱ぎ、部屋に入った。
「ちょっと!勝手に入らないの!…………あ、私も話が」
「…あのさ」
襟澤はいきなり切り出した。
「明日、どうやったらあんたの学校忍び込めるかな?」
美咲は唖然として、その場に立ち尽くすしかなかった。