第二楽章‐1:芦屋千代の大作戦4
午後5時43分。
二人はあるレストランで窓側の席に着いていた。
「覚えてる?外で大騒ぎになってあんた出てったでしょ?」
「あぁ、あの黄緑頭くん騒動の日ね。たしか露木さんに会ったのも、その日だったわ」
美咲が秋元珠理のことを思い出し、視線を落とした。
「…………あ、そういえば霧島さ……能力喰い(アビリティイーター)の件なんだけど」
「あー、霧島さんでいいよ。呼びやすいんでしょ?」
制服をピシッと着たウェイトレスが、静かに水を二杯テーブルに置いた。
襟澤がメニューを手に取り、美咲もメニューを取った。
「じゃあ、霧島さんなんだけど……能力喰いの効果を書き換えたから同じ事件は多分起こらないわ。それと………」
美咲が言い辛そうにしていると、メニューを置いた襟澤がハンバーググリルのセットを指差した。
「副作用?」
「そんなところ。………記憶が無くなったの」
彼は呼び鈴を鳴らし、同じものを二人分頼んだ。
美咲は慌てて頼まれてしまったセットを見て、そこまで重くなさそうなことに安堵した。
「で?また自分の所為だって背負いこんでるわけ?」
「な!何その“何でもわかってます”みたいなの!山吹病院の管理人まで亡くなって…」
襟澤は大きく目を開き、フムフムと呟きながら頬杖をついた。
管理人と言えばアリシア・フリーデンのことである。
「どうせ自殺とかだろ?殺されてんのに」
鋭い。
「で?ニュースにも出ないような事件を何であんたが知ってんの?」
さらに鋭い。
襟澤がテーブルに頬をビタッと押し付け、欠伸をした。
「………何があったの?」
「……その…えっと…まぁ、色々と…」
美咲は話し始めた。
朝にアリシアの後任の男が自分を訪ねてきたこと。
霧島に会った後にアリシアの死を知ったこと。
しかし、遺書については言わなかった。
あれは美咲に宛てたもので、口外もしてはならないと書かれていた。
「彼女、霧島さんの新しい能力プログラムをくれて、多分それで………」
するとウェイトレスがハンバーググリルのセットを二つ、テーブルに置いた。
襟澤はナイフとフォークを持ちながら、何度か頷いた。
「で、その人どうなるの?」
美咲はハンバーグを切りながら聞いた。
「……アメリカに。金崎さんとしてね」
「成程。能力を書き換えても基本構造は変わらないから、恐らく制御するためにリハビリするんでしょ」
人の能力を奪う。
この能力自体は変えられない。
霧島佳乃はこれに向き合い、理解し、自分で再暴発を防いで生きなければならない。
「そういえばもう明後日じゃん。“オール”」
「そうね。作戦でも考える?」
二人はその後、作戦会議と祭りの思い出話に花を咲かせ、門限に間に合うよう帰宅した。
* *
翌日。
午後2時52分。
芦屋千代は職員室前の廊下にいた。
椿祭での各クラスの企画をまとめた資料を両手に抱え、足を止めた。
ピアノの美しい音色が聞こえた。
音楽室だった。誰だか、すぐにわかった。
「………メンデルスゾーン、春の歌……」
芦屋はゆっくりと音楽室に向かっていた。
彼女は今、美咲について悩んでいた。
もしかしたら、美咲歩海は…………。
そんなわけない、と思う自分と正体への好奇心を思う自分がいた。
そして音に近づいた。
友達との話し声が聞こえ、芦屋はドアの影に隠れた。
「この曲は?」
「メンデルスゾーン作、春の歌。フェリックスが作ったと言われているけど、本当は姉のファニーが作ったの。無言歌集では有名な曲よ」
「へぇー、よく知ってんな!じゃ、これ決定な!」
でもこれは秋には相応しくない、などと弾きながらの論争が繰り広げられていた。
ピアノの音色は優しく、流れるようなメロディが学園を包み込んだ。
芦屋はスカートのポケットから青いオルゴールを取り出した。
曲目はノクターン。
春の時空領域事件でアルニカが落としていったものだ。
正体を知りたい。
桜色の少女。
誰もが彼女を見て笑顔になる。
あなたは
あなたは………
「あなたは………何者なの………?」
オルゴールを握りしめた。
* *
午後5時45分。
「はぁ~、なんか頭痛いわ」
「いっそかち割ってみてはどうじゃ」
芦屋の背後で呟いたのは、白い肌以外は全て黒という変わった私服のクラスメイト、安西潔子だった。
風紀委員会に所属し、芦屋とは親友として長い付き合いである。
「何を悩んでおる。アルニカか?」
「そうよ!何も聞かないでよね」
「聞く気も無いがな」
「それはそれで酷いわね」
二人は食堂の厨房に立ち、他の寮生の数人と晩御飯の支度を始めた。
メニューは曜日で決まっており、二週間もすればその献立に慣れてくるようで、全員仕事は早かった。
当番でなかった寮生たちは皆、しっかり合掌してから夕飯を楽しみ、また違う当番が食器を洗うのだ。
三年生などはもう慣れていたが、一年生は寮長篠原ことはの能力を理解できていなかった。
美咲はその内容を芦屋から聞いていた。
午後6時51分。
芦屋は門限ギリギリで帰ってきた美咲と、ホールで立ち話をしていた。
部屋に戻る寮生たちで辺りは騒がしかった。
「では寮長はタイムマシン的な能力だと……」
「そうなるわ。『あ、ここ行ってみたい』って鮮明に思い浮かべると、時々フッと消えちゃうの。過去でも未来でも」
「難儀ですね。無事に帰って来られるのが不思議です」
「あ、でも昨年は一度迷彩服とマシンガンで帰ってきたことが………」
「マシンガン?!」
芦屋は笑って話していたが、実はとても緊張していた。
迷っていた。
あのオルゴールを見せ、反応を見るか否か。
反応があれば、その疑いは確信に変わる。
その時、誰かが芦屋の背にぶつかった。
ゴトッと音がし、ぶつかった寮生が芦屋に謝った。
しかし、芦屋はそれどころではなかった。
芦屋と美咲の間には青いオルゴールが落ちていた。
しまったァァァァッ!と背後に落雷。
美咲は小さな首を傾げ、オルゴールを拾った。
「落ちましたけど?」
「あ!ぁああありがとう!」
美咲は表情一つ変えずにオルゴールを渡した。
芦屋は頭が混乱し、顔を真っ赤にした。
聞くチャンスが!
「きれいなオルゴールですね。落ちた時音がしました」
「よ、よく聞こえたわね……………って、あなたの能力なら当たり前か。美咲さんはこういうもの持ってるの?」
この人混みの中でも小さな音が聞こえる。それは美咲の能力“音波”ならではのことである。
「今部屋にありますけど、母の形見が。小さい小箱になってるんです」
「そっか。大切にしてるのね」
その場はうまく話をまとめ、芦屋は自分の部屋で落ち込んでいた。
ルートメイトの神宮愛里沙が向かいのベッドに潜り込み、ファッション雑誌を読んでいた。
「どうしたのさ、ちー。」
「いいの……いいのよ……でもこれで美咲さんは白…………そうよ!私ったら何を考えていたのかしら!」
神宮は何が何やら分からず、雑誌に視線を戻した。
その日、芦屋は安心したのか、早く就寝した。
早寝の安西と同じくらい早く。
* *
午後7時29分。
美咲は急いで電話をかけていた。
相手はクロこと襟澤称だった。
「もしもし?こんな時………」
「ぉぉオルゴールが!!」
襟澤は頭上にたくさんのクエスチョンマークを浮かばせながら、美咲に返答した。
「あの…………もうちょい落ち着いたら?」
「お、オルゴールが、生徒会の手に………!わ、私の、…………………うわーん………」
「え?!ちょっと!泣いてないよな?まさかな?おーい」
実際、美咲は涙こそ流れていないが、泣きそうなくらい困惑していた。
襟澤が何とか状況を掴もうと、美咲を呼んだ。
「で、オルゴールが何?」
「………生徒会が持ってる。しかも先輩。でアルニカ取っ捕まえようとしてる」
襟澤の驚きが目に見えた。
オルゴールの持ち主を知られれば、恐らくイコールアルニカだ。
美咲はよくそのオルゴールを覚えていた。
時空領域事件の公園で使用した後、無くしてしまったからだった。
「なんてこと……」
「………でもさ、あんたがドジ踏まなけりゃいんじゃない?」
「自信ない」
エエッ?!
「とりあえず忘れちまえ!気付いた時『あ、これ私の』とか言ってないでしょ?」
美咲は短く答えたが、それ以上に何度も頷いていた。
「………あ、そうだ。あの……………今度ね……………」
美咲が勇気を振り絞った瞬間、ノックの音が響いた。
「アルミーン?まだ起きてるー?」
クラスメイトの箕輪だった。
美咲はあわてて襟澤に別れを告げた。
「ごめんなさい、とりあえずあまり気にしないようにする!その…………ありがとう」
「ん。じゃあね」
美咲は携帯電話を閉じ、扉を開けた。
クラスの甘味喫茶の企画書を持った箕輪が立っていた。
他のクラスメイトの寮生もいた。
相談があるようだ。
全員が箕輪の部屋に集まり、椿祭の話で盛り上がった。
美咲は控えめに笑いながら、その賑わいの空間を楽しんだ。
そして話し疲れたのか、集まっていた全員が箕輪の部屋で就寝し、朝もギリギリの時刻に目覚めた。
* *
午後11時20分。
クロはアルニカと一緒ではなかった。
彼女は恐らく椿祭の準備で忙しくしているはずだ。
疲れているだろう。
ならば代わりにウイルス退治くらいしよう。
埃に似たウイルスを全員空白で消す。
退屈だ。
「…ああいう奴、嫌いなんだよね。『これは俺の問題だから気にすんな』的な?入ってきてほしくないならさっさと片付けるかずっと隠し通せばいい」
『キミは後者』
脳内に響いた声に目を細めた。
『あぁ、そうか。キミに似てる』
「似てない」
『だから嫌いなんだ』
クロは脚を止めた。
その声の主は誰にも見えない。
『キミだって隠してるじゃない』
クロは堪えきれずログアウトした。
しかし見えない声は一言だけ呟いた。
『真実を』