第一楽章‐4:鼻歌
翌日、午後5時5分。
音楽室からは意気揚々としたピアノの音色が聞こえてきた。
美咲は鼻歌まじりに練習していた。
少女マンガを読みながら綿貫が聞いた。
「なんか楽しそうじゃん」
「うん。お母様に招待券渡した」
綿貫は少女マンガを閉じ、立ち上がった。
その目はキラキラしていた。
「マジか!おめでとう!よくやった!」
これで残るミッションはあと一つ。
これが一番難しい。
美咲は演奏を止め、鞄を持った。
綿貫も鞄を持った。
「どこ行くんだよ?」
「私、今日は一人で帰るわ。ちょっと用事あるから」
美咲はさっさと音楽室を後にした。
* *
午後5時21分。
花柳第二高校、とあるクラスの窓際。
金髪の男子生徒が目をキラキラと輝かせて言った。
「行こうぜ、プリクラ!!!」
「おーっ!」
金髪に続いて、数人の男子生徒が拳を突き上げた。
少し長めの黒髪、黒い瞳の男子生徒を除いて。
彼は席に着いてチョコレート味のシリアルバーを食べていた。
金髪が彼の肩をつかみ、ぐらぐらと揺らした。
「襟澤ー!行こうぜ、プリクラ!」
「馬鹿かあんたら、写真撮れ。写真。そんなもんに400円を支払う必要性をこれっぽっちも感じない」
襟澤称はクラスメートの誘いをきっぱりと断った。
退屈だ。
「丸々払えなんて言ってねーじゃん!」
「文化祭の準備でもしたら?高校生の仕事の一環なんだから。プリクラという名のドブに400円投げ込むくらいならその金で備品買ってきてやんなよ」
「そいえばお前何やんの?」
襟澤は下唇に人差し指を当て、少し考えてから。
「石の役」
「いや、それはベニヤ板に任せよーぜ」
すると後ろから女子が一人、話に入ってきた。
「やーん、エリザベスは王子様ー♪カッコいいからー」
如月まりあ。
少し前に美咲も会っている。
しかし、襟澤はため息で返答した。
周りが膨れっ面で襟澤を見た。
「やっだ、ため息吐いちゃってるよ」
「文化祭くらいこう…………なぁ?ちっと積極的にさぁ」
「あんたらがね…………………あ」
襟澤は口にくわえていたシリアルバーを机に落とした。
周りが眉を寄せ、首をひねた。
彼は窓の外に視線を向けていた。
「…………帰る」
するとすぐに荷物をまとめ、教室から出ていった。
その後、皆が窓の外を見たが、特に襟澤の気を惹くものはなかった。
しかし廊下を歩いていく彼は、珍しく鼻歌まじりだった。
本当に、退屈しない。
* *
午後5時21分。
美咲は花柳第二高校の正門に寄り掛かっていた。
お嬢様学園の、しかも噂名高い音姫が、正門に寄っ掛かっていた。
下校中の全員が二度見して通りすぎる。
そんな視線も無くなる頃、その声は後ろから聞こえた。
「俺が恋しくなっちゃった?」
美咲が振り向くと、上機嫌な襟澤が歩いてきていた。
「それだけは無いわ」
キッパリと否定したものの、わざわざこんな所まで来ている時点で、全く信憑性はない。
「じゃ……………チョコバー食べる?」
「いらない。ちょっと散歩でも………」
「デート?」
「違うわよ!」
美咲が帰ろうと歩き始め、襟澤はその後をついていった。
「みーさーきー、あーるー」
「やかましい!名前は呼ばないで!あまり好きじゃないから」
「アルミホイル?」
美咲は思いっきり襟澤の足を踏んづけた。
襟澤が屈み込んで、悲痛かつ短い叫び声をあげた。
「とにかく呼ばないで!」
「せっかくかわいい名前なのに」
美咲は咄嗟に襟澤に背を向けた。
その頬は、真っ赤に染まっていた。
「で?野暮でわざわざ俺に会いに来ないよね?何かあったの?」
「いや、それは………その…………」
襟澤が首をひねた。
立ち上がり、美咲の顔を覗いた。
「あ、オール?」
美咲がハッとした。
まずは話しやすい話題から!
「そっ………そそそ」
「理由は別にあるんだな」
襟澤は美咲の隣で鞄を背負い直した。
一方、美咲は緊張で周りの音が聞こえないくらいだった。
鞄の中には最後の招待券。
一番の難関とは彼のことである。
「あの………」
「そういや、もうすぐ文化祭だな」
美咲は肩を震わせた。
何の悪びれも無く、彼はペラペラと語る。
「俺のクラス劇やるらしくてさ、石の役とかやりたいつったら駄目っていわれたんだ」
「当たり前でしょ。幼稚園の演劇会じゃないのよ」
「めんどくさいなぁ。挙げ句の果てに体育祭。あんたは?文化祭は?」
美咲はもう死にそうなほど緊張していた。
「べべ、別に?!甘味喫茶とか………大したことじゃないわ!」
ここで招待券を渡せば良いものを、美咲はそれどころか話題を変えた。
「ぁ暑いし、お茶しましょうか」
「遅いから飯でもいんじゃない?それともやっぱ寮食?」
「ご飯でもいいわ。ただしワンコインで」
お嬢様としてはアウトだが、普通の高校生の意見だった。
しかし、襟澤がおもむろに財布の中身を確認した。
「いや、外の晩飯をワンコインは厳しいだろ。奢るから付き合ってよ」
「奢るのは無し!」
と言いつつ、美咲の所持金、本当に金色のワンコイン。
「お嬢様でしょ?」と問いかけたくなるくらいの所持金である。
「う…………」
「ほら、行くよ」
「ちょっと!」
襟澤が美咲の手を握り、足早に歩き出した。
途中で美咲は握られた手を払い、襟澤の半歩後ろを歩いた。
さて、美咲歩海は招待券を渡す事ができるのだろうか。