序曲:喧嘩禁止の少女
突然ではあるが、夏が終わった。
紅葉や銀杏の葉が地面から空までを彩り、急に寒くもなってきた。
ネットワーク管理都市である花柳が誇るお嬢様学園ではあるイベントに花を咲かせていた。
高い鉄の門の内側、そこは純潔なる少女達の花園。
のはず。
「文化祭だァァァッ!!」
一年B組で箕輪なぎさが両手を挙げ、歓喜の声を張り上げた。
隣で美咲歩海が少女マンガを熟読し、その隣で綿貫菜穂が机に突っ伏していた。
箕輪が黒いふわっとした髪とカチューシャについた花を揺らして二人を叱った。
「ほらほら!ちゃんとやらないと!」
「私もう着付け教えたから」
美咲が即答。
濃い桃色の髪を少しずつ二つに結い上げ、青いリボンをしていた。
隣の綿貫は長い金髪をだらりと垂らし、一切返事をしなかった。
箕輪が首をかしげた。
「菜穂ちゃん?」
「追試がやっと全部終わったんだって。次は教えないとこいつ退学が近いよ」
「………あちゃー」
すると綿貫が顔を上げた。
「あちゃーって何だよ!あちゃーって!もうテスト恐怖症だよ!」
綿貫がカバンから点数一桁の回答用紙を取り出し、紙飛行機にして飛ばした。
実際、よく飛んだ。
美咲と箕輪は思った。
綿貫の点数もあんな風に点数が飛んで伸びればいいのに。
そして箕輪が「あ」と言った。
続いて綿貫が「げ」と青ざめた。
紙飛行機は紫色の髪の女生徒の額に見事に命中した。
さほど強くもなかったが、当ててしまった人物が悪かった。
彼女は紙飛行機を拾った。
美咲はもう少女マンガに視線を戻していたので二人の言葉に首を傾げた。
「あぶら………?」
「違うわよ、美咲さん?」
美咲がやっと目を向けると、そこにはどこか黒い雰囲気を醸し出す笑みを浮かべた生徒会書記、芦屋千代が立っていた。
しかし、美咲はマンガに視線を戻した。
「無視か!挨拶はないのか!」
「ああ……………おはようございます」
「遅いわ!!」
芦屋が美咲の座る席の前に立つ。
「今日からあなた、“喧嘩禁止令”ね」
「はぁ?」
美咲がさすがにマンガを閉じた。
芦屋が腕を組み、鼻を鳴らした。
* *
美咲が在学する椿乃峰学園女子の“椿祭”は花柳でも有名な祭である。
その理由は一般公開日にある。
全ての生徒が“女性としての振る舞い、おもてなし”を学ぶための公開日であるために、文化祭というよりは礼儀正しいテーマパークにでも行くような祭だという。
全ての店の内容、食品を扱う場合はアレルギーや味、物販の場合は品物、アトラクションの場合はその説明を把握しており、いつでも誰でも説明できるという。
全員が制服を正しく着こなし、深々とお辞儀してお客様をお迎えする。
その門を潜れるのは生徒から直々にもらい受けた招待券を持つ者のみ。
そして祭にふさわしい格好の者しか入れない。
髪を染めたり、だらしない格好の者は全て門前払い。
それが神聖なる子女達の秘密の祭、“椿祭”である。
「で?あんたがその神聖なる子女なわけ」
「まぁね」
午後11時07分。
夜の電脳世界。
ネットワーク管理都市花柳は電脳世界との二重世界である。
その暗がりで金色の瞳をした黒猫がため息をついた。
その隣で桜色の髪をした少女がぺたりと座っていた。
水色のリボンを首と腰に巻いた、かわいらしい少女だった。
彼女の名はアルニカ。
世間を騒がせる正義のヒロインである。
黒猫の名はクロ。
アルニカのパートナーである。
クロはアルニカを見ながら懸命に笑いをこらえていた。
「ちょっと………ごめん!本当に………」
「何、似ても似付きませんって?」
クロがついにゲラゲラと笑った。
「だってそう見え………」
また笑った。
アルニカの眉間にシワがいくつも寄った。
そして大笑いする黒猫を踏んづけた。
「ギャッ!」
「ごめんなさい、足が滑ったわ」
アルニカが偉そうに鼻を鳴らす。
「そういえば、何か事件とかはあった?」
「実はあるよ。ちょっと危険なエリアがあって」
「危険なエリア?」
「なんでも、午前0時から30分間だけ開く、所謂“サバゲーエリア”ってところかな」
アルニカが首を傾げたので、クロは更に簡単に説明した。
「サバイバルゲーム。ペイント弾を使ってチームで戦うわけ。銃も自分で選んで持参する」
「なんて野蛮なエリアなの!」
「日中、売られた喧嘩を残らず買って全戦全勝する喧嘩姫は野蛮とは言わないの?」
「あ、それ文化祭あるから禁止になったの。残念ながら」
するとクロは安堵の表情。
「ビバ文化祭じゃん。いつも危なっかしいからたまには普通の女子高生としての道を歩めば?」
「余計なお世話よ!とにかく、明日にでも行ってみましょう?その野蛮なエリア」
* *
美咲歩海は、悩んでいた。
机の上には招待券が三枚。
これを親や大切な人に渡すらしい。
綿貫が隣であくびをした。
「………」
「誰に渡すんです?その招待券」
「………」
「あ、ほら、彼氏に渡せばいいんじゃねすか?」
「………」
美咲は喋らなかった。
この招待券にはたくさんの大問題があった。
まず、母親に渡すという大イベント。
次に、クロこと襟澤称にこれを渡すかというアクシデント。
そう迷っている間にクラスの女子達は、小型テレビに釘付けになっていた。
美咲が小さな声で綿貫に聞いた。
「何あれ」
「ん?今話題のシンガーソングライターで、CYANですよ!」
「知らない」
人混みの隙間からちらと見えた画面の向こう。
青と灰色を混ぜたような髪のポニーテールの女性が見えた。
彼女専用に作られたようなポップな絵柄のエレキギター、まるで制服を改造したような衣装にロングブーツ。
瞳をキラキラと輝かせる彼女にみんな釘付けだったのだ。
しかし、美咲はそれに一切寄り付くことはなかった。
「………悲しい歌」
「?これラブソングだぜ?悲恋歌じゃないし」
「ええ、でも…」
美咲はそれ以上言うのをやめた。
夕方、美咲は一人で帰っていた。
橙色に染まる頬をひやりとした風が撫でた。
公園の葉は鮮やかに色づき、路を彩る。
「………喧嘩禁止令ねぇ」
文化祭を前に、トラブルを起こされては困るということだろう。
しかし美咲は思った。
喧嘩を進んでしているわけではなく、売られた喧嘩を買っているだけなのだ。
最近は鼓膜に影響しない程度に手加減することも覚え、病院には搬送させていない。
それだけでも大いに進歩しているはずだ。
「あれ、お前喧嘩売りじゃね?」
これまたマズイことに、ガラの悪い男子に声をかけられた。
喧嘩禁止令。
これはマズイ。
逃げるしかない!と美咲は音速でその場から消えた。
何故か寮ではなく、桜通りの人混みに着いた。
一度は応力発散による爆発で崩壊しかけたが、今は以前の騒がしさを取り戻している。
ビルの壁面にある大型テレビには、昼に話題になった女性が可愛らしく歌っている。
美咲はまた歌に悲しみを感じた。
歌詞やメロディが悲しいのではない。
人混みを抜け、広場のベンチに座った。
「んー」
歌でもなく。
ただ。悲しい音に聞こえた。