第四楽章‐2:翌朝
午前5時12分。
美咲は我が家の温かい布団の中で、ゆっくりと目を覚ました。
昨日はお祭りで、能力喰いを止めて、襟澤要に会って………。
寮に戻らなければ。
上体を起こし、目をこすった。
「………帰ろ」
「ん、そうな。篠原さん心配してたぞ?」
「ぎゃっ!」
美咲は飛び起きた。
出入口の辺りに美咲歩遊が胡座をかいていたからだ。
着物で胡座とは、なんともはしたない格好である。
「お母さん!篠原って……寮に電話したの?」
「いや、電話がきた」
「そっか」
美咲はゆったりした寝間着用の着物を脱ぎ、きれいにたたまれた制服に手を伸ばした。
「人前で着替えるなって何度言えば………」
「お母さんだから別に。あ、そうだ。売り上げどうだった?」
歩遊が急に笑顔で話し出した。
とても好調だったようで、今日も楽しみだと語った。
青く清楚なセーラー服に着替えた美咲は、スカートの丈を膝上3センチあたりに合わせた。
「歩遊」
「ん?なんだ?呼び捨てなんてここに来た時以来だぞ」
美咲が歩遊の前に正座した。
「あ、あの……その……………」
歩遊は何も言わずに娘の言葉を待った。
その顔立ちはとても若々しく、二十代ほどに見える。
美咲はしっかりと前を向いた。
「………歩遊、カラアゲが食べたい」
「…………」
「……カラアゲが食べたい」
「………わかった。すぐ作る」
後、美咲は母とカラアゲ定食(風になった食卓)を囲み、美味しく完食した。
片栗粉が多めだからか、カラアゲには白い塊がところどころについており、それがまた美味しかったりするようだ。
美咲はふわふわの黄色いカラビナポーチをスカートに引っかけ、玄関で革靴を履いた。
歩遊が後ろから桜色の風呂敷を持って駆けてきた。
「昼飯持っていきな!おにぎりにしといたから」
「ありがとう。じゃあ……」
美咲は風呂敷を受け取り、引き戸を開け、中に眩しい朝の光を入れ込んだ。
娘は振り向き、微笑んだ。
「いってきます、お母様」
「……おう!いってらっしゃい!」
こうして美咲は家を出て、大きな木の門を蹴り開けた。
すると目の前に見知らぬ男が立っていた。
見慣れぬ長い銀髪を一つに結わえた燕尾服の男だった。
美咲が顔を見る前に、男は頭を深々と垂れていた。
「お待ちしておりました。美咲歩海様」
こんな出迎えは初めてだった。
午前6時26分。
暑い朝日を浴びながら、美咲組本家で異様な朝が始まった。
* *
午前6時30分。
襟澤称は我が家のソファーで目を覚ました。
だらりとした真っ黒の半袖からは腹が丸見えだった。
目は開けたが、動かなかった。
仰向けで、天井をボーッと見つめていた。
ただし、寝起きなので睨み付けているようにしか見えない。
色々とあった。
衝撃的だった。
「…………要……」
襟澤は起き上がり、ソファーから足だけ下ろした。
急に悲しくなった。
嬉しかったはずなのに。
死んだものと思っていた兄弟が生きていた。
しかし自分が知っていた彼は面影もなく、殺意まで向けられた。
困惑していた。
何かを諦めたような目がゆっくりと瞬きをし、襟澤は自分の部屋に向かった。
美咲が風邪でベッドを使ってから掃除もしていない。
急な来客は自分の汚い部屋には困るものだ。
ドアノブに手をかけ、少し止まった。
「………服とかないよな…………」
自分のではなく、美咲の着ていた服である。
実は、美咲のびしょ濡れだった服は、クラスメイトの如月まりあを呼んで着替えさせた。
妙な所で借りを作ってしまった。
顔を赤らめた後、首を振った。
部屋を開けた。
しかし彼は中に入らず、扉を閉めた。
もう一度部屋を見た。
きれいに片付いていたのだ。
床に散らばっていた漫画は棚へ、パソコン関係は全て机の上にあった。
その机もきれいに片付けられ、彼にとってはまるで自分の部屋ではないように見えた。
制服はハンガーに掛けられ、脱ぎ捨てた服は整ったベッドの上にたたんであった。
誰がやったかはすぐにわかった。
直ぐ様クローゼットを開け、安堵した。
机の上に紙が置いてあった。
〔大変お世話になりました。ありがとうございました。って着替えさせてくれた人に言っといて〕
きれいな字だった。
「俺には言わないの」
そして少し下に。
〔あと〕
シャーペンでカツカツと紙を大量にノックした跡。
相当悩んだようだ。
黒くなりすぎて小宇宙ができていた。
そしてその下に。
〔ありがとう、えり沢。〕
襟澤が含み笑いをし、すぐに吹き出した。
「名前の字が何一つとして合ってない…………こりゃ面白いや!永久保存版にして………」
襟澤は紙の裏を見て真っ青になった。
数学の問題プリントだった。
上には夏休みプリント、右下には“17”とページ数。
後、悲鳴。
「あッのバカ野郎がぁぁァァァッッ!!!!」
* *
午前6時48分。
椿乃峰学園女子寮では穏やかな朝を迎えていた。はずだった。
305号室。
「ねぇねぇ、ちーぃーっ!」
「うるさい!」
芦屋千代は何故かカンカンに怒っていた。
ルームメイトの神宮愛里沙が彼女に平謝りしていた。
「寝顔写メくらいいーじゃん!あたしより遅いなんて一生無いし!減るもんじゃないし!」
「とにかく写メは削除!携帯は本日没収!」
神宮のブーイングを無視した芦屋は部屋を後にした。
さっさと朝御飯を食べなくては。
と張り切って向かった食堂は何故かガラリとしていた。
ベージュと茶のタイル床と木製の美しいテーブルと椅子、その奥の席で一人だけ座っていた。
バッサリと切られた黒髪、魔女のような黒いローブの安西潔子だった。
芦屋が近寄ると、彼女は本を読んでいた。
テーブルには完食した朝食の皿があった。
「おはよう、きよ」
「気安く呼ぶでない」
クスクスと笑いながら芦屋は隣に座った。
すると安西が本を閉じ、席を立った。
「待っておれ」
安西は厨房に向かい、料理を始めた。
美味しそうな匂いに自然と芦屋は目を閉じた。
しばらくして安西が朝食を持ってきた。
並々盛られたご飯と焼き魚と味噌汁だった。
「スペシャルだ」
「昨晩、寮長が旅に出たのじゃ。しばらくは私が作ろう」
「何で?」
安西が隣に座り、芦屋は朝食を食べ始めた。
「篠原の能力は“時間旅行”じゃ。気づいたらなんとか時代にいた、ということもあるようじゃ」
「いや、そうじゃなくて。何できよが作るのよ?」
安西がきょとんとして言った。
首を傾げる。
「他に早起きできる奴がいるのか?」
芦屋が苦笑した。
しかしすぐ反論した。
「私がいるわ」
「お前は良い。生徒会の仕事があろう」
安西が本を開いた。
芦屋が頬を膨らませた。
黙々と朝食を食べ、完食した。
「ごちそうさま!」
安西が本を閉じ、完食した皿に手を伸ばした。
が芦屋が皿を持った。
「おい」
「晩御飯の買い物付き合って♪寮長の財布持って桜通りに集合ね」
「ちょ」
「ちなみに、私のほうが絶対に料理上手いんだから。勝負よ!」
芦屋は厨房に向かい、皿を水に浸けた。
安西は席を立った。
ほんの少し口の端を上げ、厨房に向かった。
大きな窓から差し込む日の光が、二人の笑いながら話す声を優しく包みこんだ。
穏やかな1日の始まりを告げた。