第二楽章‐2:音楽室の窓と根性の真実
午後11時26分。
美咲達は結局、旧校舎の外で花火を楽しんだ。
先ほどのピアノで綿貫が放心状態になる寸前まできていたからだ。
霧島は美咲が教員室に来る頃に目を覚まし、屋上を断念した。
勇気を振り絞った美咲が屋上の扉に鍵がかかっているのを確認したからだ。
吹き出し花火を束ねたり、振り回したりと大変なことになった。(よい子は真似しないでください☆)
美咲はキラキラ光る花火を見ながら微笑んだ。
友達と花火だなんて初めてだった。
正直、嬉しかった。
最後には線香花火を楽しみ、その跡を懸命に消して全てを持ち帰った。
こっそりと寮に戻った美咲と箕輪は何事もなかったかのように部屋に戻った。
綿貫は美咲組の家に、霧島は自宅に帰った。
美咲は暗い部屋に帰ってきた。
カーテンを開けておいた窓からは月の光が差し込んでいた。
「………風呂入るか」
しかし、それを邪魔するかのように携帯電話が鳴った。
クロから電話だった。
何かあったのだろうか?と思いつつ、美咲は電話に出た。
午前0時01分。
「もしもし」
「起きてた?寝てたら謝るけど」
「いえ、今帰ってきたから」
クロは良かった、と呟いてから本題に入った。
「あんたがみんなと遊んでる間に“能力喰い”が出たぞ」
「?!」
「噂は広まるだろうな、また被害者出たから。生徒会も動くかも」
美咲は芦屋を思い出した。
そして“襟澤要”を思い出した。
「そ、そうだ!あの……………その………」
クロが何?、と聞き返す。
美咲は顔を真っ赤にし、また断念した。
「何でもない!じゃおやすみなさい!」
美咲は一方的に電話を切った。
何も言わずに素早く風呂に入り、髪も乾かさずに寝てしまった。
* *
翌日、午前9時29分13秒。
美咲は寮の大広間で小さくもおおっぴらな、女の子らしくないくしゃみをした。
庭の整備から戻ってきた寮長篠原ことはが呆れていた。
「どうせ布団もかけずに爆睡したんだろ。全く、最近の若いやつらは」
「寮長、そういった年配方のセリフは相応の歳になってから言ってくだ…………ぶぇっくし!」
篠原が口を押さえる美咲をゲラゲラと笑う。
美咲は風邪をひいた。
原因は風呂上がりに髪を乾かさずに寝てしまったことにある。
イライラしながら寮を出ようとした瞬間、二階から美咲を呼ぶ少し低めの声がした。
美しい弧を描くアンティーク調の階段からかけ降りてきたのは、芦屋千代のルームメイトである神宮愛里沙だった。
朝だからか、いつもストレートな金髪が少しグシャグシャしていた。
「おはよー、美咲ちゃーん」
「おはようございます、何か?」
相も変わらず素っ気ない態度に神宮はへらへらと笑いながらマスクを差し出した。
普通にどこでも売っている、白い三次元マスクだった。
美咲はありがたくそれを受け取り、装着した。
「ありがとうございます」
「ちーがね?学校行ったよ?最近噂の女の子のことかも」
美咲はピンときた。
何かまた手がかりを見つけられるかもしれない、と思ったのだ。
美咲は風邪だからといって、寝ている場合ではなかった。
二人に深々とお辞儀をし、美咲は寮を出た。
「………そういえば花火の跡残ってたりしないよね………」
と気になった美咲は先に旧校舎に向かった。
入道雲が空高く、城のように伸びていた。
木製の古びた旧校舎は、夜に見るほど恐ろしく見えなかった。
穏やかな昔の学舎だった。
「………あれ?」
美咲が校舎を見上げて笑顔が止まった。
旧校舎は全てカーテンが閉まっておらず、閉まっている部屋はすぐにわかる。
美咲はその目立つカーテンの閉まった部屋を見た。
昨夜、美咲は音楽室で全ての窓とカーテンを閉めて演奏した。
しかし今、音楽室であろうカーテンの閉まった部屋は、真ん中の一つの窓だけ、暗闇が覗いていた。
カーテンが開いているのだ。
「閉めたはず………」
たった一つ、外を眺めるその窓を見つめて硬直した。
美咲はこれ以上考えることをやめた。
怖くなる。
「………ありがとう」
美咲の耳に静かにそれは響いた。
振り返ると追い風が後ろから美咲の髪をなで、旧校舎に吹き抜けていった。
誰もいなかった。
やはり、考えることをやめた。
美咲は芦屋のいるであろう、現校舎へと向かった。
* *
午前10時15分。
美咲は生徒会室のある三階をうろちょろしていた。
何故かというと、生徒会室には誰もいなかったからだ。
会議はもう終わったのだろう。
芦屋はもういなさそうだ。
あきらめて帰ろうと、階段に向かった。
しかしある声が彼女の足を止めた。
「貴方なんかが生徒会だなんて、あり得ませんわ」
女子の何人かの高笑いが聞こえた。
ちらと階段下を見ると、三人の女子と芦屋千代がいた。
奥に下駄箱へと続くスロープが見えた。
何故か芦屋は彼女達の侮辱に反論しない。
美咲はもう少し聞こうと考え、ゆっくりと階段下からの死角に息を潜めた。
「他の方々も迷惑してるんではありません?」
「だって、この花柳では珍しい“無能力者”ですものね!!」
美咲は耳を疑った。
無能力者?
『私の能力は“根性”よ』
美咲は理解し、恐怖した。
恐怖の意味は自分でもわからなかった。
そこで芦屋が口を開いた。
「だから何?」
女子達が黙る。
「私が生徒会に入ったのは実力よ。大嫌いなアルニカを取っ捕まえるための大きな志があるからね」
「………そんなにアルニカがお嫌いなの?」
「ええ、嫌いだわ。嘘つきだもの」
美咲はとても今日は話しにくいと思った。
アルニカがアルニカへのクレームを聞いてしまったのだから。
しかし、また女子達の高笑いが響き渡った。
「何ですの?!そんなことのために生徒会に?!あり得ませんわ!」
芦屋がギリギリと拳を握りしめる。
志を笑われる事ほど悔しいことはない。
何か反論しようとした瞬間だった。
真ん中の女子がスロープの向こうへ蹴り飛ばされた。
というより、蹴った衝撃で吹き飛ばされた。
「てめえらいい加減にしろ!!!!」
白いルーズソックスが風に揺れる。
異常なまでに響き渡る音波にその場の全員が耳をふさいだ。
芦屋が目を開けると、彼女の前には美咲歩海が立っていた。
何故か片耳にマスクが引っ掛かっていた。
「面倒だから一言だけ言っといてやる」
美咲は飛んでいった女子に指差した。
「人の夢を笑うな!」
美咲は荒々しく一息吐き、芦屋に振り返る。
「………私帰る」
「え?!美咲さ……」
と呼び止めるより速く、美咲は芦屋の前から姿を消した。
* *
午後11時12分。
美咲歩海ことアルニカは曇りかかった電脳の空を見上げていた。
灰色の、どんよりした景色が広がる。
考えていた。
芦屋が無能力だったこと。
努力を積み重ね、生徒会に入ったこと。
そして、アルニカが大嫌いなこと。
何とも言えない複雑な気持ちで、少し胸が痛んだ。
しかしそれを自分の中だけでは解決できず、心に閉まっておくことにした。
「随分暇そうね?」
アルニカは大きな音叉を構えた。
その向こうにいたのは、生徒会のウィステリアだった。
藤色の袴、黒いブーツ、今日は藤色の長い髪をひとつに結い上げていた。
「………何か御用でも?」
「…………ひとつ、聞いてもいいかしら?」
ウィステリアは真面目な顔で問いかけた。
「あなた、この花柳の誰かが一人でも呼んだら駆けつける?」
アルニカは一瞬で考え、答えた。
「もちろん。どんなところにいても、遅くなっても、駆けつけるわ。正義のヒロインだから」
ウィステリアは拳を握りしめ、機嫌を損ねたようにため息を吐いた。
「やっぱりあなたは嘘つきね」
アルニカは聞き覚えのあるワードに固まった。
嘘つき。
芦屋が今日言っていた言葉だ。
アルニカは確信した。
ウィステリアは呆れながらアルニカの前から姿を消した。
またパトロールを再開したのだろう。
彼女は。
ウィステリアは。
「………芦屋……先輩だ………」
アルニカはため息を吐き、また一人空を見上げた。
「………雨降りそう、早く帰ろうかな」
アルニカは音速でその場を後にした。